透明な彼女は何色にも染まる(御幸)

(やっぱ来るんじゃなかった)


高級料亭の一室、目の前に座る女を見て御幸は小さく息を吐いた。
季節は冬、プロ野球のシーズンも終わり来期の契約を無事満足する形で更新した御幸は先日自身のチームの監督に無理難題を吹っ掛けられた。
監督の旧友の娘との見合いだ。
遠回しに断ったところで監督は納得せず「会ってみるだけ会ってみろ」と押しきられて御幸は貴重なオフの一日をお見合いに費やすこととなった。
約束の場所に来てみれば芸能人やスポーツ選手、果ては財界人まで利用すると言う名高い高級料亭で、場違いだと思った彼は苦笑する。


「どうも、御幸一也です」
『椎名、凛と申します』


和装に包まれた彼女は御幸と視線を合わせるとそっと頭を下げる。


『御幸さんはプロの野球選手だと父に聞きました』
「そうですね。俺のチーム分かりますか?」
『すみません、あいにくスポーツには疎くて』
「女性にはあまり縁の無い世界ですから仕方無いですよ」


食事の合間に当たり障りの無い会話を続ける。
こんな見た目でも野球のことは詳しいのかもしれないと抱いた期待は拍子抜けするほどあっさりと外れた。
作った笑顔でフォローの言葉を掛けたものの沸いたのは後悔。
そして休日を無駄にしたという思いだけだ。


(次からは絶対に何が何でも断る。誰かに押し付けりゃ何とかなるだろ)


目の前の彼女は見た目の印象そのまま、話してみても何も変わらない。
見るからに箱入りで物事を何も知らなさそうに見える。
彼女は両親に言われるがままに育ってきたのだろう。
それが悪いことだとは思わないが、良いことだとも御幸は思わない。


「お父様は何をされてるんですか」
『父ですか?父は大学で野球の監督をしています』
「は」
『ですから大学で野球を』
「それは聞こえてる…お前、それで野球を知らないって言うのかよ」


当たり障りの無い会話、それとなく問いかけた答えに思わず素が出た。
それほど御幸には驚くことだった。
父親が野球と関わり、家庭を支えていると言うのに、目の前の女はそれを詳しく知らないと言う。それが彼には理解出来なかった。
御幸がまじまじと彼女を見つめると居たたまれなくなったのか視線を下げる。


『そうですよね。失礼なことを言って申し訳ございません』
「俺にって言うより父親に対してそう思うべきじゃね?」


元より興味のなかった見合いにみるみる仮面が剥がれていく。
断るよりも相手方から断ってくれれば角が立つこともないだろうと、態度を変える御幸に彼女はただ申し訳なさそうに俯いた。


『父のしていることは趣味の延長のようなものだと母が言っていたので…すみません。浅はかでした』
「は?ってことは家長は父親じゃなくて」
『母が祖父の会社を継いだので』
「あぁ、そういうこと」


苛立ちを隠しもせずに吐き捨てた一言に彼女は更に縮こまる。
野球で生きてきた人間に趣味の延長などと言えばこうなるのも当たり前だ。
御幸はそんな彼女の態度も気に入らない。


『あの』
「わり、帰るわ」
『失礼なことを申しました』
「俺は別に構わないけど、もう少し親父さんのこと知ってやれば?母親の言うこと鵜呑みにしてるだけじゃ駄目だろ」
『…そうですよね』
「じゃあこれで。あ、帰りは」
『車を待たせてありますので』
「あそ。じゃ、気を付けて帰れよ」
『はい』


会食の最中にも関わらず御幸はおもむろに立ち上がる。
一応と気遣いの言葉を掛けるも表情は険しいままその場を後にした。
もう二度と会うこともない女。そう切り替えてタクシーに乗り込む。
家に着く頃には彼女のことはすっかり頭から消えていた。


***


「は?」
「だから先方からまた是非とも会いたいと連絡があってだな。なかなか可愛いお嬢さんだったろ?良かったなぁ御幸」


数日後、監督からの連絡に御幸は唖然とした。
あれだけ態度に出したのだから連絡があったとしても断りのものだと思っていたのだ。
その予測が外れたため電話の向こうで笑う監督に上手く言葉を返せずにいる。


「いや、俺は別に」
「お嬢さんえらくお前のことが気に入ったらしくてなぁ。いやぁ、俺もホッとした。どうだ、今度俺の友達と三人で呑みにでも行くか。あいつも捕手やってたから勉強になるぞ」


不味いことになったと心の中で舌を打つ。
何がどうなって乗り気になったのか皆目見当も付かないが、生憎御幸はそうじゃない。
どちらかと言えばあぁいうタイプの女は苦手なのだ。


「あの、俺は監督が会うだけ会ってみろって言うから行っただけなんですけど」
「なんだぁ、彼女は居ないって聞いたぞ」
「それはそうですけど、上手くやれる気がしません」
「そりゃ当たり前だ。まだ一回しか会ってねぇだろ。とりあえずもうちょっと会ってみろって。そしたら印象変わるかもしんねぇぞ」
「オフはみっちり鍛える気でいるんですが」
「24時間鍛えるわけじゃねぇだろ?お前が休息日作ってんの俺は知ってんだぞ」


遠回しに断ったところで通用するはずも無く、監督は執拗に次の約束を決めさせようとする。
断る理由を捻り出すも次々にそれを潰すものだから御幸は渋々予定を作るしかなかった。


(何でこうなった?気に入られるようなことしてないよな?どっちかっつーと印象悪いはずだろ?まぁ次会う時に直接断ればいいか。あぁいうのは直接言われたら折れるはずだ)


二度目は世界に幾つも展開している高級ホテルのラウンジ。
待ち合わせ時間ぴったりにホテルに足を踏み入れた御幸はまたもや場違いな雰囲気に苦笑いを漏らす。
普段ならば彼は五分前行動を厳守している。
二度と会うはずのない女に再び会わなければならない。そんな後ろ向きな気持ちが行動に現れ五分前行動が出来なかった。


「どーも」
『こんにちは』


ラウンジに入ると直ぐに相手は見付かった。
窓側の、ラウンジから入って正面の席に彼女は座っている。
前回の振り袖とは違い今日は極普通の洋装。それでも御幸から見た彼女の印象は変わらない。
軽い挨拶を交わし対面のソファへと腰を下ろす。


『本日は来ていただきありがとうございます』
「こっちに予定合わすって言われたらな」


前回とは違い御幸は最初から素の自分を隠そうともしない。
注文を取りに来たウェイターに珈琲を注文して正面から彼女を見据える。


「それで?俺を気に入ったなんて嘘だよな?そんな素振り無かったと思うんだけど」
『それは…』


珈琲を一口飲むと御幸は早速本題に入った。
元より回りくどいことは苦手なのだ。さっさと断りを入れて帰りたかった。
御幸の真っ直ぐな視線から逃れるように彼女は視線を落とす。


「俺としては」
『父のことを知りたくなったのです』
「は?」
『先日御幸さんに言われたことをよく考えてみたのです。私、今まで父の仕事のことなど何も知らなくて…父は家庭に仕事を持ち込むようなこともしませんし。ですから、御幸さんに野球のことを教えていただきたいのです。失礼なことは百も承知しております』
「それをプロの俺に言うのかよ」
『…すみません。貴方に興味が湧いたのも事実です。過去にあのようなことを言われたことは無かったので…それで』


意外な申し出に御幸は顔を顰める。
箱入りお嬢様は言い出すことも規格外だ。
プロ相手に野球のルールすら知らない素人が教えを乞うだなんて聞いたこともない。
プロの世界を知らないからこそ言えた言葉だろう。
過去に流れでそういった話に付き合うことは少なからずあった。それも酒の席の延長のこと。
真っ昼間から面と向かって言われたことは一度もなかった。
大抵の女はある程度、野球の基本的な部分を先に勉強してから対話を望んでくる。
何もかも、彼女は過去に出会ったどの女性とも違う。
呆気に取られて二の句が継げない。


『あの、どうかされました?』
「あー…その向上心は悪く無いんじゃね。けどほぼ初対面の男に頼むことじゃないと思うけど」
『それは承知しております』
「なら俺の答え」
『一人では限界があるのです。それを教えていただきたくて』
「は?」


御幸の態度など関係無いかのように彼女は言葉を続ける。
おもむろにタブレット端末を取り出し御幸に見えるように動画を再生した。
それは御幸の所属するチームのシーズン最後の試合。成宮鳴の所属するチームに負けて日本選手権シリーズへの切符を逃した試合だ。
その試合を通して納得出来たこと、プレーの流れが理解出来なかった箇所を彼女は次々に語る。
またも御幸は二の句が継げなくなった。


「なんだやれば出来んじゃん」
『何も知らずにお願いするのは失礼かと思いまして空いた時間に野球に関する書籍を読みました。ルールをある程度理解したところで御幸さんの試合を観たのですが、動画となると難しいですね』


彼女に対するイメージが変化する。
行動力が無くて母親の言いなりの図々しいお嬢様。そんな負のイメージが払拭されていく。
頭は悪くないのだろう。彼女の疑問は試合の浅いところではなく深い部分に対するものだ。
目の前の女は真剣に、何も知らなかった野球のことを理解しようとしている。
見る目が変われば彼女に対する態度も変わっていく。
彼女の疑問に御幸は一つ一つ丁寧に答えていく。
一つ前の質問を踏まえて次の質問をしてくるので説明するのも楽しかった。


(高校の時の沢村より飲みこみ早いかもな)


過去のことを思い出す余裕まで生まれてきた。
社会人野球で奮闘している後輩を思い出し一人ほくそ笑む。
野球談義をしているだけだと言うのに時間はあっという間に過ぎていき、気付いた時には二人の珈琲はすっかり冷めていた。


『今日はありがとうございました』
「これで親父さんのこと少しは理解出来るだろ」
『監督も大変なんですね』
「野球だけじゃなくてどのスポーツもそうだと俺は思う。ま、選手としては監督の期待に応えるのが楽しいんだけど」
『そういうものなのですね』
「野球が一番面白いよ」
『それは御幸さんと話していてわかりました。知れば知るほど奥が深いですから』


数時間が過ぎ、話が一段落したところで帰ることとなった。
ホテルを出て、タクシーで帰ると言う彼女を乗り場まで送る。
御幸の中の彼女に対する最初のイメージはすっかりと払拭された。


『あの、またお誘いしても良いですか?捕手のことも投手のことも内野手のことも外野手のこともまだまだ知りたいことが沢山あります』
「オフシーズンの月曜日なら大抵空いてるけど」
『ではまたお誘いさせてもらいますね』
「あーわかった」


彼女を乗せたタクシーを見送りながら御幸は苦笑する。


(来るまでは二度と会わない誘わないでくれって言おうと思ってたのにな。何やってんだか)


「ま、いいか」


ふっと表情を緩め御幸もタクシーに乗り込んだ。
運転手に行き先を告げ、ぼんやりとつい先程まで会っていた女のことを思い出す。


(まさかあそこまで真剣に野球のこと勉強してくるとはなぁ)


彼女は初歩的なルールを完璧に覚えていた。
細かいところは曖昧ではあったものの、説明すれば直ぐに理解する。
まるでスポンジのようだ。水を吸い込むスポンジのようにみるみる野球の知識を吸収していく。


(さて、どこまで付いてこられるか)


自身の感情の変化を楽しんでるかのように御幸は口元に笑みを作る。
それは来るまでには無かった全く新しい感情だった。


***


年が明け、シーズンが始まり、気付けば彼女と出会ってから半年以上が経過していた。
御幸と彼女の奇妙な関係は続いている。
オフとは違いシーズン中は会うのも月に一、二回程度。恋愛関係とは程遠く、会話の内容は野球が中心だ。


『先日、父の試合を観に行ってきました』
「へぇ。どうだった?」
『直接観ると言うのは難しいものですね。気を抜くと置いてかれてしまいます』
「映像だとその辺、見直せるからなぁ」
『そうなんです。ですが、臨場感は味わえたと思います。あの場に居なければわかりませんね』
「楽しめた感じ?」
『はい、とても楽しかったです。御幸さんのお薦めしてくださった差し入れを持っていったら皆さんとても喜んでくださって。父も嬉しそうでした』


名古屋での三連戦から戻ってきた翌日、彼女からランチのお誘いがあった。
断る理由もなく、応じれば会うなり嬉しそうな表情の彼女。
つい半年前までは野球のことなど微塵も興味ないように見えた彼女の変化に御幸も嬉しそうだ。


「そりゃ良かった」
『これも全て御幸さんのおかげです』
「自分が努力した結果だろ?おかげで俺も退屈しなかったしな」


ふと会話が途切れた。あるはずの返事がなくなると言うのは気まずいものがある。不思議に思った御幸が対面に座る彼女の様子を窺えば何か思い悩んでいるように見えた。
視線を落とし、口を開いては閉じることを繰り返している。


「あー何かあった?急に黙ったけど」
『あの、まだまだ未熟だとは思うのですが』
「ん」
『御幸さんの試合を観にいっても良いでしょうか?』
「は?」


突然の変化に戸惑いながらも問いかけると、彼女はゆっくりと口を開く。
何かもっと違うことを言われるかと身構えていた御幸は口をぽかんとして静止した。


『やはりまだプロの試合は早いでしょうか』
「あぁ、えっと、それってチケットを取れとかそういうことだったり?」
『いいえ。チケットは母の会社で年間シートを取ってるので大丈夫です』
「はは、やっぱすげぇな。それなら別に気にせず来ればいいんじゃね?野球が好きなら早いも遅いもないだろ」
『そうでしょうか?大学野球ですら流れに付いていくのがやっとだったのに』
「試合の流れなんてそこまで変わんないって。俺の試合観たくなったのなら来てみれば?」


この半年間で彼女への感情は少しずつ変化している。
苦手意識が興味に変わり、少なからず好意は生まれていた。
遠慮した様子の彼女に御幸は表情を緩める。
自分の試合を観たいと思ってくれるのならば反対も何もない。むしろ歓迎したい気持ちでいっぱいになった。そうして彼女が自分の試合を観て何を思うのかも知りたかった。


『はい、御幸さんがそう言ってくださるなら』
「あ、来る日は教えてほしい。せっかくなら良いとこ見せたいし」
『行かなくとも結果は出さなくてはいけないのではないですか?』
「それはプロなら当たり前。けど気持ちの入りようが変わるんだよなぁ」
『そういうものですか』
「ん、そういうもん」
『では日にちが決まったら連絡しますね』
「わかった」


御幸の返答によって緊張していた彼女が柔らかな笑みを見せる。
最初はただ相手に合わせて微笑んでいるだけに見えた彼女の笑い方にも違いがあると知ったのはつい最近だ。
日を追うごとに彼女のことをより知りたくなっている。
一向に関係が変わらないことを監督にせっつかれることにも辟易していた。


「あ、それと」
『何ですか?』
「俺としては話を進めてみたいと思ってるんだけどその辺どう思ってますかね?」


投げかけた言葉に彼女は直ぐに変化を見せた。
みるみる頬が染まり気恥ずかしそうに視線が逸らされる。


「その様子見れば何となく予想は出来るけど、直接教えてくんない?それともやっぱ野球のこと教わりたかっただけ?」
『それはないです。絶対に、それだけはないです』
「ならどうすんの?」
『御幸さんは本当に私で良いのですか?』
「質問に質問で返すのは反則。それに俺はもう答えが出てるよ。伝えたろ?」
『…私も、進みたいと思ってます』
「やれば出来るじゃん」


可愛らしい態度に加虐心をくすぐられた。
ほんの少し意地悪をしてみたくなった御幸の言葉が彼女を翻弄する。
気恥ずかしそうにしながらも彼女は辿々しくそれに答えて見せた。


『御幸さんはもっと大人な方だと思いました』
「何が?大人って俺達同い年だよな」
『先程の言い方は意地悪でしたよ』
「反応が見たかったからつい、な。悔しかったらやり返してみればいいんだって」
『私に出来るでしょうか?』
「やろうと思えば出来んだろ。野球だってそうやって色々覚えてきたんだから」
『御幸さんがそうやって言ってくださったら何でも出来そうな気がします』
「そうやってどんどん成長してって。俺も楽しみにしてるから」
『わかりました』


ランチが終わり、彼女をタクシーまで送っていくまでの間。御幸は初めて彼女に触れた。彼女の手を取りリラックスした様子で歩いている。
彼女がこれから自分と関わってどう変わっていくのか楽しみだ。


「家の人の都合聞いといて。挨拶くらいは早いうちに行きたいから」
『御幸さんの試合スケジュール見ながら予定立てておきますね』
「何か出来た奥さんって感じだな」
『そ、それは!』
「へぇ、意外と大きい声も出せんだ」
『からかわないでください』
「反応が見てて楽しいからなぁ。それは無理」
『そ、そういうところですよ』
「言い返せるようになったのは偉いな」


仲睦まじく歩く二人の写真が雑誌に載るのは一週間後のことだった。
マスコミやチーム関係者、昔からの仲間にあれこれ聞かれて大変だったのは言うまでもない。


20210924




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