たった1つの悩みごと

「凛せんぱーい!今日の差し入れ何ですかー?」
『今日はシュークリームだよ』
「シュークリームそれっすか?俺冷蔵庫に入れてきます!」
『じゃあお願いするね』


結局、夜通し考えたけれど答えは見付からない。気持ちばかり焦って全然寝れなかった。後二週間で答えを出せだなんて到底無理な気がする。
朝一番に会うのが赤也君で良かった。こんな気持ちのままブン太に会うのはなんだか気が重い。大好きな人に会うのに気が重いだなんて考えてしまったことにまた気が滅入った。


「凛、はよ」
『おはようブン太』


朝練の準備をしていたらブン太がやってきた。欠伸を一つ噛み殺して此方へと近付いてくる。大丈夫、ブン太を前にしてもちゃんと笑えてる。いつも通り出来てる。昨日だって出来たから今日だって出来るはずだ。そう自分に暗示をかけるようにしていつも通り振る舞った。


「今日は幸村と試合だって言われたんだけど」
『幸村君との試合はいつも大変そうだもんねぇ』
「あいつ朝から容赦ねぇんだぜ。朝くらい軽めでもいいだろっていつも言ってんのによ」
『それが幸村君だからなぁ』
「お前もだいぶ俺達のこと分かってきたな」
『もう二ヶ月以上たつから当たり前だよ』
「ま、俺のことはそれ以上に分かっとけよ凛」
『勿論』
「んじゃ俺アップしてくる」
『頑張ってね』
「おお、しんどいけど勝ちにいってくるな!」


うん、大丈夫だ。ちゃんといつも通り出来た。ブン太をコートへと見送って一息吐く。ブン太の態度も普通だから問題は無いはず。さて私も次の仕事に取りかかろう。


「幸村はヤバい」
『朝から大変だったねブン太』
「ま、ストレートでは負けてやらなかったけどな」
『見てた見てた!』
「俺がテニス真剣にすんのは夏までだからちゃんと見てろよ凛」
『うん、大丈夫だよ。ちゃんと見てるから』


朝練が終わってブン太と教室へと向かう。最近は色々落ち着いたらしくじろじろ見られることも減った。ブン太の彼女が私ってことが校内で定着してきたらしい。そんなようなことを柳君が言っていた。やっぱりこうやって笑うブン太の隣にずっと一緒に居れたらいいなぁ。


「お前今日って片岡達と昼メシだよな?」
『そうだよ』
「あいつらの分のシュークリームまで部室の冷蔵庫に置いてきたんじゃね?」
『もう気温が高いからその方がいいかなって。お昼に一緒に取りに行くよ』
「そういうことな」
『今日はカスタードと生クリームのダブルシューにしたんだ』
「おお、そりゃ今日も楽しみだぜ」


生クリームを作ってるだけじゃもやもやが晴れなくてカスタードまで作ったんだった。それでも結局答えは出せなかったのだけど。
ブン太の側に居たいってことは確かなのに答えが出せないだなんて矛盾も良いとこだ。
繋がったこの手を離すことなんて私に出来るのだろうか。
このあったかい手を離すなんて、考えるだけでも嫌だった。


「俺もそろそろ真剣に考えねぇとな」
『何を?』
「海原祭で作るケーキのこと」
『あぁ!確か一年の時も優勝してたよね?』
「中三からずっと優勝してんだよ。凛は?出ねぇのかよ?俺が優勝してんの凛が出ないからだろい」
『海原祭って人が沢山来るからなぁ』


確か中学の時も薦められた気がする。でもその時にはもうブン太が好きで、自分が出場するよりも応援したい気持ちの方が強かった。
そっか、去年もちゃんと優勝してたんだ。それを聞いて自分のことのように嬉しくなる。


「なぁ、今年は一緒に出ねぇ?」
『え?』
「だから俺と凛で一緒にお菓子部門に出ねぇかって誘ってんの」
『それって二人とかでも参加出来るの?』
「や、今まで聞いたことねぇけど。柳もいるしそこは何とかなるだろい」


海原祭は九月にある。もし私がベルギーに行くことになったら一緒に参加は出来ない。ブン太の突然の申し出に一瞬反応が遅れた。咄嗟に何も言えなくてブン太が怪訝そうな顔をする。


「俺と一緒に出たくねぇのならいいけど」
『そんなことない!出れるなら出てみたい!』
「んじゃ決まりだな!俺と凛で優勝してやろうぜい!」
『そうだね、そうなったらいいね』
「俺達二人なら敵無しだろい、優勝間違いねぇな」


ブン太は隣でどんなケーキを作るかを早速悩んでいるようだった。それに相槌を打ちながらも私の心臓は早鐘を打つ。
もしペータースさんの申し出を受けることになったらこの約束まで反故にすることになるんだ。どうしよう、どうしたらいいんだろう。


「ねぇ凛生クリームの味いつもと違わない?」
『え、ほんと?』


ぐるぐると悩んだままあっという間にお昼になった。今日はちはるちゃんと梨夏と三人の日で、シュークリームをデザートにして食べている時だった。梨夏が不思議そうに首を傾げて呟いた言葉に驚かされた。生クリームはお菓子作りの基礎の基礎もいいところでそんなこと過去に言われたこと無かった。作ったときに味見を忘れたのかな?でもちゃんと味見はしたはずだ。


「梨夏、そんなこと言ったら凛が困るでしょ。それに私にはあんまり違い分かんないよー?美味しいし」
「確かに美味しいんだけど何だろう?カスタードと一緒になってるからかな?」
『梨夏はちはるちゃんより前から私のお菓子食べてるからなぁ。私も食べてみるね』


クッキーシューの生地は完璧だった。カスタードも問題無い。やっばり問題は生クリームだった。味じゃなくて多分感触がいつもと違うんだ。考え込んだまま泡立てたせいで固くなりすぎたのが原因なんだと思う。それに気付いた梨夏が凄いんだ。


『生クリーム固すぎたかも、ごめんね』
「美味しいは美味しいから気にしなくて大丈夫だよ。でも凛が珍しいよね」
「梨夏ーそうやって言わないの」
『ぼーっとしてたからかも』
「丸井となんかあった?」
「え、そうなの?でも今日だって仲良さそうだったよ」
「凛がお菓子作りで失敗するって過去に無かったんだよ。生クリームが固くなったくらいで失敗とは言えないかもだけど」
『生クリームを規定より固くするのは失敗もいいとこだよ』
「別に単なるお菓子作りだからいいでしょう?」


梨夏の言う通りだ。いつもきっちりとお店で出している生クリームと同じように作ってたのに別のことに意識を持っていかれて失敗した。これがお店の商品だったらお父さんに怒られているだろう。梨夏が気付くってことはブン太も気付くに違いない。私何やってるんだろ。
自分だけで結論を出すって決めたのに次の日にこんなことになるだなんて。


「凛、丸井と何かあったの?そうじゃ無いのなら丸井には言えないこと?」
『梨夏が気付くのならブン太も今頃気付いてると思う』
「凛ー私達が聞きたいのはそういうことじゃなくて」


二人は心配そうに私の顔を見つめている。やっぱり誰にも話さずに決めるだなんて私には無理だったのかもしれない。けれど、こうやって悩んだことすらブン太には知られたくなかった。
悩んだと言うことはイコール別れを一瞬でも覚悟したってことだ。そんなの絶対に知られたくない。
二人にだって知られたくない。


『ブン太と何かあったとかじゃなくて』
「凛悩んでるならうちらが聞くよ」
『大丈夫だよ、ちょっと色々あって』
「本当に大丈夫なの?」
「梨夏、凛が大丈夫って言ってるんだから」
「分かってるけど、…じゃあもし話したくなったら話すこと。それだけは約束してよ」
『うん、約束する』


二人に話してしまえば良かったのかもしれない。けれどブン太にも話せないことを二人に話す気にはなれなかった。
二人だけじゃない。ブン太に言えないことを他の人に話したくはなかった。
心の中で二人にそっと謝ることにする。口に出してしまったら二人はきっと「謝るくらいなら話しなさい」って言うに決まってるから。


「凛ーお前生クリーム泡立て過ぎただろい」
『おかえりブン太。そうなの食べてから気付いちゃって。ごめんね』
「お前も失敗することあるんだな、俺ちょっと安心したぜ」
「凛が失敗して何で丸井が安心するのさ」


何とも言えない空気が三人の中に漂っていた。それを払拭したのはブン太だった。座っている私の背中からぐっと体重をかけてきて重たいけれどその声色は明るくてホッとする。


「や、こいついっつも頑張ってんだろ?完璧にしなきゃやらなきゃって思い過ぎてねぇか心配してたんだよ」
「あーそういうこと?」
「凛だってたまには失敗することもあるでしょ」
「そーだそーだ!心配しすぎだよ丸井の過保護め!」
「過保護じゃねぇっつーの、彼氏なんだからこれくらい当たり前だろい?」


私の頭に自分のそれを乗せて自信満々にブン太が言った。あぁ、楽しそうなら良かった。ブン太はブン太で梨夏とは別方向に心配してたってことだ。それが分かっただけでも良かった。
二人もさっきのことをブン太に話す気は無いらしいからそれと二重でホッとする。


『ブン太、けど重いよ』
「お、悪い」
「仲良しで羨ましいことですね」
「梨夏も早く彼氏作りなって言ってるじゃん」
「ちはるだってこないだまで居なかったでしょうが!」
『二人ともそこで喧嘩しないでって』
「いっそ鈴木はジャッカルと付き合っちまえばいいんじゃねぇ?」
『ブン太それ!』
「何でジャッカルの名前が急に出てくるわけ?」
「仲良いだろ?」
「まぁ、それはそうだけど」
「私もジャッカルと梨夏ならお似合いだと思うよ」
「ちはるまでそんなこと言うの?」


ブン太が急にジャッカル君の名前を出すからハラハラしてしまった。梨夏は何て言うんだろ?ちはるちゃんまでジャッカル君を推すから怪訝そうな顔付きだ。けれどそれも一瞬で直ぐに梨夏は表情を和らげた。


「いくら仲良くても私にもジャッカルにも選ぶ権利あるでしょ」


梨夏の言葉に二人はぐいぐいとジャッカル君を推している。本当にその気が無いのならそこは「私にも選ぶ権利があるでしょ」って言う気がする。それをわざわざジャッカル君のことまで気遣ったってことはやっぱり脈有りなのかもしれない。それが嬉しくて笑ってしまった。


やっぱり私はベルギーには行けない。ブン太のこともそうだしまだみんなと仲良くしていたい。半年も卒業を前倒しにするなんて無理だ。まだまだやりたいことが沢山ある。ブン太とも梨夏とちはるちゃんとも、このクラスとも。
まだこうやってみんなと楽しく過ごしたい。後二ヶ月でそれが終わるだなんて無理だ。


『私ねブン太と海原祭の料理大会出ることにしたの』
「そうなの?二人で?」
「おお、今日決めたんだよな!」
『だから味見沢山してね?私また失敗しちゃうかもだけど』
「する!絶対にする!」
「凛の失敗は失敗のうちに入らないでしょ」


ベルギー留学を断る決意表明のようなものだった。声に出してしまえばベルギー留学への未練もすっと消えたように感じる。
これでいい、ブン太と一緒にいる。それが私の一番の幸せだ。ショコラティエには日本に居たってなれるのだから。ベルギーにはブン太は居ないのだから。


六月末に面談すると担任に決められていたけれど私はその夜に直接担任へと電話をした。学校じゃもうそのタイミングが無いし余計なことは周りに知られたくない。
ブン太を前みたいに不安にさせたくない。詳しいことは伏せてそんなようなことを説明したら担任も分かってくれた。


「まぁ人生を棒に振るわけでもないし学生時代の思い出作りが大事な気持ちも分かるからな」


そう言って受話器の向こうで笑ってくれた。
ペータースさんには手紙を書いた。此方には正確に思ったことを素直に書いた。
ブン太のこと、友達のこと、三月まではせめて卒業までは日本に居たいこと。そして誘ってくれた感謝の気持ちと謝罪の気持ちを精一杯綴った。
それをポストに投函してやっと私の気持ちは落ち着いたのだった。たった二日の出来事だ。
けれど跡部君とのいざこざがあった時より辛かった。


私はもしかしたら結局ブン太を裏切ってるのかもしれない。話さないって選択肢をいつか後悔するのかもしれない。何でも話すって約束を破ったことになるんだから当たり前だ。
その事実がチクチクと胸を刺す。それでもこのことは黙っておくことにする。
担任にも口止めはしたから大丈夫。他に知ってる人は居ないから大丈夫。どこで伝わるか分からないから両親にも言わない。
一瞬でも迷ったことは死んでもブン太には知られたくない。それだけは、絶対に。


「んでんで何作るのさー」
『まだ全然決まってないよ』
「九月だろい?本格的に始めんのは全国大会終わってからだなー」
「夏休みじゃん!味見出来ないじゃん!」
「ちはる、どうせ宿題が大変なことになるんだからその時にでも集まればいいでしょ」
「あ、確かに」
『青木君も誘わなきゃだねぇ』
「じゃあジャッカルも誘おうぜ!」
「またそこでジャッカルの名前が出てくるのー?」
「俺の親友だから当たり前だろい」


たった1つの悩みごとがなくなってまたいつもの日常が戻ってきた。
良かった、やっぱりこうやって笑えるのが幸せだ。私の選択は間違ってない。
ブン太と梨夏達が軽口を言い合っている。ジャッカル君は自分の居ないところでこんな風に言われてるとは思わないだろうなぁ。
夏には上田君の彼女も含めて旅行にも行く。
まだまだやりたいことは沢山だ。海原祭もあるし体育祭もある。それら全てが今から楽しみだった。


2019/05/10

back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -