失恋ショコラティエ

四月の始業式。
高校3年の春に私は立海に帰ってきた。
クラスのみんなは元気してるかな?
丸井君は今でも差し入れのお菓子を美味しそうに食べているだろうか?


2年生の春に私はベルギーへと留学した。
オランダ語とフランス語の語学留学だ。
この留学は高校1年生の年間成績優秀者に与えられる権利だった。
立海の高校3年間はクラス替えがない。
進路を中学3年の時点で絞るからだ。
高校1年の春に丸井君とクラスが一緒になった時に私はこの権利を会得しようと猛勉強した。
そのため1年生の間は勉強漬けの毎日だった。
元から成績は悪くなかったけれど私が狙ってたのは年間一位の座。
年間一位だと留学先を選べるのだ。


ショコラティエになりたい私の希望はベルギーかフランス。他の国に行く選択肢はなかった。


「おー椎名?久々だなー」


1年ぶりの校舎に思いを馳せていたらふと声をかけられた。振り向けば久々に見る丸井君が私の後ろに立っている。変わらないなぁ、相変わらずカッコいい。
張り切って早い時間から来て正解だった。
朝イチから会えるなんて幸せだ。


『おはよー。丸井君は朝練?』
「そうなんだよ、ったく幸村のやつも始業式の日から朝練しなくてもよくね?」
『幸村君は相変わらず厳しいんだねぇ』


久しぶりに会うと言うのに丸井君は変わらない態度で接してくれる。それが嬉しくて口元が弛んでいく。そろそろ教室に向かおうかと下駄箱へと歩き出せば何故か丸井君も付いてきた。


『あれ?丸井君部室に行くんじゃないの?』
「席取り行くんだよ。椎名忘れたのか?」
『あー確か1年生の時に青木君が言い出したやつだっけ?』
「そーそー。あいつもサッカー部のエースだからな。朝練あるんだよ」
『まだそれ続いてたんだねー』


1年の入学式の帰りのHRで青木君が言い出したのは学期始めの始業式に席替えをすること。
そしてそれはくじ引きではなく席取り。
早い者勝ちでの席替えだった。
おおらかなうちの担任はあっさりその提案を承認した。
1年の入学式の日だけは名簿順でその次の日に席取りをやったんだよね。


『俺さ、1年の入学式もその次の日も朝練あったんだよ。でも入学式の帰りのHRは爆睡しててさ、青木の話まったく聞いてなくて』
「確かそれで一番前の席だったよね?一番最後にきたから」
『おーそれそれ!時間的には一番最初だったのによ、あれは地獄だったマジで』


丸井君と懐かしい話をしながら教室に着くと誰も居ない。どうやら二人で一番乗りのようだ。


「どこにすっかなー?やっぱ窓際の一番後ろだよな、寝てもバレねぇし」


丸井君が席を吟味しながら教室内をうろついてる。
一番後ろが楽チンなのは同意だなぁ。
…隣の席にしてもいいかな?どさくさに紛れて隣を選んでも変に思われないかな?


「椎名はどーすんの?」
『ちはるちゃんと梨夏の席も一緒に取りたいからなぁ。丸井君と同じで後ろの席の方がいいけど』
「じゃ、俺の隣にすりゃいいじゃん。で、片岡が俺の前で鈴木が片岡の横。そしたら完璧じゃね?」
『丸井君はいいの?』
「片岡が前だと先生にバレねぇだろい?あいつ俺より背高いし」
『そっか、丸井君がいいならそうしようかな?横一列よりは良さそうだし。そうする!』
「決まりだな。んじゃ俺朝練行ってくるわ!」
『あ、ちょっと待って!ベルギーのお土産あるの!』


どうしようか悩んでいたら丸井君から提案をしてくれた。確かにちはるちゃんはバレー部のエースで丸井君より背が高い。ちはるちゃんのおかげで丸井君の隣の席ゲット出来たよ!
お土産のことを思い出して慌てて丸井君を呼び止めて紙袋に入ったクラス全員分のチョコレートから一つを取り出した。
丸井君チョコレート喜んでくれるかな?
そう思ったのだけど予測は外れて丸井君の表情は曇っている。どうしたんだろ?この反応は予想外だ。


「あーわりぃ、俺彼女いるからさ。お菓子受け取れねぇの」
『そっか、そしたらしょうがないよね。うん、じゃあジャッカル君にでもあげてよ』
「は?何でジャッカル?」
『クラスメイトの分も先生の分もちゃんとあるし自分の分も勿論あるからさ。このチョコレートかなり美味しいしジャッカル君にあげたやつを味見するならいいかなって、思って』


強引過ぎたかな?
でもやっぱり丸井君にこのチョコレートは食べて欲しい。このチョコレートの美味しさを共有したい。
押し付けがましい理由に最後はしどろもどろになってしまい、心臓が急激に早鐘を打つ。
駄目かな?やっぱり困るかな?そう思いつつもチョコレートの包みをそっと差し出した。


『あー、…わかった。これは土産だもんな。そう土産。クラス全員にあるならいいよな。よしやっぱ俺が貰うわ。ジャッカルにやるのは惜しいし。サンキュ』


悩みに悩んだ末、丸井君はお土産を受け取ってくれた。やっぱり強引だったかな?困らせたよね?ほっとしたものの少しの不安が残ってしまう。
けれどそんな私の不安を払拭するかのように丸井君はお土産を手にして前みたいな笑顔を見せてくれた。それは甘いものを食べる時に見せてくれる私が大好きな笑顔だ。
あぁ、私立海に帰ってこれて良かったぁ。


丸井君を見送って全員の席へとお土産のチョコレートを配ることにする。
みんな元気かな、丸井君と同じように元気だといいな。
最後に担任用のチョコレートを教卓に置くと懐かしい顔が教室へと入ってきた。


『ちはるちゃん!』
「凛ー!ひーさーしーぶーりー!元気してた?凛が居なくてあたしも梨夏も寂しかったんだからー!」


バレー部のエースの片岡ちはるちゃん。
また背が伸びたかな?スラッとした手足がとても綺麗だ。
両手を広げて私に近寄ってくるとその勢いで抱きしめられた。私も二人に会えなくて寂しかったよ。


『席ここでいいかな?』
「一番乗りだったんだね。良かった良かった。ん?この窓際の一番後ろは?」
『丸井君がここがいいって』
「へぇ、日本に帰ってきて早々に丸井に会って隣の席をゲットするとは凛もやるようになったね」
『違うよ!そんなんじゃなくて!丸井君が言ったんだよ!』


ちはるちゃんが私の反応を見るようにニヤニヤとしている。そんな風にからかわれるのも久しぶりで嬉しいような気恥ずかしいような不思議な気分だ。


「とりあえずあたし部活行ってくる!後でね!」
『うん、部活頑張ってね!』


ちはるちゃんを見送って自分の席に座って丸井君とのやりとりを思い出した。
最後は笑ってくれたけどやっぱり強引だったかな?ちょっと困ってた気がする。
…やっぱり彼女居たかぁ。丸井君だもんね、居ないわけがないよね。机に突っ伏して深く息を吐いた。
帰ってきて早々に失恋とはついてない。
丸井君カッコいいもん仕方ないよね。
わかってたねどやっぱり凹む。ちはるちゃんは部活に行っちゃったし梨夏早く来ないかなぁ。


でも不思議だ。丸井君に彼女が居たことは過去にもあった。むしろ彼女が居ない時の方が少なかったし。
けれど前は差し入れのお菓子を断ってるの見たことない。それが何で急に受け取らなくなったんだろう?あんなに甘いもの好きな丸井君がどうして?


…何かあったのかな?


***


部活開始ギリギリの時間に部室へと駆け込む。
やべー遅刻したら幸村になんて言われるか分かったもんじゃねー。真田もうるせーしなぁ。
慌ててロッカーに荷物を放りジャージに着替える。部室には既に仁王しかいなかった。


「ブンちゃん遅いぜよ」
「一回先に教室に行ってたんだって」
「例の席取りか?」
「そーそー3年の教室マジ遠かったぜ」
「珍しいもん持っとるな。お菓子かそれ?」
「あー。チョコレート?つってたかな?留学土産だってよ」
「去年は土産だろーとなんだろーと断っとったのにのぅ」
「あいつは何にも知らねーからな。久々に会っていきなり断るのもわりぃだろ」


嫌なこと思い出させるんじゃねーよ。お前も関わってたじゃねーか。
盛大に溜め息を吐くと仁王は「すまんのブンちゃん」と呟き外に出ていった。
あ、椎名に口止めしとくの忘れた。
まぁ片岡か鈴木辺りから聞くか。
やべ、いい加減外に出ねーと今度こそ真田の雷が落ちる。


ロッカーからラケットを取り出すと鞄の上のチョコレートに目が止まり自然と笑みが溢れた。
ベルギーのチョコレートか。やべぇ、少し楽しみだ。受け取って良かったかもな、断ってたら多分後から後悔してる。
おかげで練習に気合いが入ったことは間違いなかった。


***


「えっ?丸井にチョコレートあげたの?」
『う、うん。みんなにお土産買ってきたし。何かダメだった?』
「あいつ受け取ったの?」
『最初は彼女が居るからって言われたんだけど。でもベルギーのチョコレートだしどうしても食べてほしくて。ジャッカル君にあげてって言ったら受け取ってくれた』
「凛は消極的過ぎるとこあるけど変に大胆なとこもあるよね」


のんびりと登校してきた梨夏に席の説明をしつつ丸井君のことを報告する。
梨夏は吹奏楽部。朝練はコンクール前にしかないらしい。
お土産のチョコレートをつまみながら不思議そうに首を捻っている。


「でも不思議だなー。今まではお土産だって断固拒否だったのにあいつ」
『そ、そうなの?』
「そうだよ。一切拒否してた。何なら校内に彼女作ることも今はないはず」
『でも彼女いるって言ってたよ』
「他校らしいよ。まぁあんなことあったらしょうがないよね。だから丸井がお土産受け取ってくれたことはこのクラス以外に言ったらダメだよ」
『わ、わかった。でも何があったの?』
「あれは去年のGW後のことだったかな?」


それから梨夏はぽつりぽつりと何があったかを教えてくれた。詳しい話はジャッカル君に聞いた話らしい。
梨夏とジャッカル君は家が近いらしくて昔から仲が良い。


私が去年の四月にベルギーに留学して直ぐのGWのこと。
丸井君には彼女が居たらしい。隣のクラスの斎藤さん。
確かにとても綺麗な人だ。丸井君の彼女だと聞いても納得してしまう。
でもそれは周りに隠されてた。斎藤さんが丸井君に内緒にしてほしいと頼んだそうだ。
確かに斎藤さんのいるA組には男子テニス部の部員は居ない。あれだけ人気のテニス部だ。
守ってくれる人間が居ないのなら黙っておいた方が良いだろう。
ここまでは別に普通のことだと思った。
このあと驚愕の事実を耳にすることとなる。


ハードな練習の男子テニス部もGWに一日だけ休みがあったらしい。
それで丸井君はジャッカル君と後輩の切原君とゲームセンターで遊んでたらしい。
そこで斎藤さんと隣に仲良さそうに歩いてる仁王君の姿を目撃した。切原君が行きたがった少し遠くにある大型ゲームセンターで。


丸井君は最初その二人との接触を避けようとしたらしい。けど二人を見つけた切原君が即座に声をかけに行ったのだ。ジャッカル君も切原君を止めに行って丸井君も付いていくしかなかった。
近付いてきた三人を見ると斎藤さんは明らかに態度がおかしくなったそうだ。
何やらしきりにそわそわとして帰りたそうにしてたと言う。
そして切原君がついに仁王君に聞いてしまったんだ。「その隣の綺麗なお姉さんは彼女ですか?」と。仁王君も当然のように「そうだ」と答える。


ジャッカル君はこの辺りで丸井君の様子が普段と違うことに気付いたらしい。
いつもなら切原君と一緒に仁王君をからかうはずなのに何も言わないから。
急に体調が悪いと言う斎藤さんを仁王君は帰らせた。彼も二人の態度をみて何かを悟ったらしい。


そう、斎藤さんは二股してたんだ。


二人が何をどう話したのかはジャッカル君は知らないと言う。
二人で話したいと言われて切原君とゲームをしてたから。
そしてその日のうちに二人は斎藤さんと別れた。


そこから丸井君は女子生徒を一切近付けなくなったと言う。差し入れも全て拒否。
同じクラスの女子とは比較的仲良くしてる。
それ以外の女子生徒には私が想像出来ないくらいの塩対応だったらしい。


……そうだよね、あんなことされたら傷付くよね。
私はなんだか丸井君の気持ちになったようで悲しくなった。二股なんてされたら辛い。
しかも、その相手が仲良くしてる同じ部活の人だなんて。


一人落ち込みそうになっていたらぎゅむと鼻をつままれる。


『ひゃ、ひゃにするの』
「何で凛がそんな悲しい顔するの」
『だって、そんなの酷すぎるし』
「あんたねーそんな顔してたらバレるからね。無邪気に笑ってなさい。せっせと丸井にチョコレート作ってたらいいんだって」
『でも受け取ってくれないかもだし』
「そしたらあたしがジャッカルにその差し入れ流すから。甘いもの好きか知らないけどコーヒーと飲むには合うだろうし。ジャッカルからならきっと丸井も食べるでしょ。何のために留学したの?丸井の胃袋掴むためにショコラティエになるって決めたんでしょ。迷ってどーする!」
『そうだよね。…頑張るよ私』


丸井君に何があったのかはわかった。
でも私が出来ることはチョコレートを作るだけだ。
そう中等部2年の時に決めたのだから。


「凛は一途を通り越してるよねー」
『えぇ!』
「あんたらしくて好きだよ。だから私もちはるも応援してる。頑張れ」


そう言って梨夏はふんわりと笑った。
ちはるちゃんとは違う、でも人を安心させてくれる笑みだった。


中等部2年の春に私は丸井君に一目惚れした。ベタ過ぎるけど同じクラスになって一目で好きになったんだ。
中等部は高等部と違って毎年クラス替えがある。
梨夏とは2年の時から仲良くなった。
ちなみにちはるちゃんは3年からだ。
実家がケーキ屋さんなこともあって、その手伝いもしていたから練習に見に行くこともなくて当時はテニス部のこと噂程度でしか知らなかった。
だから2年になって初めてテニス部レギュラーの人を身近で見て最初はとても驚いた。
丸井君の周りにはいつも人がいる。
男女問わずいつもとても楽しそうだ。
その輪に入る勇気はなかったけど楽しそうにしてるのをこっそり見てるのは楽しかった。


初めて話したのはいつだろうか?
夏前だったかな?新作メニューのゼリーを考えててよく放課後梨夏に味見してもらってたのだ。


「あちー。なぁ鈴木何か食いもん持ってねぇ?充電切れそーなんだよ」


梨夏は社交的で友達も多く丸井君ともよく話していた。私は突然丸井君が教室に戻ってきたから驚いて固まっていた。


「ない。私の分はあっても丸井の分はありません」
「お前今すげぇうまそーなの食ってんじゃん!」
「これは凛が私のために作ってきてくーれーたーのー」
「あぁ、えーと椎名?だよな?俺にもそのうまそーなゼリーくれ!」
「あんた今日だって色々貰ってたでしょうが!てか練習はどうしたのよ!」
「もう全部食っちまったんだよ。しょうがねーだろい、俺燃費すげー悪いの。ちなみに宿題のプリント取りにきた」


二人が私のゼリーを取り合ってる。
と言うか丸井君が私の名前を覚えてくれてたことが嬉しくて、二人のやりとりに緊張が解けて笑ってしまった。


『いいよ。まだあるし。梨夏には明日も作ってくるし何個いる?』
「凛!私のゼリーでしょ!」
「やりぃ!椎名ありがとな!一つでいいぜ。その代わり鈴木に何か作ってくるなら俺にも1つお裾分けくれよ!」
『え?いいの?』
「いや、いいのってなんだよ」
『ケーキの試作品とかも作るから味見してくれるのは嬉しいよ』
「は?もしかしてお前んちケーキ屋なの?」
『うん、ケーキ屋さん』
「マジか!俺ケーキ大好きなんだよな。自分でも作るし」
『丸井君も作るの?そしたら味見してもらうの自信ないなぁ』
「や、大丈夫大丈夫!これから俺の分も宜しくな!じゃ俺部活戻るから」
「あたしの取り分がへーるー!」


そこから丸井君との不思議な関係は始まった。
普段話すことは殆どない。
ケーキやゼリーシュークリームチョコレートなど作った時だけ丸井君は部活を抜け出して私たちの試作品評会に加わった。
お誘いしてたわけじゃないのに何故わかったのか不思議だったけど、どうやら私の荷物の多さでその違いを感じとってたらしい。
舌の肥えた丸井君のアドバイスは的確でとても助かったのを覚えてる。
気付いた時にはうちのお店の常連さんになってたし。それからあっという間に月日は過ぎた。


あれは2年の終わり。
まだパティシエを目指していて、二月の頭だったと思う。
バレンタイン用にチョコレートケーキの試作品評会をしてた時だ。


「俺さ、部活を抜け出してケーキ食ってんの幸村にバレた」
「じゃあもうこの試作品評会これませんね。残念ですね」
「お前!鈴木!全然残念そうじゃねーし!何なら嬉しそうにしてんじゃねーか!」
「私の取り分が元に戻るもん」
『幸村君に怒られちゃったらしょうがないねぇ』
「いや!俺の取り分は渡さねぇ!あのさ、別にしてくんね?ちゃんと感想は教えるからさ。連絡先教えてくれたらいいし」
『え、いいの?』
「当たり前だろ!つーか前もこんなやり取りなかったっか?お前変わってんな、んじゃ連絡先くれ!」


ケータイの番号を書いたメモを渡すとチョコレートケーキを頬張り教室を出ていった。
今日も美味しそうに食べてくれたなぁ。連絡くるといいなぁ。
梨夏が隣でニヤニヤと何か言いたげだ。


「良かったね。丸井から連絡先聞いてくれて」
『うん、良かった』
「もっとはやく自分から聞けば良かったんじゃないの?」
『それは絶対無理!無理無理無理!』
「あんたほんと消極的よねー」


そう言ってふんわりと笑った。


うちに帰ったら早速丸井君から連絡がきてた。
ちゃんとアドレスも添えてくれてる。
じわりじわりと嬉しさが込み上げてくる。


丸井君:椎名!あのさちょっと頼みがあるんだけど。

凛:何かな?

丸井君:バレンタイン用にチョコレートケーキ作ってるだろ?それ誕生日用に作れねぇ?

凛:ケーキなら丸井君も得意じゃないの?

丸井君:俺チョコレートも大好きなんだけど作るのは少し苦手なんだよー。温度管理って言うの?大変だろ?
弟が15日に誕生日なんだけどチョコレートケーキが食べたいって言うからさー。

凛:コツ教えようか?

丸井君:それも考えたんだけど時間がねぇから頼まれてくんね?

凛:わかったよ、じゃあ作ってみるね。15日当日でいいかな?

丸井君:おー。練習帰りに取りに行くわ!ちゃんと金も払うし。

凛:それならうちのチョコレートケーキ買った方が良さそうな気がするけど。

丸井君:椎名のとこのチョコレートケーキもいいんだけど違ったやつ食べさせたくね?つか俺お前の作るチョコレートの味好きなんだよなー。何が違うんだろなあれ?

凛:そこまで言って貰えると嬉しいかも。作りがいがあるよ。じゃあ張り切って作るから15日に取りにきてねー。

丸井君:おー宜しくなー!


この瞬間私はパティシエになるのをやめてショコラティエになることに決めた。
両親も私が迷ってたのは知ってるから快諾してくれた。我ながらかなり単純すぎる理由だ。
けど好きな人が自分の作るチョコレートが好きだなんて言ってくれたら、それが丸井君だったらどんな女の子でもショコラティエになるって言うと思う。
梨夏に伝えたら「それは引く」って言われたけど。それでも私の意思は変わらなかった。
ショコラティエになる。丸井君のために美味しいチョコレートを作る。これが私の全て。


「椎名ー!チョコレートありがとな!ベルギーのチョコレートなんて初めて食ったけど美味しかったぜ!」
『それなら良かったー。丸井君チョコレート好きって言ってたから』
「朝練の充電出来たからマジありがとな!」
『どういたしまして』


朝練から戻ってきた丸井君が上機嫌でお土産の感想を教えてくれる。私も初めて食べたとき同じこと思ったんだよ。だからこそ丸井君に食べてほしくて買ってきたんだ。喜んでくれて本当に良かったぁ。


さて、明日は何を作ろうかな。
この陽気だとチョコレートムースとか良さそうだな。
頑張ろう、これは胃袋を掴むための戦いだ。
少しでもこっちを向いてくれたらいいな。
期限は一年間。駄目ならすっぱり諦める。
そして製菓学校に行くのだ。


次の日の早朝。
朝練が始まる少し前に私は学校に居た。
ちはるちゃんと梨夏と考えた作戦はこうだ。直接渡した所で丸井君は差し入れを受け取ってくれない。
それならば男子テニス部レギュラー陣を巻き込んじゃえと言うアバウトな作戦だった。
私が差し入れを部室のドアノブにかけておくことをジャッカル君に梨夏が伝えてくれたのだ。


今日は甘さを抑えたほろ苦いチョコレートムース。
甘いものが苦手な人でも美味しく食べれるようにと作った。
甘いのが好きな人のために別にチョコレートソースもいれておいた。
緊張で心臓がバクバクとうるさい。
反して早朝のテニスコートはとても静かだ。


「お前は丸井と同じクラスの椎名だったな」
『わっ』


そっと紙袋をドアノブにかけた所で後ろから声を掛けられた。恐る恐る振り向けば生徒会の柳君が立っている。


「驚かせてしまったのならすまない。…それは?」
『あの、あの…皆さんに差し入れです…』


見付からないようにと早めに登校したのに草々に見付かっちゃうだなんて、こんなに早く柳君が来るのは想定外だった。どうしよう、やっぱりこういうのって良くないかな?


「そうか、では皆でいただくとしよう」
『いいんですか?』
「早朝の差し入れをされたことはないのでな。まぁお前なら精市も許すだろう」
『えぇと、皆さん物知りなんですね』
「お前は1年の時の主席だからな。知らない人間の方が少ないと思うぞ」
『そうなんですか』
「それに中等部の時に名前を一度聞いたことがあった。丸井のサボり癖が出た時だな」
『それはあのっ…すみませんでした』
「昔のことだ。お前の気持ちは分かるからな。まぁ頑張るといい」


そう言って柳君は紙袋をもって部室へと入って行った。
「頑張るといい」ってもしかして私のやってること筒抜けなのかな、どういうことだろう?
柳君の反応は少し気になる。でも頑張るって二人と約束したし、あと一年しかない。
これ以上誰かに会わないように校舎へと足早に向かった。


***


練習が終わると柳が冷蔵庫から何かを取り出した。あいつに似合わない洋装の紙袋だ。
なんだあれ?


「丸井と同じクラスの椎名からの差し入れだそうだ」
「まじっすか!俺腹減ってたんすよー!中身何すか?」
「チョコレートムースだとよ」
「ジャッカル先輩何で知ってるんですか?」
「その椎名ってやつの友達から聞いた」
「甘さ控えめだと書いてありますね。甘いのが好きな人は付属のチョコレートソースをかけて食べてくださいだそうです」
「柳、椎名に会ったのか?」
「俺が部室に着いた時にはもう居たからな」
「丸井は食べないの?美味しいよこれ?」
「仁王先輩も食べましょうよーこれかなりウマいっす!」


柳が取り出したチョコレートムースを皆が食べ始める。
真田も幸村に強引に勧められて食べている。
渋々と口にしたところで驚いたように目を見開いた。
まぁチョコレートって聞くと甘いと考えるだろーしな、意外と口に合ったんだろな。
でもなんで椎名はこんなことしてんだ?


「丸井先輩いらないなら俺にください!」
「いや、赤也これは俺が貰うぜよ」
「仁王先輩甘いもの嫌いじゃないっすかー!」
「これは食べれるナリ」
「えぇーずりーっす!」
「丸井、本当にいらないの?お前が差し入れ受け取らないのはわかってるけど本当にいいんだね?これ美味しいよ?ねぇ真田」
「あぁ、そうだな。きっと食べる人のことを考えてあるのだろう」


椎名の考えてることが全くわかんねぇ。後ろで赤也達がごちゃごちゃとうるせーし。
けど甘いものが苦手な仁王や真田が完食してるのをみると本当に甘さに配慮して作ってあるんだな。あいつ相変わらず色々作ってんだなぁ。


ぼんやりしてるうちに俺のチョコレートムースにチョコレートソースをかけている幸村がいる。


「幸村っ!それ俺のっ!」
「うん、わかってるよ。はいこれ丸井の分。俺達にってくれたものなんだからやっぱりお前も食べるべきだよ」


咄嗟に口が滑った。あんなに貰わない、食べないと決心してたのに。
ハッとするもあっさり幸村は俺にムースを手渡してきた。それを受け取って一口食べると、それは久々にも関わらず椎名のチョコレートの味がした。俺の好きなチョコレートの味だ。


「相変わらずうめぇな」
「先輩もそう思います?椎名先輩にお礼言っておいてください!また差し入れ待ってますって!」
「切原君、差し入れを催促してはいけませんよ。丸井君、私からも椎名さんにお礼を伝えておいてください」


懐かしい味に自然と顔が綻んだ。
食ったことのある味、そういや昔椎名によく作ってもらったっけ。
チョコレートムースを食べてる間に他の部員は一人また一人と消えていく。
気付けば柳と俺だけになっていた。


「何だ柳、何か用でもあるのかよ」
「いや、珍しくゆっくり味わうように食べていたからな」
「こいつのチョコレート久々に食ったんだよ。いいだろい」
「椎名が何故ベルギーに留学したか知ってるか?」
「いきなり何の話だよ、知るわけねーだろ」
「ショコラティエになりたいそうだ」
「は?パティシエじゃなくて?」
「そうだ。そのために高校1年は勉強に費やしたと聞いている。学年一位にならないと留学先が選べないからな。」
「何でパティシエじゃないんだ?」
「そこまでは調べがついていない。ただ椎名が進路を決めたのは中等部2年だそうだ」
「そんなにはやくに?」
「そうだ、1年の頃はまだパティシエだった。3年の時にはもうショコラティエだったがな。2年の時に何かがあって気が変わったんだろう」


それだけ言うと柳は部室を出ていった。
あー鍵当番俺になっちまった。っとのんびりしてる場合じゃねぇ!
ムースのごみを捨てて着替えると慌てて教室に向かった。既にチャイムが鳴っている。
何でこんなギリギリになったんだよ!
柳が変なことを話すからだろ!


***


どうしよう丸井君が教室に来ない。
何かあったのかな?揉めたのかな?
ムース美味しくなかったのかな?
朝練は終わってるはずなのになかなか丸井君が来なくてそわそわと落ち着かない。
ちらちらと教室の入口を見てたらチャイムが鳴り終わると同時に丸井君が滑り込んできた。


「丸井今日は遅かったね。遅刻でもしたの?あ、幸村に怒られてたんでしょー」
「うっせー片岡。色々あったんだよ、前向け前」
「はいはい」


肩で息をしてる丸井君をちはるちゃんがからかっている。部室から教室まで走ったのだろうか?幸村君に怒られたって本当かな?大丈夫かな?
担任がやってきたところで教室のざわめきが少し小さくなった。


「椎名、差し入れすげぇうまかった。ありがとな」
『う、うん。それなら良かった』
「何でわざわざ部室まで持ってきたんだ?」


先生の声を遮らない小さな声で丸井君が話しかけてくる。この感じなら怒られなかったのかな?大丈夫そうだ。


『彼女いるから差し入れ貰えないって言うから。直接じゃなかったらいいかなって』
「俺のために?」
『丸井君の舌は肥えてるからね。ベルギーに行って自分も少しは成長出来たと思うし一番に食べて欲しかったんだ』
「つーかなんでショコラティエなんだ?俺はてっきりパティシエになると思ってたし」
『えぇと、それはー内緒』
「ずりーぞそれ。教えろよ」
『んーじゃあいつか話すね』
「今がいい」
『それは無理だよ』
「お前意外と頑固なんだな」
『んーそうかも』


二人で笑い合っているとぬっと動く影に遮られた。


「椎名と丸井随分楽しそうだなー?」


見上げれば担任が直ぐ側に立っている。
どうやらそこそこ大きい声で喋っていたらしい。丸井君と話すのに夢中で全然気付かなかった。


『すみませんでした』
「スイマセン」


咄嗟に二人で頭を下げる。
クラスメート達の視線が痛い。
みんなしてなんだかニヤニヤしてるのは気のせい?


「お前ら今日居残りな。俺の仕事手伝えよ」
「ゲッ。せんせー俺部活があるんだけど」
「大丈夫だ。今日は幸村のクラスの授業があるから俺が伝えておいてやる」


そう言って担任は楽しそうに教室を出ていった。
どうしよう、これ丸井君が幸村君に怒られちゃうやつだよね。結局怒られちゃうなんて申し訳なさすぎる。


『あの、丸井君ごめんなさい』
「や、俺も悪かったしな。普通に喋りに夢中になってたし」
『でも部活あるしごめんね』
「幸村に言うってことは許可取るつもりなんだろうししょーがねぇよ」
『私一人でも大丈夫だよ?』
「そんなことしたらあの担任にも幸村にも何言われるかわかんねぇって。ま、ちゃっちゃと終わらせよーぜ」
『わかった。頑張ろうね』


ちはるちゃんと梨夏からの何か言いたげな視線が痛い。
これは後から絶対にからかわれるやつだ。
ただでさえ、クラスの注目になって気恥ずかしいのに絶対楽しんで色々言ってくる気がする。
顔が火照るのも仕方無いと思う。


あっという間にお昼の時間。
丸井君はテニス部の人達と食べるらしく居ない。
デザートにチョコレートムースを食べながら会話が弾む。丸井君が居ないから二人も遠慮無しだ。


「あんなに大きい声で話しててよく先生に気付かれないと思ったよね」
『最初は小さな声で話してたよー』
「丸井も珍しく楽しそうだったもんね」
『丸井君はいつも楽しそうじゃない?』
「や、この一年くらいは違ったよ」
「一年は言い過ぎでしょ。せいぜい半年じゃない?」
「女子と積極的に話すことなかったもんねー」
『二人にも?』
「んーうちらにはそこまでじゃなかったけど。まぁこんなんだしねー」
「丸井に興味無いですよって女子とは普通だったかな?まぁうちのクラスの女子には普通だったかも」
「まぁ女性不信になってもねぇ」
「あれはしょうがないよね」
『………』


原因は梨夏から聞いてる。二人がこういうのもわかるけど、私から見た丸井君は差し入れを受け取ってくれないこと以外何も変わらないように見えた。クラスメイトだからかな?梨夏達に対しても前と変わらなく見えるし。
確かにそうだと思う。


「……さん。椎名さん?」
「ちょっと!凛!」


考え込んでたら名前を呼ばれた。
顔を上げれば青木君が私の隣に立っている。


「椎名さん?ちょっといい?」
『ごめんね、ぼーっとしてた。それで何か用事かな?』
「ちょっと話があるんだけど」
『うん、なに?』
「あ、えぇとここではちょっと」
『人に聞かれたくないことだったりする?』
「うん、ちょっと」
『わかった。お弁当食べ終わったし行くね』


お弁当箱を片付けてちはるちゃんと梨夏に行ってくると伝えれば二人はニヤニヤと笑っていた。今日二人にニヤニヤされっぱなしだけど何でだろう?丸井君のことに関してはわかるけど、今ニヤニヤする箇所あったかな?


***


「あれは告白ですねちはるさん」
「そうだろうねー。青木が凛を好きなのも凛が丸井を好きなのもうちらみーんな知ってるもんねー」
「当人達だけ全く気付いてないんだよね」
「さすがに青木は凛が丸井のこと好きなの知ってるでしょー」
「あんだけ見てたら分かるか」
「んーでも丸井は全く脈無しとは思わないんだけどなぁ」
「んー彼女いるのも多分嘘だろうしね」
「何なら久々にあんな楽しそうに笑う丸井見たわ」
「あーわかる」
「うちのクラスって何でこう見守り系なんだろね?」
「うちらがいるからじゃない?」
「まぁゆるーく見守りますか」
「凛がどんな顔で帰ってくるか楽しみ!」


***


青木君は校舎の外へとずんずん進んでいく。
そんなに人に聞かれたくないことなのかな?
深刻な話だったらどうしよう。ちゃんと悩み聞いてあげれるかな?
男子テニス部のコートを通りすぎ校舎裏まで連れてこられた。
うん、ここなら他の人に聞かれることはなさそうだ。


『青木君ここならきっと他の人には聞かれなさそうだね』
「そうだね」
『私にアドバイス出来るかわからないけど相談に乗れるように頑張るね』
「あーいや、相談とかじゃないんだよ」
『え?じゃあ何でここに?』
「相談とかじゃなくて、俺椎名さんのこと1年の時から好きなんだ」
『え?』
「一年ぶりに会ったけどさ、やっぱりいいなって思って。付き合ってる人とか居なかったら俺と付き合ってほしい」


…びっくりした。驚きすぎて言葉が出てこない。きっと晴天の霹靂ってこういうことを言うんじゃないかな?
てっきり相談だと思ったのに青木君の口から出たのはまさかの告白だった。


「返事はいつでもいいから考えてほしい」


「じゃあ俺先に戻るから」と青木君が去ろうとする。この流れは良くない気がする。
他人のことを考える余裕は私には全くないのだ。自分の気持ちで精一杯なのだから。


『青木君!ごめんなさいっ!気持ちは嬉しいけど好きな人がいるの!』


去ろうとする青木君に聞こえるように少し大きい声が出た。


『だから付き合えない』
「そいつのことはいつから好きなの?」
『もう四年になるかな』
「それって丸井でしょ?」
『〜っ何でそれを!』
「いや椎名さん見てたらわかるって。いっつも丸井のこと見てたじゃん。それもすげー優しい顔してさ」
『青木君あの、あのっ!もう少し静かな声でお願いします。あと、あとね……誰にも言わないでほしい』
「わかってる。ごめんな、ちょっと困らせたくなった。じゃあ俺行くから。気持ち聞いてくれてありがとな」
『こちらこそありがとう、ごめんなさい』


深々と頭を下げると返事をするように片手を上げて青木君は去って行った。
まさか青木君に告白されるなんて全然考えてもなかった。梨夏達がニヤニヤしてたのってこういうこと?
…え、と言うか青木君は私が丸井君のこと好きなの知ってたの?そんなに分かりやすい行動してたつもりはないのに。そんなにいつも丸井君見てたかな?…1年の時はそうだったかもしれない。勉強の合間に丸井君をこっそり見るのが癒しだったから。他の人も知ってたらどうしよう。え、どうしよう?とりあえず戻ろう!ちはるちゃんと梨夏に相談しなきゃ!
しばらく呆然としてたものの、我に返って足早にその場を去った。


***


校舎の裏。
テニスコートのフェンス際に俺は居た。正確には俺達、レギュラー陣全員。
椎名が俺を好き?驚き過ぎて頭が真っ白だ。


昼食を食べてミーティングを終えると幸村からの説教が待っていた。
他のメンバーはそんな俺達に関わらないようにそれぞれ好きなことをしてる。
怒ってる幸村には近付くなが暗黙のルールだからだ。そんな怒ることないだろい。
思っても口には出さねぇ、明日のメニューが倍になるだろうし。まぁ結局倍になりそうだけど。そんな中赤也が声を上げた。


「あれってきっと告白っすよねー」
「切原くんダメですよ。盗み見のようなことをしたら」
「いや、男も結構イケメンだし一緒に歩いてる女子も結構可愛いんすよ!」
「あれは、丸井と同じクラスの椎名だな」
「えっ?あれが椎名先輩なんですか?」
「は?椎名?」


幸村の説教が終わってもないのに椎名の名前が急に飛び出して途端にそっちが気になった。


「丸井、俺の話聞いてる?」
「わりぃ、ちゃんと聞いてるよ」
「あれはサッカー部の青木じゃな。エースぜよ」
「仁王知ってるのか?」
「中3が一緒じゃった」


「は?青木?」
「丸井?そんなに二人が気になるの?」
「あ、いやその……」
「分かった。告白かどうか俺が聞いてこよう」
「えっ部長本気っすか?」
「コートの際にいたら見付からないよ」
「精市それは悪趣味だと思うぞ」
「丸井が俺の話を聞いてくれないからね。さ、行くよ丸井」
「俺も?」
「お前が直接聞いた方がいいと思うけど。俺が嘘ついたらどうするのさ」
「俺も聞きたいっす!」
「面白そうじゃのう」
「皆たるんどる!」
「弦一郎ちょっと黙ってくれるかな」


そんなこんなで部室から静かに出て向こうから見えないようにゆっくりと移動する。
気付いたら全員がコート際に居た。
告白の声が鮮明に俺達まで届いてくる。
青木の告白を椎名が断って、それから椎名の好きなやつの話になって、その相手が俺だって言うんだから心底驚いた。
立ち上がりかけたのを幸村に抑えつけられる始末だ。


青木と椎名が立ち去るのを見送ってから全員で部室に戻った。心臓がバクバクとうるさい。なんでこんなに動揺してるんだよ俺。


「今日はもう丸井に説教しても仕方ないね」


幸村が目の前で大きな溜め息を吐いた。
いや、俺がわりーんじゃなくて。
どうしろってんだこれ?


「椎名先輩可愛かったっすねー」
「そろそろもういいんじゃないか丸井」
「私もそう思いますよ。椎名さんのチョコレートムースからはとても優しい味がしましたから」
「む、何の話だ」
「弦一郎は黙って。後から説明するから」
「ブン太、俺ももういいと思うぞ。あのこは多分お前を裏切ったりしないだろうし」
「ブンちゃん、素直になりんしゃい」
「俺が今朝話したことを覚えているか?ショコラティエになるのは多分お前のためだぞ」


周りでレギュラー陣がごちゃごちゃうるせぇ。いやでも俺もうしばらく恋愛しねぇって決めたし。決めたけど、なんだこの気持ち。すげぇもやもやしてる。


「丸井が彼女のことをどうにも思ってないならそんな顔しないでしょ」
「まーよく考えて行動しんしゃい」
「丸井君意地を張るのだけはダメですよ」
「椎名先輩どんな顔して丸井先輩のこと見てたんでしょうねーうわ、見てー」
「赤也お前は少し黙っておけ」
「ブン太、俺達はな昨日今日のお前の変化にびっくりしたんだからな」
「この二日間はいつもと何だか違いましたね」
「俺はよくわからないが、よく考えて決めろ。迷うくらいなら進め」
「弦一郎にしてはまともなアドバイスだね。まぁ直接告白されたわけじゃないからゆっくり考えたらいいよ。今日は先生に言われたから部活休みでいいし」


口々に頑張れよと伝えてみんなが出ていく。俺もそろそろ戻らないと。
いや、まてあいつ隣の席だぞ。
どんな顔して会えばいいんだよ。
サボりたい。が、柳に鍵を閉めると言われ部室を追い出された。


「丸井、素直になることだな」


そう言って柳は校舎に向かって行く。
しょうがねぇ。腹くくるしかねーな。
椎名が俺を好きって聞いても嫌な気持ちになんなかった。驚いたけど、あいつが俺を好きだって言ってくれんのはなんか嬉しかったんだ。


***


教室に帰ると二人が迎えてくれた。
内容が告白だったこと、断ったこと、青木君が私が丸井君を好きなことを知ってたこと、全部を小さな声で報告する。
二人は話を聞いてくれたけどそれだけだった。
え、何にも言ってくれないの?
何か隠してる?気のせいだろうか?


***


「おー玉砕したわー」
「青木も玉砕するの分かってて告白したんでしょ」
「ほれ、凛のチョコレートムースを一口あげよう」
「いらねーし。嫌がらせしてきてやった」
「は?あんた凛に何かしたの?」
「凛に何かしたら許さないよ」
「二人して睨むなよ。椎名さんにじゃないよ。丸井に」
「「はぁ?」」
「テニス部って大体屋上か部室で昼飯食べるだろ?だからイチかバチかの賭けだったけど校舎裏で告白してきた」
「「マジか!?」」
「で?テニス部は今日部室に居たの?」
「多分居たんじゃね?教室戻るとき人の気配あった気がするし」
「青木、あたしあんたのこと見直したよ!」
「いや、俺的には嫌がらせ」
「これで丸井が聞いてたらいいよねー」
「全員で聞いてたんじゃね?複数の気配あったし。んじゃ俺席戻るわ!」
「青木なかなかやるな」
「これで丸井が凛を意識してくれるといいよねー」
「ねー」


***


五限のチャイムと同時に丸井君が戻ってきた。
何か元気がない?幸村君に怒られたのかな?
目が合うとさっと逸らされてしまう。
どうしたんだろう?六限も似たようなものだった。
昼まではあれこれ話してくれたんだけど丸井君は何も話して来ない。


気まずい空気のまま授業が終わり帰りのHRを終えて先生に呼ばれる。資料室まで来いとのことことだ。


「あーこれ。1年のオリエーテーション合宿で使う資料。これを全部ホッチキスで止めて各クラスの人数ごとに分けといて。終わり次第帰っていいから。じゃ頼んだぞ」


『……』
「……」


気まずい。丸井君どうしたんだろ?昼前とじゃまるで別人だ。これが梨夏達の知ってる丸井君なんだろうか?でも急にどうして?やっぱり差し入れが良くなかった?それとも私と話してたせいで部活に行けなくなっちゃったからだろうか?


『丸井君、体調でも悪い?それとも幸村君に怒られた?』
「いや、ちげーし」
『これくらいなら一人でも出来るから部活行ってもいいよ?大丈夫だよ?』
「あー部活はいい。幸村に休んでいいって言われたし」
『えっとじゃあやっぱり体調悪いんじゃないの?』
「体調も悪くねーよ、大丈夫」
『ならいいけど、じゃあ始めようか』
「おーちゃっちゃと片付けちゃおうぜ」


ぎこちない会話は余計に雰囲気を悪化させた。出来れば理由を知りたかったのだけど、無理そうだ。仕方無く諦めて作業に集中することにした。
向かい合って座り、無言のままもくもくと作業を進める。
けれどふと正面からの視線を感じた。
話しかけようと視線を丸井君に向けるとぱっと視線をそらされちゃうけど。…やっぱり私が原因なのかな?


「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
『…うん』


もやもやした気持ちのまま作業していたら丸井君の重たい口が開いた。
手元のプリントに視線を落としたまま返事をする。聞きたいことってなんだろう?


「なんでショコラティエになろうとしたんだ?」
『〜〜っ!』


驚いたせいで手元が滑りプリントがばさりと床へと落ちる。
顔を上げると丸井君が真っ直ぐ此方を見ている。えぇと、どうしよう。これは想定外の質問だ。
それにこの話は出来ないって伝えたはずなんだけど、どうして聞きたがるの?


『それはまだ……言えないよ』
「どうしても聞きたいって言ったら?」


何でこんなことを聞くんだろう?
丸井君が知りたくなるような理由が見当たらない。けど視線は真っ直ぐ私を射抜き誤魔化せそうにもない。
丸井君のことを隠して伝えてみればいいかな?
小さく深呼吸をして質問に答えることにした。


『中等部2年の時の話なんだけどね』
「おう」
『私のチョコレートの味が好きだって言ってくれた人が居たの』
「ん、お前の作ったチョコレート旨いもんな」
『それだけ』
「は?他にもなんかねーの?」
『ないよ。その人ねうちのお店のチョコレートケーキより私のチョコレートの方が好きだって言ってくれたから』


***


椎名は何で俺がこんな質問をしたのか全く見当もつかないみたいだった。
困ったように眉を下げるも俺が懇願するとぽつりぽつりと話し始める。
これってもしかしなくても俺の話じゃねーか!
すっかり忘れてたけど弟の誕生日ケーキをお願いした時のやつだ。
あのチョコレートケーキは本当に旨かった。
チビ達もかなり喜んでたから。


人から向けられる好意にうんざりしてた。
仁王と斎藤のこともあったけどそれ以上に女子が面倒なものに思えて遠ざけてた。
でも何故か一年ぶりに会った椎名は嫌じゃなかった。逆になんか話してて楽しかった気がする。
こいつの好意からは欲が感じられなかったからかもしれない。純粋な好意っつーの?そういうのってすげーなって思った。
普通ならもっと近付きたいとかもっと沢山話したいとか仲良くなりたいとか付き合いたいとかあるんだぜ。
そういう欲求がこいつからはあんまり見えなかったんだ。
中2の時だって高等部に上がってからも、久々に会った昨日今日も。俺全く気付かなかったし。
あーあいつらが行ってたのはこういうことなのかもな。
そろそろ進んでみてもいいのかもしれない。
椎名の好意に甘えてみても良いのかもしんねぇ。


「椎名、ごめん。俺昼休みあっこに居た」
『え…ひる、やすみ?』
「部室で飯食ってたんだよ。赤也がお前と青木を見付けたんだ」
『じゃあ、あの全部……』
「わりー聞いてた」


さあっと椎名の顔色が青くなる。
そのまま立ち上がって資料室の扉に向かうのを追って後ろから腕を捕まえた。
逃げられんのは困る、まだ俺本題話してねーし。


『ま、ままま丸井君離して!お願いだから離して!』
「少しは落ち着けって」
『でもでもでもでも全部聞いてたんでしょ?』
「おー聞いてた」
『だって彼女いるんでしょ?』
「いねーあれは嘘。去年別れてから彼女は居ない」
『え?』
「彼女はいらなかったんだよ。面倒だったから差し入れもいらなかったし。誰も信じられなかったからな」
『やっぱり差し入れ迷惑だった?』
「ちげーってそういうんじゃなくて」


何で椎名は泣きそうなんだよ?みるみる涙声に変わっていく。俺何もしてねぇよな?
いまだに手を振り払おうとここから逃げようと必死に抵抗してる。俺から逃げるとか無理だろい。


『私まだフラれたくないから離して』
「お前何言ってんの?」
『だって私青木君に丸井君のこと好きだろって聞かれてうんって答えちゃったし!聞いてたんでしょ?ズルいよズルい!』
「いや、だから俺まだ何にも言ってねぇ」


ついに椎名の目から涙が溢れてきた。
あーこれもしかして俺が泣かしたやつ?
しょうがないから腕を引っ張ったら簡単にこっちにふらつくからそのまま抱きしめてみた。
チョコレートのすげぇ良い匂いがする。


『まままま丸井君!何をしてるの!離して!からかわないで!』
「からかってねえから離さない。お前すげーうまそーな匂いすんのな」


しばらくは腕のなかでもがいてたけど離さなかったらそのうち大人しくなった。


『丸井君離してよ』
「逃げねぇ?俺の話をちゃんと聞く?約束出来んなら離してやるよ」
『多分』
「じゃ離さねぇ」
『約束するから!』


即答された。え、こいつ俺のこと好きなんじゃねーの?なのに離してとか、照れてんのか?
離すと顔は真っ赤だし涙はぼろぼろ溢してるしすげぇ酷い顔をしてる。


「椎名、俺お前のこと嫌いじゃない。つーか何でフラレる前提だったんだよ」
『彼女いるって聞いてたし』
「それは俺がわりーな。ごめん」
『からかってるんだよ』
「いやからかってねーし。あのな、好きでもない女の告白聞いてそれをわざわざ本人に話すかふつー?」
『先回りして告白阻止かもしれないし』
「何でそんなにマイナス思考なんだよお前」


つい思ったことを口に出してしまったら椎名の目に涙が滲む。
やべ、また泣かせるだろこれ。
ちゃんと言なきゃわかんねーか。
まぁそうだよなぁ。


「俺も椎名のこと好きだぜ」


俺の言葉を聞いた途端歪んでいた表情が唖然としたものへと変わる。ぽかんと口を開けたままだ。面白い表情してんなこいつ。
仁王辺りにおもちゃにされそーだよなぁ。


『嘘』
「俺が嘘つくように見えんの?」
『う……丸井君は嘘つかないと思う』
「だろい?」
『でも、何で?』
「お前のチョコレート。旨かったし嫌じゃなかったんだよ」
『ほんとに?』
「おー、ほんと。俺お前の作るチョコレートもお前も好きだぜ」
『打算的だよ?丸井君に好かれるためにチョコレート作ったよ』
「ま、いーんじゃねーの。俺が嫌じゃねーんだから」
『わ、分かった』
「四年も好きでいてくれてありがとな」
『……四年なんてあっという間だったよ』


そうやってやっと椎名は笑った。
泣いた後だし顔は赤いし、でもすげー良い笑顔だった。可愛かったからもっかい抱きしめたら今度は暴れなかった。


「椎名」
『はい』
「俺と付き合って」
『私で良ければ宜しくお願いします』
「凛って呼んでいいよな?」
『うん』
「また差し入れ作ってよ」
『いくらでも』
「あ、今度は俺だけに作ってくれよ」
『え?』
「いや、一人占めしたいだろい」
『んー幸村君がいいって言ったら』
「なんでそこで幸村が出てくるんだよ」
『なんとなく?幸村君は敵に回しちゃいけない気がした』
「いや、それは間違ってないけどよー」


***


資料室の外に二人の女子生徒


「上手くいったみたいだね」
「まぁこれで上手くいかなかったら青木がクラス全員から責められてたかな」
「さてそろそろ離れますか」
「みんながみんな五、六限の二人の様子が気になって部活休んだとかうちのクラス結構頭おかしーよね」
「何ならみんな帰らないから担任が何かあったのかって心配しに来たもんね」
「仲が良くていいじゃん」
「みんな待ってるよねー」
「この際みんなでカラオケ行こうよ!」
「お、いいねー楽しそう!」
「青木を慰めようの会だな」
「青木泣くよー」
「あたしが慰めよー」
「えっ!ちはるもしかして」
「ふふーそれはどうかなー?」
「えぇ教えてよー」
「梨夏こそジャッカルとどうなったんだい?」
「話をすり替えるな!あたしとジャッカルはそういうんじゃないの!」
「えーどうかなぁ?」

二人は嬉しそうに教室への道をかけていった。


***


「お、梨夏から連絡きたぜ」
「椎名先輩の友達ですか?」
「おお、んでブン太と同じクラスな。おー二重丸だとよ」
「それは上手くいったと言うことでいいんでしょうか?」
「まぁそうなる確率の方が高かったからな」
「これでブンちゃんも先に進めるのう」
「それは仁王お前もだよ」
「何の話をしている精市」
「丸井がこれで戻ってくるよって話。さ、そろそろ練習再開するよ」


書き直したら文章がそこそこ増えた。書き直すのもなかなか骨の折れる作業だなぁ。でも書き直せて良かったです!
2019/10/31

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