「苗字ちゃんおつかれー」
「犬飼先輩、お疲れ様です」
「ごめんだけど相席していい?」
「え?あ、構いませんが…」
「辻ちゃーん!こっちこっち!」
「え?!」

ボーダー隊員で賑わう食堂の一角で期末テストの勉強をしていたわたしの目の前に犬飼先輩が現れた。
そして先輩はあろうことか女性恐怖症である辻くんをわたしと同じテーブル席に座らせようとしていた。

「ちょちょ!何してるんですか」
「何って?」
「いや、辻くんわたしと相席なんかしたら死んじゃいますよ」

死ぬというのは大袈裟だが、冷や汗をダラダラ垂らしながら呼吸困難になりそうな気がする。

「ん?あー、まあ確かに死んじゃうかもね」
「分かってんならやめましょうよ…。わたし場所移動しますんで、…い"っ!」

テーブルの上に広げていた勉強道具を適当にまとめて左腕で抱え、右手では学生鞄を掴んで席を立った瞬間犬飼先輩に腕を掴まれる。そこそこ強いだった。こんなに痛みを感じるのはおそらく先輩は換装体であることに対してわたしは生身だったからだと思われる。

「あのっ、は、離してください。痛いです」
「あっ、ごめんごめん。苗字ちゃん今生身だったね」

誠意の感じられない謝罪をしながらも手を離す様子のない犬飼先輩を軽く睨みながら見つめていると、辻くんとわたしたちの距離が10メートル未満となっていることに気づき先輩の腕を振り解く。

「待って、お願い」
「はぁ…?わたしは辻くんのためを思って…」
「辻ちゃんのこと思うならむしろここにいて」
「意味わからないんですが…」
「ほら、辻ちゃん女の子苦手でしょ。でも、少しでも苦手意識を無くせるように頑張りたいんだって」
「えぇ、無理しなくたっていいのに…」
「ま、そんな感じで辻ちゃんが一歩踏み出そうとしてるわけだしさ、協力してくれない?」
「そういうことなら、いいですけど」


犬飼先輩は、どんどん近づいてくる辻くんに向かって手をブンブン振って自分の位置を主張していた。
数秒前まで辻くんは涼しい顔をしていたのに、目的地にわたしがいることを知った途端表情が崩れていき、あわあわしだす。一歩踏み出せるのだろうか…。なんだかわたしが居た堪れなくなって結局退散しそうな気がするのだが。


「し、失礼…します…」
「えぁ、うん」

4人がけのテーブル席なのに、何故か辻くんはわたしの隣に座る。流石に驚きから変な声が出た。犬飼先輩の隣、空いてるのにな。


「苗字ちゃん、空き時間に勉強してるなんてえらいね」
「勉強しないと赤点取りそうなので…」
「あれ、苗字ちゃんって赤点とるタイプだったっけ?頭いいとは思ってないけど、平均くらいじゃなかった?」
「一言余計じゃないですか?……最近色々あって勉強する時間取れてないんですよ」
「え、色々って?」
「色々は色々です」
「えー、気になるんだけど」
「プライベートに入ってこないでくださーい」

わかりやすく口を尖らせる犬飼先輩を無視して、先ほど適当にまとめてしまった勉強道具を広げながら"色々"を思い浮かべる。

実は笑ってしまう話だが、ここ1ヶ月の間わたしはストーカー被害に遭っている。家に届く気持ちの悪い手紙や、外出時に感じる視線などに悩まされていることで全く勉強が手につかないのだ。


ーーー今日もとってもかわいいね。その服、この前お母さんと買いに行った時のでしょ?とっても似合ってるよ。次は俺が名前ちゃんに合う服を送りたいな。

ーーー今日仲良さげに話してた男、誰?名前ちゃんの隣に相応しいのは俺だけだよね。そろそろ俺たちの仲を周りの人に公表した方が良いんじゃないかな。

ーーー今日は髪型ノーセットだったね。もしかして昨日夜更かししてたから朝寝坊しちゃったのかな?名前ちゃんはどんな髪型でも可愛いね。



顔も体型も頭もなにもかも平均レベルのわたしなんかにストーカーがいるとは到底信じられない話であり、誰かに相談しようものなら笑い飛ばされて挙げ句の果てには話のタネにされる未来しか見えない。そのため誰にも言いたくはない。



「ぁ…っ苗字さ、ん、腕…あ、ぁかくなっ、てる…」
「ん?あぁ、これはね、いぬ、」
「い、犬といえばさ、今日荒船がボーダーに来る前犬に追い回されてて面白かったよ」

わたしの言葉を遮って誰も聞いていない話をし始める犬飼先輩。今明らかに話題逸らしましたよね。
あからさまな話題の変え方に辻くんも首を傾げていたが「それは大変でしたね」なんて返しをしてこの話題は終わった。












「ふう、今日はこのくらいでいいかな。………って、えっ!辻くんまだいたの!?」
「ぇ、ぁ、その、ご、ごめん…」
「え!いやいや、いてほしくなかったんじゃなくて、よくまだここにいたなーって思って。あの、責めてるわけじゃないよ」

あれから犬飼先輩と辻くんは勉強に集中するわたしの横で他愛もない話をしていたが、集中しすぎて途中からなんの話も耳に入ってこなかった。そのため、今目の前の席から姿を消した犬飼先輩はともかく、隣に座っていた辻くんもいなくなっている思い込んでいた。

「え、2時間くらい…いたよね、暇じゃなかった?」
「だ、だい、じょうぶ。すごく、貴重な時間…だ、った、から…」
「貴重……?あ、わたしもう帰るけど辻くんは犬飼先輩待つのかな?」
「ぅ、ううん!犬飼先輩は…もう帰っ、た」
「あれ、辻くんのこと置いてったの?薄情な人だね」
「…苗字さん、さえ…よ、よければ、その…ぃ、一緒にかえ、らない…?」
「え?!」

今の聞いた?女性が苦手な辻くんが、苦手なはずの性別を持つわたしと一緒に帰ろうと誘ったのだ。何かの間違いだろうか、それとも、この状況自体がわたしの夢だったりして。
なんて色々考えを巡らせていると、わたしから返事が貰えないことで不安そうな表情をしている辻くんが頬を赤らめながら涙目でこちらを見つめていることに気づく。

「あっ、ごめん、返事してなかったね。ちょっとびっくりしちゃって!いいよ、一緒に帰ろ」
「ほっ、ほんと…!?」
「うん」









「………」
「………」

辻くんとの帰り道。ボーダーを出てから約十分は経過したがそれまで一切会話はない。非常に気まずい。辻くんに気づかれないようにちらりと彼を見てみれば、頬は赤いまま縮こまりながら隣を歩いていた。やっぱりわたしと帰らない方が良かったのでは…。

「あのさ」
「っ!ぅ、ぅん」
「その…無理してるなら、やめた方がいいよ。苦しい思いしてまで女性を克服することないと思う」
「……ぁ、と…」
「それとも犬飼先輩に無理やりそうさせられてるの?それならわたしからあの人に、」
「ちがっ!ぁ、」
「うぉっ、」

犬飼先輩にこの場で一言言ってやろうと、スマホを取り出し電話帳アプリを選択するわたしの手に辻くんの手が触れる。
女性と目を合わせて話すことすら難しい辻くんにとって、わたしの手に触れてしまうことはもっと厳しいことだったようで、彼は素っ頓狂な声をあげて手を引っ込めた。


「ごご、ごっ、ごめん!!」
「い、いや、わたしは全然大丈夫だけど…辻くん冷や汗凄いよ、やっぱり別々に帰ろ!?」
「だ!だ、っいじょう、ぶ…だか、ら、ほんと、うに」
「えぇ…」

耳まで真っ赤な辻くんは瞳をうるうるさせながら手を左右に振る。辻くんが大丈夫と言っても、正直わたしが大丈夫ではなかった。申し訳なさで頭の中がいっぱいだ。

「あ、あのね…辻くん。異性と向き合いたいっていう辻くんの気持ちは応援したいし、出来ることなら協力もしたいんだけど…その…言いづらいんだけど辻くんとわたしって合わないと思う」
「……は?」

突然辻くんの声のトーンと表情が変わり、一瞬慄くがわたしは話を続ける。

「同じ隊で長い付き合いのひゃみちゃんや鳩原先輩とは女性相手でもうまくやっていけたわけだけど、隊は違えど結構関わり合いが多かったわたし相手だと辻くん、全然大丈夫じゃなさそうだから……。その、わたしじゃなくて他の女子で慣れていった方がいいと思う」

辻くんはわたしを見つめたまま何も発しない。図星なのかも。辻くんが本能的にわたしのことを苦手だと感じていることが判明し、そこそこショックではあるが仕方ない。合う合わないはあるよ、人間だもの。

「あ、ほら!あの、小南ちゃんとか宇佐美ちゃんとか、あの2人なら、……あの、辻くん…?」
「…な…で、……ちゃん……俺…こ、…ら…なの?…そん……な…い…っ俺…つき、…のに……」
「…つ、辻くん?声が小さくてよく聞こえないんだけど…」

辻くんの目は未だにわたしをしっかりと捉えているものの、先ほどとは打って変わって虚ろな表情でぶつぶつと何かを呟いていた。

「つじ、くん?あの……」
「なんで?名前ちゃんは俺のこと嫌いなの??そんなわけないよね」
「は、??え?突然なに…っい、いた!ちょ、痛いよ…」

顔を赤らめていた辻くんはどこへ行ってしまったのだろうか。彼はわたしの両肩をがっしりと掴み、感情のない声色をこちらにぶつけてくる。いつもはつっかえつっかえで必死に言葉を紡ごうとしているはずなのに、饒舌に話し出している。普段の辻くんからは想像もつかない豹変ぶりに、手足の震えが止まらない。

「俺たちは付き合ってるんだから、一緒に帰るのだっておかしくないよ」
「え、つ、付き合って、ないよね」
「…名前ちゃん?なんでそんな酷いこと言うの?」
「え、いや、…えっと…まずわたしのこと名前で呼んでなかったよね…?」
「それは名前ちゃんがボーダーの人にバレたら恥ずかしいって言ってたから、俺たちのこと誰にも気づかれないように苗字で呼んでるんだよ」
「…そ、そんなこと言ってないよ…」

本当にそんなこと言っていない。というか辻くんとそのような話に至るまで話し込んだことは今までに一度もない。いつも辻くんと関わる時は隣に犬飼先輩がいたし。

「…どうして嘘吐くの?あ、俺に意地悪して愛を確かめようとしたの?そんなことしなくたって俺は名前ちゃんのことが大好きだよ。だからもうそんな酷いこと言わないで、お願い」
「…え、と…ごめ、んなさい…」
「俺のこと好きって、言ってくれたら許してあげる」
「え、」
「どうして?たったの二文字だよ。俺は名前ちゃんのことこんなに好き、好きなのに。名前ちゃんが恥ずかしがり屋なのは分かってるつもりだけど、言葉にしないと伝わらないこともあるよ。俺ばっかり好きみたいで、悲しい」

俺ばっかり好き"みたい"じゃなくて、そうなんだと思うけど…。第一辻くんと付き合う以前に告白した記憶もされた記憶もないし、辻くんがわたしを好きなことだって知らなかった。
思い返せば辻くんは、女の子が苦手なのに犬飼先輩にくっついてわたしの元によく来ていたような気もする。でもそれはひゃみちゃんや鳩原先輩とは普通に話せている彼を知っていたから、もしかしたらわたしも辻くんと普通に話せるようになる兆しなのかも、なんて軽く考えていた。



「名前ちゃん、なんで黙ってるの。酷いよ。俺はたくさん名前ちゃんに愛を伝えてるんだから、次は名前ちゃんの番だと思う」
「ちょ、いた、痛いってば…!やめてほんとに!」

わたしを掴んで離そうとしない辻くんの腕を振り払うと、その弾みで彼の学生鞄が地面に落ちる。

「ごっ、ごめん、拾うね」

チャックが閉まっていなかった辻くんの鞄からは彼の筆箱やノートが放り出され、流石に申し訳ないと思い屈んで拾おうとしたわたしの目に開かれたノートが映り込む。

辻くんのノートは丁寧にまとめられていた。しかし、そこに書かれた文字は既視感だらけであった。昨日も一昨日も、その前の日も、毎日、見ている、わたしを毎日悩ませている、あの、


「あ…気づいちゃった、かな」



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