季夏揺夭

朱夏焔延の続き。御堂筋くんは四十手前


京都の夏は九月に入っても暑い日が続く。
それでも八月に比べれば過ごしやすい日がいくらか増えた。気温の変化と共にボクの中の朱が黄色へと戻っていく。
朱は、今も色褪せぬままボクの中に深く根付いとる。


「御堂筋さーん!お昼用意出来ましたー!」
「そない大声で言わんくても聞こえとるよ」
「素麺で良かったですか?」
「石垣クンが嫌ってほど送ってくれたから食わな勿体無いやろ」
「親父ももうちょっと良いもの送ってくれればいいのに」
「石垣クンの中では夏イコール素麺なんやろ。知らへんけど」


四十を目前にしてボクは地元へ戻ってきた。
久屋のおばさん達が関東に住んでる息子と同居を始めて、空いた家を借りとる状態や。
何の因果かボクは母校の自転車競技部の監督に落ち着くことになった。
離れでロードバイクの整備をしとったら石垣クンの息子の洸がボクを呼びにやってくる。
関東生まれ関東育ちやのにわざわざ石垣クンの母校でインターハイを目指したいと京都に単身やってきた。石垣クンがしつこく頼むからこの春からうちで預かっとる。


母屋で二人、素麺を啜る。
来年は何もいらへんって石垣クンに伝えることに決めた。夏中素麺食わされる身になってほしいとこや。せや、来年はボクが同じ量素麺送ったろ。ほんで石垣クンも身を持って知るといい。


「あ、誰か来たみたいです。俺出てきます!」
「キミはドタドタ騒々しいなァ」


チャイムが鳴って洸がボクの返答も聞かず飛び出してく。石垣クンはもっと落ち着いとったんやけどなァ。
ま、ええか。エースやってくれとるし、ボクの言うこと守ってくれるだけで満足や。


「御堂筋さん!お客さんでした!」
「客ゥ?」
「はい!綺麗なお姉さんですよ!」
「ハァ?」
「あの、お邪魔します」


家主の許可なく知らん人をうちに上げるなって前にも言うたはずやのに、洸は無邪気に笑って戻ってきた。石垣クン、もうちょい危機感持たせなあかんと思う。注意したろと口を開いたはずやのに洸の後ろに付いてきた人を見て時が止まった。


落ち着きつつあるボクの中の朱がさっと鮮やかさを取り戻す。
洸よりいくつか年上に見える女の子。
日本人と比べて色素の薄そうな髪と瞳。
彼女なわけがないのに、ボクの中の朱が揺れた。


「あの、知り合いですか?」


止まった時間を動かしたのは洸の一言。
揺れる朱を押し込んで洸へと視線を戻す。


「初めましてや」
「突然お邪魔してすみません」
「あ!俺麦茶持ってきます」
「…何の用か知らんけど、とりあえずそこ座り。座布団あるやろ」
「は、はい」


あの頃の彼女の雰囲気を目の前の女は持っとるから赤の他人ってわけやないと思う。何かしら関係があるからこそ訪ねてきたんやろ。
ボクの対面、洸がさっきまで座っとったとこを指定すると女は言われた通り腰をおろす。あちこち視線を巡らせ落ち着きはない。


「お待たせしました。じゃあ俺ちょっと走ってきます」
「気ィ付けや」
「いつものとこ走るだけなんで大丈夫です!」


ボクと女に麦茶を出して洸は出ていった。部活が休みの日はこうして外に走りに行くことが多い。ローラーでもええよって言うとるのに何が楽しいのか時間があると市内をあちこち回っとる。まだこっちが物珍しいんやろなァ。
洸を見送って、女を見るとちょうど視線がかち合った。


「で、キミはどちらさん?」
「あの、私は」
「あ、名前は聞かんどくわ。キミ、ボクの知っとる人の関係者やろ」
「…はい。母が御堂筋さんに大学時代お世話になったそうです」
「…さよか」


さっと彼女が消えた夏のことが蘇る。
汗ばんだ肌と彼女の唇の朱、どれだけ忘れたくても忘れられんかった人生唯一の滲み。
ぽたりと黄色に朱が滲んでいく。


「キミは何しにここに来たん?」
「母の代わりに御堂筋さんに会いに来たんです。その、この夏に母が亡くなったので」
「…亡くなったんか」
「はい。生前、御堂筋さんのファンだったんですよ。何年か前まで活躍されてましたよね?」
「そうやね」
「いつもレースで応援してたんです。私の小さな頃から。それをお伝えしたかったんです」


彼女はもうこの世におらんのか。
図々しくて、人の話なんてちっとも聞かへんくて、勝手にしたいだけして消えて、人の中に巣食ったまま死んだんか。


「そら、わざわざこんなとこまでご苦労さんでした」
「九月から京都の大学に留学するんです。なので苦労と言う苦労はしていません。京都に居てくださったのは助かりました」
「キミ、日本語ぺらぺらやね」
「母に教わりました。父はアメリカ人ですけど日本語上手ですよ」
「そら良かった」
「はい」
「京都はまだ暑いから気ィ付けや」
「そうですね。湿度が高くて驚きました」


彼女の面影があるだけの娘。中身は似ても似つかへん。物腰柔らかなええとこのお嬢さんって感じや。彼女とは違う。
そうか、もう彼女はどこにも居らへんのや。
二度と、会うこともない。


適当な用事をでっち上げで話し足りなそうな娘を帰した。
彼女が居らへんのならこれ以上話すことはない。どう生きてどう死んだのかも気にならんかった。ファンやったって聞いても朱はもう揺れない。


洸が散らかした台所の後片付けをする。何度言うても散らかるのはなんなんやろ?石垣クンやっぱり育て方間違えたで。
ザーザーと水の流れる音だけが聞こえる。そうして水と共にボクの中から朱が消えていった。


今度こそ本当にさよならや。
来年はもう黄色が朱に染まることもない。
もう、朱に悩まされることは二度とないんや。




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