「来るのが遅くなってすまなかった」
「えっ、とんでもない……むしろ、休日なのに付き合わせちゃってこちらこそすみません」
「……お前が気にすることではない」

優しさに感動していると先生は私の隣に座り、鞄を膝の上に乗せる。物理の問題集でも取り出すのだろう。
ただ、私はそれより鞄の側面が砂や土で汚れていることが気になってしまい、持っていたハンカチでそれを拭き取る。


「何をしている」
「ここ、さっき地面に落とした時?の汚れだと思うんですけど…早めに拭いた方がいいかなと思いまして。ご迷惑だったらすぐ辞めます」
「迷惑ではないが、ハンカチが汚れてしまうだろう」
「あぁ、これは洗えば落ちます!でもこの鞄は洗えないと思うので。……あっ、ハンカチはまだ使ってないから綺麗ですよ!」

それに続けて「安心してください」と言おうとしたのだが、先生の手がまたしても私の頭の上に乗ったものだから喉がひゅうっと鳴るだけだった。


「お前は、優しいな」

そう言って先生は手を鞄に戻すが、頭を撫でられたことだけでなく今まで聞いたことのない優しい声色のせいで私の頭はキャパオーバーし、何か言い返そうにも金魚のように口をパクパクさせることしか出来ない。

「さっき転びかけたのも、疲れているのに犬の為に体を張ったからだろう」
「……い、いや、まあ……」

ちゃんとした返答にはならなかったがやっと声を絞り出せたことに安堵する。時間をかけて頭を落ち着けていこう。


「沖田のサボった仕事もきちんとやっている」
「あれ、は…断りきれずに渋々やってるだけですよ……」
「風紀委員としての働きぶりは佐々木から聞いている」
「…一年とはいえ書記ですからね」
「今日だって他人の犬の世話をしている」
「世話という世話は出来てないですけど……」
「ハァ、口答えするな。素直に評価を受けられんのか」
「すっすみません!」
「……お前は自己評価が低いようだが、よく出来た奴だと言っているんだ」
「いや、そんな……あ、いえ。ありがとうございます……」

何故こんなに褒められているのだろうか。先生に褒められるのは嬉しいと以前感じたものの、ここまで色々賞賛されると寧ろくすぐったくなってくる。


「まあ、親父ギャグは酷かったがな」
「へ」

転びかける前、チョコに引っ張られながら放った言葉を思い出す。そして頭を抱えた。アレ聞こえてたのかよ!!恥ずかしさから話題を変えようと視線を彷徨わせる。


「あ、そうだ。鞄」
「これは気にしなくていい。安物の鞄だ」
「いやいや、嘘ですよ!鞄の中見るの失礼かもですけど、内側のタグにルイ バトンって書いてますよね」

バトンと言えばセレブ御用達で世界的に有名なあの高級ブランド。もし本当に私を助ける為にこの鞄を公園の地面に落としたのだとしたら、嬉しさ五割申し訳なさ五割で手放しに喜べないことに気付く。

「長年使っている鞄だ。買い換えを視野に入れているから良い」
「……それも嘘だったら嫌ですよ」
「本当だ。そんなに信じられないなら今度ギャランティカードを見せてやる」
「や、いいです信じます」

そんな話をしていると、何処からともなく五時半を知らせるチャイムが鳴った。この辺りに住んでいるわけではないので実際のところは分からないが、外で遊ぶ子供たちを家に返す為におそらく市が鳴らす音なのだろう。









「悪いみょうじ待たせた、な…って、隣にいンの……」
「あ、土方先輩、早かったですね」
「走って来たからな」
「ゆっくりでも良かったのに」

息を切らして私の元へ向かってきた土方先輩は驚いた顔で私と朧先生を交互に見た。

「……で、何で朧先生もここにいるんスか」
「偶然会って勉強教えてもらってたんですよ」
「偶然会って勉強教えてもらってたァ?そんなことあるかよ」
「あるんですよ!今現在ここで目にしているじゃないですか、ほら」

怪訝そうな顔で私を見つめる先輩に、手に持っていた物理の問題集を見せる。すると先輩は顔を歪ませた。

「……お前そんなに勉強好きだったのかよ」
「いや、好きではないですけどね。あぁ、安心してください!チョコとはこの四時間半のうち半分くらいは遊んだので!」
「そうか、ありがとな。あとは俺が連れて帰るからもう良いぞ」
「はーい。じゃあ、お二人ともさようならー!あっ朧先生、付き合ってくださりありがとうございました!また次の授業で、」

目の前の二人にお辞儀をし、くるりと背中を向けると朧先生の「待て」という声が私を止めた。何かと思って振り返ると土方先輩は既におらず、先生と私の二人だけになっていることに気付く。

「家は何処だ」
「えっと、ここから三十分くらい、ですかね」
「送っていく」
「……え?いやいや!休日ですよ今日!休日くらいは私のこと生徒だと思わなくて良いですから!これ以上先生のお手を煩わせるわけには……」

送っていく、という言葉に対して吃驚した私は謎理論を展開してしまった。訳のわからないことを言っている気はしたが本心でもあった。何から何までお世話になったのはチョコではなく私の方だったから。



「……沖田は良くて私は駄目か」
「へ?」

少しむすっとした声でそう言った先生。訳の分からないことを言っていたのは私だけではなく先生も同じだった。
返事をするとしたら「朧先生は教師だから駄目なんだと思います」が正解だろう。しかし、何故かその言葉は言いたくなくて、お願いしますとだけ返した。
……というかあの手錠事件の日、見られていたのか。




夏を目前にしたこの時期の六時半はまだまだ明るかった。だが、二人で歩く道は深夜のように静かであり、まるで世界に私と先生だけが取り残されたような気持ちになる。

「そういえば、先生は何で教師になったんですか?」

周りが静かなせいもあってなかなか声を出しにくかったのだが、黙って歩くのは少し寂しかったので前々から思っていたことを聞くことにした。

「…………」
「……あのー?」
「笑わないか」
「え、笑いませんけど……」
「……憧れの人に追いつくためだ」
「…………へ、へぇ」
「聞いておきながらその反応は何だ」
「え、いや、すみません。ちょっと意外だったもので」
「意外か」
「…はい」

憧れの人、という単語に鼓動が酷く反応した。そして、何となく嫌な気持ちになった。どうしてだろうか。
その後、朧先生と何を話したのか覚えていない。


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