要圭内三角関係



「名前ちゃん」

できるだけ明るく、アホみたいに、声はワントーンあげて。そんなことを心がけて名前を呼ぶ。ベンチに座っていた名前がゆっくりと顔を上げたので、人好きするような、効果音で表すなら「にへ」っと笑ってみせた。
逆光が眩しいのか、彼女は手でひさしをつくって「圭くん」と呟き俺をじっと見る。

「そんな見つめないでよ!恥ずかしいじゃん!もしかして俺に惚れちゃった?困るなぁ~」
「今、智将でしょ」

両手を頬に当て、きゃぴきゃぴとオーバーリアクションを取っていた俺に会心の一撃。どうやら彼女には『要圭のフリ』はお見通しだったようで、引き気味に「なんでそんなことしてるの」と怪訝そうにする。したくてしてる訳じゃない、アホのふりなんて。
緩んだ口元を元に戻して、許可を取らずに彼女の横に腰掛けた。律儀に左に寄ってくれる。

「なんで俺だってわかった」
「いや、バレバレだと思うけど」
「葉流火は騙せた」
「いや、葉流くんはそういうの疎いじゃん」

まぁ、それはそうなんだけど。記憶喪失初期でさえ、「記憶が無くても圭は圭だから」とさして重要視はしていなかったのだ。二重人格のようになった今も、別にこだわりはないのだろう。
でも多分、俺が真似する主人のフリは千早や藤堂も騙せると思う。

「何?今日、アホな方はお休み?」
「この前の試合で消耗したらしく、返事がない」

俺の言葉にちょっとだけ残念そうな、でも安堵したように「そっか」と言ったきり彼女は黙り込むんだ。
することもなく、空を仰げば夏空は驚くほど青く、入道雲は怖いほどに大きい。グラウンドから聞こえる運動部の掛け声と夏の象徴たる蝉の声がBGMとして響いている。
ややあって、「あのさ、」と名前が口を開いた。

「なんか言ってた?私のこと」

主語がない、けど、分かる。
「圭くんはなんか言ってた?私のこと」だ。
ここでいう圭くんは、俺ではない。今、意識の底で眠っている主人たる要圭のこと。
俺はゆっくり首を振って「特に、何も」と答える。

「そっか‥‥」
「今はもう、野球のことで頭がいっぱいみたいだ」
「そっかぁ。野球にはいつまで経っても勝てないなぁ」

その白い頬はうっすら汗が滲み出ていたが、遠い目をする彼女の横顔は夏に似合わない憂いを帯びている。
彼女は、要圭に恋をしていた。
俺ではない、要圭に。
だから、いとも簡単に俺が演じる要圭を見抜いてしまうし、俺の前で主人の話をする時はいっとう気を配る、なんともまぁいじらしい。

そして、この恋をより複雑にしている存在である智将こと俺。
俺は苗字名前に恋をしている。
俺ではない、要圭に恋している女に。
どんな三角関係だよ、と突っ込みがとまらないが、誰も俺の思いなんて知らない。
主人も名前も。
これ以上ないくらいの複雑怪奇な恋だ。

「マネージャーとか、チアとかをやればいいんじゃないか?何よりも欲してたぞ」
「いや、なんだかんだ圭くんはそういう人とは付き合わない気がするし。野球に私情を持ち込みたくないから」
「なるほど」

彼女は誰よりも“俺”を理解しているが、誰よりも“俺”を分かっていない。
そんな彼女を可愛いと思うのは俺だけか、それとも主人もなのか俺もわからないから、この恋の終着点は見えない。

「本当に好きなんだな」
「うん、好き。内緒だよ?起きてないよね?」
「起きてない」
「良かった」

起きていたとして、彼はどんな反応をするのだろうか。
晴れて両思いだった場合、俺は心の底から祝福できるだろうか。根底は同じ、人格2つ、選ばれるのは一人。なんともまぁ、不毛だ。不毛が故に覆したい。気づくと彼女の方を見据えて「俺は?」と聞いていた。

「ん?」
「俺のことは?」
「え?なにが?
「俺のことは好きじゃないのか?」

もとよりまん丸なその目をより一層丸めて俺の顔を見る名前。今、彼女の目に映っているのは他の誰でもない“俺”だ。それだけで心が満たされる。彼女は言葉をうまく噛み砕いた後、ふにゃりと笑う。

「好きだよ。全部ひっくるめて、圭くんが好き」

きっと「俺じゃなきゃダメか」と聞いたら困らせてしまうんだろうな。それを聞く勇気もない俺は「よかった」と面白みのない感謝を述べた。いいわけないのに。

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