ぬくもりに甘えて(御幸)

『御幸いる?』
「おお、そこ座ってんぞ」
『ありがとう』


昼休み、御幸のクラスへと顔を出す。
ばったりと倉持に出会して、居場所を尋ねてみれば指を差して教えてくれた。
座ったまま熱心に何かを眺めている。
三年になってもルーティーンは変わらない。
去年を思い出して笑ってしまった。


『相変わらずだね』
「おお」


声を掛けても御幸は顔を上げようとしない。
少しくらい誰に声を掛けられたか考えてくれても良いはずなのにそんな素振りは微塵もない。
こういうところもなんだか御幸らしい。
昼休みの喧騒も耳には入らないらしく熱心にスコアブックを眺めている。


『降谷の話なんだけど』
「降谷?なんかあったのか?」


話を切り出したところでやっと顔を上げてくれた。
野球関連の話にならないと興味を持ってくれないのもいつも通りだ。
怪訝そうな御幸を首を振って否定する。
御幸が心配するようなことじゃないよ。


『去年のこと考えて早めに夏バテ対策しとこうと思って』
「あぁ、そっち。椎名に任すわ」
『え』


去年の夏、降谷はなかなかこっちの夏に慣れなくて苦戦していた。
今年はそうならないようにと幸子、ナベ君達と話し合ったのだ。
それをまとめて主将に報告しに来たのだけどあっさりと丸投げされてしまった。


「何?」
『や、まだ何にも説明してないよ』
「いいって。俺、椎名のこと信頼してるし」
『〜っ、…ならいいけど』


中身を聞くでもなく御幸は私達の行動を認めてくれる。
ナベ君達がいるのもわかってるんだろうけど、「信頼してる」に狼狽えて咄嗟に返事が出来なかった。こういうところは本当にズルい。


「勿論他のマネージャー達もな。ナベ達もいるんだろ?」
『そうだね』
「んじゃ任せた」
『わかった。一年の夏に弱そうなこもピックアップしとく』
「それなら奥村も加えといて」
『奥村君?夏苦手なの?』
「知らねぇけど俺の勘」


こっちの反応を知ってか知らずか御幸は涼しげな表情で話を続ける。
や、知られても困るしこれでいいのか。
顔も赤くなってないはず、大丈夫なはず。
態度も変なところはなかったはず。
そんなことより奥村君もリストに加えとかないとだ。
そうやって自分に言い聞かせて教室を出る。


「お前顔が赤いけどなんかあったのか?」
『〜っ!倉持に関係無いでしょ!』
「何だぁ?思いっきり動揺してんじゃねーか」
『何にもない!』
「ふーん」


購買に行ってたであろう倉持と教室を出たとこで再び遭遇した。
大丈夫だって言い聞かせてたところを突っ込まれてつい声が大きくなる。
倉持のニヤニヤ顔が恨めしい。
このまま話してると墓穴を掘りそうだからさっさと退散しよう。


「あんま御幸と喧嘩すんなよー」
『したことないよ!』


背中に投げつけられた言葉を振り向かずに否定して逃げてきた。
こんな顔を見られて変に勘繰られても困る。
自分の教室に戻ってやっと一息つけた。


マネージャーに向けてだとしても御幸からあぁやって言われるのはやっぱり嬉しい。
普段態度に出ることないのに御幸の些細な一言で気持ちが飛び出そうになる。
私の気持ちは誰も知らない。
仲の良い友達だって幸子と唯だって知らない。
さっきの倉持のからかいだってそこまでは見通してないはずだ。
午後の授業が始まったところでやっと嬉しさを噛みしめることが出来た。


部員とマネージャーの関係は意外と複雑だ。
彼らはまず私達をマネージャーとして認識する。
クラスメイトでもなく、後輩でも先輩でも同級生でもなく、女子でもなく、まずマネージャーが先に来る。
その関係上、必然的に距離は近くなる。
悩みも聞くし勉強だって教えるし恋バナだって聞いたりする。麻生の恋愛相談にだって乗ってる。
それは私がマネージャーだからであって、それ以上の何者でもない。
マネージャーだから気を許してくれてることもあるんだろう。
だからこそ、それ以上の何かにならないようにしていた。
気を付けていたはずなのにある日私はうっかりと落ちてしまったんだった。


それに気付いた時は酷く慌てた。
彼らは家族だ。みんな平等に同じ部員として大切なのに、この感情に気付いて上手くやれるか不安になった。
かと言って誰かに相談するわけにもいかない。
悩みに悩んだ結果、私は何もしないことを選択した。
部を辞めようかと血迷ったことを考えたりもしたけどそんなことしたら理由を問い詰められるに決まってる。それに、今更野球部を辞めるなんて考えてみたら出来るわけもなかった。
そうやって一年が過ぎた。
やってみればやれるもので私の気持ちは誰にも気付かれていない。
意外と自分の気持ちと上手く付き合えてる。


***


練習後、他校のデータをまとめた資料を高島先生へと運ぶ。
ナベ君達はまだ忙しそうで自ら役目を申し出たのだ。
そう言えば高島先生は御幸と仲が良かったな。
道すがらそんなことを考えてなんとなく嫌な気持ちになった。
御幸だけが先生を「礼ちゃん」と親しみを込めて呼んでいる。
それに邪な気持ちがあるわけじゃない。
そんなことはわかっていてもほんの少し嫌な気持ちになった。
高島先生が嫌いってわけじゃなくて、なんて言うんだろう?多分、羨ましくなったんだ。
あぁ、いけない。こんなことを考えてる場合じゃなくてやることはまだ沢山あるんだから。
頭を切り替えて監督室へと向かう。


『失礼します』
「椎名さん、何かあった?」
「多分ナベ達のデータですよ。昨日まとめてるの見たんで」
『御幸の言う通りです。まだ後から追加されるとは思うんですけど、とりあえずあるだけ持ってこうって話になって』
「そう、ありがとう」


神様の悪戯にしてはタチが悪い。
ノックして中に入ってみれば御幸が居た。
ひくつきそうな表情筋をグッと抑え込み、作成した資料を高島先生へと手渡す。
慣れたもので直ぐにいつもの表情だ。
ついでに確認したいことがあったので高島先生と話していると御幸は何故か動こうとしない。
まだ高島先生と話すことでもあったのかな?
邪魔しては悪いからと話を切り上げて外に出ると「じゃあ礼ちゃん俺も個人練習に戻るわ」と後ろから声が聞こえた。


「何?じっとこっち見て」
『まだ高島先生と話すことあったんじゃないの?』
「特にないけど」
『え?』


特になかったのなら残ってる必要ってあった?
御幸の行動が不思議で続く言葉を待ってたのに返事は無い。
カンカンと二人で階段を降りていく。
あれ何で無言?何かおかしいこと聞いた?
待てども待てども御幸からの返事はない。
変に静かで何だか居心地が悪い。


『御幸はさ、高島先生と仲良いよね』
「付き合い長いってのあるけど仲良いってのは違うんじゃね?礼ちゃん先生だし。何?ヤキモチ?」
『違っ!』
「ちょっ!」
『あっ!』


無言が気まずくて、空気を変えたくて、ただそれだけで口を開いたのが間違いだった。
御幸の言葉に動揺して最後の二段を踏み外したのだ。
手摺りを掴み損ねて二段思い切り落ちた。
そのまま地面へとへたりこむ。


「何やってんだよ。大丈夫か?」
『うん、ごめん』


ヤキモチって単語に動揺するなんてバカだ。
気恥ずかしくて上手く顔を上げれない。
呆れられるかと思っていたのに御幸の声は想像以上に心配そうで、それが余計に気恥ずかしさに拍車をかけた。
いつもみたいに半笑いで言ってくれたらまだ誤魔化しようがあったのに。


「立てるか?」
『ん、大丈夫そう』


御幸が腕を掴んで立ち上がらせてくれる。
鈍痛が足首に走るも何とか表情に出すのを堪えた。
これくらいなら軽い捻挫の類いだから大丈夫だ。湿布でも貼って寝れば治るはず。
階段から落ちて捻挫とかドン臭いし、マネージャーが怪我とか選手に顔向け出来ない。


「大きな音がしたような気がするけど大丈夫?」
「椎名が階段から」大丈夫です!』
「椎名さんが?」
『あ、ええと最後の二段を踏み外しただけなんで大丈夫です。心配させてすみま「礼ちゃんコイツ多分捻挫してる」
『ちょっ、御幸!』


高島先生まで出てきてしまった。
状況を説明しようとする御幸に声を被せて止めたのに何故か当人に捻挫がバレている。
これはマネージャー失格としか言えない致命的なミスだ。
階段の上から高島先生がこっちを見下ろしている。その視線がグサグサと突き刺さる。
穴があったら埋まってしまいたい。まさかの大失態だ。


「椎名さん、御幸君の言ったことは本当かしら?」
『あ、あの…でも湿布を貼っておけば明日には治ると思うので』
「捻挫は事実なのね?」
『…た、多分。あ、でも軽いと思います』


ジロリと見られて観念するしかなかった。
御幸はと言えば隣で小さく「礼ちゃん怒らすと怖えぞ」なんてわかりきったアドバイスをしてくれている。まるっきり他人事だ。


「念のため病院に行きましょう」
『いやでも』
「行くのよ」
『す、すみません』
「部長を呼んでくるから御幸君は彼女を車まで運んでくれるかしら?」
「わかりました」
『御幸は練習に』
「無理して歩いて悪化したらどうするの?軽い捻挫だと思っているのは貴女だけなのよ」
『は、はい』
「御幸君頼んだわよ」
「はい」


高島先生はさくさくと階段を降りて行ってしまった。残されたのは御幸と私の二人。
運ぶ?連れてくじゃなくて運ぶ?運ぶと連れてくじゃ似ているようで全然違う。
どうするのかと思ったら御幸が私の前にしゃがみこんだ。


『えっ』
「まぁ運ぶってこれしか無いよなぁ」
『私歩いて行けるよ』
「そんでまた礼ちゃんに怒られんの?これ以上やると雷落ちるぞ。俺は怒られたくねーの」
『でも、絶対に重いし』
「へえ、椎名は降谷より重い自信あんの?」
『それは…多分無いけど』
「ここでぐずぐずやってても戻ってきた礼ちゃんに怒られるだろうし俺の練習時間が減るよマネージャー」


御幸はズルい。的確に私の弱いところをつついてくる。
そんなこと言われたら、素直に従うしかなくなってしまう。
御幸に、おんぶしてもらうの?私が?
従うしかないにしろなかなか一歩が踏み出せない。


「そうやってるとそのうち誰か来て余計に恥ずかしくなると思うんだけど。沢村が来たら一気に広まんぞ」
『じゃあ…失礼します』
「何?しおらしいじゃん」


沢村になんて見られたら話が湾曲するに決まってる。
御幸に急かされて恐る恐る首に手を回す。
おんぶなんて、ここ最近誰かにされたことなんてない。
しかも相手が男子で、御幸なんて想定したこともなかった。
鼻で笑う御幸に上手く返事が出来ない。出来るわけない。
体重をかけると御幸がすっと立ち上がる。


「なんだ、全然軽いじゃん」
『軽くはないよ』
「あいつらより全然軽いだろ。オフの時見てただろ?あれすげー辛かったんだぞ」
『それは覚えてるよ』
「お前も一回ゾノでも背負ってみろって。辛さがわかるから」
『あーゾノが一番重たかったっけ?』


トクトクトクトクと心臓が早鐘を打つ。
御幸の背中は見てる以上に思ってる以上にがっしりとしていて、安定感があった。
背中越しにこの緊張が伝わらないか心配でしょうがない。
何気ないように会話をするのに必死だ。
顔が見えなくて良かった。
こんな顔絶対誰にも見せられない。


「さっきは悪かったな」
『え?』
「や、俺のせいで落ちただろ?」
『いやいや、そんなことないよ!』
「急に暴れんなって。落ちるぞ」
『ご、ごめん』
「ちゃんと捕まっとけ。直ぐそこだから」
『わかった』


御幸が動揺させるようなことを言うからだよ。
思わず身体が仰け反ってしまった。
背負い直されて離れた身体がまたくっつく。
御幸の髪の毛が頬をくすぐって感情が落ち着かない。


「椎名」
『な、何?』
「手、真っ赤だけど?」
『気のせい』
「熱くね?」
『気のせいだよ!』
「気のせい、ね」


御幸が喉を鳴らして笑う。
背中を揺らすから抗議するように胸元を軽く叩いておいた。
まだ大丈夫。これは単に私の反応をからかってるだけだ。顔は見られてないし気持ちだってバレてない。大丈夫だ。


「俺、お前のこういうとこ嫌いじゃないかも」
『は』
「ははっ!すげぇ声出たな」
『御幸は楽しんでるよね』
「んーまぁ?こんな機会二度と無いだろうし?」
『またそうやって面白がって』
「たまにはいいだろ?」


嫌いじゃないかもって何それ。
からかってるんだろうけど、そんな言葉1つにときめいてしまう自分が単純過ぎて嫌になる。
胸元叩くくらいじゃ伝わらなかったらしい。
人の気も知らないで、本当にズルい。
至って普通な御幸に気が抜けて肩に額をこつんと当てる。
あぁ、あったかい。御幸の体温だ。
考えてみれば御幸の言う通り二度とこんな機会はないんだから開き直って堪能したっていいかもしれない。どうせ御幸にはバレてないんだし、たまにはこういうのもいいよね。


「寝た?」
『こんな短時間で寝ないよ!』
「お、やっと調子が戻ってきたな」
『御幸におんぶされてるだけなことに気付いたの』
「ひでーなそれ。ま、あんま気にすんなよ。軽い捻挫なら直ぐ治るだろうし」
『あぁ、うん』
「周りには一応黙っとくからまた病院終わったら連絡して」
『わかった』


私が気にしてることを御幸はわかってくれてたんだろう。軽口の合間にフォローが飛んできた。
やっぱり御幸は凄いなぁ。
これもマネージャーとして部員達と積み重ねた信頼関係からきてるものだ。
それが誇らしくも少しだけ寂しくもある。


「何?落ち込んでんの?」
『少しだけね』


小さく吐いた溜め息は距離の近さからか即座に御幸に伝わった。
いつもなら我慢してたところだけど、思わず出てしまった。
御幸は多分意味を勘違いするはずだから少しくらい良いはず。今日は何故か柄にもなく甘えてしまう。


「とりあえず夏だな夏。今は俺もお前もそこ目指そうぜ」
『それは当然でしょう?全員一緒だよ』
「ま、そうなるか。んじゃあんま落ち込んでんなよ。あっという間に置いてかれんぞ」
『そうだね、落ち込んでる暇なんてないね』
「だろ?っと、着いたぞ。まだ部長来てないけど」
『大丈夫、待てるから。御幸は練習戻って。連れてきてくれてありがとう』
「運んだだけな。んじゃ連絡待ってるから」
『わかった』


御幸に背負われてあっという間に部長の車まで着いてしまった。
背中からそっと下ろされて、練習に戻る御幸を見送る。
腕が、額が、足も身体も御幸に触れられてた箇所全てが熱い。
この想いは今日だけにして、また明日からマネージャーらしく頑張ろう。
やけに身体中が暑くて、慌ててやってきた部長に熱があるのかと心配させてしまった。


「あれ?椎名居なくね?」
「あー早退って聞いた」
「ふーん、あいつが体調不良とか珍しいな」
「明日には出てくるだろ。椎名だし」
「…お前って」
「変な勘繰りすんなよ。せっかく部の雰囲気良くなってんだから」
「別にいいけどよ。面倒臭えなお前」


「ヤキモチ?」×おんぶで書いてみた。もっとドキドキさせたかったのに私にはこれが精一杯でした。
御幸は引退するまでマネージャーとは恋愛しないだろうなぁ。想っててもそこ止まりよね。
20200903




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