今日から三学期が始まる。朧先生に会えるかな、なんて浮かれながら教室のドアに手を掛けた。

「なまえ」
「信女ちゃん!あけましておめでとー!」
「あけおめ」

自分の席へ鞄を置くと後から入ってきた信女ちゃんに声をかけられ、久しぶりに会う彼女に嬉しくなる。席に着くと相変わらず眠そうな顔でいつものようにマスドのドーナツをもぐもぐ食べていた。

「そういえば、冬休み中吉田さんに会ったよ」
「松陽に?」
「そう!すごく良い人だったね」

吉田さんの名前を出すと彼女のドーナツを食べる手が止まり、こちらに顔が向く。何か言いたいことでもあるのかと思いきや特に信女ちゃんの口から言葉が発せられることはなく、私の話を待っているようだった。

「あ、でね。門下生が全然来てくれないって寂しそうにしてたよ」
「何だと?それは本当か」
「ん?」

私と信女ちゃんの話を盗み聞きしていたのかそれともちょうど聞こえてしまったのか分からないが、同じく吉田さんの門下生である桂くんが私の席の前に立っていた。聞かれて困るものでもないし桂くんにも伝えるべきだった話ということで今回は不問にするが、女子同士の会話に口を挟むのは気をつけた方がいいと思う。


「松陽先生が寂しがっていたとは…。道場を卒業した手前、顔を出すのは何だか憚られてな……」
「遊びに行ってあげたら?絶対喜ぶよ」
「そうだな。必ず会いに行くと約束しよう。して、今井」
「何」
「お前も一緒に行かぬか」
「……なまえも一緒ならいいけど」
「え、私?」

加湿器を持ってもらった日と朧先生とクリスマスケーキを届けた日の二日間しか吉田さんと関わっていない部外者の私が信女ちゃんや桂くんとともに道場に行くことこそ気が引けるのだが、二人の反応を見るに私もお邪魔させてもらえそうな雰囲気を感じ取ったのでとりあえず頷くことにした。







無事に始業式を終え、この後は授業もないので帰り支度をしていると桂くんがエリザベスを引き連れてこちらにやってきた。

「みょうじ、今井。この後予定はあるか」
「え?無いけど……」

信女ちゃんも私と同じく予定が無いとのことで左右に首を振る。そんな私たちを見た桂くんは満足そうに口元で弧を描き「松陽先生の元へ行こうではないか!」と言うのだった。思い立ったが吉日とは言うが、それにしてもいきなり過ぎではないか?


「でも、まだ手土産とか買ってないよ?」
「この後買えばいいさ。何せ今日は時間が沢山あるからな」
「まあそうなんだけど…」





桂くんの勢いに押されて私たち四人は電車に乗って四越という百貨店へ赴きささやかな手土産を購入したのだが、途中に通ったペットショップで肉球にメロメロになる桂くんのせいで吉田さんの道場には予定時刻より遅い到着となってしまう。肉球と別れを惜しむ桂くんは見ものだったが。


「!皆さん、よく来ましたね」
「松陽先生!」
「……」
「お邪魔しまーす」

私たちを見て一瞬驚いた吉田さんだったが、すぐ様嬉しそうにニコニコしながら出迎えてくれた。

"いい道場だな"

エリザベスは道場内に足を踏み入れ、辺りを見回しプラカードを掲げる。何でそんな上から目線なのだろうか。というか何故エリザベスまでここにいるんだ?まあ、門下生でも何でもない私もここにいる時点で何も言う資格はないのだが。


「今日はちょうど道場もお休みでしたからゆっくりしていってください」

そう言って吉田さんは私達が四越で拵えてきた和菓子をお茶請けにして飲み物と共に持ってきた。
それからというもの桂くんは高校生になってからのエピソードや武勇伝などを楽しそうに吉田さんに話していたが、信女ちゃんは相変わらず無口なままだった。
もしかしたら私やエリザベスのような無関係の人間がいると話しづらいのかもしれない。私はエリザベスの手を引き以前じっくり観察したことのあるトロフィーが並ぶ棚へ向かった。


"どうした"

「身内だけでしたい積もる話もあるかと思って」

"そうだな"










「おーい」

何処かから声が聞こえる。この声は吉田さん…だろうか。うっすら目を開けると思った通り、吉田さんが私の顔を覗き込んでいた。

「ん……?」
「おはようございます、なまえさん」

桂くんと信女ちゃんが吉田さんと話している間、私はエリザベスと写真やトロフィーを眺めてそれから…………渡した側だというのにご好意で出してもらった和菓子を少し頂くために畳の上に座って、ウトウトした私は目を閉じて………。

「ン?!私っ寝て……!?」
「はい、それはもうぐっすり!」
「す、すみませんんんん!!」

私は何ということを……!体に掛けられていた吉田さんの物と思われる羽織を軽く畳んでから全力で土下座して謝った。
確かに昨日の夜はなかなか寝付けず寝不足だったが、だからといって人様の道場で居眠りするなんて信じられない。吉田さんは仏様のような優しい微笑みで「大丈夫ですよ」と言ってくれたが、他の誰が許そうとも自分が許せなかった。バカバカ!と心の中で自分を叱責していると、この場が静かであることに気づく。道場内には私と吉田さんの二人しかおらず、信女ちゃん達の姿が見当たらなかった。


「あれ、あの……皆は」
「あぁ、帰りましたよ」

やはり帰ってしまったのか。道場には窓が無く閉め切られた空間の為外の景色が見えず今の時間を予測できなかったので、左腕を少し伸ばして袖から覗く腕時計をちらりと見る。
目を疑った。短針が7を指していたからである。

「すっ、すみません!!こんな遅い時間まで……」
「いえいえ、お気になさらず。…実はもう少し早く起こすつもりだったのですが、とても気持ち良さそうに寝ていたのでつい」
「本当にすみません……」
「しかし、流石にこの時間になるとご家族が心配されるかと思いまして」

私が道場に長居をした挙句、気持ち良さそうに眠るなどという大変失礼極まりない行為をしたことに吉田さんはケロっとした様子で、言葉の通り本当に気にしていないようだった。私が門下生だったのならともかく、全くの他人がこんなことを易々としていいものではないだろう。
怒っている姿を想像できないくらいに優しさの塊でしかない彼に再度頭を下げ、急いで帰り支度をする。


「なまえさん、今日はあの二人を連れてきてくれてありがとうございました」
「いっいえいえ!私こそ度重なる無礼を働き申し訳ありませんでした……」
「良いんですよ。信女の新たな顔も見れましたから」
「信女ちゃんの……?」
「ええ、貴方のことを大事に思ってるようでした」
「そ、そうなんですか?……えへへ…」

信女ちゃんと良い関係を築けていることが分かり顔がだらしなく緩む。彼女は元々無口でお話好きという性格ではない為、あまり他の生徒と学校で話しているところを見ない。"あまり"というより九分九厘で誰とも話さないので、信女ちゃんと心を通わせることの出来る唯一の女子生徒と陰で呼ばれているのだとかそうじゃないだとか。知らんけど。

忘れ物はないか確認し、鞄を持って立ち上がると吉田さんが私の目の前に立ちはだかった。

「あぁ、お待ちください。お礼をしなくてはと思いましてね」
「お、お礼ですか?!そんなの大丈夫ですよ!」
「もう準備しちゃいました」
「早!」
「そろそろ来るかと思うんですけど……」
「えっ、来る……?」

何が来るのか困惑していると、待ってました〜とでも言うようにガラ、と道場の重たいドアの開く音がした。

「松陽、何の用……だ…。みょうじ」
「えっ、よ、吉田さん?!」

数歩歩いて畳張りのこの場所へ来た吉田さんの言う"お礼"とは朧先生のようだった。突然のことで先生と吉田さんを交互に見ながら「え、え?!」と覚えたての言葉ようにそれだけを連呼していたが、間抜けな光景だったように思う。









すっかり暗くなった一月の夜は、ひんやりとした冷気が肌に突き刺さりマフラーや手袋なしでは凍え死んでしまいそうなほど寒かった。


――朧、悪いんですが彼女のことを送ってあげてくれませんか。

やはり私の気持ちに気付いていた吉田さんのご好意により、"え"のひと単語しか声に出せなかった私は結局最後にもう一度彼へお礼を言うことが叶わないまま朧先生と道場を後にした。
しかし、吉田さんに挨拶をしてから今の今まで先生はずっと口を閉ざしていた。その上心なしか少し気が立っているようにも見えたので、なかなか話しかける事も出来ない。

そうは言っても一言も話さないまま家まで送ってもらうというのも変な話だと思い、ゴクリと唾を飲み込んで息を吸う。

「あの、お忙しい中すみません」
「いや。構わない」
「ありがとうございます」
「……」
「……」

こちらに目もくれず無感情で返答する朧先生にやはり違和感を覚える。普段から表情、声色共にポーカーフェイスであったが、どんなに無愛想な言葉を放った時でも私に顔を向けてくれていた。何故私を見てくれないのだろう。やはり怒っているのかもしれない。だが心当たりはなかった。


「朧、先生、あの……」
「何だ」
「……どうして、こっち見てくれないんですか?」

朧先生の穏やかではないオーラに少し怖くなった私がやっと絞り出せた言葉は震えを帯びていた。その直後、ぶりっ子のような声になってしまい自己嫌悪に陥る私だったが、朧先生はギョッとした顔で私に顔を向ける。


「すまない」
「いえ、あの、私何かしちゃいましたか?」
「何故あの場にいた」
「この前吉田さんが、銀校に進学した門下生が会いに来てくれなくて寂しいと仰っていたので…今日皆で会いに行ったんです」

聞かれたことにはきちんと答えたつもりだったが、先生は納得していないような表情で私の目を見据えるので本日道場に訪問したメンバーを指折り数えながら説明した。

「で、お恥ずかしい話なんですが気付いたら眠ってしまってて、皆も既に帰宅してたようで……あはは…」

頭に手を添えドジしちゃいました〜と軽く笑ってみるものの朧先生の目つきは変わらず、私の説明を聞き終えると先生の十八番とも言える溜め息が私の片耳に入り込んでくる。私の馬鹿さ加減に呆れられてしまったのかもしれない。


「吉田さんって本当にとても良い人ですよねぇ」
「…前から思っていたが、松陽とはどこで知り合ったんだ」
「あ、そこからですよね、まずは!重たい荷物を持っていたところに声を掛けて頂いて、それから……あれ?どうしました」

クリスマスケーキを吉田さんの道場に差し入れした日は他の話題が挙がっていたこともあり、何故私が彼と知り合いだったのか説明していなかった。
しかし朧先生の方から説明を求めてきたというのに、私の言葉を最後まで聞き終える前に突然先生の歩みが止まったので、話すのを中断し一歩先に出た場所で私も同じように止まった。
本当にどうしたのだろう。今日の朧先生はおかしい。


「あの……?」
「松陽の方が良いか」
「へ、」
「松陽は、私が昔お前に言った憧れの人だ」
「…はい」
「素晴らしい人間だと思う。松陽に追いつくため教師になったと言ったが、私がいくら努力したところであの人には敵わんだろう」
「いや、そんなことは…」

目を伏せて語る朧先生。自分に自信が無くなってしまう時期は誰にでもあると思うが、今がその時なのだろうか?いつもと雰囲気が異なるのはそういった理由からなのかもしれない。

「お前も松陽のことは……無防備に眠れるほど信頼しているのだろう。大人ならば私でなくとも良いのだな」
「ちが…いや、まあ信頼はしていますが、私は別に、」
「では沖田か」
「え?」
「よく一緒にいるだろう。初詣も一緒に行ったと嬉しそうに話していたな。同年代でお似合いなんじゃないか」
「ちがっ、違います!!私は先生が、」
「着いたな」
「え、あっ」
「戸締りはちゃんとしろよ」

私に背を向けた朧先生はぶっきらぼうにそう言い残して去っていく。対する私は困惑から自宅のドアの前で立ち尽くすしかなかった。
どうしてそんなこと言うの。先生は私に好きだと言ってくれないから本当のところはどうなのか分からないけれど、それでも私は先生が好きだと言葉にして伝えたはずなのに。
涙が頬に伝うのを感じ、帰宅している家族にこんな顔を見られるわけにもいかないので暫く玄関の前でしゃがみ込んで泣いた。


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