可愛いだけじゃない陽ノ本当



「おはよう苗字さん」
「あ、陽ノ本くんおはよ。今日もかわいいね」
「はは、ありがとう」
 
廊下の少し先、ぬっと現れた巨人が私の姿を認めると長い手を振って、長い足を使ってあっという間に私の目の前に現れた。首をぐいっとあげないと目が合わないところに顔がある彼は、名前負けしないキラキラ輝く笑顔で挨拶してくれる。お決まりの「かわいい」賛辞は意図も容易く流されてしまう。ちょっと驚いて照れていたのは最初の3回くらいだけで、最近は「ありがとう」と小慣れた様子で受け止められる。初々しさは無くなってしまった。まぁ、可愛いには違いないけど。

朝練終わりなこともあってか、仄かに制汗剤の匂いがして、クラスメイトはそんなもの使わないのに、同じ野球部でもこんなに違うんだ‥‥と謎に感動する。

「古典のテストがあるの?」
「え?あ、そうそう。一限なんだよね」
「そっか、頑張ってね。苗字さんなら大丈夫だと思うけど応援してる」
「ミニテストだけどね。ありがとう」

私が持っていた古文単語帳を覗きこみ、ニコニコニコニコと笑う陽ノ本くんはやっぱり可愛い。言うなればゴールデンレトリバーみたいな大きくて穏やかな感じ。
バイバイ、と手を振ってお互い別々の教室に入る。一年生の頃は同じクラスだったので、もっと話す機会があったけど、二年生になってクラスが変わり、話せるのはこうやって廊下ですれ違う時だけ。少しばかり悲しくはあるが、私を見つけた時、パッと顔を輝かせてよってきてくれるのは離れたからこそ見れる表情なので悪いことばかりではない、と言い聞かせている。

 

「相変わらず仲がいいな」
「益村」

廊下から見ていたのか益村が頬杖をつき、なんとも言えない表情で私を見ていた。「おはよ」と言えば「おはよう」と返ってくる。彼の後ろが私の席なので、椅子を引き、鞄をかけ、古典単語帳を伏せていると益村が体ごと後ろを振り向く。どうやら暇しているようだ。

「今のやりとりで仲良いようにみえた?」
「みえた。初手で『可愛い』って褒めて受け流せる関係性の相手、俺にはいないからな」
「それは‥‥益村も可愛いって言って欲しいってこと?」
「なんでそうなる」

重めの髪の毛の間から呆れたような視線が向けられる。確かに、私と陽ノ本くんは仲がいい方だとは思うが、彼は誰にだって平等に優しく平等に明るい。それに同じ野球部である益村くんとかバッテリーだという飛高くんのほうが仲はいいだろう。

「どう見繕っても陽ノ本は可愛くないだろ。背、195センチあるぞ」
「マジ?コストコのクマくらいあるじゃん可愛い」
「バグってるんだな」
「失礼な」

まぁ、同意を求められないのは慣れている。どの友達に言っても「可愛くはない」と否定される。「どちらかと言えばかっこいい」だろうとも。

「かっこいいより“可愛い”なんだよなぁ~」
「苗字が思うかっこいいは誰なんだ?」

はた、と単語帳をめくっていた手を止める。

「こ、国都くん‥‥とか?」
「なんだ、年下好きか」
「国都くん身長高いし泣きぼくろあるし」
「いやいやいや。国都は185センチだ」
「なんでそんな身長把握してるの?怖いんだけど」
「チームメイトの身長くらいわかる」
「そうなの?小里くんは?」
「170。ちなみに千石も170」
「ガチじゃん」

野球部こわ‥‥とおちょけながら考える。可愛い、かっこいいは見た目と可で決めてなくて、自分の中の謎の基準によっているんだな、と初めて気づいた。

「ちなみに益村は可愛い方ね」
「知りたくない情報ありがとう」
「やっぱり可愛くない」







「て、ことがあってね」

その日の昼休み、ちょうど自販機の前で陽ノ本くんと鉢合わせた。「少し話さない?」と聞かれたので二つ返事をして、陽ノ本くんは麦茶を、私はミルクティーを片手に中庭のベンチで朝の出来事を報告していた。

「益村くんと席前後なんだね」
「そうなの」
「羨ましいな」

今の話で食いつくところそこなんだ、ちょっと天然な性格も可愛いなぁと思っていると、「俺、可愛くないけどなぁ」と彼が言った。そんなこと言われたことなかったので、びっくりして見上げる。身長差がかなりあるはずなのに、座ると顔がいつもより近くにある。足、長。

「もしかして、可愛いって言われるの嫌だった?」
「ううん、それは全然。でも俺、苗字さんが思ってるより、優しくないしわがままだし可愛くないことの方が多いから」
「えぇ!嘘だ」

何を言い出すのか思えばそんな反論の余地しかないこと。びっくりして「なんで?どこが?」と身を乗り出し食いついてしまい、拳ひとつ分あった私たちの間は数ミリに縮まる。

「今から可愛くないこと言うけどいい?」
「陽ノ本くんが言うことは全部可愛いよ」
「盲目だ」

ちょっと笑った彼が目を細めて「あのさ、」と話出す。

「俺もかっこいいって思って欲しい、とか」
「え、」
「可愛いって言うの俺だけにして欲しいな、とか。苗字さんから貰える言葉が全部、俺に向いてればいいのにな、って思うんだ」

思ってもいないセリフにびっくりして何も言えない私。そんな私を彼は眉を下げて「ね、わがままでしょ?」と言う。今までだったら「可愛い!」と反射で答えるその表情、その仕草だったが今の私じゃ到底無理で。意識的か無意識か、彼と私の間にあった数ミリの間がいつのまにかゼロになっていて私は小さく息を呑んだ。
もう、可愛いなんて言えないかもしれない。
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