人魚は朝日に泣いて、泣いて(財前)

どれだけ想っても、求めても、願っても、届かないことはある。叶わないことだってある。
財前と再会したことで封じ込めた想いは溢れだし、駄目だと思うほど止めれなくなった。
その結果がこれだ。自分の身をすり減らし、周りに迷惑をかけ、当の本人からは何の連絡も来ない。
白石の提案に乗ってみようかと昨日の財前を見るまでは思っていた。
でもそんなことしたって何にもならない。
私は昨日、自分の立場を嫌と言うほど思い知ったのだから。


眠れないまま朝を迎えた私に太陽は容赦なく照り付ける。重たい身体を引きずるようにして外に出れば、太陽がまるで自分を責めるかのように眩しく輝いていた。今の私には毒でしかない。
このまま大阪に居たって良い方向には転がらないのかもしれない。
あれだけ白石に言われたのに私はまたここから逃げ出すことを決めた。


財前から離れるのは辛い。身を切り刻む程に辛い。
こうなってしまったらもう小春ちゃんにも白石にも連絡は出来ないし合わせる顔もない。
そのことがじくじくと傷口を広げる。
かと言ってこれ以上白石達の迷惑になるわけにもいかず、財前と彼らの関係を悪くさせたくもなかった。


夜逃げってこんな感じなのかもしれない。
迷えば未練が残って動けなくなる。そしたらまた繰り返しだ。
決めたからには直ぐ動いた方が良い。社会人としてはあるまじき行為だとは思ったものの謝り倒して会社を辞めさせてもらった。
そのまま不動産屋と引っ越し業者へと連絡する。
幸いなことに引っ越しシーズンではなく、明後日にも荷物を運ぶのが可能だと聞いてお願いしたところだ。
段ボールを運んでもらい荷物を黙々と積めていく。無心に何も考えず、ただひたすらに荷物を整理する。
途中で何回かスマホが鳴ったものの、その全てをなかったことにした。


関東へと戻った私は電話番号を変えて過去の全てを放棄した。
実家は大阪にあるので、最初は友達を頼って居候させてもらいながら仕事と部屋を探す。
幸運にもどちらも直ぐに決まって再スタートが始まった。
これで私を縛るものは何もない。
そう思うたび傷口は痛むものの、それに気付かないフリをした。
私にはもうこうする他に方法がなかった。


三年の日々があっという間に過ぎる。
過去を想っても傷口はそう痛まなくなった。
それでも新しく恋愛をする気にはなれなくて、ひとりのままだったけどこれで良いんだと思いつつもある。
きっと財前以上に好きになれる人なんてこの先居ないんだろう。
こうやって財前のことを思い出しても苦しくなったりしなくなったのは良かったと思う。
過去と決別したのに財前や小春ちゃん達のことを思い出すなんて矛盾してる。それでも彼らのことを忘れることなんて出来やしない。
過ぎてしまえば何てことはない。中高とマネージャーとして彼らを支えたことも、恋心から逃げ出した大学も、財前と再会し苦しかったけど満たされてた日々も今では大切な思い出だ。
そう割り切って毎日を過ごしていた。


そんな私の平穏な日々は突然終わる。
仕事の帰りにマンションの最寄り駅で懐かしい顔を見付けた。
最初は見間違えかと思った。他人の空似、そんなこともあるんだと跳ねる心臓を無理やり落ち着ける。
向こうはまだ私に気付いていない。ならば他人の空似だと納得させて、俯きその人の前を通り過ぎようとした。


「凛さん」
『…人違いです』
「凛さんやろ?」


ぐっと腕を引かれ、歩みを止められる。
間違いなく財前の声だ。間違えようがない。
咄嗟に誤魔化してしまったものの、その声は私が恋い焦がれた財前の声そのものだ。
頭では理解してるのに、そう簡単には認められない。
俯いたまま顔を上げられず、腕を掴まれてるので逃げ出すことも出来ない。
落ち着きかけてた心臓が再び騒がしくなる。
何で?どうして?何をしてるの?まさか財前も関東に転勤にでもなったの?
答えを知るのが怖くて口を噤む。


「凛さん俺な」
『…』


今度こそ完璧に封じ込めたと思ってた。
財前を好きだったのは過去の思い出。そう割り切ってはずなのに私はまた同じことを繰り返す。
俯いているために財前の表情は見えない。
ただ私の名前を呼ぶ声は優しさに溢れ、それでいて少しだけ不安げにも聞こえた。


「アホらし」
『は』
「や、凛さんには言うてへん。自分に対して言っただけですわ」


少しの沈黙の後に財前がふっと息を吐いた。
続く言葉に驚いて思わず顔を上げてしまう。
久しぶりに見た財前は三年前とさほど変わらない。顔付きも髪型もあの時のままだ。
それを懐かしく思う反面古傷がまた痛みだす。
財前は居心地悪そうに顔を顰め、二度目の溜息が吐かれた。


「俺もアホやけど凛さんも相当アホや」
『…』
「あぁ、ちゃう。そないなこと言いに来たんやない。そうやなくて、俺は凛さんを探しに来たんや」
『…どうして、』


財前が私を探しに?突然の展開に上手く言葉が出てこない。
そもそも予定では結婚式が終わってるはずで、そんな人がわざわざ私を探しに来たなんて財前の口から聞いても到底信じられそうにない。
まじまじと財前の顔を見るとようやく視線が重なった。
財前は気まずそうで、卒業式に告白した時のことを思い出す。確かあの時もこんな顔をしていた。


「何を笑っとるんですか」
『懐かしいことを思い出したから』
「そうですか」


財前が何故私を探しに来たのか謎ではあるけれど、昔のことを思い出したおかげか少しだけ気持ちに余裕を持てた。
何であれ大阪からわざわざ来てくれたのだから話は聞いてあげないと。
じくじくと古傷が痛み悲鳴をあげる。
それに無理やり蓋をして笑ってみせた。


『それでどうしたの?』
「とりあえずどっかでお茶でもしません?ここ目立ちますし」
『いいけど長くなるの?』
「何か遅なったら不味いことでもあるんですか?」
『そういうわけじゃないけど』


出来ることなら手短に済ませてほしい。
せっかく蓋を閉めたと言うのに気を抜いたらあっという間に中身が溢れ出してしまう。
ただでさえ財前の声を聞くだけで中身がカタカタと震えるのだ。
それを抑えるのは楽じゃない。
私の返答に財前はムッとした表情を見せる。
学生時代にケンヤやユウジにいじられた時もよくこういう顔をしていた。
大人になってもこういう表情は変わらない。
駄目だ、こんなこと考えたら駄目。
想いを封じ込めた意味がない。


「ならいいですよね。じゃあ行きますよ」


腕を掴んだまま財前は歩きだす。
抵抗したところで無駄なのでおとなしくそれに付いていくことにした。
駅を出たところにファミリーレストランがあって財前は真っ直ぐにそこに向かっていく。
席に案内されるまで私達が言葉を交わすことはなかった。
財前の声を聞いてしまえばまた気持ちが暴れだすに決まってる。それなら黙っている方がまだマシだ。
掴まれた腕が熱を持っていることには気付かないフリをした。


『それで何かあった?』
「…白石さんが結婚する」
『そっか、白石結婚するんだ』


長居するつもりは毛頭なかったと言うのに財前がドリンクバーを頼んでしまう。
私が口を開く前に店員に頼み、さくさくと飲み物まで取ってきてしまう始末だ。
私の好きな飲み物を持ってきてくれたことにまた蓋がガタガタと揺れた。
反応するわけにも行かず、平常心を保ったまま話を促せば財前はあっさりと話し始める。
そっか、白石も結婚するのか。あの時付き合ってた彼女かな?白石のことだからきっとそうだろうな。その話自体は喜ばしいことだ。
かと言ってそれを報告するために私を探したってのは何だか違う気がする。
わざわざそんなことのために人を探したりするかな?白石やケンヤが探してくれるなら未だしも財前がそんなことする必要はない。
しかも自分じゃなくて他人の結婚式の報告にだ。


「白石さんが」
『白石?』
「凛さんがおらへんなら結婚式あげへんて言い出した」
『は?』
「しかも自分が忙しいて理由だけで俺に凛さんを連れてこいって無茶言うて」
『それ彼女に失礼だよね』
「せやから絶対に当日探し出して連れてこいて言うてたわ」


その時のことを思い出したのか財前は顔を顰める。
白石がそこまでして私を探そうとしてくれたことは嬉しい。けど、それを財前に頼むってのはかなりの無茶だ。財前は一体どうやって私を探し出せたのだろう?


『でもよく見つけられたね』
「知人をフルに使わせてもらいました。こっちにおる人間総動員や。それでも見つからんくて最終的に跡部さんにお願いした」
『あぁ、跡部』


苦々しく財前は言葉を続ける。
あの跡部ならば人一人見付けるなんて容易いだろう。出来ないことなんて何も無さそうだ。


「白石さんの彼女のこと思うなら来てくださいよ」
『そう、だね』


結婚式か。財前の言う通り彼女のことを思うのなら出席するのが最善だ。
こうして財前と会って一応普通には話せている。ならきっと白石達とも話せるはず。
それでも財前はきっとあの子を連れてくる。
その状況で今みたいに振る舞えるかはわからない。
お祝いの席で泣いたりなんてしたらそれこそ大問題だ。


「凛さん?何で黙っとるんすか」
『あ、えぇと日にち次第かなと思って』
「出席するのは強制やって言うてましたよ」
『仕事の都合とかもあるでしょう?』
「あの跡部さんが最寄り駅だけ調べるようなことせんのあんたもわかっとるやろ?きっちり調べてあったわ。仕事は土日休み、白石さんの結婚式は土曜日やで」
『…』


反論出来る余地がない。
それでもあの子のことを思うと素直に首を縦に振ることは出来ない。
押さえても抑えても恋心はガタガタと暴れ、蓋は今にも飛んでいってしまいそうだ。
作り出した笑顔にも限界が近い。
ピシリと亀裂が入った音まで聞こえてきそうだ。


「あー俺がこれだけ言いに来たと思っとるんすか?」
『白石に頼まれたからでしょう?』
「それだけなら招待状送るだけでも良かったしメールで済んだ話やろ。全部あの人が律儀に調べてくれたわけやし」
『…それで良かったんじゃないの』


誤魔化そうとすればするほど仮面の亀裂は大きくなっていく。
わざわざ財前に頼んだ白石を恨みたくもなる。
どうせならユウジとか小春ちゃんとかケンヤに頼んでくれたら良かったんだ。
嬉しかった気持ちが急激に萎み言葉が素っ気なくなっていく。


「ちゃう、そうやない。そうやなくて」
『私は、財前に会いたくなかった』


パリンと仮面が割れる。
口に出した瞬間空気が凍り付いた。
こんな風に言うつもりはなかった。
目の前の財前は少しだけ驚いたような表情をする。それからすっと視線を落として小さな息を吐いた。


「俺は会いたかった。…俺なあかんかった。凛さん居らんくなって彼女とも上手くいかんくなって、多分元からそうやったんやと思う。それを上手いこと凛さんと居ることでバランスとっとったんや。ほんで結婚なくなった」
『…え?』
「破棄したのは俺やなくて向こう。会社の上司と出来とってそのまま妊娠して、今はそっちと結婚しとる」
『嘘でしょ?』
「嘘なんかやあらへん。ほらこれが元婚約者や。顔覚えとる?」


スマホを操作して財前が見せてくれたのはあの子の画像だった。子供を胸に抱き見知らぬ男性と幸せそうに写っている。
財前のことを想って、白石達に迷惑をかけるわけには行かないと思って過去と決別したと言うのに結果がこんなことになってるだなんて想像すら出来なかった。


「驚いとる?」
『だって、じゃあ私のしたことって』
「無駄なんて言わんといて。居らんくなって初めて凛さんが大事やって気付けたんやから」
『嘘』
「俺の言うこといちいち否定せんでもらえます?腹立つんで。あーこういうとこがあかんのやな。俺、凛さんのこと迎えに来たんです。せやから、あぁちゃう。…好きやからもうつべこべ言わんとってや頼むから」


情報過多で頭がパンクしそうだ。
駅で財前と再会してから抑えてた気持ちが一気に解放される。
財前が私を好きとか冗談にしては悪質だ。
目の前の財前は眉を下げ顔を逸らす。
見慣れた余裕たっぷりの表情とは違って、ぎこちなく気恥ずかしそうな財前が目の前にいる。
カチリと蓋の鍵が開く音が聞こえた気がした。
あれだけ待ち望んだ言葉だ。財前から欲しかった言葉。それがキーとなり勢いよく中身が飛び出してくる。


『本当に?』
「せやからそう言って。って勝手に泣かんでや。そんな顔されたら」
『だって、もう諦めてたから。…だから』


感情に合わせて涙が零れ落ちる。
泣くつもりなんてなかったのに、一旦溢れてしまえば止まることなくポタポタとテーブルに落ちていく。
ハンカチを取り出そうとしたところで対面に座る財前から手が伸びてきた。
俯こうとする頬に片手が添えられて親指で涙をすくいとる。


「…すんません」


触れた指の感触があまりにも優しくて、財前が目の前に居てくれることが嬉しくて、そのまま私は泣き続けた。
何か言わなきゃって思うのに、上手く言葉が出てこない。
そんな私を気遣うように財前はただ涙を拭ってくれた。


「もう大丈夫ですか?」
『うん、ごめん。こんなつもりじゃなかったんだけど、止まらなかった』


感情のままに泣いてしまったことが恥ずかしい。
泣き止んだところで周りからの視線に気付いて顔から火が出そうだ。
私だってファミレスで男女が向かい合って片方が泣いていたら見てしまう。
ハンカチを取り出して最後の涙を拭う。


『泣くなって言うかと思った』
「泣かれんのは確かに嫌ですけど、我慢されんのはもっと嫌や。それに…俺のせいやろ」


ゆっくりと深呼吸するといくらか気持ちが落ち着いた。そうして目の前の財前と改めて向き合う。
さっきは「泣かんで」って言ってたのに、昔の財前なら「泣かんとって」って言いそうなものなのに、こんな風に言うなんて少し意外だ。
変わってないと思ったけど財前も変わったのかもしれない。


『財前』
「何すか」
『さっきのもう一回言って』
「…あぁ。俺は凛さんが好きやからここまで来た。普段やったら絶対にせんし確実にケンヤさんに押し付けとる。凛さんやからここまで来たんや」
『…』
「ちょ、また泣くんすか。凛さんが言わせたんやろ」
『だって財前が素直にそんなこと言うから』


てっきり誤魔化されると思ったんだ。
鼻で笑って「二度目は簡単には言わへんで」とか余裕そうに言うかと思ったのにまさかあんなにあっさりと自分の気持ちを聞かせてくれるとは思わなくて驚いた。
驚いて、嬉しくて、止まったはずの涙が一筋零れ落ちる。
それをまた財前が面倒臭がらず拭ってくれるから笑ってしまうんだった。


『財前はどうするの?もうこの時間から大阪には帰れないよね?』
「凛さんち泊まりますわ」
『え』
「駄目ですか?一人暮らしって跡部さん言うてましたけど」
『駄目ではないけど』


これからの話とかまだ何も話せてない。
何なら私の気持ちすらまだ財前には伝えていない。
話は途中だけど周りの視線に耐え兼ねてファミレスを出ることになった。
ふと財前はこの後どうするのか気になって尋ねてみたらうちに泊まると言う。
それがさも当たり前かのように言うから戸惑ってしまった。
駄目じゃないけど、三年ぶりに会った財前をそんな簡単に泊めていいのか迷う。


「何もせんから泊めてや凛さん。朝まで一緒におりたいから」
『わ、わかった』


迷ったところで私が財前のお願いを断れるわけなんてなくて、懇願されて簡単に許可を出してしまった。
ファミレスにいる時は常にこっちの様子を伺って優先してくれていたのに出てしまえば何故か財前ペースだ。
でもこれが財前だ。
じわじわと懐かしさが込み上げてくる。


『財前』
「今更嫌やって言うても聞かへんで」
『私もね、ずっと財前のこと好きだったよ』
「…そんなん、さっきの態度見とればわかるわ」


自然と出た言葉だった。
するりと気持ちは言葉になり、財前は突然の告白に面食らったのか素っ気ない。
それがまた財前らしくて、頬が緩む。


『来てくれてありがとね』
「凛さんこそ話を聞いてくれてありがとう。聞いてくれんことも考えとった」
『どうして?』
「俺から逃げたんならそうなることも考えときって白石さんが言うとったわ。大事なのはその後どうするかって」
『白石らしいなぁ』
「どうにかするつもりではおったけど逃げんくて良かった」
『財前が目の前にいるのに逃げるなんて私には出来ないよ』
「ほんならええけど」


三年前だってあの日、財前がうちに来てたらこんな風に行動出来てなかったと思う。
財前はそれくらい私にとって大切な人だ。
昔も今もその気持ちは少しも変わらない。


「凛さんの隣空いてるやろ」
『でも余分に布団あるよ?』
「そんなんいらへん。何もせんからはよ」


家に帰って交互にお風呂に入った後のこと、財前のために布団を出そうとしたら止められた。
何かされるかを心配して言ってない。
そうじゃなくて、財前と一緒に寝るってことが初めてで気恥ずかしいだけだ。
三年前はあんなに財前が泊まってくれることを望んだのにいざそうなってみると途端に緊張してしまう。
そんな私を知ってか知らずか財前は私のベッドに潜り込む。


「あんまり夜更かしすると肌荒れるで」
『白石みたいなこと言わないでよ』
「白石さんなら絶対に彼女に言うとるな」
『でしょう?』
「そんな話はええからはよ」
『…じゃあ、お邪魔します』
「凛さんちやろ。邪魔しとるんは俺や」
『すっかり財前ペースだなぁ』
「あー」


白石っぽい一言に笑ってしまったところで私は観念した。
恐る恐る布団を捲り隣に寝転ぶと財前の腕に包まれる。
その腕が優しくてあたたかい気持ちになれた。
私を抱きしめたまま財前は小さく息を吐く。
何か気にするようなこと言ったかな?


『財前?』
「凛さんとおるのが嬉しくてつい自分本位になってまうのすんません」
『自分本位?』
「前やってそうやったから。ほんで失敗しとるし、そういうのがあかんかったんやってユウジさんに散々言われたんで」
『ユウジに怒られたの?』
「ユウジさんだけやなくて全員や全員。金ちゃんにまで怒られたわ」
『そっか』
「そこ笑うとこちゃうで」
『みんな心配してくれてたんだね』
「小春さん泣いてユウジさん激おこでしたわ」


白石の結婚式にみんなで集まれるだろうからその時ちゃんと謝らないと。
怒られた財前は大変だっただろうけど私はみんなの気持ちが嬉しかった。


『私は今の財前も昔みたいな財前もどっちも好きだからいいよ』
「そないなこと言うてまた逃げんとってくださいよ。俺、次凛さんが逃げたらケンヤさんに殴られるらしいんで」
『ケンヤが財前を?』
「そうらしいっす」
『財前が私を好きだって言ってくれるならもう逃げないよ』
「ほんならええわ」


枕元に置いてあるスイッチを財前が押して部屋の灯りが消えた。
久しぶりに全員の顔を思い出したからか、財前の隣で寝ているにも関わらず気持ちが落ち着いている。
財前の腕が優しいからってのもあるのかも。
財前が私を見てくれてることが心底嬉しかった。


ゆるりと意識は沈み気付けばカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
目の前には規則正しく寝息を吐く財前。
あぁ、良かった。夢じゃなかった。
私は財前がこうして朝も隣に居てくれることをずっと待ってたんだ。


「凛さん?また泣いとるん?」
『ごめ、…嬉しくて』
「嬉し泣きならええけど」
『うん』
「もう泣かさんようにする。せやからもう消えんとってや」
『わかった』


存在を確かめるように財前の頬に触れたら目を覚ましてしまった。
どれだけこうなることを待ってたんだろう。
募らせた想いが満たされて気付けば泣いていた。
その涙を財前が昨日と同じように親指で拭う。
消えなくて良かった、泡にならなくて良かった。


「好きです凛さん」
『私も、財前のこと好き』


涙を拭う親指がそっと唇を撫でる。
財前の熱っぽい視線が身体を震わせた。
耐え兼ねて目を閉じると優しいキスが落ちてくる。
触れた感触が優しくて一滴涙が零れ落ちた。


誰そ彼様より
20200723

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