常夏カンパネラ【01】(雷市)

北校舎の一階にある家庭科調理室。
八月一日、夏休みだと言うのに私は朝からここで精を出している。


二年生になり調理部の部員は私一人になった。
頼りになる先輩達が卒業してしまい新入生の入部はゼロ。
四月に新入部員がゼロだった場合調理部は廃部と顧問に言われていた。
奮闘虚しく、入部希望者を見付けられなかったためあっさりと調理部は廃部が決まった。
そんな私がどうして夏休みに家庭科室にいるのか。それには訳があった。


それは五月のゴールデンウィークのこと。
廃部が決まり、泣く泣く部活関連の道具を片付けていた時だった。
コツコツと窓を叩く音がしてそちらを向くと外にクラスメイトの真田君が立っている。
近寄って窓を開ければ夏が近付きつつあるような温かい空気が中に流れ込んだ。


「何やってんの?」
『あーごめんね。今日は何にもないんだ』
「それは見ればわかるって」


前にもこうして真田君がやってきたことがある。その度に卒業した先輩達が真田君に作ったお菓子を分けてたのだ。
四月に入ってからは活動が停止してたため二年生になってここで真田君を見るのは初めてだった。


『調理部ね、廃部になっちゃうんだ』
「あー、そっか」
『真田君の休憩スポットって宣伝しとけば新入生入部してくれたのかもなぁ』
「それはないだろ」
『いや、あるでしょー』
「んで、どっか次の部活決まってんの?」
『全然決めてない。もう帰宅部でもいいかなと思って』
「じゃあ、うちのマネージャーやってみない?」
『…え?』


あまりにもあっさりと爽やかに真田君が言うものだから耳を疑った。
まじまじと真田君の表情を確認してみてもニコニコとしてるだけだ。
真田君の部活って野球部だよね?


『私が?』
「そう」
『野球部のマネージャー?』
「帰宅部で暇するよりは退屈しないと思うよ。うちの部、強いから」


真田君のニコニコとしていた表情がすっと引き締まる。
確かに帰宅部になってもやりたいことはなくて暇になりそうだ。
この日、真田君の誘いに乗って私は野球部のマネージャーになることを決めた。


五月六月七月は多忙の一言に尽きる。
初めてのマネージャーがここまで忙しいとは思ってもみなかった。
軽い気持ちで引き受けたことを後悔し、ひたすら与えられた仕事をこなす日々。
気付いた時には西東京大会の準々決勝で敗退し、三年生はあっさりと引退してしまった。


「ごめんな椎名」
「甲子園は雷市に連れてってもらえよ」
「真田もいるから大丈夫だ」
「一年のこと頼んだぞ」
「雷市の勉強も見てやってな」


私に謝ることなんて何もないのに。
真田君に誘われて、ただ暇じゃなくなるって考えだけで入部した私に先輩達は謝り倒す。
負けた瞬間、涙を流す部員達をただ見てるだけだった私に謝るだなんて…。
この日、高校野球と言うものを軽く考えていたことを痛感した。
決して舐めていたわけじゃない。私なりに出来ることを精一杯やっていた。
それでも、今までの考え方を改めなきゃいけないと感じた。


一心不乱に夏の頂点を目指す彼らのサポートをするのならば、私だって一緒にそこを目指さなきゃいけないんだ。


先輩達が引退した次の日から、今まで以上に頑張ることを決めた。
ネットで検索し野球部のマネージャーのやるべきことを調べたりもした。
野球のルールブックも読むようになったし、部員一人一人のことを考えるようになった。
それまでの私は漠然と彼らを野球部員としか考えてなかったから。
名前は知ってる。ただそれだけだった。
それじゃいけないと思って今は部員一人一人のことを知る努力をしている。


先輩達が引退し直ぐに新体制がスタートする。
今日から一週間の合宿が始まるのだ。
それで私は朝から家庭科調理室に詰めている。
朝に一週間分の食費を預かり、野球部顧問の先生と近くの業務用スーパーまで買い出しに行く。
昨日の夜遅くまで献立を考えた甲斐があった。
監督に聞いても「沢山食えりゃ何でもいい」って言うから一生懸命に考えたのだ。
それこそネットを駆使してカロリー表とにらめっこしながらあれこれ考えた。
部員の満足するものを、美味しく沢山食べれるようにとメニューを決めた。
先生が毎朝車を出してくれるらしく、初日の今日は昼食夕食それと明日の朝食分だけで良かった。
それでもかなりの量になったので家庭科室に運ぶのは大変だった。
毎朝じゃなかったら大変なことになっていたかもしれない。


先生と別れて一人、昼食の準備に取りかかっている。
大勢の食事を一人で作ると言う初めての経験。
試行錯誤しながら何とか初日の昼食を作り上げる。
それでも時間は押して、完成した頃には予定の20分を過ぎていた。


『遅くなってごめんなさい!』
「いいっていいって、初日だからもっと遅くなると思ってたんだよ。なぁ真田」
「そうっすね、つーか椎名その格好何?」
『格好?あ、これ?一番動きやすいんだよー。ちょっと暑いんだけどね』


昼食を完成させて廊下で待っていた部員達を家庭科調理室へと招き入れる。
わっと全員が席に散り、最後に監督と真田君が入ってきた。
20分も遅れるなんて想定外だ。頭を下げれば監督は笑って許してくれる。
その隣の真田君は私の格好を見て苦笑する。
どこかおかしいところでもあっただろうか?


「割烹着っておばちゃんとかが着るものだと思ってた」
『そう?エプロンとかより動きやすいんだよー』
「喋ってねえでお前も早くメシ食っちまえ。そんなこと言う男はモテねーぞ真田」
「や、監督は気にならないんですか?」
「マネージャーがベストな選択をしたっつーのはわかった。見てみろ、こんなに沢山作ってくれたんだぞ」
『こんな感じで大丈夫ですか?』
「あー確かに凄いわこれ」
「百点満点だな。雷市見てみろ、泣きそうになりながら食ってやがる」
「普段もうちょい良いメシ食わせてやってくださいって」
「あ?そんな金はねーんだって言ってんだろ」


真田君と監督は喋りながら空いてる席に向かう。
予定より遅れたにも関わらず百点を貰えるだなんて嬉しくてしょうがない。
こうなったら百点以上を目指すことを心に誓う。


「あ、あの…あの」
『はい』


ジーンとしていたら声を掛けられた。
振り向けば監督の息子の轟君が立っている。
返事をするも、続く言葉がなかなか返ってこない。
顔を赤らめて何やら悩んでいるようにも見えた。「あ」とか「う」とか口を開いては閉じ、赤らんだ顔をますます赤くしていく。
最初はこの態度に戸惑ったものの、最近は慣れつつある。
ふとその彼の片手にお茶碗が握られているのが目に入った。


『あ、気付かなくてごめんね。おかわりだった?直ぐに用意するね』


相手を緊張させないようになるべく穏やかに問い掛けたら小刻みに頷いてくれた。
手を出せばお茶碗を素直に渡してくれるので白米をよそって轟君へと戻す。


「あ、ありがとうございます」
『また足りなくなったら言ってね』


尻すぼみに声が小さくなりながらも今度はお礼を言ってくれた。
野球部にもこういうタイプの子がいるなんて少し意外だ。特に轟君は野球をしてる時とそうじゃない時の差が激しい。
私の言葉に頷いてはにかんでくれた顔が可愛くて自然と此方まで笑顔になってしまう。


「俺もおかわり!」
『はーい!』


轟君に続いて続々とおかわりの催促がやってくる。お米だけは校長の知り合いの農家さんから大量にいただいたから沢山ある。
この感じだと明日はもう少し多く炊いても良いかもしれない。
そんなことを頭で考えながら催促に答えた。


「椎名先輩ちょっといいですか」
『はーい』


昼食が終わり洗い物をしている最中、呼ばれて振り向けば秋葉君だ。
轟君のことを普段から何かと気に掛けているのが秋葉君だ。聞けば三島君と二人で小学生からの付き合いらしい。


「雷市のバナナどこにありますかね?」
『バナナはねぇ、冷蔵庫に入ってるよ』
「冷蔵庫ですか?」
『安かったからまとめ買いしたの。五本ずつ小分けにしてるから探して見てね』
「はい」


冷蔵庫が大きくて助かっちゃうよね。
バナナはそれこそ大量に買ったから少し冷凍してデザートに使っても良いかもしれない。


「あ、これですか?」
『そうそうそれだよ』
「んじゃ貰ってきます。明日からはなるべく雷市に来させるんで」


洗い物を続けながら確認すれば秋葉君はちゃんとバナナを探し出せたらしい。
轟君本人にバナナを取りに来させるってことなんだろうけど、いいのかな?
部員とはだいぶ打ち解けてるように見えるけど、私とはまだ視線を合わせて話してはくれない。


『うーん、轟君大丈夫かな?』
「あー多分。でもこのままってのもあれなんで。先輩には迷惑掛けると思うけど良いですか?」
『迷惑だとは思わないから大丈夫だよ』
「なら宜しくお願いします」
『秋葉君は友達想いだね』
「まぁ、いつまでも一緒には居てやれないんで。後、15時の休憩までにおにぎり握ってくれって監督が言ってました」
『はーい』
「じゃあ俺練習に戻ります」
『あ、何か足りないものとかない?大丈夫?』
「こっちのことはこっちでやるんで大丈夫です。先輩こそ一人であれこれやらせてすみません」


申し訳なさそうに秋葉君は頭を下げて練習に戻っていった。
それこそマネージャーの仕事を部員に手伝わせたら意味無いと思うよ。
それでも細やかな気遣いが嬉しくて一人の作業も鼻唄混じりに出来る。
あ、おにぎり一人いくつ握れば良いのか聞き忘れた。とりあえず二つくらいでいいのかな?


『明日は梅干し買ってこようかなぁ。疲労回復には梅干しだよね』


夕飯の下拵えをしつつ、15時に合わせて塩握りを作る。
時計を確認すればもうすぐ予定の時間だ。
最後の一つを握り終えたら持っていこうか、そんなことを考えていたら家庭科室の扉がバン!と強く開け放たれた。


『あれ?』


音に驚いて振り返るも誰もいない。
握り終えたおにぎりを置いて入口から顔を出せば轟君がおろおろしている。
予測するに扉が大きな音を立てたことにどうしていいかわからなくなっちゃったってとこだろうか?


『良かった、おにぎりを取りに来てくれたの?』
「あ、」


轟君が取りに来るのは明日のバナナじゃなかったのかな?
不思議に思いつつも顔には出さないようにして声を掛ける。
こくこくと何度も頷くのが微笑ましくて口元が緩んでしまう。
極度の恥ずかしがり屋だけど轟君は素直だ。
此方の問い掛けには絶対返事をしてくれるから。


『ちょうど今出来たところなの。ちょっと待っててね』


大きく首を縦に振ったのを見ておにぎりを取りに戻る。
ちらりと後ろを確認すれば付いてくる様子はない。轟君のことだからこれも誰かに言われたことなのかもしれない。
でも轟君一人に任せるには量が多い気がする。
二人で運べばちょうどいいか。
おにぎりの並んだステンレスのバットを一つ轟君の元へと運ぶ。
『ちょっと待っててね』と声を掛けてもう一つを持って廊下に出ればちゃんと待っていてくれた。


「俺、一人で運ぶ」
『外の空気が吸いたいから私にも手伝わせて轟君。ね?』
「…ん」


少しだけ悩んだ末に轟君は頷いてくれた。
そのまま二人でグラウンドまでの道のりを歩く。
せっかくなのでこの際、轟君のことを聞いてみよう。


『轟君は私のこと苦手だったりする?』


二人並んで外に出れば日差しがギラギラと照り付けている。
こんなに暑い中、ずっと練習してるのか。
みんな本当に頑張ってるんだなぁ。
眩しさに目を細めながら気になってることを問い掛けると即座にぶんぶんと首を横に振ってくれた。
直球で聞きすぎたかなと一瞬不安になったものの、否定してくれて良かった。


「先輩は、俺のこと笑わない…から」
『それなら良かった。勉強は?頑張ってる?』
「アッキーが教えて、くれる」
『アッキー?あ、秋葉君のこと?』
「そうアッキー。ミッシーマと俺に教えてくれる」


轟君の言葉が引っ掛かったものの、今日はこれ以上突っ込むことは止めた。
仲良くなってもいないのにずかずかと踏み込むのは轟君にとって良くないと思うから。
秋葉君と三島君のことを話す時は少しだけ声が明るくなったからやっぱり二人は仲の良い友達なんだろう。


『仲良しなんだね』
「アッキーとミッシーマと野球するの楽しいから。ナーダ先輩もみんなも!」
『野球が好きなんだね』
「俺、強いやつらと試合するの好き!青道もナルミヤメイも次は打つ!」


最初はポツリポツリと返答してくれていたのが、内容が野球に変わってイキイキと話してくれる。
あまりにも楽しそうだったのでつい見つめてしまったら視線に気が付いたのか轟君が此方を向いた。
目が合った途端に轟君は口を噤み、きょどきょどと視線を左右に揺らす。
あぁ、いけない。視線を合わせたら緊張させてしまうってわかってたのにやってしまった。
弾んでいた会話に急ブレーキがかかる。


『ナルミヤメイって稲実のピッチャーの?』
「そう、まだ俺打ったことないから」
『それは試合するのが楽しみだね』
「強いやつは全部倒す!もう俺負けない。絶対に」
『うん、楽しみにしてるね』
「全員ぶったおーす!」


気を取り直して視線を外し普通に会話を続けてみると轟君も答えてくれた。
あの日、青道に負けた時はショックを受けていたけれど今はちゃんと前を向いている。
轟君に負けないように私も頑張ろう。


『おにぎり到着でーす!』
「カハハ!おにぎりー!」


轟君のテンションに合わせて二人で元気におにぎりを届けたらみんなが目を丸くする。
三島君なんて口をあんぐりと開いたまま制止していた。
そんな三島君に轟君が不思議そうに話し掛けるからそれがまた面白かった。
我に返った監督の一言によって休憩時間が始まる。


「雷市と仲良くなった感じ?」
『少しはそうだといいなぁ。まだ目が合うと緊張させちゃうけど』
「あーそれ気にしなくていいと思う」
『そうかな?』
「女子ってのは多分あいつにとって未知の存在だからなぁ。けど仲良くしたくないってわけじゃないと思うぜ」
『だといいなぁ』


おにぎりを食べる真田君と並んで、他の部員達を見守る。
美味しそうに食べてくれてるけど毎日具材は変えようかな。
その方がもっと喜んでくれるような気がする。


「椎名先輩」
「どうした雷市」
『何かあった?』
「ん」
「それお前のおにぎりじゃん」
「先輩、昼食べてない」
『あ!』
「は?お前それマジで?」
『すっかり忘れてた』
「はは!よく気が付いたな雷市」


のほほんと和んでいたら轟君がおにぎりを両手に持ってやってきた。
言われた通り料理に集中しててお昼を食べるのをすっかり忘れてた。
轟君は私におにぎりを差し出し、そんな轟君を真田君がわしゃわしゃと撫でている。


「椎名、せっかく雷市が分けてくれるっつーんだから貰ってやれよ」
『でも轟君のおにぎりだよ?』
「一つくらいなくなったっていいよな?」
「ん」
『じゃあ、ありがとう。明日の夕飯何が食べたい?』
「トンカツ!」
『わかった。じゃあ約束するね』
「良かったなぁ、雷市」


轟君に指摘されるまでそんなことすっかり忘れてた。
指摘された途端にお腹が鳴るものだから笑ってしまう。誰にも気付かれなくて良かった。
それから私もみんなに混じって轟君が分けてくれたおにぎりを食べた。
部員のおにぎり奪うとかマネージャー失格だなとは思ったけど、こうしてみんなと一緒に食べるおにぎりはなんだか物凄く美味しかった。
二度とないように反省はします。


まだまだ外は暑い。
夏バテ防止になる食材も使ってメニューを決めていかなきゃな。
練習再開と共に家庭科室へと戻る。
ギラギラと暑い夏はまだまだ続きそうだ。


雷市中編。絡みがまだ少ないね。秋葉と三島と雷市の関係がとても好きです。そして雷市のお父さんな真田が好きです。長くなりすぎたー
20200530




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