スノーホワイトの呪詛(柳)

『ちょっと!離してよ!』
「無理な話だ、観念しろ」
『やーだー!柳離せ!見逃すんだ!』
「これ以上補習をサボると卒業出来なくなるぞ」
『覚悟の上だ!』
「ほう」
『ちょ!柳苦しいやめろ!ぐぇ!』


担任に頭を下げられクラスの問題児を迎えに行く。
どうやらまた補習をサボるつもりらしい。
椎名凛うちのクラス一番の問題児だ。
太陽の光を知らないんじゃないかと思うほど白い肌。
今時は珍しい漆黒のロングヘアーが揺れている。
否、暴れている。
屋上で見付けた椎名は逃げようと必死になっていた。
俺の姿を捉えた瞬間に逃げようとしたので首根っこを即座に捕まえる。本人は苦しそうだ。


「国語の補習に行くか」
『ヤダ』
「ふむ、ではこのままだな」


ぐいぐいと首根っこを引っ張るとついに観念したのか小さく行くと呟いた。


『柳のばーかアホーけちー意地悪ー』


ぶつぶつと後ろから悪態をつく問題児に溜め息が出る。


「語彙が貧弱だな椎名は。」
『は?ごい?』
「愚問だったなすまない」
『今、さりげなくバカにされたのは分かったぞコノヤロウ』


背中を叩いてくるが大して気にとめることもないので無視して補習の教室へと足を運ぶ。
何やらそれに対しても悪態をついていたが反応するのはやめておいた。


「お、椎名来たか」
『全然来たくなかったです』
「柳ありがとな!ついでに俺は急用が出来た」
『は?』
「だからこいつの勉強見てやってくれないか?お前もううちの大学の推薦決まってるだろ?」


苦労して問題児を連れて行けば担任に再び難題をふっかけられる。
確かに部活を引退し大学への進学もほぼ決まりの今、すべきことがあるわけでもない。
この嫌いなことは一切したくないスタンスの椎名を俺はどうにか出来るのだろうか?


「わかりました」
『えぇぇぇぇ!柳断った方が絶対いいよ!』
「お前が言うな!国語を頑張ればこのまま大学の進学も出来るんだぞ!」
『国語の勉強するくらいなら大学へは行きたくありませーん』
「お前なんで文系選んだんだよ!じゃ頼むな柳!」


椎名は心底嫌そうな顔をしている。
見慣れたものだ。
担任を見送ると教室の中へと誘導した。
大人しく着いてくる。
補習は嫌だと逃げる割に捕まえてしまえば逃げようとはしなくなる。
問題児はいつも不可解だ。
赤也などいつでも逃げ出すことに必死なのにな。
ふ、と笑うと椎名がこちらを凝視していた。


『柳って笑うことあるんだね』
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
『んー笑わない人。後はー自分に厳しい人?』
「笑わないことはない。自分に厳しくせねば他人に何も言えないからな」


席に座り教科書を開かせる。
椎名は本当に国語が嫌いなようだ。
既に顔が嫌そうだ。
こんなに面白い教化のどこに不満があるのか不思議だった。


『柳はさ、何で国語好きなの?』
「愚問だな。面白いではないか」
『その面白さが分かんないんだよ!』
「国語にも古文にも日本語の美しさがあるだろう。文法漢字表現力、素晴らしいと思うがな」
『分かんない。著者の気持ちとか読んでても全く分かんないよ。なのに抜き出せとかさー』


椎名は典型的な嫌すぎて基礎的な解き方すら理解出来ないのだな。
国語は簡単なコツさえ解ればどちらかと言うと簡単な部類の教科だ。
担任が言ってたように何故わざわざ文系クラスを選んだのだろうか?


「小学校の問題からやり直すしかないだろうな」
『またバカにしたでしょ!』
「馬鹿にしたのではない。客観的に考察しての結論だ」
『ぐぬぬ、いつか覚えとけよ!』
「楽しみにしておこう」


今日はやれることが無いので立ち上がる。
椎名は口をぽかんと空けこちらを見上げる。


『柳?補習は?』
「明日にしよう。高校3年のテキストでは役に立たないからな」
『は?』
「ではまた明日」
『え?』


この時間ならまだ図書室も開いてるだろう。
小学校用のテキストはあるだろうか?
彼女を置いて俺は教室を後にした。


次の日の放課後、図書室で見付けた小中学校用の国語のテキストを元に作ったプリントを片手に椎名の元へと向かう。
珍しく今日は教室に居た。


「椎名が逃げ出さない日もあるんだな」
『げっ。や、やややや柳!ほんとにきたの?』


俺を待ってたのではなく、どうやら昨日の話を本気にしてなかったようだ。
即座に立ち上がろうとするのを制止しプリントを机の上に置いた。


『ナニコレ?ラブレター?』
「お前のために作った小中高用の国語テキストのまとめだ」
『えぇ!本当に作ってきたの!?』
「担任に頼まれたからな」
『柳は暇人なの?あーじゃあセンセーの言ってたこと本当なの?』
「担任が椎名の両親に頼まれたそうだ。大学へどうしても行かせてやりたいと」
『まだ諦めてなかったのか』
「担任も色々忙しい。だから俺に白羽の矢が立った」
『ん?白羽の矢?何?柳はセンセーに弓矢で射たれたの?』
「その意味も含め俺がお前に国語の楽しみ方を教えよう」
『あーマジか。本気ですね柳さん』
「俺は無駄なことはしない。確率的に俺が教えたら大学への進学率は70%まで上がる」
『やだなぁ。国語勉強したくないなぁ』


ぶつぶつと文句を言っては溜め息をついている。
逃げはしないがプリントに目を通す気もなさそうだ。


「これを三枚解いてみるんだ。実力テストの様なものだな」
『えぇ』
「実力が分からないと教え方が定まらないからな。何が出来て何が出来ないかの見極めは大事だ」
『あーもう分かりました。やるよ。やればいいんでしょー。柳の意地悪!』
「三枚全て終わったら教えてくれ」
『三枚もあるとかやだなぁ』


椎名の前の席に座ると鞄から小説を取り出し読み始めた。
俺の予測では真面目にやれば椎名でもある程度は出来るはずだ。
ちらりと椎名を見れば頭を抱えながらも少しずつ少しずつ解いているようだ。
解き方のコツの様なことも書いておいたから大丈夫だろう。
俺は小説に目を戻した。


初めて椎名を見たのはいつのことだろうか?
そうだ、あれは高校の入学式だった。
入学式だと言うのにうちのクラスの席は1つ空いていた。
休みなのだろうか?
席を1つ空けたまま入学式に向かった。
入学式を終えて教室へと戻るとその空いた席が埋まっていた。
そこに椎名が居たんだ。
机に頬杖をついてうつらうつらとしている。


その端正な顔に一目で恋に堕ちた。


椎名はモテる。
肌が白く顔も整って居て黙っていれば美人だ。周りが放っておくわけがない。
しかし、口がかなり悪い。
自分に告白してきた男には手厳しい言葉を返す。
二度と自分に近付かないようにと。
最初は男嫌いだと思って居たがどうやらそうではないらしい。
女子にも口は悪いらしく友達は少ない。
一度仲の良い女子に何故仲良くしてるのか尋ねたことがあった。
彼女は「凛ちゃんは性格が悪いんじゃなくて単に照れ屋なんだよ」と笑っていた。
俺は益々この椎名凛と言う人間に興味が湧いた。


『柳ープリント終わったー』
「予測よりも速かったな」
『帰ってもいいー?』
「駄目だ」
『やだようーもう活字見たくないようー』


プリントを終わらせてこちらに三枚手渡すと駄々をこねるように机に突っ伏した。
さらりと机に広がる髪の毛が綺麗だ。
プリントの採点をするのに前の席にへと向き彼女に背を向ける。
と、背中に彼女の片手が触れる。


『柳の背中大きいねーお父さんみたいだねー』
「椎名、俺は男だからな。お前より背中が大きいのは当たり前だ。それと父親みたいと言うのは心外だぞ」
『えぇ。安心しそうだなぁと思って言ったのに!』
「ならば、安心しそうな大きな背中だねと伝えねば相手には伝わらないだろう」
『日本語ってムズカシイ』


ぽんぽんと一定のリズムで背中を叩かれながら採点を終わらせる。
結果、驚く程点数は良かった。
初歩的な問題ばかりにしたこともあるだろうが、俺が教える必要が果たしてあるのだろうか?
何故、今までの成績が悪かったのだろうか?
そもそも国語の成績が悪いのならば外部受験組の椎名がうちの高校に受かるわけがない。
思い出せば高校1年の時はまだ今みたいに国語の成績は悪くなかったような気がする。


『頑張ったでしょー?』


振り向くと椎名が顔を上げ得意気に微笑んだ。


「椎名、今までの成績はわざとだったな」
『国語が苦手なのはほんとー』
「だが、基礎は理解しているようだが」
『解き方の勉強したもん』
「昨日は」『柳、一目惚れしたことある?』


再び机に突っ伏して椎名が急に突拍子もないことを話し出した。
それとこれと関係があると言うのだろうか?


「椎名何を突然『中学3年の夏だったかな?高校は立海に入りたかったから学校説明会に来てたの。高等部の校舎の中を見て外をふらふらしてたら迷って中等部に行っちゃったみたい。そこでテニスコートにたどり着きました。時刻は夕方、彼はそこに居たんです』


中等部3年の思い出と言えば精市のこと。関東大会、全国大会と続けて青学に負けたこと。
決して楽しかった思い出とは言えない。
椎名は姿勢を変えることなく言葉を紡ぐ。


『一人きりでした。私も一人きり。てことは二人きりだったのかな?まぁいいか。彼はとても悔しそうな顔をしてました。とても端正な顔立ち。さらさらとした黒髪。でもとても悔しそうでもあり悲しそうでもあった。そんな彼に一目惚れをしました』


貞治に試合で負けた時のことだろうか?
精市が倒れた時のことだろうか?
椎名が話しているのは自分のことだろうと容易に予測がついた。


『一目惚れなんて初めてだった。そもそもこれが一目惚れなんだって気付いたのも高校に入学してからだった。人を好きになったことなんてなかったし。だからどうしていいかなんてわかんなかった。でもクラスが同じだったから凄く嬉しかったこと覚えてる』
「椎名それは『柳、口を挟まないで!最後まで聞いて!』
「…分かった、聞こう」
『どうやら彼はテニス部のレギュラーでとても有名人のようだった。クラスは同じだけど接点は何にもなくて。彼の得意科目が国語だと分かった時にこの作戦を思い付いた。我ながらバカだなぁと思うよ。国語が出来ないふりして近付こうだなんて。でもそれしかなかったんだよね』


机に突っ伏した彼女が顔を上げる。
そして微笑んだ。


『好きだよ、柳』


一瞬、時が止まったような気がした。
椎名が俺を好きだとは考えたこともなかった。
観測を怠ったことはないがそれについて考察しても答えは出なかったからだ。
思わず口に手を当て彼女から顔を反らした。
この気持ちを言葉にすることが出来ない。
嬉しいと言う気持ちが表情に出てないか恥ずかしかったのだ。


『バカな作戦だなって思ったけど、柳はこうやって付き合ってくれた。図書室まで行ってわざわざこうやってプリントまで作ってくれて。凄い嬉しかった。でも国語が出来ないってふりをしてるのも申し訳なくなった。補習のさぼりを迎えに来てくれるのもいつも柳だったし。いつもありがとうね。親に心配かけすぎるのも良くないし明日からはちゃんと勉強するよ。大学にも行く』


「俺はお前だから迎えに行ったのだ」


だからもう大丈夫だと言う彼女の言葉を遮った。
告白してこの関係を終わらそうとしているのが丸わかりだ。
ちらりと彼女を見れば首を傾げ不思議そうにしている。
人は自分の気持ちには気付けても他人の気持ちには鈍感なものなんだな。


「俺も椎名のことが好きなんだ」


小さく息を吐くと彼女の方へと向き真っ直ぐに気持ちを伝えた。


『え?なんで?』
「お前だから、好きだから俺は担任の願いも聞いたし補習を嫌がる椎名を迎えに行った。今思うと好きではなかったらお前が国語をわざと出来ないふりしていたのは見抜けていたと思う」
『そうなの?そしたら柳が私のこと好きじゃなかったら作戦失敗してたんだねぇ』
「呑気だな椎名は」
『え?柳は私のことが好き。私は柳のことが好き。それが分かったら充分じゃない?』


照れたり喜んだりすることはないようだ。
これが彼女の友達の言う照れ屋な一面なのだろうか?
どちらにしろ問題児じゃなくなった彼女は未だに俺の予想外で不可解だ。


「照れ隠しのつもりなんだろうか?」
『どうでしょー?柳クンはさっき照れてましたねー』
「……」
『怒った?』
「国語が出来たとしても苦労しそうだなと思っただけだ」
『へへー褒められちゃった!』
「どこをどう捉えるとそうなるのか」


からかうつもりだったのが逆にからかわれた様だ。
たまにはこういうのも悪くないな。
ふと口元から笑みが溢れる。


『柳、好きだよ』
「俺も椎名のこと好きだ」


これからもきっと俺は椎名に振り回されることだろう。
椎名のことは観測不能だからな。
それをどこか楽しみにしてる自分が居た。



水棲様より

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