桜月夜想曲

彼女の表情に陰りを見付けたのは偶然だった。
たまたま視線がそちらを向いていたのだ。
仲良く友達と昼食を食べている彼女達を視界に入ったから山口の話に適当に相槌を打ちながらただぼんやりと眺めていた。
会話までは聞こえない。けれどふとした瞬間に彼女の表情が曇ったのだ。
それは瞬きをした一瞬で消え去っていて最初は自分の見間違いかと思った。


彼女はクラスでも大人しく目立たない存在だ。
控えめで目立つようなことはしない。
友達と居ても一歩後ろに下がって穏やかに話を聞いている、そんな人だった。
話したことも数える程しか無かったと思う。
そんな彼女のことがあの一瞬で気になる存在になるとは思ってもなかった。


「みょうじ、進路の紙早く提出しろよ。出して無いのお前だけな」
『はい、分かりました』
「今日中な」
『はい』


まただ。またみょうじさんの表情に陰りが見えた。
それはいつも一瞬のことで周りの友達も気付いてないようだった。
次の瞬間には友達に「まだ出して無かったのー」と言われいつものように控えめに微笑んでいる。
いったい何が原因で彼女の表情が陰るのかいつの間にか僕はその理由が知りたくなっていた。


とは言っても僕は単なる彼女のクラスメイトにしか過ぎない。
表情が陰ると言うことは十中八九良い話では無いだろうしデリケートな話かもしれない。
だからその理由を彼女へと尋ねようとはしなかった。
気にはなる。けれどそんな理由で人に踏み込んではいけないから。


「ツッキー!古文の課題分かんないとこ夜電話して聞いてもいい?」
「は?」
「今日授業で出たよ。古文の課題」
「…教室に忘れてきた」
「取りに行かないと」
「山口は嶋田さんのとこでしょ?先に行ってていいよ」
「じゃあまた夜連絡するから」
「なるべく自分で頑張りなよ」
「分かってる!」


課題のことなんてすっかり忘れていた。
あぁ、そうだ。あの時もみょうじさんの表情が曇っていてそっちに気を取られてたんだと思う。
普通に授業を受けていただけなのに先生に何か言われたわけでも無いのに彼女は教科書に視線を落として珍しく表情を曇らせたままだった。


山口と別れて教室へと戻る。
明日も古文の授業があるから持って帰らないと提出出来ない。
既に廊下の外は暗くなりつつある。
今日は社会人バレーの方には顔を出せそうに無いな。日向に付き合ってブロックの個人練習が長引いたのだ。
「行けそうにない」と兄へと連絡して教室へと足を踏み入れた時だった。


「みょうじさん?」


正直まだ人が残ってるとは思ってなくて教室で人影を見付けて心底驚いた。
と同時にそれが彼女だったから僕は声をかけた。
彼女は自分の席に座ったまま顔を上げる。


『月島君?』
「もう暗いけど何やってるのさ。確か帰宅部だったでしょ?」
『あぁ、もうそんな時間か』
「何をしてたの?」
『進路が決まらなくて』


先に古文の課題を回収してから彼女の元へと足を運ぶ。
言われた通り机の上には白紙のままのプリントが置いてあった。
僕を見上げたままみょうじさんが控えめに頬笑む。
それはいつもとは違ってどちらかと言うと陰りのある笑い方だった。


「明日でもいいんじゃない?」
『でも今日中って言われたし』
「この時間だと担任はもう帰ってるんじゃないかな」
『あ、そっか』
「暗いしそろそろ帰った方がいいよ」
『そうだね。月島君は何で?』
「古文の課題忘れて取りにきたんだよ」
『あ、私も忘れてた。ありがとう月島君』
「別にお礼を言われるようなことはしてないよ」
『月島君に言われなかったらすっかり忘れてたから』


進路の紙と古文のプリントを鞄にしまってみょうじさんがゆるゆると立ち上がった。
さっきまでの陰りはそこには無い。


「送ってこうか」
『え、いいよ。大丈夫』
「もう暗いよみょうじさん」
『ほんと大丈夫だから』
「それならいいけど。じゃあ校門まで一緒に行こうか」
『それなら是非』


僕の申し出に彼女は即座に許否をした。
頑なと言っていいほどの断りかたで少し面食らってしまった。
嫌われているのかと思ったけれど隣で普通に会話を続けながら歩いてくれている。
送っていくってことだけが何故か彼女は嫌だったようだ。


『月島君は進路決まったの?』
「そうだね。県内の大学何校か絞ったよ」
『そっか』
「何をそんなに悩んでるの?」
『え』
「みょうじさんは頭もいいし悩むことなんて無いと思うけど」
『色々あるんだよ』


これはやんわりとした拒絶だなと思った。
自分から話題を振ったのにそれは卑怯だと思うよみょうじさん。
けれど『色々あるんだよ』と呟いた彼女の表情が再び陰ったのを見て追求するのは止めておいた。
と言うかそれ以上何も聞けなかった。
彼女はいったい何を隠しているんだろうか?


みょうじさんとは校門で分かれて帰宅した。
家の方向が逆で半ば残念のような半ばホッとしたような複雑な気持ちになる。
知りたいような知りたくないような。
彼女とちゃんと話したのはこれが初めてなのに何故かもっと気になる存在になってしまった。


「蛍、おかえり」
「練習は?」
「蛍が来ないって珍しいから様子見にきた」
「別に。日向の練習に付き合ってたら遅くなっただけ」
「いつもだったらこのくらいの時間からでも顔出しに来るだろー」


こんな時に珍しく兄貴が帰っていた。
庭へ繋がる窓を開けてそこに座っている。
全くどうしてこんな日に限って目敏いのか。
あぁ、違う。兄貴が目敏いのはいつものことだ。


「何かあったのか?」


心配そうにこちらを覗くその瞳に僕は弱いのだった。
わざとらしく大きく息を吐いてその隣へと座る。夕飯まではまだ時間もあるだろうし親には知られたくないからここで話すのが手っ取り早いだろう。


「じゃあ蛍はその子のことが好きなんだなー」
「はぁ?そんなこと言ってないでしょ」
「だってその子が暗い顔をするからそれが何でか気になるんだろ?それって好きだから気になるしどうにかしてあげたいと思ってるんじゃないの?」
「別にそこまで考えてないし」
「どっちでもいいけどさ。ちゃんと見ててあげろよ。そういう子って周りに心配かけたくなくてワガママとかも言わない子だろうから」
「言われなくてもそのつもりだよ」
「お、じゃあ答え出てるんだな」


母親に呼ばれてそこで会話は途切れた。
兄貴の「答えは出てるんだな」と言う言葉が頭に何回も響く。
そうか、答えは出てるんだな。
目敏い兄にげんなりしたはずなのに話してみれば何をしたらいいのか分かったような気がした。
僕が彼女に何処までしてあげられるかは分からないけれどやれることはやってあげたいと思ったのだ。


「みょうじ、今日中にはちゃんと出せよ」
『あ、はい。すみません』
「お前なら何処でも行けるだろ。奨学金だってあるし全額免除するとこもあるだろうしな。ま、この話は進路が決まってからだな」
『はい』


次の日の朝、みょうじさんは再び担任から進路希望の紙の提出を迫られていた。
僕が驚いたのはその後の言葉だ。
奨学金を貰って大学に行くことに驚いたわけではない。奨学金の有無は家庭環境によって人それぞれだ。
その後の全額と言う言葉に驚いたのだった。
確かにみょうじさんは優秀だ。
成績も常に上位にはいる。けれどそれだけのことで全額免除なんて有り得るのだろうか?
県で一番とかならまだしもみょうじさんの成績はうちの学年で上位にいるだけなのに。
みょうじさんはポンと首席簿で頭を叩かれている。
その首席簿の下でまた彼女の表情は陰るのだった。


部活が終わって適当に理由を付けて山口と別れる。
その足で僕は教室へと向かった。
みょうじさんがまだいるような気がしたから。
勘なんて信じてもいないのに何故かその信じてもいない僕の第六感がそう告げたのだ。


「あぁ、やっばりまだ居たんだね」
『月島君?』
「まだ進路決まらないのみょうじさん」
『う、ん』
「どうして?」
『え』
「だって君、頭いいでしょ?東大目指せるんじゃないの?」
『東大は大袈裟だよ。ちょっとまだ偏差値足りないし』
「まだ1年だし今から頑張ればいいんじゃないの?」


僕の頼りない第六感に従って良かったと思う。
昨日と同じようにみょうじさんは座っていた。
その背中に声をかけるとこちらを振り向いてまた昨日と同じようなあの曇った笑顔を見せた。
忘れ物を取りにきたわけでは無いのでみょうじさんの前の席へと座る。
僕のその行動に彼女は戸惑ってるようにも見えた。


『月島君?』
「何」
『今日はどうしたの』
「気になることがあって」
『うん』
「みょうじさんがたまに表情を曇らすのは何で?」


サッと視線が反らされて彼女は俯いてしまった。直球過ぎた質問だとは思う。
けれどもう僕は遠慮をしないことに決めていた。
理由が分からないままにしておきたくなかったから。


『話したくないよ』
「僕は聞きたいんだよみょうじさん」
『聞いても楽しくない話だし』
「君が楽になるとは思うけど」
『っ!』
「誰にも話したくないのは分かるけどそれに気付いた僕にくらい話してくれないかな」


狡い言い方だとは思った。
けれど遠慮ばかりしていては彼女の表情は陰るばかりだ。
どうにかしてあげたいだなんて傲慢で相手のことを何にも考えていない。
それでも僕はあんな表情をする彼女をもう放ってはおけなかった。


『誰にも、言わないで』
「みょうじさんがそう言うなら言わないよ」


僕の言葉に観念したようだった。
小さく息を吐いて決心したかのように彼女は顔を上げた。
そしてポツリポツリと話しはじめる。


『私、児童養護施設出身なの』
「は?」
『両親が居ないの。あ、違うな。確かにいるんだけどでももうずっと会ってない』
「どうして?」
『ネグレクト?って言うのかな。弟が生まれてからそんな感じになっちゃってそれで色々あって今の施設に引き取ってもらった』
「だから進路に悩んでたの?」
『そうじゃないよ。先生が言う通り私の成績なら授業料全額免除の大学もあるし』
「ならどうして」


正直、彼女の言った言葉に僕はかなり驚いた。
まさかそんな話だとは思ってなかったのだ。
けれどそれを態度には出さなかった。
そんなことしたら彼女を傷付けるだけだ。
彼女にそんな過去があるとは思ってなかった。


『私、生きてていいのかなって』
「いいに決まってるでしょ」
『親にも見放されて祖父母にも引き取り許否されて施設の人達はみんな親切にしてくれるけどそれも18歳までで。そうやって考えたら大学に行っても意味無いのかなって』
「みょうじさ」
『家族の話を聞くたびに心が痛いし。施設のみんなも家族だとは言うけれど里親決まって出てっちゃうこもいるし。私本当に独りぼっちなんだなぁって思ったらどうしていいのか分かんなくなっちゃった』


淡々と彼女は話を続ける。
生きてていいのかなってそんなの聞かなくても答えは一つしか無いよ。
話を終えた彼女は自嘲気味に薄く笑うだけだ。
そんな表情をさせたくない。


「僕はさ、君のこと最近気になって仕方無いんだよね」
『月島君?いきなり何の話?』
「だからさ、僕はいつも君のこと見てるよって話」
『え』
「そしたら少なくとも独りぼっちではないよねみょうじさん」
『月島君は優しいんだね』
「別にお世辞とかじゃないんだけど」


わざわざお世辞を言うためだけに部活の後に教室に来たりはしないよ。
けれど僕の言いたいことをいまいち彼女は理解していないみたいだった。


「僕と一緒にずっといればいいでしょ」
『え』
「僕の言ってる意味理解出来ない程バカではないよね」
『でも』
「僕のために生きてよ。きっとそれで楽になるよ」
『……甘えていいのかな』
「みょうじさんがそれで楽になるのならいいでしょ。僕は元々そのつもりだったし」
『同じ大学に行ってもいい?』
「それは駄目」
『え』
「みょうじさんが行きたい所に行けばいいよ。僕はその大学は無理にしろ近くの大学捜すから」
『でも』
「県外なら県外でもいいし、不安なら一緒に住んでもいいから」
『月島君気が早いよ』
「独りぼっちが寂しいって言うのならもう独りぼっちにはさせないって決めたし。と言うか決めてあったんだよ」
『決めてあったとかおかしいよ月島君』


僕のことを避難するような言葉だったのに彼女の表情が穏やかだったから全然嫌じゃなかった。


『本当に一緒に居てくれるの?』
「みょうじさんが良ければね」
『私は月島君がそう言ってくれて嬉しいよ』
「僕と一緒にずっと居てよ」
『月島君、ありがとう』
「別に。僕がしたいようにしてるだけだから」


ポロリとみょうじさんの瞳から涙が一粒零れ落ちる。泣かせたのかと焦ったけれど彼女の涙はその一粒だけだった。


「月島君結婚するの!?」
「はぁ?月島今年卒業したばっかだろ?」
「ツッキーおめでとう!」
「月島と結婚するやつの顔が見てみてぇ」
「別に二十歳越えたらいつ結婚してもいいでしょ。その方がなまえも安心するし」
「わ!みょうじさんとまだ続いてたんだね!凄い!」
「ツッキーは高校からずっと一途だったよ!」
「山口煩い」
「ごめんツッキー!」
「結婚式すんのかよ」
「何でそんな嫌そうに聞くのさ王様」
「王様って言うんじゃねぇ!」
「結婚式あるなら私も行きたい!」
「俺も行く!」
「結婚式って大々的にはやらないけどレストランウエディングはやる予定だよ」
「おい、月島」
「何」
「早めに言えよ。ちゃんと予定空けとくから。日向練習の時間だからそろそろ行くぞ」
「あ!じゃあまた連絡しろよな月島!」
「行っちゃったね」
「あんなに嫌そうだったのに影山も来る気みたいだねツッキー」
「王様も変わらないよねほんと」
「それは月島君もだよ」
「わざわざ一番に俺達に報告くれたんでしょツッキー!」
「別に。たまたまだよ」


紫季様リクエスト。
「夜、優しく光る月に照らされる桜」のイメージでとのリクエストでした。
書きたいことが書ききれなかった(゚Д゚≡゚Д゚)
もっとあれこれ書きたかったのに(´・ω・`)
リクエストありがとうございました!
2018/09/04

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