巧妙知的なハニートラップ(仁王)

今日はやけに図書館が騒がしいな。直接的に賑やかなわけではないけど、なんだかいつもより女の子達の落ち着きがないようにも見える。
図書委員の当番で貸し出しカウンターに座って周りを眺めていると、その理由が直ぐに分かった。
あれはテニス部の幸村君だ。そうか、幸村君がいるからみんなそわそわしてるんだ。同じテニス部の柳君や柳生君もよく図書館にくるけれど空気がこんな風になるのは昔から彼だけだ。
中高大全ての学生が使える図書館は沢山の人が利用する。幸村君はその誰よりも存在感を放っていた。


今日は何を探しているのだろう?こないだはフランス史の本を探していたからパソコンで検索していくつかお薦めした。今日はどうするのだろう?自分で探すのかな?やることもなくていつの間にか幸村君の姿を目で追っていた。あの辺りなら植物関連かもしれない。
その端正な横顔に見惚れているとゆっくりと幸村君が此方を向く。目をそらさなきゃと思った瞬間視線が重なって、幸村君は優美に微笑んだ。そのままカウンターへと近付いてくる。


「やあ、今日の当番も椎名さんだったんだね」
『毎週この曜日が私の受持ちなんだよ』
「だからこないだも居たんだね。君が居てくれて助かったよ。ありがとう」
『〜っ!わ、私はただ検索しただけだから。それで今日も何か探し物?』
「友人にお薦めされた本があってね。"世界の美しい毒草"と言う題名なんだけどうちの図書館にもあるかな?」
『検索してみるね』


こんなに至近距離で幸村君にお礼を言われるとは思ってなくて声が上擦ってしまう。図書館での会話は原則小声なのが当たり前で、必然的に距離も近くなる。それなのに相手が幸村君と言うだけで心臓が早鐘を打った。
カタカタとキーボードの音と自分の心臓の音しか聞こえないようでやけに緊張する。
エンターキーを最後に押すと検索結果が直ぐにモニターに表示された。


『あぁ、旧館の方にあるみたい』
「旧館?へぇ、そんなのあったんだ」
『図書委員以外は知らない人が多いよ。旧館は完全に大学の敷地内だし』
「じゃあそっちに行けばいいかな?」
『旧館は普段あまり貸し出しされないような本ばかり置いてあるから鍵がかかってるんだよね。だから私が取りに行ってくるよ。これも図書委員の仕事の一つだし』
「いいのかい?君の手間になるだろう?」
『毎日昼休みに行ってるから全然手間じゃないよ』
「じゃあ遠慮なく頼むことにしよう」
『うん、任せて』


来週の同じ曜日にまた来ると言って幸村君は図書館を去っていった。彼が居なくなって図書館の空気もいつも通りの落ち着いたものに戻る。
幸村君はやっぱり存在感あるなぁ。
約束は来週だけど早速明日の放課後にでも取りに行ってこよう。


『あの、何をしてるの?』
「見てわからんか?読書しとるんじゃ」


それは見ればわかる。私が聞きたいのは何故鍵のかかった旧館の中にいるかってことなのだけど。
次の日の放課後、鍵を借りて旧館にやってくると何故か人の気配があった。泥棒かと恐る恐る部屋の中を確認してみれば見覚えのある銀髪が飛び込んでくる。昨日に引き続きテニス部の人と会話するなんて驚きだ。
仁王君はそんな私を見て喉を鳴らして笑っている。


『あの、そういうことじゃ』
「そんなことは分かっとる」
『じゃあ何で』
「企業秘密」
『は?』
「何でここにおるかは企業秘密ぜよ」
『はぁ』


ここで問い詰めたところで仁王君は侵入経路も理由も教えてくれないだろう。彼は昔からこういうところがある。良く言えばミステリアスだし悪く言うのなら場を面白がってるとしか思えない。過去に何度か同じクラスになったことがあるけどこういうとこ全然変わらないなぁ。


「そういう椎名は何をしとるんじゃ」
『私がここに来る理由は一つしかないよ』
「俺に会いに来たんかのう?」
『図書委員の仕事です』
「相変わらずつれない奴じゃ」
『仁王君に付き合ってたら時間がいくらあっても足りないの』


そもそも今は部活の時間じゃないの?ここにいるってことはサボりなのかもしれない。部活のことを聞くのは止めて早速本を探すことにした。本の置いてある場所は調べてきたから大丈夫なはず。


『…ない』


あれから小一時間、あるべき場所を探し回った。範囲を広げても探してみた。それでもお目当ての本は見付からない。お直しリストにも乗ってないしどこにいってしまったのだろう?貸し出し記録も五年前に戻ってきたところで止まってたしこれはどういうことなんだろう?
旧館と言えどそこそこの広さがあるから他に混ざってるのかも。けど定期的に旧館の本のリストも更新してる。しかもついこないだ確認したよ?その時には確かにここにあったはずなのに。最初に見落としたのかとあるべき場所をもう一度念入りに探してみても"世界の美しい毒草"は見付からなかった。


「浮かない顔をしとるようじゃ」
『本が見付からないの』


がっくりして戻ってみれば仁王君が最初見た時と同じソファに残っている。今日はもう部活には行かないのかもしれない。幸村君と約束したのに見付からないのは困る。任せてと言ったのに本を見付けられないだなんてかなり情けない。気落ちしたまま仁王の座る対面のソファに座り込んだ。


「うなだれておるの」
『仁王君はなんだか楽しそうだね』
「お前さんが困っとる顔が見れたからな」
『悪趣味だよ』
「久しぶりに会ったんだから少しくらい我慢しんしゃい」


困ってる顔が見れたから楽しいだなんて本当に悪趣味もいいところだ。久しぶりに会ったからこそ駄目だろうに。やっぱり仁王君は相変わらずだなぁ。昔からこうやって困らせるようなことばかり言う。


「しかし椎名は変わらんのう」
『一年二年で変わる人の方が少ないでしょ』
「いいや、お前さんは昔のまんまじゃ」
『それっていつのこと言ってる?』
「それは内緒」
『またそうやって』


人を食ったようなこと言うんだから。小さく息を吐いて眼鏡を外す。目が疲れてきたような気がして鼻の付け根を摘まんでマッサージしてみた。もしかしたら目が疲れたのじゃなくて仁王君とのやり取りに疲れただけなのかもしれないけれど。仕上げに目薬を点して、と。眼鏡をかけ直したらいくらか楽になった。
視界を確認すれば真正面に仁王君だ。私なんて見てたって楽しくないだろうに何がそんなに面白いんだろう?


「コンタクトにはせんのか?」
『コンタクト?考えたことないなぁ』
「高校に入って眼鏡から卒業した女子結構おったじゃろ」
『あぁ、確かに』
「眼鏡を外すと可愛くなれるってCMでもやっとったし」
『あのCMは眼鏡女子の敵だよね』
「まぁ俺はどっちでも構わんよ」
『仁王君には関係無いことだもんね』
「またそうやってつれんことを言う」
『実際事実でしょう?』


そうやって此方の反応を伺って楽しむのは止めてほしいんだけどなぁ。仁王君に言ったところで伝わらないのでそこは諦めている。久しぶりに話したのにこれだもんなぁ。


「さて、そろそろ行かんと真田にどやされるぜよ」
『どちらにしろ怒られるよきっと』
「最近は本の直ししとらんのか?」
『え?』
「最近ここの電気点いとらんことが多いから気になっとった」
『あぁ、最近は昼休みにやってるから』
「毎日居るんか?」
『大体はね』


急に話を変えたと思ったらよく分からない確認をされた。読んでた本を私に手渡して仁王君は行ってしまう。結局なんだったんだろ?結局ここへの侵入方法聞いてないや。まぁ仁王君だからいいかな。悪いことには使わないだろうし。去り行く背中を見送って手元の本に視線を下げればそれはまさしく私が探していた"世界の美しい毒草"だった。あまりに驚きすぎて変な叫び声出たし。まさか仁王君が先に読んでただなんて考えもしなかった。幸村君の読みたい本を仁王君が読んでたなんて奇妙なことがあるものだ。
その奇妙な一致に首を傾げつつ、旧館を後にした。


『何してるの仁王君』
「図書館は読書をする場所なり」
『旧館は図書委員以外の利用は出来ない決まりなんだけど』
「そう固いことを言うな。邪魔はせんから」


読書をする場所って言ったけどさっきから私の本のお直しをただ見てるだけだよね?何が楽しいんだろうか?また単なる気まぐれか何かなのかな?
仁王君の考えてることなんて私には到底分かりっこないので作業に集中することにした。
驚いたのは仁王君は本当にただ見てるだけでその後は一言も喋らなかった。
昨日の件について言いたかったのに結局タイミングを逃してしまった。


『仁王君て暇なの?』
「どうしたんじゃ急に」
『毎日ここに来るから』
「暇ではなかよ」
『何か悪巧みの最中?』
「そんなことはせんし」
『だって結局本だって初日以降読んでないし』
「あれは単なる布石じゃ」
『やっぱり悪巧みっぽい』
「そんなに俺は信用ないんか」
『信用とかそういう問題じゃないよ』


仁王君はあれから毎日昼休みにやってくる。飽きもせず私の作業を見ているだけだ。さすがに気になって聞いてしまったけれど返ってきたのはまたもよくわからない理由だった。


『仁王君もやってみる?』
「そんなこと言っていいんかのう?失敗しても責任は取れんぞ」
『仁王君器用だし大丈夫でしょ。暇なら手伝ってくれないかな?』
「暇じゃなか」
『分かったから。ほらやってみよう?』


目的は分からないけど、ここにいるのならいっそ手伝ってもらおう。単なる思い付きで仁王君を誘う。面倒がってソファで寝ちゃうかな?そんな予測をしてたのに仁王君は嫌がる素振りもせず私の説明を真剣に聞き、丁寧に作業をしてくれた。


「これでいいんか?」
『うん、それで大丈夫』


対面から隣に移動してきた仁王君ともくもくと作業を進めていく。誰かとこうやって本の直しをするのは久しぶりで当時を思い出して懐かしくなった。


「機嫌が良さそうじゃな」
『なんかね、誰かとこうやって作業するの久しぶりだから』
「確かに昔は今みたいに楽しそうにやっとったの」
『え、何で知ってるの?』
「お前さんは何でだと思う?」


だんだん楽しくなってきて鼻唄混じりになってたから言われたのだろう。けど今日は仁王君のそんな言葉も気にならない。感謝しなくちゃなぁ、だなんて呑気に考えてたらまた仁王君のペースだ。手元の動きを止めて仁王君を見るといつもの表情をしている。


『質問に質問で返すのはズルいよ仁王君』
「少しは気になってくれたか?」
『気になるって何を?昔のことを知ってるのは気になるけど』
「その様子だとまだダメみたいじゃな」
『相変わらずだなぁ、全然意味がわからないよ』
「お前さんはそのまま変わらずおってくれたらいいぜよ」
『だから人はそう簡単には変わらないって』


生産性の全くない、いつもと同じ会話も今日は何だか楽しかった。仁王君は思ってた通り手先が器用だったからいつもより作業が沢山出来て良かった。


『あ、明日は図書館で当番だからお昼ここには来ないからね』
「俺が来ると思って言ってくれたんか」
『またそうやって。報告は大事でしょう?』
「明日は俺もブンちゃん達と昼メシでも食うとするか」
『仁王君、手伝ってくれてありがとう』
「暇じゃないと言ったんじゃがのう。目の前の女子に押し付けられたぜよ」
『また今度お礼するからさ』
「自分で言ったからには約束じゃ」
『私で出来ることならね』


何でもとは言ってないから無理難題を押し付けられることはないはず。旧館の鍵を締めたところで仁王君とは分かれた。それにしても仁王君最後はやけに嬉しそうだった気がする。いつもの悪巧みをするような顔じゃなかったや。てっきりまた困らせるようなことを言うのかと思ったのにだ。
明後日がなんとなく楽しみになった。


「やぁ、仁王が世話になってるみたいだね」
『幸村君、はいこれ約束の本。お世話してるのかな?旧館の居候になりつつはあるけど』
「居候か。まぁ悪いやつではないから頼んだよ椎名さん。俺が保証するから」
『仁王君が悪い人じゃないのは知ってるよ。何を考えてるのかは相変わらず謎だけど』


当番の日の放課後、一番に幸村君がやってきた。約束の本を手渡すとその表紙を手でなぞり微笑んでいる。やっぱり幸村君を目の前にすると緊張するなぁ。大多数の女の子が私の意見に同調してくれることだろう。


「あいつはね、そう難しく考えなくても大丈夫だから」
『そうなの?』
「素直じゃないだけだから。行動は素直なんだけどね」
『行動が素直なら言葉も素直に言えばいいのにねぇ』
「うーん、そうきたか。これは前途多難だな」
『何が?』
「いや此方のこと。じゃあ俺は部活に行くから。これ一週間借りてもいいかな?」
『他に借り手はいないから一ヶ月でも大丈夫だよ』
「それは助かる。ありがとう椎名さん」
『また図書館関係で困ったらいつでもどうぞ』


本を大事にテニスバッグへとしまい幸村君は行ってしまう。仁王君の行動が素直かぁ。
どこをどう見たら素直なのか全然分からなかった。付き合いの長い幸村君から見るとまた違うのかな?きっとそういうことなのかもしれない。明日は仁王君とどの本を直そうかな?そんなことを考えながら閉館時間まで仕事をこなしたのだった。


つづく
水棲様より

このままだと長くなりそうなので一旦ここで終わらせます。続きは仁王目線かな?
2019/06/22

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -