逢いたい気持ち(御幸)

「これ何?」
「あーっと…逆に何で家探しみたいなことしてんの?」
「それは、〜っ一也が悪いんでしょ!」


試合を終えてマンションに帰ってみれば鬼のような表情の彼女。
せっかく鳴のチームに勝ったってのに一瞬でその高揚感は消え去った。あーあ、お前もかよ。
ダイニングテーブルの上には高校時代の彼女と撮った写真が置かれている。
一言でもここで弁明すれば事は丸く収まる。
わかっていても当時の彼女ことを弁明する気にはなれなくて乾いた笑いしか出てこない。
俺の態度に痺れを切らしたのかそのまま彼女はハンドバッグを掴んで出ていった。
ご丁寧に合鍵まで置いてく始末だ。


追いかけりゃ何とかなるんだろう。
けど俺は後を追わなかった。
そんなことしたってきっとあの彼女もこの写真を捨てろって言うだけだ。
彼女を、凛との写真を捨てることはどうしても出来ない。
どこに隠しておいても歴代の彼女は凛との写真を目敏く見つける。
よほど俺が大事にしてるのが気に食わないのか、はたまた女性の勘なのか、全員が全員凛との関係を勘繰った。


「やっぱあんま痛まねーな」


ついさっきまで好きだった。
こいつとなら結婚してもいいかなとまで思ってた人なのに、離れてしまえば思ってたより心は痛まない。
大事な人だと思ってたけどやっぱ凛のようにはいかないか。


「それ単に思い出だからじゃないの?思い出だからそこらの女より良く見えるだけでしょ。そんな女のことなんてさっさと忘れちゃえばいいのに」


いつぞやの飲み会で鳴が言ってたことを思い出す。
さっさと忘れられるんなら俺だってそうしてる。けど出来ねーんだよなぁ。
誰といたって誰と別れたって凛といる時の方が楽しかったし、凛と別れた時の方が辛かった。
学生時代のことをこんな風に引き摺ってんのはきっと俺だけだ。
何で俺あの時手を離しちまったんだろなぁ。


凛との出逢いは高校一年の春。
最初は同じクラスの女子って認識だけだった。
どこにでもいる普通の女の子で野球のことなんて全然詳しくなかったしマネージャーってわけでもなかった。
ただ三年間腐れ縁で、そうとなれば話す機会もそこそこあって、マネージャーを抜いて一番話す機会の多かった女友達が彼女に変わるのに時間はそこまで掛からなかった。
高三の春に付き合い始めてた。


春の選抜を終えて、高校最後の夏を目指してた俺を彼女はそっと支えてくれた。
何をしてくれたわけでもない、懸命に応援してくれたわけでもないし、アドバイスや話を聞いてくれたわけじゃない。ただいつも俺に寄り添ってくれてただけだ。
それでも凛の存在は大きかった。
多分、何もしてくれなかったからこそ良かったんだと思う。
覚悟は決まってて俺の中で迷うこともなかった。ただあいつらと夏のてっぺんを目指す。
プレッシャーがなかったわけじゃないけど、そこまで弱くはなかったし、例えそうだとしてもそんなとこ見せたくなかった。
ただ隣に居てくれた人。それが凛だった。


別れたのは卒業してしばらく経ってから。
俺はプロ野球界入りしてて、日々練習漬けだった。
上を目指してひたすら練習の毎日。
悔しいことも多かったけど、それ以上に楽しかった。
そんな日々の中、朝に突然別れのメールが届いた。
あの時の俺はそれを止めなかった。
凛との時間が取れてなかったのは事実だし、そんなことよりも練習に、野球に集中したかった。
向こうも大学で、他に好きなやつでも出来たんだなって勝手に決めつけて了承したんだ。


最初はそれで別に気にならなかった。
けど、後からじわじわとその現実が俺を締め付けた。
練習に集中出来るから良いだろうと、それまで以上に野球に打ち込んだ。
支障が出たわけじゃない、その甲斐あって一軍に昇格出来たし結果は今でも出し続けてる。
ただ一軍に昇格して、余裕が出来た時初めて凛が居ないことを寂しく思ったんだ。


鳴や先輩に誘われた飲み会がきっかけで彼女が出来たこともある。
アナウンサーと付き合ったことも何回かあった。
俺なりに真剣に付き合っていたはずなのに、彼女達は凛の存在を敏感に感じとり離れていった。


「今更どうやっても無理なのにな」


ダイニングテーブルに置かれた凛の写真を手に取る。
隣の俺は若くて、隣の凛はあの頃のままだ。
どんな女になってんだろな。そんなこと考えたって無駄なのについ考えてしまう。
この写真を捨てたら凛のことを忘れられるのか。例え捨てられたとしても無理な気がした。そっと写真を元の場所へとしまう。
そろそろ切り替えて明日の試合に備えねーと。


「一也?珍しく酔っぱらってんの?」
「あー少しな」


シーズンオフに同年代のプロ野球選手達での飲み会が開かれた。
哲さんや亮さん、美馬や白河とカルロス、それに楊。後輩には沢村や降谷までいて終始賑やかな飲み会となった。
一次会が終わって二次会に移動する最中、鳴と並んで歩いてると懐かしい香りがして立ち止まる。
振り返ったところで隣の鳴が怪訝そうに言う。
あれは凛の香りだ。
忘れたと思ってたのに、別れてから嗅ぐことなんて一度もなかったのに、一瞬で思い出した。


「何してんのさ、みんな言っちゃうよ」
「懐かしい匂いがしてなー」
「何それ?美味しそうな匂いでもしたの?」
「そっちじゃねーよ」
「あーじゃあまたあの女?もしかして彼女と別れたのもそれが原因?」
「まぁ、そんな感じ」
「ちょっと!俺の彼女の紹介なんだけど!」
「悪いとは思ってる」
「いつまでも女々しいこと言ってないでさぁ、いい加減前向きなよ」


俺だって女々しいことくらいわかってんだよ。
けど、今日くらいいいだろ?酔ってんだし、今日くらい許せって。
夜風が身に染みて目を細める。
目を凝らして香りの正体を探しても見つかるはずもなかった。


「ほらみんな行っちゃうよ」
「そうだな」


鳴に促されて、歩を進める。
遠くでカルロスが俺達を呼んでる声がする。
今日はやけに冷えこむ。今年一番の冷え込みだってニュースでやってたっけ。
こんな日は凛のことを思い出す。
あの香りがなくたってそうだ。
あー俺今日はほんと重症かもしんない。
空を見上げれば月が揺れている。
高三の冬もこんな月が浮かんでた。


『寮を抜け出して良かったの?』
「体動かさねーと息が詰まるだろ?」


周りは受験勉強の真っ只中、年が明ければ直ぐに入寮だ。
体が訛ってる気がして、ロードワークついでに凛の顔を見とくのも悪くないと思って抜け出した。
30分かけて凛の家まで着いてメールをすると二階の部屋から顔を覗かせる。
それから直ぐに電話が掛かってきた。
降りてこないってのが何とも凛らしい。


『風邪ひくよ』
「大丈夫だって、帰りも走って帰るんだから」
『ならいいけど、急にどうしたの?』
「んー顔を見たくなっただけ」
『そっか』
「おう」


物静かで口数の少ない女だった。
何かを俺に求めることもしない。
いつだって俺の話を静かに聞いてくれて、やることを受け入れてくれた。
だからこそ隣にいてくれて俺も居心地が良かったんだ。
部屋の灯りが凛の表情を照らす。
あの物静かな控えめな微笑みも好きだった。


『ほら見て星が綺麗だよ』
「あー冬だからだよな。つーか星より月のが目立ってねーか?」
『ふふ、そうだね。どっちも綺麗』


凛の言葉に頭上に視線を向ける。
冬は空気が澄んでるから星が綺麗に見えるんだっけな?誰かに聞いたのか授業で習ったのかそんなことをぼんやりと思い出しながら会話を続ける。


『プロ野球選手になるんだね』
「まだこっからだけどな。これで親父に楽させてやれる。そんなもん望んでねぇって言われちまったけど」
『一也らしくね』
「お前そこ頑張れって応援するとこじゃねーの?」
『一也は言わなくても人一倍頑張るから私は言わない』
「いやいや、そこちゃんと応援してよ」
『応援はしてるよ。誰よりも。でもね、頑張ってとは絶対に言わない』
「相変わらず変なとこ拘るよなぁ」
『うん、ごめんね』
「ま、いいけど。んじゃそろそろ帰るわ」
『気を付けてね』
「おお、また連絡する」


凛の『誰よりも応援してる』って言葉が俺の中にいつまでも残ってんだな。
この話はさすがに誰にも出来ないよなぁ。
女々しいどころじゃない。思い切り引き摺ってんじゃん俺。
凛のことは多分このままずっと忘れらんないんだろう。
乾いた笑いが小さく漏れた。


「あ!そんなに気になるなら探しちゃえばいいじゃん!」
「は?」
「だからさ!探偵でも何でも使って!一也のことだから貯め込んでるんでしょ?」
「あーそれは考えてない」
「はぁ?」


鳴の声に現実に戻される。
それを考えたことがなかったわけじゃない。
けどそれが適切だとはどうしても思えなかった。
幸せな結婚でもしてたらそれこそ立ち直れない。かと言って不幸でいてほしくもなかった。


「いいんだって」
「全然意味わかんないんだけど」
「ほら哲さん達待ってるから行くぞ。原田さんも合流すんだろ?」
「あぁそうだ!雅さん子供の誕生日だからって二次会から参加って腑抜けてるよね?」
「幸せそうで良いんじゃね?つーかお前は?結婚しねーの?」
「俺はまだいいかな。一也は?って聞くだけ無駄か、無駄だよね。俺の彼女の紹介したこ振ってさ」
「いや振られたの俺だけど」


いつか、凛を探そうって気持ちになれるんだろうか?
今はそれすらもわからない。
逢いたいのに逢いたくないなんて矛盾してる。
まぁそんくらいあいつの存在が特別だってことだよな。
お前が一番に応援してくれてんのならさ、俺野球頑張れるよ。
こんな話鳴にしたらまた否定されるんだろな。
別れたんだからそんなの無効だとでも言いそうだ。
それでも、何故か凛はちゃんと俺のことを応援してくれてるって確信があった。
あ、こういうとこも女々しいになるのか?
まぁ、言わなきゃいいよな。


原田さんを見付けて走り出した鳴の背中を緩慢に追い掛ける。
こんな風に想うのは今夜だけにしよう。
また明日からは野球一筋だ。


凛のことはこの先も忘れない。
わかるのはただこれだけ。


切ないお話を書きたくて、御幸で書いてみました。
2020/04/25




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