旬は短し愛せよ乙女

お母さんの口癖のひとつに「女の子は旦那さん選びさえ間違えなかったらいいのよ」って言葉がある。
「お父さんみたいな素敵な旦那さんを選びなさい。そのために女の子がやることは自分磨き。ただそれだけよ」こんな言葉だ。


お父さんの口癖のひとつに「今の世の中可愛いだけじゃお父さんのような男は捕まらないぞ。馬鹿じゃ駄目だからな。やることはやるんだ凛。あ、母さんは特別だからな」って言葉がある。
遠回しにお母さんのことをディスってる気もするけど、言いたいことはなんとなくわかった。
良い男を選ぶためには良い男に釣り合う女になれってことなんだと思う。


そうやって一見相容れない二人の意見を取り込みながら成長した私は高校三年になった。


「凛ちゃんそろそろ彼氏は出来た?」
『え、居ないけど』
「本当に?隠してるんじゃなくて?お母さんがお父さんと出会ったのも高校生だったのよ」
『それは何回も聞いてるよ』
「女の子の旬は短いんだから恋しなくちゃ駄目よ」
『それも何回も聞いたなぁ』


そもそも今日が三年の始業式であって彼氏も何もない。
クラス替えもあるから見知った顔ばかりってわけでもないしなぁ。
この二年間は自分磨きに集中してた。
ダイニングテーブルに座れば朝食を配膳しながらお母さんが口を開く。
便乗してお父さんも新聞から顔を上げた。


「あのこはどうだ。ほら野球部の」
『野球部?』
「青道は春の選抜に行っただろう?キャッチャーの男の子なかなかイケメンだったじゃないか。プロのスカウトも注目してるって聞いたしな」
「野球部なんて坊主の集まりじゃない」
「いやいや母さん、青道はそうじゃない。選抜も惜しかったもんなぁ」
『野球部ねぇ』


普通の父親だと「彼氏なんてまだ早い」とでも言いそうなのにうちのお父さんはそうでもないらしい。
野球大好きだから春の選抜の試合観てたんだろなぁ。何なら観れない日は録画までしてた。
野球部の捕手ってことは多分御幸一也のことだ。
顔と名前は把握してる。同じクラスになったことはないから話したことはないけど。
言われるがままに顔を思い出してみれば確かにイケメンだ。
かといって接点は無いし、卒業まで話すことはないだろうなぁ。
そんな風に朝までは思っていた。


『あ』
「あ?」


始業式、クラスを確認して教室にやって来てみれば御幸一也本人が私の席の隣に座っていた。
思いの外声が大きかったらしく俯いていた御幸が顔を上げる。
パチリと視線が重なって私は表情を作り込んだ。
間抜け面のままじゃ人と話せない。


『初めまして。私は椎名凛。野球部の御幸君?だよね?』
「そうだけど」
『隣の席だしこれから一年宜しくね』
「此方こそ。椎名サンて聞いてたよりずっと普通なんだな」
『…は?』
「や、何でもない」
『何でもないって、人に普通って言っておいて?』


作り慣れた余所行き顔で愛想を振る舞ったはずだったのに御幸一也からの返答は「普通の女」
聞いてたってことは私の評判を誰かから聞いてたはずだ。しかも多分悪くない評判を。
にも関わらず私に「普通」だなんて言う男に今まで会ったことがなかった。
面食らって危うく表情が崩れるところだったし。
取り繕って穏便に話を進めようとしたところで御幸一也が吹き出した。


「それ。その顔すげぇ面白い」
『…御幸君って性格悪いんだね』
「椎名サンて初対面の人間にそんなこと言うんだ」
『そっくりそのまま言葉をお返しします』
「俺は性格悪いの自覚してるんで」


学校中の評判になるくらいの私を「すげぇ面白い」と笑い飛ばしたのは後にも先にも御幸一也だけだろう。
お父さん、私絶対に御幸一也にだけは恋しないから。
これ以上続けても身のなる話にはならないと判断して会話を打ち切った。
キャッチャーは性格が悪い。
また一つ私の脳内メモに情報が足されたくらいだ。
お父さんオススメの御幸一也は無しの方向で。
私の御幸への最初の印象は最悪だったと言っても良いだろう。


『ねぇ、野球って面白い?』
「野球部相手にその質問すんのかよ。と言うか椎名サンから話し掛けてくるなんて珍しいな」
『お父さんが煩くて』
「は?」


始業式から早くも数週間が経過した。
両親に御幸一也と同じクラスだったと報告したのが間違いだった。
何かあるたびに二人があれこれ聞いてくるのだ。
お母さんは選抜の録画を観たらしく急に乗り気になった。
お父さんは単に娘の恋愛云々じゃなくて野球部の御幸に対する興味だろう。
あんまり二人が煩く言うから何となく御幸に興味が湧いただけだ。
クラスにいる時の御幸は大抵席に座って静かに何かを眺めている。
口を開くのもたまに同じ野球部の倉持君と話してる時くらいだ。
何を毎日熱心に眺めているのか、それも気になった。
私の言葉に御幸は顔を上げて眉を潜める。


『お父さん野球大好きなの』
「あぁ、そういうこと。それならオトーサンに聞けば良いと思うケド」
『面白いに決まってるの一点張りだから』
「ふーん。試合観たりしねーの?」
『ルールわからないし』
「観もしないで面白いって聞いても理解出来ないだろ。俺が面白いって言っても信じないよな?」
『そんなことないよ。御幸君が言ったら信じる』
「建前だけ言われてもなぁ」
『…御幸君ってほんと性格悪い』
「いやいや、椎名サンには負けると思うよ?」


言われたことをそのまま信じてくれたらいいのにさらっと本音を見抜かれた。
長年培ってきた私の愛想が通用しないなんてどうして?性格悪いってだけじゃない気がする。
言葉を返せずにいると御幸はまた私を笑う。


「椎名サンが長年大事にしてきた物をそれって楽しいの?って言われたらムカつくだろ?」
『…わかった。変な質問してごめん』
「何?やけに素直に謝るじゃん」
『これ以上誰かさんに性格悪いって思われたくないの。それに…御幸君の言うことが正しいと思ったから』
「素直になったかと思ったら全然素直じゃねーな」
『これでも悪いと思ってるし謝ってるよ』
「変に取り繕うより今みたいに素直に喋ってる方が可愛げあるんじゃね」
『は?』
「はは、すげぇ間抜け面してる」
『やっぱり性格悪い』
「何とでも。兎に角、知ろうともしてないヤツに面白いかどうかなんてわかんねーよ」


今の会話は全面的に私が悪い。
私だって自分が今まで努力してきたことを軽い気持ちで楽しいか問われたらムカついてたと思う。
だから反省して謝罪したと言うのにまた笑われてしまった。
笑うだけ笑うと御幸は表情を引き締める。
きっと最後のが一番言いたかったことなんだろう。
痛いところを突かれて口ごもる。
確かに私は野球のことをろくに調べもせず、御幸に上っ面の質問を投げ掛けた。
これじゃ手酷く返されるのも仕方無い。
何も言い返せない私に御幸はふっと表情を緩める。


「とりあえずルール勉強してうちの練習試合でも観にきてみれば?それなら少しくらい理解出来るだろ。ま、椎名サンはそういうのしなさそうだけどさ」
『…日焼けするよね』
「すげぇ予測通りの反応するんだな。それなら野球好きの親父さんとプロの試合観てみりゃいいんじゃね?仲良いんだろ?」
『それくらいならいけそう』
「試合観ながらのがルール理解しやすいだろうし、野球好きなら喜んで教えてくれるだろーよ」


御幸の雰囲気がいつも通りに戻ったところで肩の力を抜く。
いつの間にか雰囲気に呑まれてたみたいだ。
多分、あの引き締めた表情が野球をしてる時の御幸なんだろう。
家でお父さんとプロ野球の試合を観てルールの勉強をしてみてもいいけど、なんとなく野球している御幸が見たくなった。


『あ、ねぇそれなら御幸君が教えてよ』
「面倒。そんな暇無い」
『今は?』
「スコアブック読みながら会話くらいなら出来るけど、ルール説明は面倒」
『スコアブック?』
「試合のスコアな」


駄目元でおねだりしてみたらあっさりと拒否されてしまった。まぁこれは想定内。
想定外だったのは御幸がもうこっちを見てもいなかったこと。
凄く可愛い私をコンセプトにお願いしてみたのに全然効いていない。
いつものように何かを見てるから隣の席からスコアブックなるものを覗きこむ。
記号の羅列が並んでいて理解不能だ。


『全然何書いてあるのかわかんない』
「そりゃルールも知らないやつにわかるわけねーよ。何、真剣に野球のルール覚える気になった?」
『少しだけ。御幸君がそこまで言う野球気になるよ』
「ならゴールデンウィークにでも試合観にくれば?」
『そうだね。気が向いたら』
「結局素直じゃねーなぁ」
『私にも予定とか色々あるの』
「ふーん」


ここで会話が途切れた。
御幸は手元のスコアブックに没頭してるように見えたし、私も色々と考えたかったからこれ以上話し掛けるのは止めておいた。
本当のこと言うなら野球のルールを覚える気になったんじゃなくて、野球しか見ていない御幸にちゃんと興味が湧いたんだ。
御幸は本当に野球のことしか考えてない。
数週間しか観察してないけど、多分そういう男なんだと思う。
こういうタイプの人間に会ったのは初めての経験で、最初はただイヤな男だと思っていた、御幸だけには恋しないと思っていたのに芽生えたのは反対の気持ち。
興味が湧くってのは恋の第一歩だって聞いたことがある。
あぁ、厄介な相手だ。
それでも何故だか芽生えた気持ちにワクワクしている自分が居た。


『は?』
「ゴールデンウィークは一軍遠征で居ないよ」
『そ、そうなんですか?』
「その反応、気になるやつでも一軍にいるんだなお嬢ちゃん」
『そ、そういうわけじゃないんですけど』
「まぁ何でもいいわな!せっかく来たなら観てくよな?二軍の試合もなかなか楽しいぞ!」


お父さんにプロ野球の試合を観ながら教えてもらったおかげで簡単なルールは覚えた。
だからその気になって青道の試合を観に来たのに肝心の御幸がグラウンドに居ない。
グラウンド周りをうろうろしながら御幸を探していたら試合を観戦してる集団に遭遇した。
親切そうなおじさんに『練習試合に出てるのはこれで全員ですか』と聞いてみたらまさかの一軍は遠征で居ないとの返事。
御幸、やっぱり性格悪い。
そんなこと一言も言ってなかった。
確かに御幸を観に行くとは言ってない。御幸も御幸で俺の試合とは言ってなかった。
けど、あの御幸のことだから絶対にわかってて言わなかったような気がする。
休み明けにこれを突っ込んだところで何食わぬ顔をしてすっとぼける御幸が容易に目に浮かんだ。


日焼け止めまで塗って日傘持参で来たのに。
ここで帰ったら負けのような気がしておじさん達が空けてくれたベンチに腰をおろす。
こうなったら御幸が関心するくらい野球のルールを覚えて帰ってやる。


あれよあれよと恋の沼に落ちてる自覚は残念ながらある。
気が付いたら好きになってたとかじゃない。
多分、逆だ。好きにならないって意識した時点で私は御幸のことを気になってたんだと思う。
そりゃそうだよね。何とも思ってない人のこといくら親に薦められたからって普通は好きにならないって意気込んだりしないんだから。
しかも相手はあの御幸。
旬なうちに好きになってもらえる自信は皆無。


『ほんと厄介だなぁ』


二軍の試合を観ながらポツリと呟いた言葉はおじさん達の喧騒に飲み込まれた。
プレーでわからない時は聞けば誰かしらが答えをくれる。しかもお父さんよりわかりやすい解説付き。
御幸をもっと知るためにも、今は野球を優先しよう。
それがきっと自分のためになるような気がした。


旬過ぎちゃったらどうしよう。
こればかりは相手が御幸だから全然想像出来ない。
あぁでもお母さんが「恋は素敵なのよ」って言ってた意味は理解出来るような気がする。
だって野球になんて全く興味なかった私が練習試合観に来てるんだもん。
しかも御幸は居ないって言うのに笑っちゃうよね。


休み明け、何て報告してみようか。
御幸がどんな顔をするのか今から楽しみだ。
まぁ、多分大した反応はくれないんだろうけど。
それでも御幸は私の話に相槌をくれるんだろう。スコアブックを眺めながら。


20210818




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