彼女を自慢したい桐島秋斗





月に一回、多くても二回。
私は放課後に喫茶店に向かう。
違う学校に通う恋人に会うために。

大通りから一本外れた道にある喫茶店は知る人ぞ知る、と言うほどひっそりはしていないがそれでもチェーンの店よりは人が少なく落ち着いている。
コーヒー1杯、オレンジジュース1杯の値段は高校生にとって決して安くないが、深い赤のベロア地の席はふわふわしていて、ドリンク1杯で何時間いようと何も言わない店主の存在はなんとも居心地が良かった。
定番のアイスココアをストローでかき混ぜながらぼんやりと窓の外を見て待ち人を探す。
下校か退勤か、種々雑多な人々が行き交っている中、見慣れた制服が目に入った。「あ」と思った同じタイミングで彼も私に気づいたのか、口角と右手を上げた。
慌てて髪の毛を手櫛で整える。
ややあって、カランコロンと喫茶店らしいベルが鳴って「待たせてすまん」と待ちに待った人が真向かいに座った。

「全然、待ってないよ」
「相変わらず嘘が下手やなぁ。汗、めっちゃかいとるで」
「え?」

反射で首筋に手を当てるが、空調の効いた店内に居ただけあってサラリとしている。怪訝な顔をする私に対して彼は「ちゃうちゃう。グラスや」とおかしそうに机の上を指差した。
確かに、私が頼んだアイスココアは時間が経って机に水溜りを作っていた。
良かれと思った嘘がバレたのが気恥ずかしくて、「本当に、そんなに待ってないから」と机をおしぼりで拭う。そんな私をニコニコとニヤニヤの間みたいな顔で見ながら「もう少し早く来れるはずやったんけど、ゴリラに絡まれてな」と言った。

「ゴリラ‥‥確か巻田くん?だっけ?」
「覚えんでええよ。もったいない」
「もったいないって何が?」
「脳のキャパ」
「何それ」
「ゴリラの情報を入れるくらないなら、俺のことに使ってや」

なんともまぁ恋人泣かせの殺し文句。彼といると心臓が持たないんじゃないかと何度も思う。だけど、そんなことを悟られたら揶揄われてしまうので「秋斗くんの仲良しの後輩だし」と薄くなったココアを口に含んだ。

彼は嫌そうな顔をして「仲良ぉないよ」とそこそこの口調で否定したのでついつい笑ってしまう。秋斗くんはメニュー表を一瞥して、でもいつも通りアイスコーヒーを頼んでいる。ちら、っと一ヶ月ぶりに会った彼を覗き見る。
相変わらず綺麗な色素の薄い髪と炎天下で野球をしているとは思えないほど白い肌。
その輪郭を視線でなぞる。あ、

「そんなに見つめんといてや」
「いや、その顔」
「顔?かっこいいって話?」
「ううん、そのほっぺたどうしたの?」

彼の左頬がほんのり赤くなっている。羨ましいくらい白いから、その赤色がよく目立っていた。彼はキョトン、としながら頬を触り「あぁ」と思いあたる節があるリアクションを取る。

「どうしたの?虫刺され?‥‥でもなさそう」

秋斗くんはちょっと考えるそぶりをした。
言うか言わないか迷っているような。でも、いたずらっ子みたいな顔をすると「これ、殴られてん」と何事もないように言った。

「な、なぐ‥‥!?」
「おん」
「喧嘩したってこと?」
「ちゃう。女の子に平手打ち」
「お、女の子に‥‥」

すごい単語の羅列におっかなびっくり聞き返す。

「何したの?」
「えー俺が何かした前提なん?」
「だって、殴られるって、」

相当なことがないと、と引き攣る。そんなタイミングで店員さんが彼のアイスコーヒーを持ってきて、セッティングしはじめる。早く続きを聞きたくて、食い入るように店員さんの動きを目で追う。「ごゆっくり」と、にこやかに店員さんが去った瞬間に「なんで?」と聞く。「必死やん」と笑う彼。そりゃ、彼氏が女の子に平手打ちされた、なんて聞いたら必死にもなるだろう。
彼は「告白断ったら、こうなった」と優雅にマドラーを回した。

「こ、こくはく?」
「おん。『可愛い彼女がおるで、付き合えません~』言うてん」

“可愛い彼女”というフレーズが自分を指している事実にちょっと照れる。

「したら『どこの誰や』って食いついてきよって、『小手指の野球部のマネージャー』って言ったら、『嘘つき!』で、パチン」

きっとパチン、なんて可愛いもんじゃないだろう。頬が赤くなるくらいの衝撃を想像して顔が歪む。察した秋斗くんが「そない顔せんといて」
と言うが、すぐに取り繕えない。

「嘘じゃないのに‥‥」
「小手指の野球部を知っとるやつの方が少ないでしゃあない」

確かに、小手指高校はこれまで野球部は無くて同好会だけだったけど、今はちゃんとした部活動なのに。
野球部を否定されたような気持ちと、秋斗くんがぶたれた悲しみと、嘘つき扱いされた悔しさと、いろんなマイナスの気持ちがないまぜになって、何も言えなかった。
押し黙る私を、頬杖をついて楽しそうに笑う。楽しいことなんて一つもないのに。と、思えば彼は「俺、モテモテやからさ」と言い出したので意図が読めず「うん?」と変なアクセントで聞き返してしまった。

「多分これからも告白されると思うねん」
「え?あぁ、うん。秋斗くんかっこいいから‥‥」
「おおきに。ってそうやなくて」
「?」
「今度から、ちゃんと名前出してもええ?」

じ、っと両の目、と言っても片方は髪に隠れてしまっているんだけど、多分両目で彼が私を見据えた。ふざけた提案ではなくちゃんとした相談だ。

「私の名前を?」
「おん。苗字名前ちゃんっちゅう優しくて可愛くて最高の彼女がいます~いうて」
「盛りすぎかも」
「そんなことあらへんよ。名前ちゃんが大切やから、付き合えませんって俺、言いたいもん」
「もん、ってそんな‥‥ていうかこれからも告白される前提なんだ」
「お?嫉妬?」
「バカ」

秋斗くんは私が彼のちょっと悲しそうな顔に弱いことを知っているので、前面にそれを押し出して「アカン?」と小首を傾げる。
でも、考えろ私。彼はただの高校生ではなく、
氷河の絶対的エースだ。試合に出れば彼への声援が響き渡るくらいには顔も名前も知れ渡っている。かたや私は特にこれといった取り柄のないただの女子高生。

「でも、」
「それに」

でも、やっぱりやめておいた方がと続く言葉が遮られた。秋斗くんはにっこり笑う。

「それに、一ヶ月に一回しか会えんのやもん、寂しいやん。俺の彼女や、って実感したい。

ぐらり、その言葉に簡単に絆されてしまう。
「名前ちゃんは、ちゃうの?」と言われて違うなんて言えるわけもなく口篭り、最終的に「いいよ」と了承してしまった。にっこり笑った彼が満足げにアイスコーヒーを飲み干した。

「次、告白されるんが楽しみや」

もうとっくに水見たいなココアを飲んで「悪趣味」と呟いた。
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