二月上旬、バレンタインが近付いている。
成孔野球部に入部して初めてのバレンタイン。
部員のチョコレートを用意するかしないか、それがここ最近の私の悩みだった。


『はぁ』
「椎名が溜息なんて珍しいっス」
『色々とあるんだって』


マネージャーの仕事の合間に食堂で一人悩んでいたら小川がいつの間にか対面に座っていた。
ちょ、今からウェイトじゃないの?何で目の前でアイスクリーム食べてるのさ。
面食らって返すべき言葉も返せない。


「椎名でも悩むことあるんだ」
『そりゃあるよ、小川だってあるでしょ』
「俺は最近悩んだりしない、彼がいてくれるから」
『あぁ、彼ね』


こんなにもアンパンマンに心酔している高校一年生なんて小川くらいだろう。
と言うか夏に出会うまで小川はアンパンマンのことを知らなかったのかな?そっちのが驚きだ。まぁそのおかげで立ち直ってくれたから感謝しかないけど。
小川に渡すならアンパンマンの型でチョコレート作ろうかなぁ。きっと喜びそうだ。


「で、何をそんなに悩んでるんだ?」
『アイスクリーム食べ過ぎじゃない?何でそれごと食べてるのさ』
「糖分補給」


小川は業務用のバニラアイスの蓋を開けて直接スプーンでアイスを食べている。
それ絶対に後から先輩達に怒られるよ。


「…椎名も食べる?」
『いらない、太る』


じっと見つめていたら勘違いしたのか掬ったアイスクリームをスプーンごと渋々此方に差し出した。
食べたくて見てたんじゃなくて見咎めてたんだけど、と言うか食べたかったとしても食べさせてもらうのは恥ずかしいから却下だ。何の罰ゲームだ。
首を横に振って否定すると小川は再びアイスを食べはじめた。
そんなに食べてさ、栄養士さんが管理してくれてる意味なくならない?


うちの野球部には管理栄養士さんが専属で付いてくれている。効率良く筋力を増やすためにと日々部員達のことを考えてくれているのに何をしているのか。
そのことが引っ掛かって私はこんなにも悩んでると言うのに。


『そんなに食べて枡さんに怒られるよ』
「甘いものは別腹なんで」
『女子か、スイーツ好きな女子高生か』
「長田さん達も甘いもの好きだし」
『そういう意味で言ってない』


小川とは話が噛み合わないなぁ。話してて退屈しないからいいんだけど。マウンドでもこんな感じらしいから枡さん苦労してるんだろなぁ。
頬杖を付いてバニラアイスをもしゃもしゃと食べる小川を観察していると何だか悩んでるのがバカらしくなってきた。
チョコレートの一つや二つで栄養士さんの管理が狂ったりはしないか。
確かに先輩達も結構甘いもの食べてるしなぁ。


『よし、じゃあいいか』
「?」
『小川ありがとう』
「俺結局何も言ってないけど」
『いーのいーの、ありがとね』


帰りに百均にでも寄って帰ろう。アンパンマンの型くらい売ってるだろう。
小川にお礼を告げて次の仕事に取り掛かることにする。ついでに枡さんにサボってることを告げ口しておいた。


バレンタイン当日、大量のアンパンマンチョコレートを持って朝練に向かう。
アンパンマン以外にも型があったから主要キャラで色々作ってみた。
小川にはアンパンマンをあげるとして他はランダムで良いだろう。


「なんだ椎名、いつもより荷物多くねぇか?」
『あ、枡さんおはようございます。今日バレンタインなので』
「はよ。だからあいつら浮き足立ってんのか」


小分けにラッピングしたチョコレートを紙袋に入れて持ってきたからだろう、朝練の前に枡さんに会ったところで紙袋のことを聞かれた。
朝からしかめっ面なのはその浮き足立ってる部員達のせいでしょうか?とは聞けずそのまま部活の準備に向かう。
うーん、これはどうするべきか。
浮き足立ってる部員達に朝からチョコレートを配るのは自殺行為のような気がした。
火に油を注ぐだけのような気がする。
とりあえずチョコレートを配るのは放課後に持ち越すことにした。


『小川何してるの』
「やっぱり前髪伸ばそうかと思って」
『今更伸ばしても遅くない?』
「や、俺に後足りないのは」
『そんなこと言ってるとまた枡さんに怒られるよ。ほら早く練習に行く行く』


前髪を気にする素振りを見せてるけど、そんなことよりやるべきこと沢山あるよね?枡さんにそうやっていつも怒られてるのに相変わらずマイペースだ。
ぐいぐいと小川の背中を押してグラウンドへと送り出す。


「てめぇら練習に集中しろよ!そんなんじゃ貰えるチョコレートも貰えねーぞ!」


あ、ついに枡さんから激が飛んだ。そのおかげか浮わついた空気がピリッと引き締まる。
さすが主将だ、部員達の手綱をしっかりと握っている。これならば大丈夫、かな?


「椎名、お前はチョコレート用意してないのかよ」
『長田さんお疲れ様です。チョコレートですか?』


あるって言ってしまうのは簡単だ。うーん、でも枡さんのおかげでせっかく空気が引き締まったのだからこれをキープさせるのが一番だよね。
朝練を終えて学校に向かう最中、長田さんが何気なく言った一言に私は固まった。
周りの先輩達も私の反応を待ってるように見える。


『えーと、あはは』
「まじか。お前普通マネージャーなら部員のために用意するとかあるだろ!」
「マネージャーからの一個カウントしようと思ってたんだぞ俺!」


笑って誤魔化せば落ち込む声が次々に飛んでくる。とりあえず放課後までは持ち越しなのですみません。そっと心の中で謝っておいた。


「お前用意してきたんじゃねーのかよ」
『あ、枡さん。今日の練習終わってからでいいかなと思って』
「あ?」
『浮き足立ってるって枡さんが言ってたからとりあえず無いよって言っといた方が良い気がしたんです』
「あぁ、俺か」
『渡しちゃっても良かったですか?』
「や、いい。放課後まで落ち込ませとけ。今までマネージャーなんて居なかったから期待してたんだろな、それで浮き足立ってんなら意味ねぇ」
『わかりました。じゃあ放課後の練習終わってからってことで』
「ありがとな、ちゃんと用意しといてくれて」
『いえいえ。でも大したものじゃないですよ』
「どんなんでも貰えりゃあいつら多分泣いて喜ぶぞ」


泣いて喜ぶだなんて大袈裟だ。
でもせっかく作ったのだからみんな喜んでくれるといいなぁ。


「バレンタインふざけんじゃねーぞ!」
「あんなのメーカーの戦略に踊らされてるだけだ!」
「長田のやつ後輩からチョコレートもらったらしいぜ!」
「ちっくしょう!ふざけんな長田!」
「枡さんは普通に何個か貰ってましたよ」
「枡の野郎も同罪だ同罪!」


放課後、無事に通常練習を終えて自主練の時間だ。素振り組が恨み節のようなものを発しながらひたすらにバットを振っている。
小川がさりげなく枡さんのことを先輩達に報告してる。本人は涼しげな表情をしてるから悔しいとかではないだろうにちゃっかり枡さんのことを報告する辺りが小川らしい。


「あいつらバカばっかだな」
『素振りする力になってるから良いとは思いますが』


どうやって配ろうかと紙袋を抱えて悩んでいたら枡さんに二回のベランダまで連れてこられた。素振りする先輩達をそこから二人で見下ろしてる状態だ。


「おい!てめぇら椎名から話があるってよ!ウェイトしてるやつらも呼んでこい!」
「うっす!」
「枡さんと椎名そんなとこで何してるんスか?…もしや二人が付き合うって「最後まで言わせねーぞ!んなわけあるか!」
「は?枡、椎名といつの間に」
「チョコレート沢山貰ってモテるからってひでーぞ枡!」
「お前ら勘違いしてるとマネージャーからのチョコレートなくなんぞ!いらねぇのなら勝手にしろ!」


ざわざわする部員達に枡さんの怒号が降り注いだ。おかげで勘違いの空気が一瞬で消え去る。


「は?お前チョコレートないっつってたろ」
『実は用意してありました、ここに』


紙袋を掲げると「うおー!」と言う雄叫びに近い歓喜の声が響き渡る。これ明日近所迷惑で苦情きたりしないかな?大丈夫だろうか?
ベランダの下を覗けば大体みんな揃ってるようだ。


『じゃあいきますね。名前呼んだら出てきてくださーい!』
「そんな手間みてぇなことしてないでさっさと投げちまえよ」
『全員分ありますけど、取り合いになりそうで怖いです。怪我させたくないですし』
「んじゃさっさと投げちまえ」
『はい』


一人一人の名前を呼んで上からチョコレートを落とす。枡さんの言う通り餅投げみたいにしても良かったけど、この人数でそんなことをしたら大変なことになりそうで止めておいた。
それに一人一人渡してく方が嬉しそうな顔が見れるからいいよね。


『じゃあ次は一年!小川!』
「椎名が俺にチョコレート?それって」
『義理だよ義理!この流れで自分が本命だと思えるポジティブさが羨ましいよ!早く前にくる!』


相変わらず小川は小川だ。さっきまで私と枡さんが付き合いはじめたと誤解してたようには見えない。
アンパンマンのチョコレートを探して小川へと放り投げる。


「これは」
『小川のために今回はアンパンマンのキャラでチョコレート作ったんだよ』
「……」


え、喜んでくれると思ったんだけど。手元のチョコレートをじっと見つめて小川は無反応だ。


「俺、彼を食べること出来ない」
『それチョコレートだからアンパンマンじゃないから!』
「お前はバカか!」
「や、でも彼っスよ。俺が食べるなんて」
「はいはい、んじゃ俺のバイキンマンと交換してやるから」
「長田さんが食べるんですか?彼を?」
「いつまでうだうだしてんだ! バカツネ!」


アンパンマンが食べれないとか、そうきたか。独特の小川節に笑ってしまった。あれこれごねていた小川は枡さんに殴られている。
長田さんにアンパンマンを食べられたくはないのか結局交換はしなかったようだ。
小川だけじゃなくて他にも何人かアンパンマンのチョコレート貰ってるんだけどな。
問題が大きくなる気がしてとりあえず黙っておいた。


一年生の最後の一人にチョコレートを渡したのに何故か紙袋に一つ残っている。
男鹿コーチにも熊切監督の分と一緒に渡したはずだ。じゃあこれは誰の分だろう?
不思議に思って下を覗けばチョコレートを食べる部員達に混じって手ぶらの枡さんの姿。
あ、さっき副主将から始めたから枡さんのことすっかり抜けてた!


『枡さん!すみません!枡さんの分!』
「あ?や、俺は別になくても問題ねーよ。見てみろこいつら泣きそうになりながらチョコ食ってんぞ」
『ちゃんとありますから!何度も人数分個数確認しましたし!ほら!ここに!』


枡さんに言われて周りを確認して見れば確かに泣きそうな部員達が何人かいる。
そんなに喜んでくれるとは、チョコレート作って良かったです。


「んじゃ貰っとく」
『はーい!いつもありがとうございます!』
「お前!マネからのチョコレートはもっと張り切って貰うもんだろ!」
「なんだそのくれるなら貰うみたいなスタンスは!」
「枡がいらねぇのなら俺が貰ってやる!」
「俺も俺も!参加する!」
「おいてめぇら俺は別にんな意味で言ってねぇ」


最後の最後で餅投げみたいになってしまった。先輩達がベランダの下でひしめいている。
枡さんのチョコレートなんだけどなぁ。と言うか枡さんどこにいるんだろ?


「椎名!こっちに投げろ!」
『あ、はーい!』
「きったねぇぞ枡!」
「勝負しやがれってんだ!」


真下じゃなくて枡さんが居たのは斜め右前の集団から少し離れた位置だった。
この距離ならば投げても届くだろう。
先輩達、勝負も何も一人一個なはずなんですけど。
投げたチョコレートが無事に枡さんにキャッチされる。


「ありがとな!」
「枡を追え!リア充を許すな!」
「うおー!」


先輩達元気いっぱいだなぁ。そのまま逃げる枡さんを追ってグラウンドを全力疾走している。
一年生はそれを呆然と見ている。


「椎名、新しいアイスあるけど食う?」
『今日は付き合おっかな』
「バニラアイスにバンホーテンのチョコレートシロップかけて食べると絶妙」
『うわー太りそう。でも今日は食べる』


未だに先輩達は走り回ってるので小川とアイスクリームを食べに食堂に向かう。
これは絶対に明日苦情がくるなぁ。まぁいいか、怒られるのは先輩達だ。
枡さんが戻ってくるまでのんびり小川とアイスクリームを堪能した。


成孔のバレンタイン!
2020/02/12

ハピバレ!

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