「今日もお客さんぎょうさん来とるね」
『バレンタインですからねぇ』


ショコラトリー、un petit peu de bonheur(アン プチ プー ドゥ ボヌール)で働きはじめて早くも三年が経過した。
オーナーは若くしてワールドチョコレートマスターズで三位に輝いた御堂筋翔さんだ。
彼の作る繊細で美しいチョコレートに惹かれてお店に押しかけ今に至っている。
チョコレートを作ること以外にまるで興味の無い御堂筋さんに最初はかなり辟易した。
売り子として働き出したと言うのにチョコレートを作る以外のことを全て押し付けられたのだ。押し掛けたのは自分だけれど、いきなり多大な仕事を任されて当時はかなり苦労した。


今日はバレンタイン当日と言うことで、開店前から沢山の人が店前に並んでいる。
全ての人達が御堂筋さんのチョコレートを心待ちにしているのだろう。どのお客さんもみんな表情を輝かせている。
その様子を裏の事務所の監視カメラで二人で確認しているところだ。
店内ではアルバイトさん達が忙しなく準備をしている。


「ボクはいつも通りチョコレートを作るだけや」
『本当にあのお値段で新作を出していいんですか?』
「ええよ、その方が沢山の人に食べてもらえるやろ」
『もう少し利益を優先していいと思いますが』
「アカン、それやと意味がない」
『…わかりました。それでは今日も宜しくお願いします』
「販売の方はキミに任せたでェ」


美味しいチョコレートを作ること、沢山のお客さんにチョコレートを楽しんでほしい、御堂筋さんが望むのはこの二つだけだ。
世界大会に出場するだけでも凄いことだと言うのに御堂筋さんは欲がない。
お店と従業員が困らない程度の儲けがあればいいと言うのだ。
私も御堂筋さんのその考え方は素敵だと思う。
けれど後ほんの少しでも自分の利益を優先してくれたっていいんじゃないかなといつも感じていた。


『御堂筋さん、新作早くも売り切れそうです』
「そこの中に余分に作っといたのがあるから出しといてや」
『わかりました』


御堂筋さんの作るチョコレートはどれも繊細で美しい。新作も宇治の抹茶を使って完成させた一級品で見て食べて二度楽しめるものになっている。


お店に初めていらっしゃるお客さんはまずチョコレートの美しさに目を奪われて感嘆の息を吐く。言葉をなくし、ただ目を輝かせてショーケースの端から端までを眺めるのだ。
それは五歳の女の子も還暦を過ぎたマダムもみな同じだ。
常連さん達は初めていらっしゃったお客さんに場所を譲り、それを優しく見守る。そうしてみんなが(またお客さんが増えるなぁ)と笑うのだった。


「今日は御堂筋さんおらへんの?」
『裏でチョコレート作ってますよ』
「こんなに繁盛しとるんやしこっちに出てきたらええのにねぇ」
『初めてのお客様は驚いてしまうので』
「御堂筋さん愛想ゼロやもんね、せやけど優しい人なんはわかるわ」
『御堂筋さんのチョコレート美味しいですもんね』
「そうやの、ここの買うたらお義母さんがえらい喜びはってね」
『またいつでも来てください。平日なら御堂筋さん気まぐれに此方にも顔を出しますので』
「そうさせてもらうわ、今日もおおきに」
『ありがとうございました』


開店と同時に沢山のお客様が次から次へとやってくる。雑誌にも乗せていないのにみんないったい何処から情報を仕入れてくるのだろう。
口コミと言うやつだろうか?午後になって落ち着くかと思ったら客足は途切れることがない。


『御堂筋さん休憩は』
「そんなん取っとる暇ない」
『少しは休憩して昼食くらい食べてください』
「売り切れたらお客さん可哀想やろ」
『夕方から落ち着くとは思いますよ』
「アカン、今日は休んだらアカン気する」
『またそんなこと言って』
「キミらは順に休憩してや」
『大丈夫です、言われた通り充分過ぎる休憩時間貰ってるので』


どうやら今日も勘が働いたらしい。いつもは休み休みチョコレートを作ると言うのにたまにこうして休憩も取らずに一心不乱にチョコレートを作る日がある。
御堂筋さんの勘は侮れない、大抵が御堂筋さんの言う通り夕方になっても客足が途絶えないのだ。


バレンタイン当日だから夕方以降は落ち着くと思ったのに御堂筋さんの予測通り今日は流れが違う。夕方を過ぎて何故か男性客が増え始めた。
どのお客様も緊張した面持ちでやってくる。
常連さん達とは違う、初めていらっしゃるお客様ばかりだ。


「あの、ちょっといいですか」
『はい、どんなチョコレートをお望みでしょうか?』


そわそわと落ち着かない様子の眼鏡をかけたお客様に声を掛けられた。
応対すると安心したようにホッと息を吐かれる。


「逆チョコで渡すのならどのチョコが良いですかね?ボ、ボクこういうの詳しくなくて。あの…どれも美味しそうで迷っちゃうんです。京都には出張で来たんですけど、お客さんからここのチョコレートが美味しいよって教えてもらって。それで、その…彼女にお土産で買っていきたくて」


辿々しくもチョコレートを買うに至った経緯を説明してくれた。彼女さんのことを思い出したのか照れたようにはにかんでいる姿が微笑ましい。
男性客が多いのはその逆チョコが要因なのだろう。納得してお客様の彼女さんの好みを聞いていくつか提案してみる。


「逆チョコって変ですかね?ボク初めてで」
『大切な方への贈り物ですからそんなことないですよ。それに周りに同士が沢山いますから』
「あ、そうですよね。ありがとうございます」
『此方こそありがとうございました。気を付けてお帰りください』
「あ!新幹線の時間!すみません!ありがとうございました!」


ラッピングしたチョコレートを渡すとお客様は腕時計を確認し慌てて帰っていった。
あのお客様の彼女さんも喜んでくれるだろう。
お土産として逆チョコを買ってくれた彼氏の気持ちを御堂筋さんのチョコレートが後押しするのだから。


『お疲れ様でした、御堂筋さんの言う通り最後までお客さんいらっしゃいましたね』
「男の客ばっかやったのは驚きやわ」
『逆チョコが流行ってるみたいです。テレビや雑誌で取り上げられたらしくて』
「…さよか」
『どのお客さんも笑顔で帰ってくださりました』
「ボクの作るチョコやからそんなん当たり前や」
『ふふ、そうですね』


最後の一つのチョコレートを買ってくださったお客様を見送り店じまいをしてアルバイトを返した後、片付けを終えた御堂筋さんと一息つく。
御堂筋さんの手元には制作ノートが開かれているからまた次の新作のことを考えているのだろう。
三年前から変わらない、御堂筋さんのルーティーンだ。今日も長くなるだろうなと予測してブラックコーヒーを淹れる。


「そうや、キミこれ持って帰り」
『何ですか?』
「新作」
『へ?』
「試作品の味見しかしとらんやろ。せやから持って帰り」
『え、いいんですか?いつもは従業員割すらしてくれないのに』
「…従業員割なんするわけないやろ。お客さんに失礼や」
『でもこれは』


どれだけアルバイト達が懇願しても御堂筋さんは従業員割をしないし余ったチョコレートを持ち帰らせてもくれない。
売り物のチョコレートが余ることは稀だけど絶対に許さないのだ。
それもお客さんのことを考えての行動なのは理解しているけれど今日は何の風の吹きまわしなのか。


「ボクからの逆チョコやとでも思っとってや」
『…逆、チョコ』
「いらへんのならええよ。ボクが食べるだけやし」
『食べます!御堂筋さんの新作チョコレート食べたかったのでいただきます!』
「最初から素直にそう言えば良かったやろ、面倒なこと言わせんとって」


机の傍らにそっと置かれたお店の紙袋。
中を確認すると綺麗な包装までされていた。
中身が見える仕様のうちのお店で一番高い包装だ。気遣いが嬉しくて自然と頬が緩む。


『ありがとうございます』
「キミには一番長く世話になっとるしィ、これからも働いてもらわなアカンから」
『はい、これからも御堂筋さんのために働かせていただきます!』
「はよ帰ってゆっくり休んでや、明日も土曜日やし忙しいんやから」
『御堂筋さんも夕飯くらい食べてくださいね』
「…気がむいたらな」
『またそうやって!私何か軽く食べられるもの買ってきます!』


御堂筋さんは本当にチョコレート以外のことに無頓着だ。平気で食べることを放棄するのでコンビニで食料調達してから帰ることになった。
紙袋には御堂筋さんの新作チョコレート。しかも逆チョコだと言うじゃないか。
名目で逆チョコって言ってくれただけなのはわかるけど、それでも私のためにチョコレートを用意してくれたことが嬉しかった。
さて、明日も一日頑張ろう。御堂筋さんと御堂筋さんのチョコレートを愛するお客様のために。


un petit peu de bonheur(アン プチ プー ドゥ ボヌール)【ささやかな幸せ】
リンクを貼らせていただいているスロウダンスの御堂筋くん生誕祭に便乗してショコラティエの御堂筋くんを書かせていただきました。御堂筋くん要素薄め。
御堂筋くんは何の職業をしていてもストイックそうだよなぁ。
2020/02/15

ショコラティエ

prev | next
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -