朱夏焔延

梅雨は苦手や。
ロードバイクで外走るにも手間が増えるし、考えんようにしとってもあの女のことを思い出す。
高校から大学まで一緒やったあの女。
今はどこで何をしとるのかもわからんかった。


暑いのもレース中の雨やってボクには関係あらへん。気になることもなければ嫌やと思うこともない。
せやけど、梅雨だけはそんな風に思えんかった。特に梅雨入りは苦手や。
梅雨は夏の始まり。
またボクは彼女を思い出す。


いつも通りの時間に起きてカーテンを開ければ空は薄暗い。しとしとと雨まで降っとる始末。
ついに梅雨が始まったんやなと思うと眉間に皺が寄る。


「チッ」


オフの今日も雨だろうとデローザを走らせようと思っとった。
昨日夜まではそう決めとったのに梅雨入りした事実にイラついて予定を変更することに決めた。
ボクが予定を変更するなんてこと普段はほとんどない。ゼロに近い。自分で決めたことなんやから不測の事態がない限りやると決めとる。
結局予定を変えたことにもイラついて起きぬけから気分は最悪やった。


「キモ」


簡素な朝食を食べてる最中にも思い出すのはあの女のこと。
何かとボクの行動に口を出す女やった。


『御堂筋くん今からご飯なの?隣いい?』
「他に空いてる席沢山あるやろ」
『ありがとう、じゃあここに座らせてもらうね』


大学の学食で昼御飯を食べとる時やった。
午後と部活のことを考えてこの時も最低限のもんしか食べてなかった気する。
苗字はボクの意見を聞かへん女やった。
それは高1の時も大学に入ってからも変わらへん。
ボクがどれだけ嫌やと告げても嫌そうな態度をとっても全然堪えることはなかった。


「キミ、どっか頭のネジ飛んでへん?ボクは座ってほしくなかったんやけど」
『全然普段通りだよ?やだなぁ』


ここで席を立つのは簡単や。
実際そうやって席を変えたことやってある。
無理に追ってくることはせんけど、毎回毎回席を変えるのも面倒なことに気付いた。
それからは嫌味を言うだけ言って席を変えることは止めた。
そんなことしたってこの女には効かへん。
無駄な時間が増えるだけや。


「迷惑やって言うとるんやけど」
『でも最近は御堂筋くん一緒に食べてくれてるでしょう?』
「チッ」
『御堂筋くんの食べてるものって栄養第一って感じであんまり美味しそうじゃないねぇ』


ボクの舌打ちにだって一切怯まない女やった。
ボクと違って友達やって居るし、社交性だってある。
どっかのサークルに入っとるって聞かされたこともあるからそのうち飽きてくれると思っとったのにボクを見付けると誰と居ようとも彼女は隣にやってきた。
正直迷惑以外の何物でもなかった。


「ボクはキミと関わりたくないで」
『私は関わりたいんだよ御堂筋くん』


何をどう伝えようと、冷たくしようとも彼女には伝わらへん。
終いにはボクの言葉に頬笑む始末や。
うんざりして溜息を吐いたところで態度は変わらない。


『そんなに溜息吐くと幸せが逃げるよ』
「そんなもん元からあらへん。ボクは自分のことしか信用してへんのや。不確定要素なんて最初からいらへんよ」
『幸せは不確定要素じゃないからなぁ』
「ハァ?」
『知ってる?幸せってみんな平等にあるんだよ』
「キミやっぱどっかおかしいやろ」
『これは事実だから』


どれだけ辛辣な言葉をぶつけたんやろ。
それこそ出来る限りの語彙力をフルに使って言うた気がする。
何を言うても彼女の態度は変わらなかった。


学食で食べへん選択肢もあることにはあった。
せやけど外食なんて無駄遣いしたくはなかったし弁当を作る暇もなかった。
久屋の家の負担を必要最低限で抑えたかったんや。
費用のことは気にせんくてええってオジサンもオバサンも言うてくれとったけどボクの下にまだ二人もおる。
そう考えると外で食べるって選択は必然的に出来んかった。
部活とロードの個人練習、それに勉強の時間を考えるとバイトの時間やって沢山は取れへん。
そないなことせんでええってあの二人は言うてくれたけど、そこまで甘えることは出来ひん。
今までやって散々世話になった人達やからこれだけは絶対に譲れんかった。


『今日は顔色が悪いね御堂筋くん』
「キミに関係あらへんやろ」


あれは一年の夏やったやろか?学食の味付けが馴染まなくてうんざりしとった頃や。
バイト先の中学生が小生意気やったのもある。
部活のザクらの陰湿な嫌がらせの対処も面倒やった。
ザクの癖に、ボクにあっさりとレギュラーを取られた癖に、それを自分のせいやと反省出来ん無能ばっかでイライラが募っとった。
箱学でレギュラーしとった二人と石垣くんは何も言わへんのにそれ以下のザクがうるさくてしょうがない。口で黙らせたら結果がこれや。
未遂で終わったもののあのアホらボクのデローザに手を出そうとしとった。
そんなことが続いてイライラは最高潮やった。
そんな最悪な時に苗字が来たもんやからいつも以上に言葉尻が冷たくなった。


『元気もないね』
「キミにボクの何がわかるんや。勝手なこと言わんとって」
『やっぱりこっちの水は合わないのかな?』
「聞いとる?ボクの話聞いとるん?」
『あ、今日って確か部活は午前で終わりだよね?』
「ボクはこの後自主練や」
『よし、決まり。夜御飯食べに行こう御堂筋くん!』
「ハァ?」
『自主練の後でいいから決まりね。終わったら連絡して。絶対だよ?』
「キミとなんて絶対に行かへん」
『いいからいいから。白味噌の美味しいお味噌汁あるよ?』
「…絶対に行かん」


ボクの話を全く聞かんまま連絡先の書かれたメモを押し付けて彼女は行ってしまった。
宇宙人なんて信じたことはあらへんけど、もしかしたらあぁいう女のことを言うのかもしれん。
ボクを呆然とさせることが出来たのは後にも先にも苗字と坂道くらいや。


連絡先のメモやって初めは捨ててしまおかと思った。
関わったら最後面倒なことになると漠然と感じとったから。
せやけどこの時のボクは少なからず疲れとったんや。
白味噌の味噌汁の誘惑に負けて、結局個人練習終わってから連絡してしまったんやった。


「なんでや」
『私が作った味噌汁はねおばあちゃんのお墨付きなんだよー』


たまの外食くらいええやろとタカをくくっとったんがアカンかったのかもしれん。
言われた通りの場所に来てみれば普通のマンションやった。その時点で帰れば良かったんや。
連絡せずに引き返そうかと思ったら苗字が下で待っとった。
唖然としてるうちにデローザを人質に取られて部屋まで引っ張りこまれたんや。


「キミやっぱ頭おかしいわ」
『出汁も完璧だし、他にも色々あるよ?ぜーんぶおばあちゃんに教わったんだから』


何を言うても無駄やった。
そのまま座らされて苗字の作った京料理を食べさせられることになった。
不味かったら文句の一つ二つ言うたろと思ったのに自分で褒めるだけのことはある。
オバサンの料理と変わらず美味しく食べれたことに驚いた。


「目的わからんくてキモいわ」
『目的?元気無い人がいたら元気になってほしいと思うのは普通でしょう?』
「ボクはキミと友達でも何でもないでェ」
『同じ高校と大学だから無関係ってわけではないよね』
「キミは落ち込むことせえへんのやね」
『落ち込むことがないからなぁ』


心底何を言うても何を思っても無駄なんやなと悟ったのはこの時やった。
この女にはボクの常識は通用せん。
諦めに近い感情やったと思う。
いちいち反論してるのがバカらしくなったってのもあった。
石垣くんに言わせてみれば「それは胃袋を掴まれたって言うんやで」らしいけども。


それから少しずつ少しずつボクの中の黄色が朱く染まっていった。
黄色い絵の具に少しずつ赤が混ぜられていくようにじわりじわりと色が変わっていく。
最初は抵抗しとった。黄色が変わっていくのは正直イヤやった。
あれはお母ちゃんの色や。黄色は黄色のまんまが良かった。


せやのにじわじわと黄色が変わっていく。
彼女に関わってボクの黄色が消えていく。
それを不快に思いながらも彼女のペースに抗えんくてボクの中の朱は存在を増していく。


「ボクキミのこと嫌いや」
『私は嫌いじゃないよ』
「ボクの話いつも聞かへんし」
『聞いてるって。やだなぁ』
「そんなことちっとも思ってへん癖にィ」
『御堂筋くんの勘違いだよ』


何がきっかけやったんやろ。
一度くらい酷い目に合うたら彼女はボクから離れてくやろ。怖い思いでもしたら思い知るやろと思い付きで試したことやった。
別に本気で最後までしようなんてこれっぽっちも考えとらんかった。
ボクはただ、ボクの中の黄色をこれ以上染められたくなかった。
せやのに苗字はボクをするりと受け入れた。
大学二年の梅雨入りした時のことやった。
全部終わって謝りもせず酷いことをしたボクに彼女はいつもと同じように頬笑んだ。


汗ばんだ肌と目の前の女の唇の朱。
湿気で部屋がやけに暑くて、ボクの黄色は朱へと変わっていく。
何でか泣きそうになったのを覚えとる。


『どうしたの』
「キミがボクを振り回すから」
『うん』
「お母ちゃんの黄色がなくなってまう」
『お母さんが黄色なら私は?』


情事の後やったせいか気が抜けとった。
そんなこと人に話したのは初めてで、今思い出しても何で話せたのか不思議や。
この時ボクは何て答えたんやろか。
「キミは朱や」って言えたんやろか。
我に返ってそのまま何も言わずに帰ったような気もする。


それから苗字には会ってへん。
別にボクが近付くなって言うたわけでもなく、彼女はボクの前から姿を消した。
忽然と居なくなって誰もその理由を知らなかった。
調べたわけやなくて周りが理由を聞いてきたからや。
親しくしとったわけやない、他に親しい人間なんて仰山おると思っとった。
なのに何故か周りはボクらが付き合っとると勘違いしとった。


お母ちゃんが春の黄色なら苗字は夏の朱や。
梅雨入りから夏の終わりまではボクん中は黄色から朱に染まる。
苗字がおらんくなったのはボクのせいなんやろか。
あの場ではそないな素振り見せんかったけど裏では傷付いとったんやろか。
どれだけ考えても答えは出ない。
それならボクのこと訴えてくれても良かったのに何でおらんくなったんや。
答えは出ないまま時だけは過ぎた。


風の噂で苗字は持病があってアメリカで手術を受けたってのは聞いた。
本当か嘘かは確認しとらん。
彼女の電話番号は当時繋がらんくなっとったし、今更確認する気にはなれんかった。


ただ、この季節だけは苗字のことを思い出す。
ボクの大事な黄色が梅雨入りと共に朱が混じり夏に近付いていくにつれて色濃くなっていく。
夏が終わると共に朱は消えてまた元の黄色に戻るんや。


最近はそんなもんやと割り切れるようになった。
色付く黄色も夏が終わればまた元に戻る。
ほんならこの季節くらいは朱くなってもええか。そんな風に思えるようになった。
梅雨入りは相変わらず苦手やけども。


「不器用やな御堂筋は」
「石垣クンには関係あらへん」
「本当にそう思っとったらお前は誰にも話さんやろ。せやから多分、お前は誰かにこの話を聞いてもらいたかったんと違うか?」
「石垣クンが聞きたがっただけや。ボクは意見なんて求めてへんよ」
「それは、そうやな。そこはオレが悪かったわ」


この年になるまで石垣クンとの付き合いが続くと思っとらんかった。
石垣クンが何かと連絡してくるからやとは思っとるけど。
夏の終わりに石垣クンと会うてなんとなく苗字の話になった。
石垣クンは変わらんなぁ。お節介なとこも昔とちっとも変わらへん。


「またどっかで会えるとええな」
「ボクはそれがええことやとは思っとらんよ石垣クン」
「御堂筋は小難しく考え過ぎや」
「そんなんと違う」


もう一度会いたいかと聞かれたら答えはノーや。
苗字がボクの前から消えたってことはそういうことやと思うし、彼女と会ってこれ以上ボクの黄色が朱く染まるのもイヤや。
今のまんまでええんやと思う。


これは梅雨入りから夏にだけ思い出す苗字の話。
ボクの言うことをちっとも聞かんかったし、振り回されてばっかやったけど、どこか憎めへん女やった。
どこで何しとるか知らんけど元気にやっとってほしいとは思っとるよ。


もうすぐ夏が終わる。
そしたらまた来年までさよならや。




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