「今日は教科書の八ページからだ。それと、演習ドリルを配る。これから毎時間指定されたページを解く課題を出すから失くすなよ」

朧先生の課題という言葉に、周りの生徒が「えぇ〜」と不満の声を漏らす。確かに毎時間課題を出されるのは大変だけれども、復習と考えれば試験勉強にもなるので悪いことでもないように思える。
この授業だけが私の心休まる時間であるので平穏に一年を過ごしたい。

「忘れた奴には更に課題を追加するからちゃんとやるように」

よりいっそう不満の声が上がったが、朧先生はそれに気にすることもなく淡々と教科書八ページの内容について語り始めた。

うん、良いね。ちょっと厳しい気もするし愛想もないけどそれでも私が求めていた高校教師像にぴったりだ。
入学してから一週間が経ち、この学校の先生を大方把握することが出来たが「ふね」という単語を聞くと吐く先生や、やる気が感じられない上に毎回だるそうな先生、痔持ちの前髪もっさり先生、図体もさることながら見た目もゴツいが心が女性の先生、おかっぱ頭に猫耳を生やしたカタコトの先生、めちゃくちゃ声がデカくて生徒の話を全く聞かない先生、絶対カタギじゃない見た目してるのに"じろちょん"なんてあだ名が付けられている先生などなど、個性派揃いの教師達がいる中で朧先生は本当にまともで銀校唯一の良心なのではないかと思われる。



「この数式は他でも応用が利くものだから今日のうちに覚えると良い」


男の人にしてはかなり綺麗な字体で黒板に書かれた文字を一生懸命ノートに写していく。朧先生は結構板書が早い。しかも説明をしながらチョークで書いていくので凄く器用な人のだろう、なんて感心している場合ではなかった。先生の言葉も出来る限りノートに書き込んでいると授業終了を知らせるチャイムが鳴り、ほっと一息つく。


「演習ドリルの見開き二ページ分を宿題とする。忘れるなよ」

他の授業では長く感じられる一時間も、朧先生の授業はあっという間だった。ただ、ノートを移すことに必死で内容はあまり頭に入っておらず、こんがらがった頭で課題をこなせるとは思えない。信女ちゃんにちょっと聞いてみようかと隣を見たが机に突っ伏して爆睡している姿が目に入る。見なかったことにして前を向き直すと休憩時間になったのだから当然だが好き勝手に行動する生徒と、自らの手で黒板を消している朧先生の背中が見えた。

黒板を消すのは日直の仕事なのだからそんなことしなくても良いのに。律儀な先生なんだなぁ、なんて思いながら黒板の右端に書かれている日直の欄に目を移す。


「え!?」
「………何」
「あ、信女ちゃん、ごめん起こしちゃった?って違うよ授業中寝てちゃ駄目でしょ……ってこれも違う!」

日直と書かれた下に、私の名前が書かれていた。今日私日直だったの?!知らなかったよ?!

急いで黒板消しを手に取り、朧先生が手を付けていない側からチョークの文字を消していく。

すると先生の黒板を消す動きがぴたりと止まりこちらに視線を感じ、恐る恐る私も先生の方を向く。もしかしたら、来るのが遅いとか怒られるのでは……。
しかし、待てど暮らせど先生から言葉が発せられることはなく、気まずい雰囲気に耐えきれなかった私が先に口を開くことになった。

「あの……黒板消すの遅れてすみませんでした」
「何故お前が謝る」
「え?…だって、コレ日直の仕事ですよね?」
「他の学校は知らんが日直の仕事ではない」
「……そうなんですか?」

私の問いに対して先生は静かに頷く。成る程、先ほどの視線は私の出しゃばった行動に驚いてのことだったのだと納得した。恥ずかしさに顔が熱くなる。


「よ、余計なことをしてすみません」
「いや、助かった。ありがとう」
「!っいえいえ!こちらこそ先日は教室の案内して頂いてありがとうございました」
「…あの後無事に帰れたのか」
「はい!おかげさまで!」

先生はいつもポーカーフェイスを保っている、というより表情や感情を感じられない印象だったのだが、私の元気な返事に馬鹿っぽさを感じたのか表情が少し柔らかくなる。しかし、それも一瞬のことで、黒板が真っさらになったことを確認した先生は荷物を抱えて教室を後にした。

表情や話し方は勿論のことだが授業の進め方で厳しいイメージが付いてしまっている先生だが、そうでもないのかもしれない。分からないけど。怖いと思っていた土方先輩はやっぱり怖かったのでそのパターンの可能性もあるし。



それはそうと、日直の仕事を聞きに服部先生の元へ行かなければ。
"廊下は走らない"という風紀委員のルールを守りつつ、競歩選手の如く職員室へ向かう。


「失礼しますー……」

銀校の職員室に入るのは初めてだったので勝手が分からず、とりあえず小さな声で入室の挨拶をし室内を探索する。

少し歩いた先の壁に職員室の見取り図が貼ってあったので服部先生の文字を探すと、ちょうど現在位置の近くに席があることが判明する。良かった。見取り図がなかったら入学当初のようにウロウロして変な目で見られていたかもしれない。




「服部先生。みょうじですが、今よろしいですか」
「ん?あー、みょうじか。どした?」
「あの、今日私日直みたいなんですけど、日直の仕事って何ですか?それと日誌貰ってないですが書かなくていいんでしょうか」
「あー……悪りィ忘れてた。でも悪いんだけど、日誌昨日の日直が持ったままだわ多分」
「……」
「えーっと、昨日の日直はーっと……」

間延びした声で生徒名簿を指でなぞる服部先生。この人大丈夫だろうか?少し気が早いかもしれないが、大学受験を控える三年時に担任だったら凄く嫌だと思った。


「あ、コイツだコイツ!斉藤終。悪いんだけど日誌もらうついでに日直の仕事は斉藤に聞いてくれるか。俺ちょっとケツ痛くてトイレ行くから」
「……ハイ」

名簿に書かれた"斉藤終"という名前を指差して私に確認させた後、先生はイテテと呟きながらゆっくり椅子から立ち上がってお手洗いへ向かってしまう。なんとも薄情で面倒臭がり屋な先生だろう。
やっぱりここにまともな先生はいないのだと前々から分かっていたことを再確認して教室に戻って斉藤くんを探すことにした。






「…………で、斉藤くんって誰?」

入学して一週間経ったとはいえ、まだクラスメイト全員と打ち解けたわけではない。それも男子とはまだ一度も交流を深めていないのだから名前など知るよしもなかった。男子生徒と話したのはクラスメイトより風紀委員会の先輩が先だし、なんなら先輩としか話していない。


「信女ちゃん、斉藤終くんって誰か分かる?」
「……知らない」
「ダヨネ」


仕方ないので、静かに席に腰掛けている男子生徒に声をかけてみることにした。緊張するなぁ。


「あの、いきなりごめんね。うちのクラスの斉藤くんって誰か分かる?」
「…………」

一言で言うなら無視。私に顔を向けてくれているし目も合っているというのに一向に口を開こうとしない。え?何?しかも、話しかけることに緊張していて気付かなかったが、この生徒めちゃくちゃアフロだった。一番前の席に座られたらその列にいる人みんな黒板見えなくなっちゃうやつじゃん…。

「あの……?聞こえてる、よね?」
「…………」
「…分からないなら分からないで良いんだけど私いま斉藤くんを探していて、」
「…………」

喉でも痛めてるのかな?だから話せないのだろうか。心配していると彼は突然席を立ち廊下に出て行ってしまったので私もついていく。ここでは話しづらいことなのかもしれない。


「あのー?」

どこまで行くつもりだろうか?もしかして校舎裏に連れていかれるアレか?!などという不安は彼が男子トイレに入った瞬間消え失せ、私はイライラする気持ちを抑えて教室に戻った。


斉藤くん探しはまた後にしよう。自分の席に戻って次の授業の準備に取り掛かる。確か次は船ゲロ教師だったな。またあの先生吐くのかな、勘弁してほしいのだが。


先ほど私が教室に戻ってくる際に閉めた扉がゆっくり開かれ、そこから先ほどのアフロが入ってくる。そして何故か私の目の前に来たと思えば徐にスマートフォンを弄り始める。何コイツ、スマホ触るなら自分の席でやってくれる?!


「……」

変わった人だなぁと思いながらアフロとは二度と話さないことを心に決め、私も先ほどの彼と同じように席を立って教室を出ようとしたものの、彼に腕を掴まれ阻まれてしまう。

「な、何?…もう良いから、」

振り向くと、私の顔の前に彼のスマホが差し出されていた。見ろと?

"斉藤終は私ですZ"

「お前かよ!!!!」

スマホに打たれた文字を見て思わず漏れてしまった一言に慌てて口を手で覆う。でもまあ仕方ないよね。目の前のアフロこそが私の探していた斉藤くんだったことが分かり安心しつつ、またヤバめの奴に出会ってしまったと溜息を吐きたくなった。


"何か用ですかZ"

てかZてなんだよZて!?!?!?ここまで頑なに口を開かないのはきっと何か話せない理由があるのだろう。それは良いとして、何なのその語尾。キャラ付けですか?なんなんですか?この人。どうでも良いけど合唱コンクールとかどうするんですか?卒業式証書授与の時の返事は?てか、小学生の頃卒業式で「たのしかったー」「お芋掘りー」「頑張ったー」「運動会ー」とかどうしてたんですか?無言で通したんですか?それともZだけ言ってたんですか?そんな台詞あるかよ。ねーよ。


何も言わない私を不思議そうに見つめる斉藤くんの視線に気付き、気を取り直して日誌の在り処を尋ねると彼の机の中にしまってあったようで、アフロをワサワサと揺らしながら取り出した。

"そういえば、先生に提出し忘れてしまいましたZ"

「あ、あぁそう……今日私が日直だから渡しておくね」

未だにスマホの画面で会話を続ける斉藤くんに引きつった笑みで言葉を返すと、彼は一礼して席に戻って行った。




……あ、日直の仕事聞き忘れた。


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