恋のスタートライン(美馬)

「美馬のヤツ50メートル5秒8で走るんだってよ」
「ヤベ、それ100メートル何秒で走るんだよ!」
「アイツ何で陸上部じゃねーんだろな」
「いやでもうちの野球部みんな足速いって聞いたぞ」


高校生活も残り一年となった三年の春のこと。
教室で男子達が噂してるのが偶然耳に入った。
どうやら今年から同じクラスになった美馬君のことを話してるらしい。さりげなく教室を見回しても彼の姿はまだ見えない。
野球部なら朝練があるからまだ登校してなくても当たり前だ。陸上部とは違ってグラウンドも学校から離れている。


美馬君は50メートル5秒8で走るんだ。
いったいどんな走りをするんだろう。
最近タイムが伸び悩んでる私としては話が是非とも聞いてみたいところだ。
かと言ってそんな勇気は微塵もない。
ふうと息を吐いて頬杖を付く。
そう言えば三年になって親しくなった友達も野球部マネージャーだったなぁ、そんなことを考えながら美馬君を頭の中に思い描いた。
野球をしているところは見たことない、必然的にユニフォームじゃなくて制服姿の美馬君が浮かぶ。
成績も優秀で涼しげな目元が特徴的だ。
彼はどんな風に走るんだろう。昨日までは単なるクラスメイトとしか認識していなかったのにたった一つの情報が私を変える。


「凛ちゃんおはよう」
『あ、おはよう。美馬君もおはよう』
「あぁ、おはよう」


あれこれ考えてみても上手く美馬君が走ってるところを想像出来なかった。
そんなことを考えていたら友達と美馬君が朝練を終えて登校してきたらしい。
声を掛けられた方を見ると二人が揃っている。友達にだけ挨拶するわけにもいかず美馬君にも挨拶をしたけれど、どうして二人はそのまま動かないのだろう?


「美馬、凛ちゃんがさっき話してた陸上部のこ。去年の夏県大会優勝したんだよー」
「椎名が?」
『えっと、そうだけど』


疑問は友達の言葉によって解消された。
どうやら私のことを美馬君に話してたらしい。
美馬君は何をそんなに驚いたのか目を見開きじっと私を見下ろしている。
あまりにもじっと見てくるのでいたたまれなくなって目を伏せることになった。
私が県大会優勝したってことに驚いたのかな?全国大会ではボロボロだったし、そういうことかもしれない。


「美馬、そんな風に初めて喋る女子のこと見つめたらダメだよ」
「そうか、悪かった」
『あ、えぇと大丈夫…です』


友達に窘められて美馬君はようやく視線を外してくれたみたいだ。
顔を上げた時には彼の視線はこちらを捉えていなかった。
ホッとしたものの未だに美馬君はその場から動こうとしない。


「とりあえず凛ちゃんがそうだから。私英語の課題やってないからさ、後は宜しく!あ、英語の授業までにはノート返すからね!」
「当たり前だ」
「んじゃ宜しくね凛ちゃん!」


宜しくも何も何がどう宜しくなのか教えてほしい。美馬君に課題のノートを借りたのか友達はさっさと自分の席に行ってしまった。
残されたのは私と美馬君の二人。
初めて喋るのに二人にされるとは考えてもなかった。


『えぇと、それで?』
「短距離走で県大会優勝と聞いた」
『そうだよ。全国大会ズタボロだったけどね。今もタイムが伸び悩んでるし』
「一度フォームを見せてもらえないだろうか?」
『えっ?』


居心地の悪さを感じながらも話し掛ければ意外な言葉が返ってきた。
50メートルあの速さで走る美馬君が私のフォームを見たい?聞き間違いかと思って美馬君をまじまじと見つめるも表情に変化はない。
至って真面目に彼は私のフォームを見たい、らしい。


「都合が良ければの話だから気にしないでくれ。返事は後からでもいいから」
『最近タイムが伸び悩んでるけどそれでもいいの?』
「あぁ、問題ない。気付くことがあればアドバイスも出来ると」
『してほしい。今本当に悩んでて、美馬君に話が聞きたかったの。あ、その…男子が美馬君の足が速いって噂しててそれを聞いたから』
「なら決まりだな」


私のフォームを見て美馬君に何のプラスがあるのか不安になったものの、アドバイスと言う言葉に食い気味に返事をしてしまった。
少しだけ気恥ずかしく思うも、取り消すことは出来ないのでそれとなく言い訳をしておく。
噂を聞いたのは間違ってないからこれでいいはず、大丈夫だよね。
美馬君の提案に張り切って食い付いたことは何故だか隠しておきたかった。
私の返事に美馬君はふっと表情を崩す。
こんな風に笑ったりするんだ。
少しだけ上がった体温が再び急上昇する。
見てはいけないものを見てしまったようなドキドキに襲われて慌てて視線を外した。


「じゃあ放課後に」
『美馬君部活は?』
「問題無い、監督には伝えてある」
『そっか、じゃあ放課後だね』
「あぁ、宜しく頼む」


話がまとまり美馬君が離れてどっと汗が吹き出してくる。
まさか美馬君の足が速いって知ってその日のうちにこんな展開になるだなんて驚きだ。
そっと胸を押さえるとまだ心臓がドキドキしてる。これはみっともない走り見せらんないな。
タイムが悪いなりにちゃんと走らなきゃ。
あれ?どうして私のフォームを見たいのか聞いてない。展開に驚きすぎて聞きそびれてしまった。
ちらりと美馬君の方を見ると隣の席の男子と話している。また放課後に聞いてみたらいいかな。


放課後部室で準備をしてグラウンドへと向かえば陸上部の監督と美馬君、それに見たことのない男の人が立っている。


「椎名!ちょっといいか!」
『はい!』


監督に呼ばれて近付くと三人がビデオカメラを覗きこんでいた。


「君が椎名さんかい?」
『はい』
「この方は美馬君のお父さんでね、元陸上選手なんだよ」
『えっ!』
「去年の椎名さんのインターハイの映像を見てね。直接フォームを確認したかったんだ。君のフォームは総一郎と似ているからね」
『そうなの?』
「あぁ、そうらしい」


知らない男性はどうやら美馬君のお父さんらしい。それに加えて元陸上選手とか、驚き過ぎて言葉が出てこない。
続く美馬君のお父さんの言葉に頭がクラクラしてきた。
この展開は想像してなかったし情報過多だよ。
あんなに足の速い美馬君と私のフォームが似てるとか、正直信じられない。


「早速だが総一郎とアップをしてきてくれないか?この後野球部のグラウンドに移動しなくてはならなくてね」
『そ、そうですよね。わかりました』


そうか、美馬君がアドバイス出来るって言ったのはこういうことだったのか。
元陸上選手のお父さんにアドバイスしてもらえるなら私の伸び悩んでいるタイムも良くなりそうだ。
美馬君に促され二人でアップを始める。
それでも何故だか少しだけ落ち込んだ自分がいた。


『美馬君のお父さんが陸上選手だったんだね』
「あぁ、外部コーチとして野球部の走塁を指導してくれてるんだ」
『それなら心強いね。美馬君はどうして野球をしようと思ったの?』


頭を切り替えようと美馬君へと話し掛ける。
お父さんが元陸上選手なら野球じゃなくて陸上をしようって流れにならなかったのか気になった。


「小さい頃は陸上をしていた。その頃に偶々野球をする機会があって魅力に気付いた。走るだけじゃなく、打つ投げる守る。こんなに面白い競技があるのかと驚かされて、それからは野球一本だ」
『野球はただ走るだけじゃないもんね。あんまりルール詳しくないけど』
「今でも走ることが一番好きではある。他にもやらなくてはならないことが沢山あるが、やっぱり一番は走ることだな」


淡々と野球に付いて美馬君が教えてくれる。
話し方はいつもと変わらないけど、表情を見ればいかに野球が好きかって気持ちが伝わってきた。
強豪校だって友達から聞いたし春の選抜にも出場してるんだから野球部強いんだなぁ。
そんな当たり前のことを今更認識する。
知ってはいたけど今まで関わることがなかったからどこか遠くの出来事のように感じていたから。
美馬君が走ることが一番好きだと言ってくれて嬉しい気持ちになれた。私も走ることが好きだから。


『野球の試合観てみたいな』
「機会があれば来るといい。これから練習試合も増える。俺だけじゃなくてうちの野球部は皆足が速いぞ」
『陸上部が聞いたら泣いちゃいそうだね』
「そう言えば兼部でもいいからと男子陸上部から頼まれたことがあった」
『男子の方は短距離速い人居ないからねぇ』


あんまり休みはないけど、次の休みに野球部の試合があったら観にいってみようかな。
たった一人との関わりが自分をこんな風に変えるなんて不思議だ。
朝は美馬君と会話するのにも緊張したのに今はその緊張もない。
美馬君との会話で落ち込んだ気持ちも、今から二人で走るプレッシャーもなくなって良い具合にリラックス出来たような気がする。


アップを終えたところで監督に呼ばれ美馬君と二人スタートラインに立つ。
美馬君のお父さんは既にビデオカメラを構えて離れた所に立っている。
ゴールには陸上部員が二人、きっとタイムを計ってくれるんだろう。


『美馬君よりは遅いよ私』
「フォームを撮るだけだから気負わなくていい。かと言って真剣に走ってほしいところだが」
『それは大丈夫。ここに立つとスイッチ入るから』
「俺がバッターボックスに立つのと同じだな」
『競技は違うのに根本は同じなのかもね』


監督がわざわざスターターピストルまで用意してくれたようだ。
私達の横に並びピストルを鳴らす準備をしてくれている。
深呼吸して位置に付く。隣には美馬君、目の前には真っ直ぐ続く白いライン。
監督の掛け声と共にピストルが鳴り、馴れたタイミングで地面を蹴った。


同時にスタートしたと言うのに直ぐに美馬君との差が出る。
男女だから差があって当然だ、それでも自分よりも前に誰かが走ってることが悔しくて懸命にその背中を追い掛けた。
いつもなら誰かが前を走ってることイコール自分が負けるってことだから終盤視線が下がりがちなのだけど、今日は相手が美馬君だからなのか最後までその背中を追い掛けることが出来た。
いつも以上に全力疾走したのかゴールした瞬間仰向けに倒れこんでしまう。
全国大会より真剣に走った気がする。


「先輩!タイム伸びてますよ!凄い!」
『ちょ、ちょっと待っ』


仰向けで目を瞑って息を整える私を後輩が隣で揺さぶる。息が荒くて返事するどころじゃない。


「椎名」
『美馬君?』


声がしてそっと目を開けると青空の下美馬君が見えた。
雲一つない空とついさっき全力疾走したとは思えない程涼しげないつもの美馬君。
あぁ、完敗だ。何にどう完敗したのかもわからず私は美馬君に白旗を振った。


『美馬君凄いなぁ、降参です』
「勝負はしてなかったはずだが」
『うん、そうだね』


私の言葉に眉間に皺を寄せる表情も新鮮で笑ってしまう。
それから美馬君が差し出してくれた手を取って立ち上がった。


『ありがとう、美馬君のおかげでタイム伸びたみたい』
「俺のおかげなんかじゃなく椎名の努力だろう。俺も気持ち良く走れたような気がする」
『それなら良かった』
「総一郎!そろそろ行くぞ」
「何かわかったらまた明日伝えるから」
『うん、ありがとう。部活頑張ってね』
「椎名も」


美馬君のお父さんから声が掛かって会話が終わる。美馬君と走れて良かったな。
背中を見送って戻れば後輩と監督が興奮気味に話している。何をそんなに興奮しているのかと後輩の持つストップウォッチを確認すると、自己記録を更新していた。
美馬君と走っただけなのになぁ。あれだけ色々してもタイムが伸びなかったのにここに来て自己最高記録を出すとか、我ながら単純過ぎて笑ってしまう。


あぁ厄介だなぁ。友達曰く美馬君はモテるって言ってたし。
それ以上に今は野球以外に興味ないとも言ってた気がする。
聞いた時は聞き流してたけど、今その情報を思い出すってことはそういうことだ。
この気持ちはさておき、明日今日二人で走った映像を見れたらいいな。
美馬君の連絡先は知らないから友達経由で教えてもらおう。
それでまた、美馬君と走れたらいいな。
それからそれから野球部の練習試合は絶対に観にいこう。


部活を終えたところで美馬君から連絡がきていた。どうやら友達が連絡先を美馬君に教えたらしい。
許可もなく連絡先を聞いたことを謝罪する文章から入る美馬君が何とも美馬君らしくて自然と笑顔になる。部活の疲れも一気に吹き飛んだ。


2020/03/29




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