落ちた涙の行く先(成宮)

「ねぇ、なんで椎名さんは俺のこと無視するのさ」
『え、無視なんてしたかな?』
「そーゆー意味じゃなくて!もっと俺のことちやほやしてくれてもいいんじゃないの!」
『成宮君が凄いのは知ってるよ』
「そういうんじゃないって!もっとちゃんと俺のこと見てよ、じゃないとあっという間に成長しちゃうからね!」


懐かしい会話を思い出した。あれはそうだ、鳴と出会って直ぐだったと思う。
生意気だけど有望な一年生が入部してきたと三年の間でもかなり話題になった。
自信満々で、その通りの実力を持った鳴を周りは持てはやした。勿論、私もそんな鳴を心から凄いと思っていた。けれどマネージャー業は忙しい。鳴だけを構うわけにはいかず日々バタバタしていた。


「凛さん?いつまで作ってんの?お腹すーいーたーんーだけどー?」
『もう出来るよ』


あの時はまだ単なる後輩の一人だったのに、いつの間にか鳴は私の心を占領している。
私が卒業してからもたまに寮から抜け出してはこうやって会いにやってくる。最初は明日に響くからと追い返してたけど結局無駄だったので今は招き入れてる状態だ。
神谷君にこっそり確認したら野球に影響は出てないらしいから良かったものの私は最近この関係に悩み始めていた。


『はい、どうぞ』
「今日も俺の好きなものばっかりだね凛さん」
『鳴は肉さえあれば何でも好きでしょう?』
「まぁそれで間違ってないけど別に魚だって食べれるよ?凛さんが俺に合わせてんじゃん」


そりゃあせっかく会いに来てくれるのだから好きなものを作ってあげたい。
好きな人の喜ぶ顔がみたいのは当たり前だろう。学校の近くに就職したのだって鳴のことがあったからだし。
三年の夏、引退してからしばらくたって鳴に進路を聞かれた。『就職する』と告げたら「それなら学校の近くに就職してよ。住むのも近くにすれば直ぐ会えるよね」と言われたのだ。
それを真に受けて行動してしまったことが今思い出しても気恥ずかしい。
鳴が会いに来てくれるから良かったものの、そうじゃなかったら単なるバカだ。


『じゃあ今度から魚も出そうかな』
「は?止めてよ。凛さんち来てまで魚食べたくないし」
『さっき食べれるって言ったでしょ?』
「食べれるけど食べたくないの」


白米を口いっぱいに頬張りながら鳴が言う。食べ方は出逢った頃のままだ。口では生意気なことを言いながらも美味しそうに何でも食べるから可愛くて仕方無い。きっと魚を出したとしても文句を言いながら鳴は全部食べてくれちゃうんだろう。
もうすぐ春季大会が始まる。そうなったら鳴にとって高校最後の夏が直ぐそこだ。
夏が終わるまではもう会えないかもしれない。そう思ったら余計に鳴の顔を見ていたくなった。


「何?ずっとこっち見て」
『頬にご飯付いてるよ』
「そんなこと言ってないで取ってよ」
『はいはい』
「はいは一回でいいって」
『分かったから』


次に会うときはまた顔付きが変わってるかもしれない。この年頃の男の子達は少し見ないだけでも顔付きが変わる。
けれどもしかしたら次は無いのかもしれない。夏が終わればドラフト会議があって鳴はプロ野球界へと足を踏み入れるはずだ。
鳴の頬に手を伸ばして米粒を取ってあげる。何がそんなに嬉しいのか満足気だ。
この顔を見れるのもやっぱり今日が最後なのかもな。夏が終わるまで会えない、ともう二度と会えないとじゃ全然違う。今まで何度も来てくれたのだから次はあると思いたい。
けれど何故か漠然とした不安が急に込み上げてきた。私何でこんなこと思ったんだろ?
目の前の鳴に集中しなくちゃと思えば思うほど胸をぎゅうと締め付けられる。苦しくなる。


「凛さん?」
『はぁい』
「急に黙ってどうしたのさ」
『何でもないよ』
「それならいいけど、おかわりちょうだい」
『ん、分かった』


何でもないふりをして鳴からお茶碗を受け取ってキッチンへと向かう。あぁ、駄目だ。何だか泣きそうだ。
周りにこの関係をどう説明していいか分からなくて過去にも鳴にそれを聞こうと思ったことはある。
けど年上のプライドが邪魔をしてか、聞けたことはなかった。飯炊き女だなんて言われたら立ち直れないからだ。そんなことは無いと思いたい。けれど無いとは言い切れなかった。


私が鳴を好きなように鳴にも私を好きでいてほしい。そう告げるだけでいいのにそれがなかなか出来なかった。じんわりと視界に涙が滲んでいく。


「ちょっと、ご飯無いとおかず食べれないじゃ…凛さん?どうしたの?」


キッチンに立ちすくんでいたら鳴からの催促がきた。反射的にそちらを見てしまい、顔を合わせてしまう。鳴は驚いた表情をしていて咄嗟に顔を背けた。こんな顔情けない顔見られたくない、見てほしくない。


『ちょっとコンタクトがずれたみたいで。ごめんね、直ぐにおかわり持ってくから』
「全然コンタクトがずれたみたいな表情には見えなかったけど」


炊飯器に手を伸ばす私の腕をぐっと掴まれた。鳴の声のトーンがいつもより低い。


『そんなことないよ』
「それならちゃんとこっちを見て言ってくれる?」


掴まれた腕を引かれてドンと食器棚に背中を押し付けられた。鳴と視線を合わせることが出来なくて俯くと左手に持ったままのお茶碗が視界に入る。


「俺の話聞いてるの?」
『聞いてる』
「あのさ、凛さんの態度が今日変なことくらい俺だって分かってるんだけど」
『別にそんなこと』
「あるよね、そうやっていっつも誤魔化してさ」


鳴の右手が私の顎をぐいっと持ち上げる。抵抗しようにも私の右手は食器棚に縫い付けられたまま、左手にはお茶碗でどうすることも出来ない。


「本当にコンタクトがずれただけなら俺の目見てそうやって言ってよ。それで俺のこと安心させてよ凛さん」
『め、い…』
「年上ぶって誤魔化すのはもう止めなって」


近距離に鳴の顔がある。けれど視線を合わすことは出来なかった。そんなことしたらきっと泣いてしまう。ギリギリのところで溢れずに留まっている涙が出てきてしまう。
口をきゅっと引き締めてそれを何とか堪えることしか出来ない。


「何でそんな泣きそうな顔してるのか言いなよ」
『ど、して』
「何?」
『うちに…来る、のかなって』
「はぁ?そんなの決まって…あぁそっか」


「…バカだよね凛さんて」食器棚に縫い付けられた右手が解放されてそっと優しく頬を鳴の両手に包まれる。


「何を悩んでるのか知らないけど俺は凛さんに会いたくて来てるんだけど。分かってないとかほんとバカ」


先程まで掴まれてた右手がジンジンと痛むのに対して頬を包む両手は驚くほどに優しい。
その感触に促されるかのようにゆっくりと鳴と視線を合わす。声色からしてきっと呆れてるのかもしれない。


「泣いたって俺しか居ないんだから別にいいでしょ。我慢されるほうが嫌だ」
『飯炊き女って、言われたくなかったの』
「………は、今何て言った?」
『鳴に何度か聞こうと思ってたんだけど』


予測通り鳴は呆れたような表情をしていた。けれどその瞳はどこか心配そうでそれに安堵して自分の気持ちを吐き出すことにした。
一緒に涙まで出てきたけどもうどちらも止められそうにない。


「ちょ、このタイミングで泣くわけ?飯炊き女って何それ!」
『鳴がご飯だけ食べて帰ってくから』
「それは凛さんのご飯が美味しいからだよね!好きな人のご飯食べにきて何が悪いのさ」
『だって好きだなんて聞いてないし』
「あのさ、普通好きじゃない女子の家に遊びに行かないよね。それに凛さんだって嫌いな男を家にあげたりしないでしょ?」


ポロポロと溢れ落ちる涙を鳴が親指で掬ってくれる。飯炊き女発言に目を丸くしてから続く私の言葉に大きな溜息を吐いた。


『寮から抜け出してきた鳴を追い返せないよ』
「ふーん、じゃあ凛さんは俺のこと何とも思ってないんだ」
『そういうわけじゃなくて』
「じゃあなんなの」
『鳴のこと、好きだけど』
「あぁもう!けどとかいらない!」
『だって』
「いいから黙ってくれる」


涙は正直に流れていくのに言葉はどこか卑屈だった。またもプライドが邪魔をしているのかもしれない。そんな私に呆れたまま鳴は言葉を遮る。それから直ぐに鳴の唇が私の口を塞いだ。
頬を包まれているので逃げ場がない。あまりに突然で思考回路は停止し触れるだけのキスはそっと離れていく。


「あのさ、もう少しテレるとかないの」
『鳴、もっかい』
「まだ泣いてるの凛さん。けど良い顔になってきたね」


涙は止まりそうにもない。けれどさっきの出来事が夢みたいで自然と二度目のキスを懇願する言葉が出た。今度はちゃんと覚えておくから。
空いた右手で鳴の胸元のシャツを引っ張ると彼は満足気に頬笑むのだった。
それから唇に柔らかな感触がしてさっきよりも長いキスが落ちてきた。


「凛さんてさもっと大人だと思ってたよ俺」
『泣いてごめん』
「そんだけ俺のこと好きだってことだからいーのいーの」
『鳴が居なくなったら寂しいなと思ったら泣けてきちゃって』
「はぁ?勝手に居なくなる前提で決めないでよ」


長いキスが終わって夕食を再開することになった。鳴らしいと言えば鳴らしい。お腹を空かせたまま寮に返すわけにはいかないのでおかわりのご飯を用意して冷めたおかずを温めた。


『プロ志望でしょ?』
「それはそうだけど勝手に決め付けられるのはムカつく。俺達今始まったばっかなんだからね。凛さんのせいで俺の計画丸潰れだけど」
『計画?』
「プロ決まったら張り切って迎えに来れるでしょ?」
『ふふ、なにそれ』
「凛さんて俺のこと全然相手にしてくんなかったじゃん。だから俺なりに考えたんだってば」


鳴のことを邪険にしたつもりはなかった。
ピッチャーというポジションに対して誰よりも貪欲でプライドを高く持ってる鳴を年下ながらも凄いなと思ってはいたし、他の部員達と同じように見守ってはいたはずだ。
ただ他の女の子達のような反応をしてあげれなかったことはあるけど。
それだってただ単に忙しかっただけだ。鳴のことは原田君に任せてたこともあるし。
そう伝えると鳴は心底不快そうに眉間に皺を寄せた。


「俺になびかないの凛さんくらいだったんだから」
『忙しかったんだよ』
「俺のことは雅さんに任せてたとか酷すぎ」
『原田君が一番鳴の扱い上手だったでしょう?』
「雅さんは男!」
『キャッチャーはピッチャーの女房役なんでしょ?』
「役なだけで雅さん居たって全然癒され無かったんだからね!」


拗ねたように喋る鳴が可愛いなぁ。
変なプライドなんて捨ててもっと早く鳴に気持ちを伝えておけば良かったかもしれない。
そしたらもっと早くこんな気持ちになれたんだ。


『だから好きになってくれたの?』
「仕方無いでしょ!そうやって何で凛さんだけって思ってたら頭から離れなくなっちゃったんだから」
『鳴、そうやって追いかけてくれてありがとう。だから私もいつの間にか鳴のこと好きになれたよ』


正直に私も気持ちを伝えようとしたら鳴は顔を赤くして口をあんぐりと開けたまま固まった。


「な」
『野球をしてる鳴はカッコいいけどこういう鳴は可愛いよね』
「ちょっと!年下扱いしないでくれる!」
『してないよ』
「嘘だよね!ほら今笑ったでしょ!凛さん!ねぇ聞いてるの!」


可愛いだなんて禁句なのは知ってる。
でもきっとそんな風に思える日は近いうちなくなるだろうから今だけは許してね。


次の日続々と同級生の野球部だった子達や原田君の代、神谷君の代の子達から「おめでとう」との連絡が入った。
鳴のことだから張り切って周りに報告したんだろう。
春季大会も夏の大会も応援に行ってあげよう。
きっと喜んでくれるだろうから。


誰そ彼様より

久しぶりの鳴で。
うーん、やっぱりパターン化してるかなぁ。
俺様可愛い代表が鳴です。
2019/04/16




back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -