元気を出して(亮介)

それはほんの些細な変化だった。
多分俺以外は誰も気付いてない。
仲の良い藤原だって椎名の変化には気付いてないだろう。


『ふぅ』
「何をそんなに落ち込んでるのさ」


練習の合間、椎名は小さな息を吐く。
表情はいつもと同じ、仕事ぶりも変わらない。
だけど、その小さな小さな溜息が俺は気に掛かった。
一人のところを見計らって背中へと声を掛ければ背中が揺れる。


『あ、小湊。落ち込んでるってやだなぁ。小湊の勘違いだよ』


背中は雄弁に語っていたと言うのに振り向いた椎名は笑顔だ。
俺達に向けるいつもの元気な笑顔。
彼女はいつだってこうだ。気丈で強気で涙一つ見せたりしない。
マネージャーとしてなら百点満点だけど、俺としてはそれが少し面白くない。


「落ち込んでるのが勘違いなら何か悲しいことでもあったの」


軽めの手刀を彼女の額に当てると瞳が微かに揺れた。
あぁ、こっちが当たりか。


『やだなぁ、そんな風に見える?私は全然元気だよ。悲しいことなんてないない。大丈夫です』


何でもないように笑ってみせるけど、それ無駄だから。
真っ直ぐに椎名を見据えると、彼女は視線を落とす。
それは認めたも同然の行動だ。


『そんな怖い顔してどうしたのさ。小湊こそ何かあったの?』
「誰かさんが素直じゃないから」
『だから私は何にもないって言ってるでしょう?小湊の勘違いだって』


彼女は再び俺と視線を合わせて笑ってみせる。
この反応も想定内。
椎名が簡単に何があったか話してくれるとは思ってない。
俺達部員には特にそうだろう。
これは彼女なりの流儀だ。
野球部マネージャーの椎名は常に俺達野球部員を優先に行動する。
かと言ってはいそうですかと簡単に諦めたくない。
二度目の手刀をさっきより強く叩き込む。


『背が縮むから止めてよ小湊』
「椎名に何かあったのは俺からみたら明白なんだけど。誤魔化せると思う?俺だよ?」
『だからね何にも』
「俺の目見て言ってくれるかな」
『何にもないって』


じっと椎名の瞳を覗きこむ。
俺と視線を合わせてくれたものの、声は尻すぼみになって弱々しく消えた。


「はぁ」
『ほらこれでわかったでしょう?何にもないの。私は大丈夫だから』


椎名の言う通り視線は合ったままだったけど、その分声に乗ってたの気付いていないんだろうか?
わざとらしく息を吐いても彼女が怯む様子はない。
大丈夫ってさ、それ自分に言い聞かせてない?


「自分に嘘吐いてそれ後々しんどくなるやつだと思うよ」


頑なに認めようとしないけど、俺も引かないよ。
きっぱりと言い切ると椎名は口を噤む。


『何でもないって言ってるのに』
「藤原や哲、純達は騙せても俺には通用しないよ。椎名だってわかるでしょ?」
『…後にして』
「わかった」
『あ、でも自主練の時間削るのは無し』
「椎名らしいね」


椎名との攻防は俺に軍配が上がった。
俺が言い切ると彼女は観念したように小さな息を吐く。
自主練が終わる時間に椎名と近くの公園で待ち合わせることを決めて練習に戻った。
何があったにしろ、早く元気出しなよ。
じゃないと俺が落ち着けないから。


『小湊、遅くなってごめん』
「さっき着いたとこだから気にしなくていいよ」


約束の時間ちょうどに椎名は息を切らせてやってきた。
時間より早く来たのは俺なのに待たせたって事実だけで謝るのがまたもや彼女らしい。
椎名の息が整う間に自販機でお茶を二本買う。


「そんなに慌てて来ることなかったのに」
『家を出るのが時間ギリギリになっちゃったから』
「連絡くれたら良かったんだよ。ほらこれ飲んで」
『あ、ごめん。お金払う』
「これくらいいいって。それよりほら何があったの?」


お茶を渡してベンチへと椎名を誘う。
早速本題をぶつければ、彼女は押し黙ってしまった。
いきなり過ぎただろうか?かと言って俺が言い出さないと椎名は自分から本題に入ろうとはしないだろう。
ベンチに座って隣を叩けば迷いながらも腰を下ろす。


「椎名」
『…わかってる』
「ならいいけど、そんなに話しにくいこと?」
『少しだけ』
「それって俺に対して?それとも俺が野球部員だから言いにくいの?」


渡した缶すらそのままで、椎名の手から奪ってプルタブを開ける。
それを返して話を促すように名前を呼んだ。


『小湊にってわけじゃないけど』
「じゃあいいよね。今は単なる椎名のクラスメートの小湊だから」
『そんなこと言われても』
「ここに来たってことは誰かに話したかったんじゃないの?」
『それは…』


なるべく穏やかな声色で話を続ける。
それでも椎名はなかなか話そうとはしない。
開きかけた口はすんでのところで再び閉じてしまう。
何とも椎名らしくて、ふっと表情が緩む。
ほんと強情過ぎるよね。これも想定内だけどさ。


「椎名が俺達部員のことを大事にしてくれて優先してくれているのは知ってる。だからって配慮しすぎ。俺は椎名に元気出してほしいからここにいるんだよ。詳しくなくていいから聞かせてよ」
『私、そんなに態度に出てた?』
「や、藤原も気付いてないし多分俺だけじゃない?」
『そっか』
「そこは安心していいよ」


まだそこ心配するんだ。
マネージャーの中で椎名が一番強情だよなぁ。藤原にこのこと話したら絶対に怒られるよ。藤原の場合はもしかしたら落ち込むかもしれない。頼られなかったことに落ち込みそうだ。
そんなことを考えてたら隣の椎名がお茶を一口飲んで大きく息を吐いた。


『内容は、言えないんだけど』
「いいよそれで」
『小湊の言った通り悲しいことがあった』
「うん」
『あーあ、バレないように行動してたのになぁ』
「俺以外にバレてないからそこは頑張ったんじゃない?」
『私は小湊にも気付かれたくなかったの』
「俺に気付かれないのは無理じゃないかな?」
『小湊の洞察力やっぱり凄いね』


内容まで問いただすつもりは最初からなかった。
ただ今日は溜息の回数が多かったから、ほんの少しでいいから普段彼女がしてくれることのお返しをしたかった。
ふっと椎名の肩の力が抜ける。
洞察力と言うか、椎名だから気付けたってのはあると思うよ。


「それで?」
『うん、あんまり洞察力の鋭い小湊にこれ以上心配かけたくないしね』
「少しはスッキリしたの?」
『うーん、多分?』
「曖昧な答えだなぁ」
『そんな直ぐに元気にはなれないよ』
「まぁそれはそうかもね」


肩の力が抜けたのならそれで俺も充分だ。
隣の椎名はおもむろに立ち上がると残っているお茶をぐいぐいと飲み干している。


『よし、元気出そう!』
「取り返しのつくことなのそれは」
『うん、大丈夫』
「それなら良かった」
『小湊わざわざありがとね』
「いいよ、また元気なかったら容赦なく見付けるけど」
『わ、怖ーい』


飲み干した缶をベンチに置いて両頬を叩く。
それからぐっと伸びをして椎名は笑った。
昼間に見た作った笑顔じゃなくて本当のいつもの笑顔。
これなら大丈夫かな?まぁまた何かあっても俺が見付けてこうやって聞いてあげればいいか。


『小湊は凄いなぁ』
「まぁ、ね」
『え、何その歯切れの悪い返事』
「別に。椎名は気にしなくていいよ」
『気になる』
「俺はそこまで周りのこと何でも気付かないよって話」
『嘘だぁ』
「どうかな?御幸のが俺より部員の調子はわかってると思うよ」


俺の洞察力が鋭いなんて言うの椎名くらいじゃない?悪いとは思わないけど俺より気付けるやつは何人もいるはずだ。
残ったお茶を飲み干して立ち上がる。


「椎名のことは誰より先に気付けるかな」
『え、私そんなにわかりやすいかな?』
「あぁ、大丈夫。俺以外は絶対気付かないから」
『それってやっぱり小湊の洞察力が凄いんじゃないの?』
「どうだろね。ほら送ってくから行くよ」
『それは悪いよ!』
「いいから行くよ椎名」


こんな時間に一人で帰すわけないよね。
椎名は隣でずっと拒否してたけど、それを無視して家まで送り届けた。
別れ際の笑顔は元通りだったからもう大丈夫だろう。
マネージャーには元気で居てほしい。
特に椎名には強くそう思う。
何があったのか知らないけど、俺には隠せ通せないの今日で思い知ってくれたらいいな。


久しぶりの亮さん短編。亮さんは好きな女の子の変化に目敏く気付くよね。そんなお話でした。
20200527




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