私は今、猛烈に後悔している。

右手に握るリードを決して離さぬよう力強く握るものの、リードに繋がれたラブラドールレトリバーに勢いよく引っ張られるせいで私は風と一体化し、いつこのリードから手が離れてもおかしくはない境地に立たされているのだった。正確に言うと、立つではなく私は軽く飛んでいた。まあその辺りはどうでもいい。




遡ること一時間前。


休日だというのに土方先輩に突然呼び出しを食らい、指定された公園に足を運ぶと待ち受けていたのは先輩と大型犬の中でも親しまれているラブラドールレトリバーの一人と一匹という組み合わせだった。

「……あのぉ」
「知人から預けられたんだが、この後部活があってコイツの面倒見れねェんだ」
「……はい」
「部活が終わるまでで良い、遊んでやってくれねーか」
「良いですけど……部活何時に終わるんですか?」
「六時半だな」
「今何時かご存知で?」
「二時だな」
「…………」
「……お前にしか頼めねェんだよ」

出たよ。
"お前にしか頼めない"
この前も山崎くんに言われたけど本当に都合のいい言葉ですよねー!!
とはいえ、ここまで来て無理ですと冷たく突き放すのも可哀想だったので仕方なく了承する。


土方先輩は去り際に「コイツ、メスでチョコって名前だから。あ、あとリードは絶っ対離すなよ!」と言い残し姿を消した。


ベンチに括り付けられたリードを解き、右手に巻く。
私自身犬は勿論好きだし癒されるがそれは第三者として見ていて楽しいというだけで、犬を飼ったことがないどころか今まで一度も触れ合ったこともなかったので、たった四時間半の短い時間であれど上手くやっていけるかとても不安だった。

それでも、チョコが私の太ももに頬を擦り付けて甘えてくるので、一瞬でメロメロになってしまうのだった。




というのが事のあらましであり、私とチョコの馴れ初めだけを聞けば上手くやってるじゃん!楽しそう!と思うだろう。しかし、違ったのだった。物凄く元気いっぱいの彼女は公園内を駆け回るだけで一時間が過ぎて行った。
その間私はリードを離すなという先輩から言われた言葉を守り続けていたおかげでクタクタである。

呼吸が荒い私を不思議そうに見つめるチョコはまだまだパワーが有り余っているようで、土方先輩が置いていった小さなボールを私の足元に置いた。
これを投げろと?良いけどね、別に、良いけどね?でも、どうせまた凄い速度で走るんでしょう?私、もう足が動かないよ、すっ転ぶよ。
といった気持ちを汲み取ってくれることもなくチョコは期待の眼差しで見つめてくるものだから、根負けした私は覚悟を決めてボールを手に取り適度な力で投げる。そして、飛んで行くボールを元気いっぱいに追いかけるチョコに思いっきり引っ張られて足がもつれそうになる私、というのをワンセットとして、それを七、八回繰り返したところで誰かに名前を呼ばれ、ボールを投げる手を止めるた。



「お、朧先生?!何故ここに」
「地元だからな」
「地元………なるほど」

言われてみれば、朧先生は片手にスーパーのビニール袋を携えていた。なんというか、普段は垣間見れない生活感があって滅茶苦茶良いですね。


「お前は何故ここにいる」
「あー、土方先輩の知人のワンちゃんと遊ぶため、ですかね」
「みょうじの犬ではないのか」
「そうなんです。この子女の子とは思えないほど元気で二時間は走り回り続けてるんですよ」
「それは凄いな」
「でしょう!元気なのは良いことですけどね。でも、リード離しちゃ駄目らしくて一緒に走り回ってたらもう私が疲れちゃって」

だから、ちょっと休んじゃだめですかね?なんて人に聞いても仕方のないことだと分かってはいるが、先生にいいよと言ってもらえるなら休む大義名分が立つような気がした。


「二時間も遊んでやったのなら少し休んだところで誰も怒らないだろう」
「ありがとうございます!はーーこれでやっと休める……」

朧先生が優しい人で良かった。ここにいるのが沖田先輩だったら「休んでいいのは死んでからな」とか言われそう。……本当に朧先生で良かった。
心から感謝しながらベンチにリードを括り付け、ふぅと一息ついて座ると立ったままこちらを見ている先生が目に映る。


「先生もよかったら休憩しませんか?」

隣の席をとんとんと叩くと、私の隣にゆっくり座る先生。断られたらショックだったがそれは杞憂に終わった。



「コーヒー、飲めるんだったな」
「えっ、あ…飲めます、けど流石に頂けないです」
「この前は普通に飲んだのにか」
「あの時は気が動転していたので遠慮し忘れたんです」
「遠慮ならば心配することはない。間違って二本買ってきてしまった」
「間違って二本買うってありますか?!というかそれなら別日に取っておくとかすれば、つめたっ!!」

お気遣いを無下にしようとしたからなのか、先生はあろうことか私の頬にキンキンに冷えた缶コーヒーを当ててきたのだった。

「痛かったか」
「いえ、びっくりしただけです。……冷たくて気持ちい〜」
「お前にやる。飲め」
「あ、ありがとうございます」

一度とならず二度も先生から缶コーヒーを頂いてしまった。申し訳なさを感じ、今度何かお礼でもしようと誓った。


「いつまでここにいるつもりなんだ」
「土方先輩が六時半以降にここに来てくださるそうなのでそれまではここにいると思います」
「……」

突然黙り込んでしまう朧先生に、何かまずいことでも言ったのだろうかと焦る。手を顎に当て、考え込むような仕草をした後先生はゆっくり立ち上がる。帰ってしまうのだろうか?もう少し話していたかったなぁ。


「ここで待っていろ。物理の授業をしてやる」
「え!?」

公園に来て勉強ですか?!先生は少し天然が入っているのかもしれない。私の言葉を待たずに公園から出て行く先生をチョコと一緒に見送った。



「チョコ、ごめん。暇だったよね?朧先生来るまで遊ぼっか」

ベンチからリードを外すとチョコは嬉しそうにワン!と鳴いた。








「チョコぉ〜!?ちょこっと待って、なんつって!アハハ…って、アアアア待って本当にすっころ、ぶっ!!」

朧先生が戻ってくるまで遊ぼうとチョコに提案したのが間違いだった。少し座って休んだから体力も戻ってきただろうと思ったが、ただ本当に思っただけであり全くと言っていいほど足の疲れは取れておらず、なんとなく言ってみた親父ギャグが寒すぎたせいか、足がもつれて私の体は前方へ倒れて行く。


痛みに備えて目をギュ、と瞑るも待てど暮らせど痛みはやってこない。私のお腹辺りに腕が当たっており、誰かに支えられていることに気付く。

何が起きたのか確認するために目をゆっくり開けると、朧先生が私のお腹に左手を添え、右手でリードを握っていた。私を助けるために必然的にそうなってしまうのは承知の上だが、体の距離が短いどころか密着していることに頭はパンク寸前である。


「……なん……は、あっえ、お……す、すみません!!」

混乱から、言葉にならない単語を発してしまう。とりあえず謝り、朧先生の腕を借りながら真っ直ぐ立つと、先生はいつものように溜息を一つ吐いた。


「…本当にすみません」
「お前が怪我をしていないならいい」

そしてゆっくり私をベンチに座らせた先生は、リードを同じ場所に括り付けた後公園の入り口付近に向かって行く。流石にここまで手のかかる生徒は嫌になったのだろうか、帰ってしまうようだった。別れの挨拶まだしてないけど今なら間に合うかな、そんなことを思いながら息を吸うと、屈んで何かを拾った先生がこちらにまた戻ってくるのが目に入る。あれは、先生の鞄だった。

まさかとは思うけれど、私が転びそうになっているのを見て、手持ちの荷物を放り投げて走って助けに来てくれたのだろうか。生徒の為に奮起するのが教師の仕事だとしても、もし私の想像が当たっていたらとてもとても嬉しく思うのだった。


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