不器用な唇

あの唇は滅多に愛の言葉を囁かない。
あの唇は滅多に優しい言葉を紡がない。
あの唇は私の唇に触れようともしない。
けれどあの唇の主を、私は大好きだ。


『かと言って、時々寂しくもなる』
「付き合う前からわかっていたことだろう?付け足して言うならばそんなことは好きになる前からわかっていたはずだ」
『まぁそれはね、乾にも散々言われたもんね』
「それでも海堂が好きだと想いを貫き通したのは椎名だったな」
『そうだねぇ』


乾の言いたいことはよーくわかってるよ。けどね、付き合ってもう一年経つんだよ?そろそろ甘い展開があってもよくないですか?訴えるように乾を見ればふっと息を吐いた。


「仕方が無いな」
『お、やっと相談に乗ってくれる気になった?』
「あぁ、海堂の興味深いデータが取れそうだからな。それに椎名はここからがしつこい。俺が協力すると言うまで諦めないだろう?」
『まぁ、こんなこと相談出来るの乾くらいだし』


手塚はこっち関係頼りにならないでしょう?それに言い方を間違えると私が怒られる。大石は話を聞いてもらう分にはいいけど具体案が出てこない。タカさんも同じく。不二は面白がってわざと助言をくれなかったりするし、英二は直球すぎてダメ。だからやっぱり薫のことを相談するのは乾が一番だ。薫を一番理解してるのも乾だしね。今年も同じクラスで本当に助かったよ。


「それで、椎名は具体的にどうしたいんだ」
『一回でいいからキスしたい』


眼鏡のブリッジを押し上げた状態で乾が制止した。そこまで過激なこと言ってないよね?あれ?


「海堂に直接言った方が早いと思うが」
『初めてのキスくらい向こうからしてほしいでしょ』
「しかしこればかりは」
『相談に乗ってくれるって言ったのは乾だよ』
「その勢いのまま伝えればいいと思うが」
『逆にだよ、伝えたところではいわかりましたって薫がキスしてくれると思う?』
「…」
『その確率は?』
「素直に行動する確率は限りなくゼロに近いだろう」
『ほらねー』


多少意識はしてくれそうだけど、薫の場合意識しすぎてその後の関係がギクシャクしそうだ。そうはなりたくないんだよ。だから乾に先に相談したわけだし。その辺りをちゃんと説明する。


「なるほど、意識させずにごく自然とキスしたいと言うわけだな」
『そうなりますね』
「わかった」
『え?』
「俺に名案がある」
『本当に?』
「あぁ任せてくれ」


そうして私は乾の名案に乗ることにした。
部活中に熱中症になって倒れたフリをしろだなんて簡単に言ってくれちゃったけど難易度高そうだよなぁ。
けれど最初のキスくらい彼氏からしてほしい。薫を騙すことになるけれど、罪悪感よりも欲が勝ってしまった。


「先輩、ちょっといいすか」
『薫?何かあった?ボール足りない?あ、ドリンクの補充?』
「や、そうじゃないですけど顔色悪く見えたんで」
『そう?全然元気だよー』


計画の実行日、その日は朝から雲一つない晴天だった。これならスムーズに計画が実行出来るだろう。
いつも以上に張り切ってマネージャー業に励んでいたら薫に呼び止められた。熱中症になったふりとは言えそんなものになったことはなく、水分をあまり摂らずに動いてたせいなのか薫に心配させたみたいだ。些細なことなのだけど、心配してくれることが嬉しくて自然と頬が弛んでしまう。


「暑いんで水分補給忘れないでください」
『うん、大丈夫だよ。ありがとね。あ、薫もだよ?』
「俺はちゃんと定期的に水分摂ってるんで」
『そうだね、薫はその辺しっかりしてるもんね』
「っす…じゃあ俺練習戻ります」
『はーい』


どことなく照れたような表情をして薫はコートへと戻っていった。
最初はこの些細な表情の変化にも気付かなくて、ただ扱いづらい後輩だと思ってた。それがいつの間にか好きになって付き合うことになっちゃうんだから、ほんと人生って何が起こるかわからないものだ。


薫の昔を思い出しながら鼻唄混じりに仕事をこなす。
桃とも仲悪かったもんなぁ、今でも良いとは言えないけれど中学の時に比べたらだいぶ落ち着いたような気がする。
ふふ、ほんと懐かしいなぁ。
そんなことを呑気に考えていたらぐらりと視界が揺れた。あれ?


「凜先輩っ!」


傾く視界の端に薫の姿。
酷く慌ててこっちに手を伸ばしてる薫が近付いてきたところで私の意識はぷっつりと途絶えた。あ、これ本当に熱中症かも。


『……?』


目が覚めたら白い天井が目に入った。
視線を左右に動かして周りを確認するとどうやらここは保健室だ。
あーこれ本当にぶっ倒れたやつ。そして周りに迷惑をかけやつだ。
監督と手塚、そして薫の怒った顔が目に浮かんで思わず苦笑いが洩れる。


「起きたんですか」
『あ、薫。部活は?』
「休憩中なんで様子見にきました」


ふいに声を掛けられてそちらに目をやればカーテンの向こうから薫の声がした。
返事をすると中に入ってくる。起き上がろうとしたら肩を押さえられてそれを止められた。


『えっと』
「今日は部活は参加しなくていいらしいんで先輩はここでおとなしくしててください」
『熱中症で倒れた感じ?』
「俺ちゃんと水分補給しろって伝えましたよね」
『う、ごめん』


私の肩を押さえたまま鋭い眼差しで薫が淡々と言葉を紡ぐ。これはやっぱり怒っている?


「あんまり馬鹿なことしないでください」
『…えっと、それは』


私を見下ろす薫と視線を重ねるとふいっと逸らされてしまった。
馬鹿なこと?馬鹿…え、それってもしや。


『えっ乾?』
「〜っ!先輩が水を飲んでくれなかったから仕方無かったんだ!」


乾の名前を出しただけなのに顔を赤くした薫がパッと離れる。
話を要約するともしかして私に口移しで水を飲ませてくれたってことだろうか?
この照れ具合と慌て具合はそうかもしれない。


『薫が飲ませてくれたの?』
「先輩はぶっ倒れるし乾先輩が急かすし俺も焦ってたんで…すみません」


しどろもどろになりながらその時のことを説明してくれる。謝るってのが何とも薫らしくて笑ってしまった。
あの薫がみんなの見てる前で私に口移しで水を飲ませてくれたんだ。にやけてしまうのも仕方無いことだろう。
薫はそんな私に気付くわけでもなく口元を押さえて肩を落とす。


『ごめんね』
「二度とあんな馬鹿なことはしないでください。乾先輩から聞いたけど、…馬鹿過ぎるだろ」
『うん、ごめん。心配させたよね』
「そんなこと俺に言ってくれれば」
『言って良かった?』


どうやら乾はこの大作戦のことを薫に話したらしい。もっと激怒するかと思ったのに様子が違う。
返答を待つように相手の様子を窺っていたらぱちりと視線が合わさった。
最初から薫に伝えておけば素直にキスしてくれたのかな?そういうこと?
期待を込めて薫を見つめると大きく息を吐く。


『薫?』


それは一瞬の出来事だった。
再び両肩を押さえられて視界が暗くなる。
柔らかいものが触れたと言うより、掠めていった。ほんの一瞬の出来事。
直ぐに薫は私から離れて背を向ける。


「帰り送ってくんで迎えにきます」


私の返事を聞くこともなくそのまま保健室から出ていった。
薫なりに私の期待に答えてくれたってことなんだろう。
柔らかい感触すらよくわからなかったけど、薫からキスしてくれたんだから良しとしよう。
体温が上がってまたもや熱中症になりそうだ。
不器用なキスが薫らしくてニヤニヤが止まらなかった。


帰り、薫が迎えに来てくれたと思ったら三年生まで勢揃いしている。
帰る前に手塚達に怒られることになった。
何なら薫は保健室から閉め出されて手塚大石タカさん英二不二に乾と二人怒られた。
二度としないとみんなとも約束させられた。
ここに桃が居ないのは薫に対しての配慮だろう。


『薫ごめんね』
「や、わかってくれたならもういいっす」
『今度は私からちゃんとキスさせてね』
「や、それは」
『ダメ?』
「別に構わないですけど」
『それなら良かった』


手塚達が散々怒ってくれたおかげなのか薫はそこまで怒ってなさそうだ。
さっきは薫からだったから次は私からしようと決意表明を伝えたらまた照れたように視線を逸らすのだった。
薫の頬も赤いけど私もきっと同じくらい赤くなってるような気がした。


レイラの初恋様より
2020/03/19
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