清峰葉流火と約束


「じゃあ、私もう行くね」

楽しいひと時だったが、今日の目的は小手指に訪れることではない。目的の時間まではまだ少し余裕はあるが、東京の立地はよくわからないので、迷うことを見越して移動しなければいけない。
しかしそんな私を引き止めたのは他の誰でもない葉流ちゃんだった。

「葉流ちゃん、手、離して」
「ヤダ」
「ヤダじゃなくて」

私の手首をきゅっと掴まんでもなお、まだ余裕のある彼の手の大きさに驚きながら「友達に会いに行くから」と言えば「友達って誰」と難しいことを聞く。

「言ってもわからないよ。葉流ちゃんの知らない人だし」
「なんで」
「なんでって‥‥大阪で仲良くなった人だから」
「男?女?」
「ノーコメント」
「男ですね」
「千早くん!」

濁したのに、と千早くんに不服の目線を送れば白々しく肩をすくめた。「彼氏か?」とおもしろがって藤堂くんも追従する。ちょっとだけ握られた手首に圧がかかった気がしたが、「違う違う」と否定する。

「本当に友達」
「オレも行く」
「いやいや、練習しなよ」

めんどくさい彼氏か。と言いかけて飲み込む。

「野球で一番になるんでしょ、練習しなきゃ」
「もうなった」
「え?」
「オレが一番」

言葉が足りなさすぎる。圭くんたちの方を見るが各々なんとも言えない顔やリアクションをしていて、困った。

「清峰くんはリトルシニア時代に要くんと「怪物バッテリー」と呼ばれてて、めちゃくちゃすごい選手なんだ。だからその点で言えば一番、なのかも‥‥」

助け舟を出してくれたのは山田くんだった。おずおずとそう言って、「そうだよね」と千早くんや藤堂くんに確認をとっている。「ね?」と言われた2人は渋い顔をしたが「まぁ‥‥」と概ね同意のようだった。

「マジかぁ」
「マジ」

適当なことを言った幼少期の私を恨むほかない。とは言え、「はい、結婚しましょう」なんて気軽に言えるわけもなく、今度こそ慎重に言葉を選ばねば、と思っていると「まぁ、今は弱小野球部ですが」と千早くんが自嘲気味に言う。そうだ。小手指には野球部がないと聞いていたくらいだし、チームとしては一番ではない。申し訳ないがそこを利用させてもらうほかない。
なおも手首を掴んでいる葉流ちゃんに「甲子園」と呟けば、ぴくりと少しだけ眉が動いた。

「甲子園で優勝して」

甲子園。毎年8月、各地区予選を通過したチームが阪神甲子園球場に集まり、高校野球日本一を決める大会。そこで優勝すれば、間違いなく一番と言えるだろう。とんでもないことを口にしているのはわかっているが、こうでもしないと彼は折れないだろう。
黙って私を見下ろす葉流ちゃん以外の面々は「ええええ」「大きく出ましたね」「とんでもないこと言う女だな」と口々に言い合っているが、知ったこっちゃない。
ひとしきり騒いだ彼らは葉流ちゃんがなんと答えるか興味を持ったのか、黙って視線寄越す。
何を考えているかわからない表情の葉流ちゃんがゆっくりと口を開き、頷いた。

「わかった」
「え」
「でも、今度は逃さない」
「え」
「ここにいる全員が証人だから」

息を呑んだのは私か、みんなか、一瞬の沈黙ののち「いやいやいやいやいやいや」と圭くんが顔を真っ青にして詰め寄った。


「葉流火さん!?甲子園優勝だよ!?わかってる!?」
「わかってる」
「わかってないだろ絶対」
「甲子園ですよ?甲子園」
「わかってる」

まさかの回答だと思ったのは私だけではないらしく、呆れたような驚いたようなリアクションをとっているが当の本人はどこ吹く風。ゆっくりと私から手を離して首を傾げた。

「名前ちゃんのことがなくても優勝するつもりだった。ちょうどいい」
「いやいやいやいや」
「優勝する」

やけに落ち着いた凪いだ物言いに、もう誰も冷やかすことはない。その代わり、みんなが揃ったように私を見る。まるで卓球観戦でもしてるかのように綺麗に首が右へ左へと動くもんだから、笑ってしまうやめて欲しい。
見せ物じゃない。とは言いながらも言い出しっぺは私だ。この場を納める責任があるのは確かなので、真っ直ぐな葉流ちゃんの瞳に負けないように、私もしっかり彼の方を見た。

「わかった。約束しよ」
「優勝したら結婚」
「結婚は、いや‥‥うん、まぁ、時と場合に応じてというか、まだ早いというか」
「約束して」
「清峰くん、そこはちゃんと手順を踏まないと」
「そうですよ。どうです?まずはお付き合いからということで」
「女に二言は無いよな?」
「もうさ、指切りしたら?指切り」

この人達、絶対楽しんでいる。ニヨニヨと笑う彼らをよそに変に従順な葉流ちゃんは、圭くんの「指切り」コールを受け、静かに小指を差し出した。応じないと終わらない。
ゆっくりと小指を絡ませると、圭くんの「ゆびきりげんまん~」と楽しげな声が響く。懐かしい。確か小学生の時も指切りしたなぁと浸っていると、葉流ちゃんも同じだったようでほんの少しだけ目を細めていた。

「ゆびきった!」
「甲子園、楽しみにしてる。近いから多分応援行けるし」
「苗字さん、大阪ですもんね」
「激戦区大阪ですか」
「どこの高校だ?」

藤堂くんの何気ない質問に「言ってわかるかなぁ?」と思いながら、でもクラスメイト曰く私の高校の野球部も強いらしいので答えた。

「大阪陽盟館だよ」
「「「「「え」」」」」