愛逢月パンデミック(菊丸)

どいつもこいつも浮かれすぎてると思う。
なんなんだろう。
思わず溜め息が漏れた。


新しいクラスにも慣れた高2の7月の林間学校。
楽しかったよ!それはもう楽しんだと思うよ!
しかし、私はどうやら出遅れたらしい。


クラスにはピンク色が溢れている。
それはうちのクラスに限らず学年全体に充満してて私はもうお腹いっぱいだ。
どこもかしこも林間学校でくっついたカップルでいっぱいなのだ。
え、いつの間にみんなどうしたの?
そんな雰囲気ちっとも分かんなかったよ。
どうしてこんなに悔しい気持ちになるのだろうか。


「椎名!さっきから何をそんなに難しい顔してんの?」
『お腹いっぱいなんだよ私は』
「胃薬大石なら持ってるだろうから貰ってこようか?」
『菊丸それ違う、そうじゃないんだよ』


クラスメイトの菊丸が隣の席から話し掛けてきた。
菊丸君、そういうことじゃないんだよ。
再び大きな溜め息が出た。


「そんな溜め息ばっか吐いてると幸せ逃げちゃうぞ」
『幸せはもう逃げちゃったよ私』
「なんだよー俺の隣でそんなこと言うなよなー」


ぶーぶーと隣で文句を言う菊丸を余所に今日何度目か分からない溜め息が漏れた。
そういえばどこもかしこもピンク色でいっぱいなのにこの男はそういうことはなかったのだろうか?
ちらりと彼の様子を伺うも反対側の席の男子と何やら楽しそうに談笑している。
うん、林間学校前と何ら変わりはなさそうだ。
テニス部はモテると聞いたのだろうが恋愛禁止の規則でもあるのだろうか?


放課後、帰宅部の私は暇を持て余していた。
帰ればいいんだろうけどこの暑さだ。
直ぐに帰るにはまだ日が高すぎた。
かと言って教室は放課後もピンク色でいっぱいで別の意味で熱い。
何なら暑苦しい。
ふらふらと校舎内を彷徨うもどこもかしこもそんな感じだ。
あぁ、1年も3年もクラス交流があるのはこの時期だなとぼんやり思い出した。


仕方無い、帰るしかなさそうだ。
このままではアレルギー性ショック死でも起こしてしまうかもしれない。
校内で涼むことを諦めて帰ることに決めた。


ふと、このピンク色でいっぱいの学校内でテニス部はどんな感じなのだろうかと気になった。
本当にただなんとなくだ。
外は外で暑かったけど見に行ってみることにした。


テニスコートへと向かう。
彼らはまだ練習してるだろう。
次第に部員達の掛け声と女の子達の声もちらほら混じって聞こえる。
あぁ、結局彼らは変わらないのかと曲り角からコートを覗く。


あ、なんだか思ってたより女の子の数が少ない気がした。
テニス部の応援なんて中1の春以来してないから分からないけど。
中1の時は友達に連れていかれたのだ。
人が多くて辟易したことを思い出した。


一番手前のコートをフェンス越しに眺めるとちょうど菊丸が試合をしてる所だった。
周りの女子からはキャーキャーと黄色い声援が聞こえる。
やっぱり菊丸も人気あるんだなぁ。


「椎名?何してんの?こんなとこで」
『え』


女の子の数が少ないからフェンスの直ぐ外で練習を見ていたせいだろう。
試合を終えた菊丸がこちらへとやってくる。
周りの女子達がざわついたのが分かる。
気付かれたことが何だか恥ずかしい。
これじゃ菊丸目当てに見に来てたみたいだ。


「椎名?」
『あー、えぇと暇だったので』
「椎名が練習来るとか珍しいよな!」
『確かに高校入ってから初めてかも』
「マジ?俺張り切っちゃうから最後まで見てってよ!」
『う、うん』
「ちゃんと最後までいろよな!あ、水分補給はしっかりとね!じゃ、俺練習戻るから!」
『分かった』


菊丸の満面の笑顔に押しきられた。
暑いのについ『分かった』と返事をしてしまったのだ。
まぁでも暇だしここにはあのピンク色もあんまり無い。
約束をしてしまったからちゃんと最後まで練習を見ようと思った。
これもただなんとなくだ。
菊丸の笑顔が可愛かったとかそれとは真逆に試合中はかっこよかったからとかではない、と思いたい。


練習が終わり、コートで部員が集まってミーティングみたいなことをしている。
他の女の子達は皆帰ってしまった。
私も帰れば良かったんだと思う。
でもちゃんと最後まで見てたよという主張はしたかったのだ。
ただ、なんとなくだけど。
このまま帰ったらいつ居なくなったか分かんなかったとか菊丸に言われたくなかったのだ。


「椎名!着替えてくるからちょっと待ってて!」
『え?』
「先帰ったら怒るかんな!」
『分かった!』


ミーティングが終わったんだろう。
部員がばらばらと部室へと歩いていく。
何してんだろ、私も帰ろうかと思った時に菊丸であろう声が部員の塊からこちらへと飛んだ。
部員達の目線がこちらへと飛んできてなんだかとても恥ずかしい。
怒ると言われては帰るわけにも行かず菊丸の言葉に了承の返事をした。
どこにいるのかはよく分かんなかったけど。


「お待たせ」
『大丈夫、そんな待ってないよ』
「んじゃ帰ろうぜ」
『は?』
「もう暗いし送ってく」
『いや、そんなの悪いよ』
「俺が引き止めたんだし気にしない気にしない!」


私の返事も聞かずに菊丸は歩き出す。
「早く帰るぞー!」との催促の言葉に仕方無く歩きだした。
送らせる気はなかったのだ。
私ってこんなに押しに弱かったかな?
何やら後方でごにょごにょと喋る部員達の声が遠くから聞こえる。
それもどうやら私と菊丸に関しての話みたいで視線を集める背中が熱くなってきたように感じる。


「でさー不二が今日も強くてさ、」


校舎を出た所で再び送ることを辞退したけども菊丸は聞いてくれなかった。
こんなに頑固だとは思ってもなかったから少し驚いた。
結局私の家への帰り道を二人で歩いている。
どうしてこんなことになったんだろう?


「椎名?俺の話つまんない?」


ぼーっと考え事をしてたら菊丸の話に返事もしなかったみたいで気付いたら困り顔が直ぐ隣にあった。
近いよ!それは近すぎるよ!
驚いて思わず足が止まった。


『あ、ごめん。何か送ってもらうとか慣れてなくて。緊張してるかもしれない』


そうだ、これは緊張なんだなと自分の言葉に深く納得した。
菊丸は首を傾げて何やら考えている。


「椎名、それって俺もちゃんと男子として意識してくれてんの?」
『菊丸は男の子でしょ?』
「そーゆーんじゃなくて」


何を急に言ってるんだろうか?
普通に男の子でしょ?菊丸が女の子っぽいなんて思ったことないよ?
立ち止まったまま私達の間に不思議な空気が流れる。
何とも言えない空気。
居心地が良いとか悪いとかじゃなくてなんだろう?上手く口では言えない。
戸惑いつつ菊丸を見上げるとぱちりと目が合った。
困り顔は消えてて見たこともないくらい真剣な顔。
見たこともないくらいは嘘だ。
試合中に今日何回か見たとても真剣な顔。


「俺ねー椎名のこと好きなの」
『え?』
「だからね、今日練習見に来てくれてすげー嬉しかったの。ありがとな」


それだけ告げると菊丸はいつもみたいに笑った。
今、何て言ったんだろうか。
私をすきって言ったの?


え、菊丸が私のことをすき?


すき?


好き?


本当に!?


すきと言う言葉が上手く変換出来なくてそれをゆっくりと変換していく。
頭に「好き」と言う言葉がちゃんと変換された瞬間私は一気に全身が熱くなった。
嘘でしょ?え?菊丸が私のことを好き?
何で?どうして?


何とか言葉を出したいのに何を告げていいのか全く分からない。
言葉を持たない金魚のようにただ口をパクパクと動かすことしか出来なかった。
それをみて菊丸は吹き出して笑う。
それでも私は何も言えなかった。


「顔まで真っ赤だし金魚みたいになってるぞ」
『笑うなんて酷い』


かろうじて返事をしたのは可愛くない言葉。
好きと言ってくれた人になんてことを言っちゃうんだ私!
「笑ってごめんな」と目の涙を拭うと私の手を取って歩き始める。
涙が出るまで笑うとか本当に酷いと抗議したかったのに手を繋がれて私の口まででかかった言葉は泡のように消える。
何で私菊丸と手を繋いでるの?
あぁもうパニック寸前だよ本当に。


「椎名?生きてる?ちゃんと息しないと死んじゃうよー」


ゆらゆらと繋いだ手を揺らしながら菊丸は何だかお気楽だ。
私はこんなに大変なのに。


『私が死んだら菊丸のせいだと思う』
「それってさ、俺にドキドキしてくれてるってことだよね?」


菊丸に調子を狂わされる。
突然振ってきたピンク色に息をするのが精一杯だ。
返事すら出来ない。
あぁでもちゃんとしなきゃいけないだろう。
顔が近くにあったのも告白されたのも手を繋いだのも嫌じゃないのだ。
練習を見てる時みたいに凄くドキドキしたのだ。


「椎名、手を振りほどかないってことは俺のこと嫌いじゃないよね?」
『嫌いじゃないよ』
「じゃあ俺と付き合ってよ」
『うん』


腹をくくって返事をした。
放課後まではあんなに嫌だと思ってたピンク色に自分が染まっていく。
恥ずかしい。本当に恥ずかしい。
あぁでも隣で菊丸は嬉しそうにはしゃぐからこれはこれで良かったのかもしれない。
明日からピンク色も好きになれそうだ。


繋いだ手を握りしめて小さく好きと呟いたら彼は珍しく黙りこんで頬を赤く染めた。

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