「……ということになる。ちなみに応用だが………」

朧先生が教科書を片手に持ちながら生徒に体を向け説明をする。一学期の最初の頃は説明と板書が同時だったので大変だったが、今ではちょうど良いスピードで授業が進んでいくので余裕を持って授業に臨めた。

自分の気持ちを認識するまでは。


「……なので、この原理はしっかりと覚えておくように」


シャーペンを握る手に力が入る。先生の顔をまともに見れず、説明の間は前の席の椅子をぼんやり眺めつつノートに文字を書き取っていった。

いつもなら集中して受けていた授業なのに、全く身が入らなくて板書の意味も説明の意味も何一つ理解できなかった。


朧先生には初めて会った時から惹かれていたようにも思う。授業をしにくる教師の九割が一風変わった人ばかりで疲れていたところに救世主のようにして現れた先生に他の誰よりも良い印象を受けたのは間違いない。それからも生徒指導準備室に案内してくれたり、物理落ちこぼれ生徒である私の為に大事な時間を割いてくれたり、チョコを預かったときは一緒に時間を潰してくれたり。考えれば沢山惚れる瞬間があった。

けれども、同時に朧先生が教師になった理由を思い出す。

"憧れの人に追いつくため"

その人こそが先生の好きな人なのではないだろうか。
憧れの人の性別が定かではないうちから断定するのはまた早とちりだと言われてしまうかもしれないけれど、考えれば考えるほどその人が先生の想い人、もしくは彼女なのだと思ってしまって胸が痛んだ。


しかし、冷静になって考えれば私は生徒で朧先生は教師。恋愛をすることは許されない、俗に言う禁断の恋だ。とはいえ、教師が一回りも歳が離れた生徒を好きになってくれるわけなどない。先生は私のことを子供としか思っていないだろう。
それに、例え恋を叶えたところで行く先に多くの障害物が待っているはずだ。
だからといって簡単に失くせるほど軽い気持ちではないので、誰にも迷惑がかからないようにひっそりと想い続けようと決めた。まあ、信女ちゃんにはバレてるんだけど。



自分の気持ちを整理しているうちに授業は終わっており、教卓の方へと視線を注ぐと朧先生は私たちに背中を向けて黒板を消していた。



「ふー……」
「なまえ」
「信女ちゃん?どうしたの」
「ノート見せて」
「いいよ」

一息ついていたところに信女ちゃんから声が掛けられる。一学期のあの頃のように周りの生徒を見ている余裕はなかった為気付かなかったが、彼女は通常運転の居眠りでもしていたのだろう。
考え事をしていたせいで先生の説明をいくつか聞きこぼしてしまいノートに写せていなかったが、以前信女ちゃんのノートを見せてもらった時彼女は最低限の板書しか書き込んでいなかったことを思い出し、大して問題はないかと勝手に片付けた。


「少ない」
「ん?」
「いつもはもっとノート書いてたでしょ」
「あ、うん……集中出来なくて」
「……私のせい」
「違う違う!いつかは気付くことだったし」

信女ちゃんに先生のことが好きなのかと言われてから私の様子は我ながら変だったと思っている。けれども今言ったように彼女の言葉で気付かなくとも、いつかは自分の気持ちに気付く時が来ただろう。その時が早いか遅いかの違いだ。


「本当に気にしないで」
「なまえがそう言うなら、わかった」

いつのまにかノートを写し終えていた信女ちゃんからノートを返された。私と話しながらこの短時間でよく写せたものだと感嘆する。


「…でも一つだけ」
「?うん」
「頑張りたいって思うなら、応援しないこともない…から」
「……ありがとう」
「まあ、諦めるって言うなら勿論止めないけれど」
「う、…うん」

信女ちゃんの優しさにちょっと泣いた。彼女は社交辞令を言う子でないことは分かっていたのできっと本心から言ってくれているのだろうと思う。良い友達を持ったものだ。
そういえば、信女ちゃんと朧先生は同門だと言っていたがもしかしたら先生の"憧れの人"を知っているのではないだろうか?

「信女ちゃ、……って、寝てる。また今度聞けばいっか」










「あの〜、みょうじさん?」

物理の教材をロッカーに閉まっていると後ろから声をかけられ振り向くと、山崎くんが申し訳なさそうな顔をして立っていた。

「……ごめん無理」
「まだ何も言ってないって!!」
「だって山崎くんロクなことしないんだもん」
「そ、そんなことはないでしょ?!」

そんなことあるよ。早起きさせられた挙句朝の服装チェックを代わってあげた日、酷い目に遭ったのだから。主に近藤先輩が。私はその光景を見てガクブルする他なかった。
山崎くんを恨む理由はこの一度きりの出来事しかなかったが、目の前で苦笑を浮かべる彼を見てまた厄介ごとを頼まれることが簡単に想像出来る。


「じゃあ聞くけど何?」
「その、」
「待って。ごめんやっぱり嫌だ」
「とりあえず話を聞いてくれない?!」
「だって…聞いたら頷くしか道は残されてないんでしょ?そしたら私、怖くなっちゃって……」
「何突然乙女ぶってるの?!そんなキャラじゃなかったでしょ!」
「はい今ので傷付きましたー、もう山崎くんとは絶交しまーす。あ、別に元々友達じゃなかったよね、ごめん今の気にしないで」
「友達じゃなかったの?!若干俺も傷付いたんだけど…?」
「オイ山崎。何ちんたらしてんだ」
「ふ、副委員長!」

土方先輩がこちらにガンを飛ばしながらやってきて山崎くんの頭をベシッと叩く。
先輩が来るということはやはり風紀委員関係のことなのだろう。はー、やだやだ。
頭を両手で抑えながら涙目で先輩を見つめる山崎くん。この場面だけ見たら彼の方が私より乙女の素質があるように思える。


「仕事ほっぽり出して何油売ってんだ」
「い、いえその、ちょうど今みょうじさんに協力をあおっていまして……」
「協力だァ?近藤さんがいりゃ問題ねーだろ。何でコイツに協力してもらう必要があンだよ」
「……いや、その…委員長は」
「志村か」
「はい……」
「ったく……」


二人の会話を聞くに、志村と呼ばれる誰かによって妨害でも入ったのか一緒に仕事するはずだった近藤先輩が再起不能か行方不明になったらしい。
志村という人物は誰か存じ得なかったが近藤先輩をそんな目に遭わせる人で脳内検索したところ、一人思い当たる女子生徒がいた。一緒に服装チェックをした日先輩のことを笑顔で甚振っていた、確かお妙さんとかいう……。


「もしかして、お妙さんって人ですか」
「あぁ」
「それは…重症ですね」
「もっと風紀委員の委員長として威厳が欲しいんだがねェ」
「威厳ですか」
「あぁ。毎週あの女に飛びついて返り討ちに遭うとこを全生徒が目にしちまってるからな。それ見た奴らは風紀委員に対して威厳もクソも感じねーだろ」
「まあ……」

やはり、あの時校門を通り過ぎる生徒たちの簡素どころではない無に近しい反応は見慣れているからだったのか。私はといえばまだまだ慣れることが出来そうになく、今でもお妙さんの顔を思い出すと寒気がする。


「つーことで、アレ見た生徒の緩んだ気を引き締められるよう風紀委員便りってのを発行しようかと思ってたんだがな」
「そしたら委員長が瀕死に……」
「はあ……」

廊下の一角で険しい顔をしながら会話している私たち三人は異質なものだっただろう。しかし、この面子を見て風紀委員だと理解した周りの生徒は私たちを腫れ物扱いするかのように避けながら廊下を歩くのだった。正直風紀委員は威厳云々以前に「変な集団」と思われていることから脱却すべきだと思うのだが……。



「まあ、近藤さんの分は俺が代わりにやってやるよ」
「…えっ、副委員長が!?」
「何驚いてんだよ」

山崎くんと私は同時に土方先輩の顔を見る。しかし、そこまでの反応でもなかったかと先輩に向けた視線を外す。
この人は怖いだけでどこかのドSおサボり先輩と違って真面目な性格だから協力すると申し出てくれたのだろう。何一つおかしい点はなかった。

「…あー、それなら私もやりますよ」

ここで自分も手伝わないと薄情だと思われてしまいそうだったので軽く手を挙げると先輩はいや…と首を振った。


「みょうじはもう総悟のお守りだけで良いわ」
「いや良くないですが」


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