王子



「ねえ昨日の月9見たー?」
「見た見た!あの終わり方やばくない?」
「わかる!!続き気になりすぎて来週まで待てる気しないよ」
「早く来週ならないかねぇ」

昼休み、紙パックのリンゴジュースにストローを刺しながら、一緒に昼食をとっていた友人の会話を聞く。

「名前は見てないんだっけ?」
「あー、うん」
「そっかあ…知らない話で盛り上がってごめんね」
「いやいや、他の子も月9の話してるし見てない方が少数派でしょ?それに、2人がそんなにハマるくらい面白いんなら間違いないだろうし、わたしも見てみようかなって思ってるよ」
「アンタ…そーゆーとこあるよね」
「名前の考察聞けるの楽しみにしてる!」

ズズッ、と音を鳴らして最後の一滴までリンゴジュースを飲み干したわたしと同時に予鈴の鐘が鳴った。早くお弁当箱を片付けて次の授業の準備を始めなくては。





5限目の授業が行われている中、わたしは窓から校庭を見下ろす。同時刻、三年生が体育の授業をしている。
授業を聞くのが嫌だとか、つまらないとか、そういう気持ちで眺めていたわけではない。王子先輩がそこにいるからだ。

自然と弛む頬をそのままに、体育の授業も卒なくこなす王子先輩にうっとりしながら、昼休みの会話を思い出す。


これからも月9なんて、見れないだろうな。

わたしは毎日忙しい。なぜならば、学生かつボーダーに所属していながら、アルバイトもしている苦学生だからである。後輩の烏丸くんとはよく節約術の話や、学業と仕事の両立のコツなどを語り合うこともしばしば。
それもこれも、近界民に家族を奪われたからなのだが。

わたしの隊はB級、それも下位ランクに属している。おかげでボーダーから貰える給料は色々切り詰めて我慢してもギリギリ暮らしていけないレベルのものであった。わたしがもっと強ければよかったのだが、ボーダーという組織は甘くない。
幼い頃から剣道を習っていたわたしは、自信満々にボーダーに入隊した。が、一歩前へ踏み出した瞬間にわたしの自信は粉々に砕け散った。個人戦を挑んだ相手に「わたし剣道やってたんで」なんて舐めた口を聞いていたあの頃を思い出して、緩みっぱなしだった頬が引き攣る。何が剣道(笑)だ。若気の至りだったということで許してほしい。

話は逸れたが、そういうわけでわたしはボーダーだけでは生きていけないためにアルバイトもしている。ボーダーの任務が入っていない日は自主練かアルバイトを入れている。おかげで月9どころか他の時間帯のドラマもバラエティ番組だって観れていない。じゃあ録画すればいいじゃないか、そう思うかもしれないがうちには録画機器なんぞ買うお金はないし、まずテレビ自体ない。…この話は終わりだ。

まあ月9が観れなくても、友人との会話についていけなくても、貧乏でも、わたしの視界に王子先輩が映るのならばそれで良いのだ。
今日だって睡眠時間は3時間だったが、王子先輩をこの目に焼き付けただけでエネルギーが100%になった気がする。十秒チャージと謳っているゼリー飲料よりコスパがいいと思う。








「樫尾くん、今日もありがとう!」
「いえ、苗字先輩のお役に立てて何よりです」
「本当にいつも助かってます…。今度何かご馳走するよ」
「えぇっ、そこまでして頂くほどのことは…。自分も苗字さんと戦って得られるものは沢山あるので」
「そうなの?」
「はい」
「わたしこんなによわっちいのに?」
「……。苗字先輩は剣道で培ってきたフォームがあるじゃないですか。そういうの、とても勉強になるんです」
「そうなんだ」

弱いこと、否定してくれなかった…と軽くショックになりながらも樫尾くんに感謝を述べて訓練室で別れを告げた。
わたしは、定期的にアタッカーの人に稽古をつけてもらっている。強くなるために。わたしが強くなる=B級下位脱脚=給料アップという公式を信じている。わたしのところの隊長も他のメンバーも申し分ないトリオン量や強さがある。それなのに上に行けないのはおそらくわたしのせいだろう。




「やあ」
「…お、王子先輩?お疲れ様です」
「うん、おつかれ」

麗しい笑みを浮かべてわたしの前に現れた王子先輩。体育中やランク戦中の王子先輩をガン見することには慣れているわたしだったが、いざ面と向かうとなると話は違う。
近くで先輩の顔を拝む機会などそうそう無いので楽しみたい気持ちと、こんな近くに憧れの先輩がいることへの戸惑いや緊張の気持ちが、ものすごい勢いでわたしの中で暴れ回っているのを感じる。

「…えっと……」
「ああ、ぼくまだ声かけられてないなって」
「…え?」
「アタッカーに稽古つけてもらってるんだろう?」
「…あぁ、そ、それは…王子先輩の手を煩わせるわけにはいかないと思いまして、」
「でもカゲくんやイコさんにもお願いしてるよね」
「そ、れは、その」
「そんな顔をしないでくれよ。まるでぼくがきみを困らせているみたいだ」

いや、みたいじゃなくて確実にあなたに困らされてます。とも言えずすみませんと小さく謝った。

「まあ、これから声をかけようとしてくれていたってことにしてあげるよ」
「はい、ありがとうございます。で、では……えっ!?」

憧れの王子先輩とまともに話せるわけもなく、先輩は遠くから見ることに限ると痛感したのでとりあえずこの場から離れようと会釈してさよならを告げようとした時だった。

王子先輩に腕を掴まれていた。それも結構な力で。

「ぇ、あっ、え?あ、あの?い、痛いんですが…」
「いやいや、ぼくの心も痛いよ」
「…はい?」
「きみ、これからぼくを誘ってくれるってことで納得したんじゃなかったの?なのにどっか行こうとするなんて酷いじゃないか」
「いたたたたたた!ちょ、ちょっ、と王子先輩!?いた、いたいです!」
「離してほしいならぼくに言うことがあるよね」

王子先輩は笑顔でわたしを見つめる。もちろん手の力はそのままだ。先輩と戦うなんて平常心でいられるわけないし、まずわたしの弱さを先輩に知られるのは一番嫌だし…などと考えている間も腕がジンジン痛んでいる。掴まれている部分から血が止まっていて、どんどん手が麻痺していく感覚がした。

「……っお、王子先輩、わたしに…け、稽古をつけてくださいませんか」
「うん」

王子先輩はさっきと変わらない笑みを浮かべながらわたしから手を離した。











食堂で菓子パンを頬張りながらスマホを弄っていると、画面上部にメッセージアプリの通知がバナーとして現れた。

「ありゃ…樫尾くんも今日はダメなのか。じゃあ今日は村上先輩にお願いしてみようかな」

メッセージアプリで文字を打つのも面倒だったし、一刻も早く村上先輩を誘わなくては誰かに取られてしまうかもしれない、という気持ちから菓子パンを急いで口に入れてその場にあった麦茶で流し込んだ。樫尾くんだけではなく、生駒さんや影浦先輩も今日はダメだったようで、残された先生は村上先輩しかいなかった。最近わたしに稽古をつけてくれる人が減ったように思う。忙しいのかな。

村上鋼、の文字をタップしてスマホを耳に当てる。こう言う時は手っ取り早く電話するのが一番だ。
数秒間コール音が鳴ったのち、村上先輩の低すぎず高すぎない心地のいい声が聞こえてきたので胸を撫で下ろす。

「村上先輩、突然電話してすみません。今って暇ですか?」
《暇といえば暇だが》
「あ、本当ですか!よければ今日稽古をつけていただきた、…えっ?」
「ごめんね、その必要はないよ。じゃあね」

いつの間にかわたしの背後に立っていた王子先輩が、わたしの手からスマホを取り上げて勝手に通話を終わらせていた。

「ちょ、ちょっと!?何、するんですか…!?」
「ぼく、考えたんだよね。きみを弟子に取ろうかなって」
「は、え…?」
「ぼくが師匠になれば、もう他の人にいちいち連絡して予定聞く必要も、稽古をお願いする手間も省けるでしょ」
「それはそうですけど…」
「ぼくがきみの面倒を見てあげるから」

以前初めて王子先輩に稽古をつけてもらった時のことを思い出す。他の先生たちはわたしの体力やランクに見合った練習に付き合ってくれていたが、王子先輩は違った。初めからエクストラモードというのだろうか、その日どころか次の日になってもトリオンが全回復しないほどにまでスパルタ指導をされたのだ。
わたしの顔が強張っていたからだろうか、先輩はすぐさまにっこりと笑って「大丈夫だよ」と告げる。








「ほら、集中力が途切れてるよ」
「ぼくの顔だけ見てても仕方ないよね」
「そんな攻撃でぼくにバレてないと思った?脇が甘い」
「きみってばトリオンを無駄に使う才能があるね。意味ないとこに割かない方がいいよ」
「それ、新しく覚えた技なのか知らないけど、熟練度が上がるまでそんなお粗末なまま使うのやめた方がいいよ」
「きみは本当に足が遅いね。そんなんじゃ追いつけないよ」




「…ハァァァァッハアァァァ、ゼェ、はぁ…っ…」

王子先輩の指導は本当にスパルタだ。ボーダー内で見かける先輩は王子隊の隊服を着ているのだが、デザインが非常にわたし好みであり、見るたびあまりのかっこよさに一人で悶えていた。…が、それは過去の話。今では隊服を着た王子先輩を見てもときめくことがなくなった。というか、学校で先輩を見つけても今までのように気分が上がることはなくなった。

「このくらいで息上がるなんて、まだまだだね」
「ッハア、はあ、すみま、せ…っ」
「うん、いいよ無理に喋ろうとしなくて」

膝を着いて荒い呼吸をしていると、いつもの笑みを浮かべた王子先輩がわたしの目線に合うようにしゃがむ。

「きみ、ボーダー向いてないよね」
「……っ」
「きみも気づいてたんじゃないの」
「…っそれは、」

どんなに腕のいいアタッカーの人に稽古をつけてもらっても全く技術が向上しないことも、うちの隊が中位にすらいけないことも、すべてわたしがボーダーに向いていないからだってことは、気づいていた。でも、気づかないふりをしていた。給料が低くたってアルバイトよりも多く稼げるボーダーに居続けたかったから。今のままでもアルバイトと両立したらなんとか生きていける。王子先輩の澄んだ瞳が、他のメンバーのことなんて全く考えていないわたしの浅はかな思考を読んだ気がして、深呼吸しながら目をさりげなく逸らす。


「人には向き不向きがある」
「……はい」
「きみの隊の他のメンバーが可哀想だから脱退した方がいい」
「…っ」
「ボーダー自体も抜けるべきだ。きみが伸びることはないだろうから。きみに支払う給料を他の設備に費やす方が有意義だ」

そうすることが正しいし、わたしもそう思っていたけれど、自分以外の人から言われた正論は生身でどんな攻撃を受けた時よりも痛く、苦しいものだった。

ここで泣いたら、泣けば許されると思っている女だと思われてしまう。どんなスパルタでも王子先輩に憧れているわたしはまだ健在で、これ以上わたしの弱いところを見せるわけにはいくまいと、瞳に溜まった涙がこぼれ落ちないように耐えた。

それを見かねた王子先輩の手がわたしの頭の上に乗る。
先輩に触れてもらえたのは、初めて稽古をつけてもらうことになったあの日以来だ。そういえばあの日掴まれた腕の痕は数日間続いたんだった。…それでも憧れの先輩に付けてもらった痕、だなんて見るたび触るたび照れていたあの頃の自分に「何浮かれてんの」って言ってやりたい。


「わかり、ました。今の隊も、ボーダーも、…やめます。今までお世話になりました」

下を向いたまま、わたしの頭に乗った王子先輩の手をどかして立ち上がった。
こんな態度、今まで貴重な時間を割いてまでわたしに稽古をつけてくれていた先輩に対して失礼だと思う。それでも、愛想笑いをしてでも先輩の顔を見る勇気も余裕もなかった。どうせもう、会うことはない相手だ。学校で見かけらことはあっても王子先輩は3年生。あと数ヶ月したら卒業していなくなるんだし。

頭の中で自分の行動に言い訳しながら王子先輩の元から離れようとしたが、それは叶わなかった。

「い"った!?な、なにするんですか!?」

あの日と同じように、わたしの腕をがっしり掴む王子先輩。驚きと痛みで、今まで頑なに見せまいと伏せていた顔を先輩に向けてしまった。
涼しい顔してゴリラ並みの力でわたしの腕を握ったまま先輩は動かない。

「"お世話になりました"って、何を勝手に終わらせているんだろうと思って」
「…はぁ、?」
「どうしたんだい?」
「え、だって、先輩がボーダーを辞めろって…」
「うん。そうだね。今日付でやめた方がいい」
「……そしたらこの師弟?関係も終わりですよね、だからわたしは、」
「誰がきみを手放すと言った?」
「てばな、す、?え?なんの話を、」
「言っただろう?ぼくがきみの面倒を見るって」
「た、確かに言ってましたけど…」
「きみはぼくのことが好きだよね。ああ、否定しなくていいよ気づいていたからね。いつもぼくが体育をしている時、見つめていただろう?ボーダー内でもぼくのこと凝視していたし。気づいていないとでも思ったかい?気をつけないといけないよ。相手が同じくきみのことを好きなぼくだったからいいけれど、他の男にそんなことしたら勘違いされてしまうから。あと、カゲくんたちがきみに稽古つけてくれなくなったこと、きみは薄情だって思ってるかもしれないけど、あれはぼくの差金でね。ぼくの名前に手を出さないでくれと言ったらみんな分かってくれたよ。それにしてもみんなきみのペースに合った練習方法を考えてくれていたおかげできみはぼくの稽古に全く着いてくることができなかったみたいだけど、きみのことを本当に考えるならば少し上の段階で特訓しないと意味がないと思うんだ。だから本当にきみのことを考えているぼくはきみが苦しいと思うところまで稽古をつけていたんだよ?わかってくれるかな。まあみんなの稽古がゆるかったおかげで、ぼくの稽古に着いていくために苦しそうにしてるきみのかわいい顔を見られたから総体的にはみんなには感謝してるけれどね。あ、あときみの隊のメンバーにはきみが抜けること言ってあるからもう会いに行く必要はないよ。それからきみのアルバイト先だけど、接客業はきみに向いてないと思うんだ。きみ、よくお客さんに告白されたり連絡先を聞かれたりしているみたいじゃないか。気のない人に対して愛想良くする必要なんてないだろう。きみにはぼくがいるんだし。だから事務的な作業ができるアルバイトを探してみたんだ。あとで教えてあげるね。ああ、お金のことなら大丈夫だよ。おや、なんで?って顔してるね。……名前のことはぼくが面倒を見るって言っただろう?」

一人で理解不能なマシンガントークを続ける王子先輩に圧倒されながら、初めて名前を呼んでもらえたことに喜びを感じているわたしがいた。


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