王様から騎士へ

跡部先輩はとても優しい。日吉はそう言った私を鼻で笑ったけど、本当に優しいのだ。


「跡部さんもただの男だったってことだろ」
『何でそんな話になるの?』
「別に。そう思っただけだ」
「日吉その辺にしておきなよ」
「余計な話はしない方がいいと思います」


私達のやり取りに樺地と鳳は困ったように眉を下げる。優しいって話がどうしてそんな話になったのか?二年生四人の談義は部室に忍足先輩がやってきたところで中断した。


「ほんま暑くて敵わんなぁ」
『あ、先輩お疲れ様です。レモネードのみますか?』
「せやな、貰おか」
『炭酸もあるのでレモンスカッシュにも出来ますよ』
「ほんならレスカにするわ。それどないしたん?」


既に日吉達にはレモネードを振る舞っている。自家製のレモンシロップが出来上がったから家から持ってきたのだ。概ね好評だったので忍足先輩の要望通りレモンスカッシュを作っていく。部室に炭酸や天然水があるって本当に便利だよね。


『レモンシロップ大量に作ったんで持ってきたんです』
「自家製ならうまそうやん」
『毒味は日吉達がしてますので大丈夫ですよ』
「チッ、毒味係だったのかよ」
『殺す気はなかったけどね』
「椎名さん、日吉はそんなつもりで言ってないよ」
「先輩達に出す前の味見は大事、だと思われます」
『だよねぇ。はい、先輩どうぞ』
「ありがとさん、ほんまよう働くなぁ」
『ふふ、ありがとうございます』


グラスに注いだレモンスカッシュを手渡せばぐりぐりと頭を撫でられた。忍足先輩とのいつものコミュニケーションだ。そろそろ他の先輩達も来るだろうしレモネードを作るのは樺地に任せて部室から出る。
ジリジリの肌を焼く太陽が恨めしい。放課後だと言うのにまだまだ暑そうだ。今日も多目にドリンクを用意しないといけないなぁ。ドリンクの量を計算しながら準備へと向かった。


「おい凜」
『あ、跡部先輩お疲れ様です。生徒会の仕事終わったんですか?』
「あぁ、今日は書類も少なかったからな」
『あ、だから樺地が先に部室に居たんですね』


レギュラーの個人用ジャグのドリンクを作って次に他の部員用の大型ジャグに水を注いでたら跡部先輩がやってきた。


『何かありました?』
「忘れものだ」
『あ』


何の用事だろうと振り向けば先輩の手には麦わら帽子がある。向日先輩から熱中症予防のためにといただいた帽子だ。すっかり忘れてた。固まる私を余所にそれを先輩は被せてくれる。


『わざわざすみません』
「そこは謝るとこじゃねえ」
『えっと、ありがとうございます』
「礼を言うなら後から俺にもレモネード持ってくるんだな」
『樺地がいませんでした?』
「お前が作って持ってこい。いいな」
『わかりました』
「これは作り終わったドリンクか?」
『あ、先輩ダメですよ』


レギュラー用のドリンクは出来上がってるけど先輩に運ばせていいものではない。前回も運ばせてしまったから今日は先回りしてそれを阻止することに成功した。籠に手を伸ばした先輩の動きが一瞬止まる。


「俺様に命令して聞くと思ってんのか?」
『でも先輩の仕事じゃないですよ。重たいですし』
「これくらい何ともねえ。練習始めたいから先に持ってくぞ」
『あ!』
「他の部員用のドリンクもさっさと準備しろ」
『う』


無理やりにでも止めようと思ったのに他の部員のドリンクのことを言われて右往左往してしまった。それを見た先輩は笑って行ってしまう。追いかけて止めるべきなのか迷ったものの結局ドリンク作りに戻ることにした。
ローラー付きの大型ジャグはとても便利だ。ゴロゴロと引いて移動出来る。これも跡部先輩が買ってくれたんだったなぁ。
各コートへと大型ジャグを配備して、先輩に言われたレモネードを用意する。
あ、監督もそろそろ来る時間だし二人分用意してしまおう。


『監督お疲れ様です』
「あぁ」
『これ自家製レモンシロップで作ったレモネードです。良かったらどうぞ』
「ありがとう。そちらのは?」
『跡部先輩の分です』
「そうか」
『試合中みたいなので終わったらここにあると言伝てお願いしてもいいですか?』
「いいだろう」
『ありがとうございます。では仕事に戻ります』


監督に一礼して仕事へと戻る。とは言っても洗濯も既に洗濯乾燥機にお任せしてあるからやることはあまり多くない。
いつもより早めに追加のドリンクを作ればいいくらいかもなぁ。それでもまだ早いような気がするし。そう言えばこの間ボールが足らないと宍戸先輩が言ってた。よし、じゃあ新しいボールを取りにいこう。


テニス部の予備倉庫の扉を開ければむわっと熱い空気が飛び出した。外だって結構な暑さなのにこの中はもっと暑そうだ。さっさと新しいボールを回収してコートに持ってってしまおう。棚にはラベルが貼ってあるからボールがある場所を見付けるのは簡単だ。


『喧嘩を売ってるとしか思えない』


ボールは棚の最上段の段ボール箱の中にあるらしい。そうだ、前回は跡部先輩が取ってくれたんだった。ボールの入ってるであろう段ボール箱を見上げ悪態を吐くも微動だにしない。当たり前だけどね、たまには自分から降りてくれてもいいんだよ。倉庫の中の暑さにクラクラしてるせいか非現実的なことが頭をよぎった。こんなところに後五分もいたら倒れてしまう。バカなこと考えてないで早くボールを下ろさないと。踏み台を用意して段ボール箱へと手を伸ばす。手は届くけど段ボール箱が予想以上に大きい。これ持って無事に踏み台から降りれるかな?


「おい凜、ここには一人で来るなって言っ」
『ひゃ』
「凜!」


慎重に段ボール箱を抱えた時だった。跡部先輩の声がしてそちらを振り向いたら足元がぐらついた。持ちこたえようとしたのに結局体は倒れていく。段ボールは手から離れ、咄嗟に目を瞑ることしか出来なかった。


「おい」
『せ、先輩!?』


気付いた時には跡部先輩を下敷きにしていた。声を掛けられて目を開けると先輩の顔が至近距離にある。


『す、すみません!』
「動くな」
『は、はい』


慌てて起き上がろうとしたらぐっと後頭部を抑えられて身動きが取れない。そのまま先輩の肩に顔を押し付けられた。


『あの、…先輩?』
「怪我はねえか?」
『えっと、多分。どこも痛くないです。あ!先輩は大丈夫ですか?もしかしてどこか痛かったりします?』
「バカ、動くんじゃねえって言っただろ」
『すすすみません。でも痛いのなら早く病院に行かないと』
「どこも痛くねえから少しおとなしくしてろ」
『…はい』


本当に痛くないのかな?大丈夫なのかな?今すぐ先輩の上から退いて怪我の確認をしたい。なのにそれを許してくれなさそうだ。未だに先輩の左手は私の後頭部にあって右手は腰を支えてくれている。今更だけどこの体勢って、かなり恥ずかしいかもしれない。


『跡部先輩』
「なんだ」
『本当にどこも痛くないですか?』
「あぁ、大丈夫だ」
『なら動いても』
「それは聞けねえな」
『え』
「一人でここに入った罰だとも思っとけ」


これは罰になるんでしょうか?聞きたかったのに頭を撫でる先輩の手付きがいつもより優しくてそれ以上は何も言えなかった。
今までこんな風に先輩を意識したことはない。何でも出来て格好良くて尊敬出来る優しい先輩だとは思ってたけど、こんなに近いのは初めてだ。そう思ったら急に心臓がドキドキしてきた。先輩の左手は頭を撫でるのを止めて今度は髪をそっと梳いている。


『あの先輩』
「なんだ」
『これ罰になるんですか?』
「どうだかな」
『へ?』
「お前は案外そそっかしいから少しも目が離せねえ」
『それは、すみません。今度からは樺地にでも』
「駄目だ」
『…えっとじゃあ鳳』
「鳳も若も駄目だ。次からは俺様に言え」
『先輩に言うのはちょっと』


首に先輩の息がかかってくすぐったいし、私の提案はことごとく却下されてしまうし、だんだん熱くなってきた。こんなとこにいるからなのか、先輩と密着してるせいなのかはもうわからない。


「もっと俺のことを意識しろ凜」
『…あの、そんなこと言うと勘違いさせますよ』
「何他人事のように言ってやがる。そのために言ってんだろ」
『っ!?』
「動くな」


びっくりして反射的に起き上がろうとしたのをまたもや後頭部を抑えられて止められた。嘘を吐くような人じゃないのはわかってるけど、どんな顔をして言ったのか確認したかったのに。


「俺はお前が思ってるほど優しくねえ」
『でも先輩いつも』
「お前だから優しくしてんだ。そろそろちゃんと自覚しろ」
『あの、それは…』
「いいか、これからは困ったら一番に俺に言いにこい。居なかったら他のヤツらに頼め。わかったな?」


ぐるぐるぐるぐる色んな想いが頭を巡る。けれど熱に浮かされて私が出来たのは首を縦に振ることだけだった。


「跡部と凜ちゃん見付けたCー!」
『ジロー先輩!?』
「あ、俺邪魔だった?それならまた」
「その必要はねえ。こいつが踏み台から落ちたのを助けただけだ」
「そうなの?跡部が間に合って良かったね凜ちゃん!」
『は、はい』


ジロー先輩の声に我に返る。と同時に先輩の両手が私から離れていった。恐る恐る顔を上げるといつもの跡部先輩だ。


「早くそこを退け」
『あ、すみません!』
「ドジっ子だねー」
「ジロー、そこの段ボール箱コートに運んどけ」
「へーい」


さっきまでのことは夢だったのかな?そう思うくらい跡部先輩はいつも通りだった。ぼーっとしてジロー先輩が段ボール箱を運んでいくのを見送ってしまう。


「凜行くぞ」


ぽすんと柔らかな感触が頭にあった。その触り方はいつも通りじゃなくてやっぱりさっきの出来事は本当にあったことなのだと思い知らされる。倉庫を出ようとしている先輩の背中をを追いかけた。


「跡部ー耳が赤くなってるね」
「倉庫が暑かったせいだろ」
「ふーん、まぁ俺はいいけどね。凜ちゃん後から俺にもレモネード作ってー」
『わかりました』
「凜、お前もついでにちゃんと水分補給はしておけ」
『はい』
「跡部ってほんと凜ちゃんには優しいよねー」
「好きな女に優しくするのは当たり前のことだろジロー」
『せ、先輩っ』
「俺達はみーんなわかってたけどね。凜ちゃんも気付いたのなら良かった良かった!んじゃ俺練習戻るから!」


ジロー先輩の落とした特大の爆弾のせいで落ち着きかけた心臓がまたもやドキドキとうるさい。跡部先輩はジロー先輩の後を追ってコートに行ってしまった。みんなわかってたって本当に?確認しようにも恥ずかしくてそんなこと出来そうにもなかった。


意識してるのは私だけなのか跡部先輩の態度はその後も変わらない。けれど私が一番に頼み事をしにいくと前より表情が優しくなる気がするので本当に跡部先輩は私のことを想ってくれているんだろう。
この先輩に好かれて断れる人なんているのかな?そう思ってしまうくらい先輩は優しい。むしろ前よりも優しくなったような気までしてしまう。


『先輩、今更ですけど部内恋愛って禁止されてないんですか?』
「アーン?そんな規則はねえ。と言うか回りくどい言い方をするな。言いたいことがあるのならちゃんと言いな」
『…せ、先輩のこと好きになっても、良いですか?』
「お前にしちゃ上出来だな。答えは良いに決まってんだろバーカ」


あの事件からそう経たないうちに私は先輩に気になることを聞いてみた。そのまま告白する流れに持っていかれたような気がするけど跡部先輩が嬉しそうだからこれでいいのかもしれない。


「いいか、絶対に俺に一番に言いにこい」
『はい』
「後はなるべく一人で行動するな。授業中もだ」
『樺地が同じクラスなので大丈夫です』
「本当は俺が付いててやりたいくらいなんだがな」
『先輩って心配性ですよね』
「心配性なんじゃねえ、お前にだけだ」


(上手くいったC〜!)
(デレる跡部とか貴重やなぁ)
(俺達がいるって忘れてんだろあれ)
(ったく部室でイチャイチャすんなよな)
(宍戸、羨ましいの?)
(な!俺は別にそんなんじゃ!)
(宍戸さんあまり大声を出すと跡部さんに睨まれますよ)
(付き合ってられませんね。俺は自主練いきますんで)
(俺も、いってきます)


ベタ甘な跡部。一回書いてみたかった。
久しぶりに書くけどさくさく書けたなぁ。
2019/07/29
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