真夏の君における生態

苗字はかなりの野球好きだ。
それが一番顕著になるのが夏だったりする。
贔屓のプロ野球チームの応援に益々熱が入ると共に高校野球の都大会予選に想いを馳せる。
大学に入ってバイトを始めた分、自由になるお金が増えて高校の時以上に入れ込んでいる。
二年目の今年は去年より張り切ってるようにも見えた。


「試験も近いのにご機嫌だね」
『ふふ、推しがね活躍してくれてるから』
「あぁ日ハムの?」
『そうそう!頑張ってくれてるのが本当に嬉しくて!』


部活終わりに苗字にファミレスに呼び出された。
試験勉強をしようってのは名目で、単にこの話がしたかっただけなんだろう。
去年、トレードが決まった当初はがっつり落ち込んでたっていうのにもうすっかり元気だ。
あの時もこうやって呼び出された。
俺は落ち込んでる苗字の話をただ聞いただけ。
話してるうちに切り替えの早い彼女は『どこの球団に行こうと推しは推し!』と結論付けて勝手に立ち直ってた。
沢山ある苗字の良いところの一つだったりする。


あの落ち込みは夢だったんじゃないかと思えるくらい今の苗字はキラキラとした瞳で推しの活躍を語っている。
俺のこともそれくらい応援してくれると嬉しいんだけどね。そう思っても口には出さない。
言ったところで俺の本心は伝わらないし『小湊のこと応援してるに決まってるじゃん』と笑うだけに決まってる。


高校時代は苗字も野球部だった。
同じ大学に進学するって聞いてまたマネージャーをしてくれるんだと期待してたのに、彼女は悩むわけでもなくその選択をしなかった。
野球部のマネージャーよりプロ野球と高校野球を選んだってことになるんだろう。
最初はそれがほんの少し面白くなかったけど、二年目にもなれば慣れたものだ。
こうやって何かと理由を付けて苗字が俺を呼び出すから、接点があるならそれはそれでいいんだと割り切れるようになった。


「そうだ、前にも言ったけど次の土日空けといてくれてる?」
『20、21日でしょ?私の誕生日だよね!』
「それ自分で言うの?」
『だから誘ってくれたんじゃないの?彼氏の居ない私を憐れんで誘ってくれたんでしょう?』
「別に憐れむつもりは全くなかったんだけど。俺の誕生日祝ってくれたからそのお礼も兼ねてだよ」
『わかってるって!やだなぁ』


苗字はケラケラと楽しそうに笑い声をあげる。
彼氏が居ないことを過去に嘆いたこと一度もなかったよね。
今の彼女はそれより野球だ。
恋愛をする暇なんてミリもなさそうに見える。
それが良いことなのか悪いことなのか、判断するのは難しい。


「それで?」
『え?あ、ちゃんと空けてるよー。小湊のお誘いだからね!小湊はいいの?部活は?』
「テスト前だから休み」
『そっか、なら大丈夫だね!どこに行くー?甲子園まではさすがに無理だよねぇ』
「それは流石に無理だね」
『だよねぇ、何で神宮で試合じゃないんだ!高校野球の予選あるからだけど!だけども!』


俺だってこっちで試合があるなら一緒に神宮で観戦したかった。
残念ながら週末の三連戦は敵地での試合だ。
悔しそうに嘆く彼女はハッと閃くようにして鞄から折り畳まれた紙を取り出した。
それが何かは聞かずともわかる。都大会予選のやぐらだろう。


『どこに行く?日曜日は沢村達の試合でしょ?土曜日はどうしようか?稲実?成孔の試合もあるなぁ』
「盛り上がってるとこ悪いんだけど土曜日はもう決まってるから」
『観たい学校でもあった?』
「そういうんじゃないけど、とにかく土曜日は俺に任せてよ」
『小湊がそう言うの珍しいね』
「苗字は当日まで楽しみにしといて」
『わかった!ミステリーツアーってやつだね』


それ使い方合ってる?
やぐらを見ながらどの試合に行くのか予測している苗字に俺の呟きは届かない。
西東京大会のやぐらを見ててもわからないと思うよ。
どうやら俺の企みはまだ彼女に気付かれていないらしい。
二月の終わりに落ち込んでたことはすっかり頭の中から飛んでそうだ。
企みが成功しそうで一人笑いを堪えた。


***


『え?第二?』
「夏の予選で使われるのは今日が最後なんだって」
『あ!そうだった!』


7月20日、苗字と待ち合わせて神宮第二球場へと向かう。
老朽化により神宮球場と秩父宮ラグビー場の入れ替え移転が決まり、第二球場の取り壊しが決まった。
都内高校野球界の聖地と呼ばれている第二球場の取り壊しが決まった時も苗字はがっつりと落ち込んでいた。


『すっかり忘れてた』
「まだ秋があるからじゃないの」
『そうなの。第二の最後は秋大だと思ってたから。夏だって最後があるに決まってるのにね。小湊、覚えてくれててありがと!』
「俺は元からそのつもりだったからいいよ。ちょうど良かったしね」
『何が?』
「こっちの話」
『そう?なら早く行こうか!良い席で観たい!』


落ち込んだって即座に元気になるところも苗字らしい。
太陽がギラギラと照り付けることを気にもせずズンズンと歩いていく。
まだ寒さが残る三月のオープン戦も、汗が吹き出す夏の観戦も彼女は変わらない。
いつもいつだって全力だ。
何なら一番精力的に動いてるのが夏のような気がする。


『小湊は甲子園どうするの?』
「部活かな。去年はまだ余裕があったけど今年はそうも言ってらんないから」
『やっぱりそうなるか』
「俺の分まで応援してやって。まぁその前に西東京大会勝ち残らないとだけど」
『じゃあ明日の応援頑張らないとね!明日勝ったら八強だし』
「そうなるね」


神宮第二の夏はこの一試合で終わる。
もう二度と、この場所で夏の予選は行われない。
俺としては観るよりも自分で立っていたかったかな。
隣の苗字はそんな俺の気持ちを知るわけもなく応援に精を出す。
最後の夏と言うことで一試合しかないにも関わらず客席は埋まっていた。


目を瞑れば一昨年のことを思い出す。
周りの歓声がリンクしてくっきりとあの夏のことを思い出せた。
この想いはこの先も褪せることはないんだろう。
いつまでも感傷に浸ってるわけにも行かず、想いを一旦封印する。
目を開くと苗字が懸命に声を出してバッターを応援している。
苗字はあの夏もこうやって俺達のことを応援してくれていたんだろう。
彼女はあの頃から少しも変わらない。
外見の変化は多少あったものの、中身はあの頃のままだ。


『負けちゃったね』
「そうだね」
『私、この景色一生忘れないよ』
「うん」
『第二の夏が終わっちゃったなぁ』


俺達の座る三塁側の学校が敗けた。
どちらの高校も名前は聞いたことがあるかな程度で特に思い入れがあるわけじゃない。
それでも敗けた側のチームを見てるのはグッとくるものがあった。
俺はやっぱり観るより出る方がいいな。
苗字は隣で涙を堪え、応援団に挨拶にきた部員達を一番に拍手で迎える。
それに合わせるとざぁっと拍手の波が広がった。こういうところも本当に彼女らしい。


『泣ける』
「球場で我慢するからでしょ」
『あんな場所で泣けないよ。駄目駄目』
「精一杯応援してたんだから別に気にしなくていいと思うけど」
『それでも駄目なんだって』


第二を出たところで苗字はボロボロと涙を溢す。
西日が反射して、涙の一粒一粒がキラキラと輝いている。
スポーツタオルで拭いてしまうのが惜しいくらい綺麗な涙だ。
こうやって野球に想いを馳せて苗字は何度でも涙を溢す。
今までだってこの光景を何回も見た。
それでも見飽きることはなくて、この涙は世界一純粋な涙なのかもしれないだなんて柄にもないことを思って少しだけ気恥ずかしくなった。


「は?」
『だって今からはプロ野球の時間だよ?』
「いつも行ってる居酒屋で観ればいいと思うけど」
『今日は推しが投げるかもしれないの』
「あぁ、そっちを観たいってこと?」
『両方観たいから。駄目?家ならパソコンあるし』


苗字は急に何てことを言い出すのか。
驚き過ぎてさっきまでの純粋な気持ちが一瞬で飛んだ。
過去に苗字のことバカ女なんて思ったことないけど今回ばかりはそう表現させてもらいたい。
好きな女子に『駄目?』って聞かれてちゃんと断れる男はそう多くない。
男として一切意識されてないみたいでムカついて手刀を頭に叩きこんだ。


『え、痛いっ!何で?』
「何ででも。俺がタブレット持ってるからいつものとこ行くよ」
『…わかった。小湊のケチ』
「誕生日くらい奢ろうかと思ってたんだけど」
『嘘です、ごめんなさい』
「わかればいいよ。それと、彼氏でもない男を一人暮らしの家に呼ぶのは止めといて」
『そんなことしないよ。小湊だからいいかなって』


苗字の頭の中には野球のことしかないのかな?カチンときて再び手刀を叩きこむ。
後ろから文句が聞こえるけど、それを無視して歩き出した。
俺だからいいかなって何それ余計にムカつくんだけど。


『小湊?怒ってるの?』
「少しだけね」
『え!どうして!?あ、推しの試合も一緒に観ようって言ったから?』
「残念、外れだよ」
『じゃあ…何で?』
「俺のこと女友達と同じ扱いにしたから」
『えっ』


足早に歩いていると小走りで苗字が追い付いてきた。
不安そうに眉を下げるもんだから笑ってしまいそうになる。
笑ったり泣いたりしょげたり苗字の表情の変化は目まぐるしい。
笑いを堪えて理由を教えると今度は目を大きく見開いた。自覚なかったってことか。


『そんな風に聞こえた?』
「かなりね」
『それは、ごめん。でも一度たりとも小湊を女の子だと思ったことはないよ。春市くんは女の子だったら可愛いなぁって思ったことあるけど、小湊のことは無いんだからね!春市くんは可愛いだろうけど小湊は違うよ』
「…それはどうも」
『あ、まだ怒ってるー』
「そんなことないよ。日ハム負けたらいいのにとは少しだけ思ったけど」
『今日は推しが投げそうだからそれは駄目!』


咄嗟に本心を隠したせいで意地悪な言葉が口から飛び出した。
懸命に釈明を始める苗字が可愛く見えただなんて言えるはずもない。
と言うか、何か論点がずれてない?
春市が聞いたら落ち込みそうなことを苗字はつらつらと並べている。
面白いから一生懸命な苗字に免じてこの場は許してあげることにした。
俺が最近少しずつ苗字に甘くなってるの気付いてるのかな?


『負けたー!でもでも推しは抑えたよ小湊ー!うう、負けた。でも嬉しい。推しの活躍観れたー!勝ったー!』
「感情が爆発しすぎでしょ」


行きつけの居酒屋で贔屓の野球チームの観戦をしながらタブレットで日ハムの観戦もした。
結果的に贔屓のチームは負けてしまったものの日ハムは苗字の予測通り推しが抑えて勝った。
贔屓のチームが負けたのが悔しいって気持ちと推しが抑えて日ハムが勝ったのが嬉しいって気持ちが混在してて凄く面白い表情をしている。
やっぱり苗字といると飽きない。


『良かった。推しがねちゃんと活躍してくれてて本当に嬉しい』
「俺的にはちょっと妬けるけどね」


苗字の気持ちがいくらか落ち着いたところで居酒屋を出た。
俺が奢るって言ってたのに会計で財布を出すのも苗字らしい。
今なら苗字の良いところいくらでも言えそうだ。何なら今日沢山見つけたかな。
二人きりの帰り道がいつもより特別に思えてふっと気が緩んだ。
酒が入っていつもより気持ちが開放的になってるみたいだ。でも、たまにはこういうのも悪くない。


『やける?』
「それ絶対頭の中でちゃんと変換出来てないよね」
『?』
「俺のこともそれくらい応援してくれたらいいのにって言ったの」


お酒のせいか、はたまた推しの活躍に興奮したせいなのか頬を紅潮させた苗字が首を傾げる。
お酒飲むたびにこんな顔してると思うと少しムカつく。
あぁでも野球漬けの苗字には飲み会に参加する暇はなさそうだ。
あっても高校の部活繋がりで大抵俺も一緒だしそれなら別にムカつくこともない。


『やだな、小湊のことはいつだって応援してるよ!』
「それほんと?」
『当たり前でしょう?昔からずっと小湊のことを一番に応援してるよ。だから大学はマネージャーしなかったんだし。その方が応援しやすいんだよね。マネージャーだと他にも色々考えちゃうから』


自分で何を言ってるのかわかってるのかな?
酒で気が緩んでるのはどうやら俺だけではないらしい。
ニコニコと笑顔のまま苗字は言葉を紡ぐ。
自分の言った言葉がどういう意味を持つかなんて微塵も考えてなさそうだ。
俺はと言えば、ただでさえ暑いのにさらに体温が上がって今にも汗が吹き出しそうだ。
おかげで緩んだ気が元に戻ったんだけどどうしてくれるのさ。
無邪気過ぎる苗字に対して素直になれない俺は本日三回目の手刀を叩きこんだ。


『えっ!?何で!?』
「お仕置き」
『何で?私、小湊のこと応援してるって言っただけなのに!』
「それちゃんと有言実行してよ」
『してる!ちゃんとバイト休みにして試合も全部観に行ってるよ!』
「…今初めて聞いたんだけど」
『だって言ってないし』


そんなこと初耳なんだけど。
何回か来てたのは知ってるけど全部とか…じわじわと嬉しさが込み上げる。
俺は苗字がマネージャーをしなかったことを少なからず気にしてたわけだけど、彼女は彼女なりに俺のこともちゃんと応援してくれてたってことか。
そっか、ならもう遠慮しなくていいはず。
答えが出たところですっと頭が冷えた。


『小湊のせいでバカになっちゃうかも』
「女子はそれくらいの方が可愛いんじゃない」
『可愛い?小湊が可愛いなんて言葉使うの!?』
「そこそんなに驚く?」
『だって過去に可愛いだなんて聞いたことない!好きな芸能人とかだって元プロ野球選手とかだったし。東条くんみたいに好きなアイドル居なかったじゃん!』
「俺の好きな芸能人とかよく覚えてたね」
『小湊のことだったら大体知ってますー』


身近に可愛いと思う女子が居たら大抵の男はそんな感じじゃないの?
芸能人を見て綺麗な人だなとか思ったことはあるけど、苗字程見ていて飽きない人は他に居ない。
仕草とか、くるくる変わる表情とか、今みたいに抜けてるところとか、可愛いところだらけだ。
と言うか酔った勢いで色々駄々漏れだけど大丈夫?そんなに飲んでた覚えはないんだけど。


「明日記憶ないとか言わないでよ」
『言わないよ。小湊は心配性だなぁ』
「ならいいけど」
『小湊もね!ちゃんと私のことわかっててよ!』
「俺は苗字より苗字のことわかってる自信あるよ」


反撃をしてみたら苗字がぴたりと停止した。
みるみる顔を赤くするから面白くて仕方無い。
最初に攻撃を開始したのはそっちだからね。


「急に黙ってどうしたの?」
『べ、別に!何でもない!』
「焦るようなこと俺言った?苗字のお願いに応えただけなんだけど」
『わかってくれてるならいいの!何でもないよ!』


散々俺のことどう思ってるのか口に出しておいていざ自分が言われたら照れるとか。
そんなところも苗字らしい。
俺も苗字のこと言えないかも。
我慢してた分色々駄々漏れだ。


「そんな反応されたら帰したくなくなるんだけど」
『えっ!ええっ!?』
「冗談だよ」
『もう!どっちなの!』
「それ本当に知りたい?」


本心から出た言葉だけど苗字の動揺が激しかったから誤魔化しておいた。
あんまり言い過ぎもね。言い過ぎて苗字の心臓が止まるのは困るし。
それでも反応が面白くてついからかってしまう。
問いかけに言葉を詰まらせて苗字は黙りこんだ。


『し、知りたい…かも』


駅に着くまで無言が続いた。
黙りこむ苗字に合わせて俺も何も言わない。どうするか興味があったってのもある。
改札を目の前にしたところで苗字の歩みが止まり、俺のTシャツの裾をそっと引く。
さっきまでの勢いはどこに行ってしまったのか、小さな囁き声が耳に届いた。
それさ、本当に帰せなくなるやつだよ。


「じゃあカラオケにでも行こうか」
『へ?』
「絶対明日眠たくなるだろうけどそれでもいいのならいいよ」
『あ、そっか。そういうことか』
「他に何があるって言うのさ」


あの反応が見れただけで充分だから、欲望はぐっと抑えることにした。
苗字がどこを見てるのか知れただけで今は満足だ。
俺の提案に苗字は気の抜けた表情をする。
どこかホッとしたようにも見えたから選択は間違ってない。
俺も日付けが変わるまで一緒に居たかったからちょうどいいよ。
行き先を変更して駅前のカラオケ店へと向かう。


『朝まで持つかな?』
「とりあえず0時までは起きててよ」
『それは大丈夫!まさかの!小湊と二人で!朝までカラオケだし!』
「その調子なら大丈夫かな」
『当たり前だよ!』


カラオケの個室に入ると苗字のテンションが上がる。
飛ばしすぎると持たないってアドバイスしたにも関わらず、21日を目前に苗字は寝てしまった。呆れて何も言えない。


「誕生日おめでとう苗字。って全然聞いてないだろうけど」


ソファで眠り込む苗字の頬を摘まんでみても起きる気配はない。
追加でお酒なんて飲むからこうなるんだよ。
まぁ、無防備な寝顔が見れたからいいか。
始発の時間に苗字を起こして一度帰らないとだな。
それから待ち合わせて沢村達の応援に行こう。
贔屓のチームのチケットは起きてから渡せばいいか。


野球好きの彼女が一番輝くのが夏だ。
一から十まで全て野球漬けの苗字。
その中に俺も入ってるのがわかったからさ、苗字はそのままの苗字でいてくれたらいいよ。


***


『春市くん頑張れー!ほら小湊も声出して!』
「応援に行くのは伝えといたからあいつもわかってるよ」
『冷たいなぁ』
「俺は春市が打てるって信じてるからね」


朝までカラオケで寝てたとは思えないくらい苗字はイキイキとしている。
やっぱり夏は彼女にぴったりの季節だ。
来年もその先も彼女はきっと変わらない。
俺もそんな彼女の隣にいるんだろうって想像して先がまた楽しみになるんだった。


水棲様より




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