久しぶりに外の世界に足を踏み入れたせいだろうか。
少し歩いただけで、思わず口から溜め息が零れ落ちた。
悲しくないのに、心が嘆いている──
なぜだろう、そんな気持ちが全身を支配した。
【第3話:温かな手に引かれ】
森の中をさまよい歩いて行く。 六軒島に着いたのはいいものの、あまりの広さにネックレスを見つけられないでいた。 いや、そもそも本当にここにあるのだろうか。 師匠であるシルフィールは人を困らせたりすることが大好きな、少しばかり歪んだ性格の持ち主だ。 よく言えば無邪気、なのだろうが。 こんなときは本当に迷惑極まりない。
「…どこにあるの……」
視線を地面に向けて、キョロキョロと動かす。
そんなことをしているうちに、ドレスの裾は枝などによって傷が付いたり汚れたり。 仕舞いには足を取られ、転んでしまった。
「痛…、もう嫌……」
だから外になど出たくなかったのだ。 目元が熱くなっていくのを感じながら、膝をさすっていく。 鈍くさい自分が嫌になった。
帰りたい…そんな思いが心の中を浸食していく。 そんなときだった、後ろからざわりと草の音が聞こえたのは。 びくりと体が一瞬震え、首だけを後ろへ向けた。
「…誰?」
不安げにそう口を開くと、草木をどけて一人の少年が姿を現した。 冷めた目…全てを写しているかのようで、何も写していないような、そんな感じ。 表情から感情を全く読むことができないが、目の前にいる私を警戒していることだけは感じとれた。
「そこで何をしている」
突き刺すような口調。 なんだか怖くなって思わず俯く。 すると少年がこちらに近づいてきた。
「…お前も、あいつの仲間か?」
近くで見ると、すごく整った容姿をしてることが分かった。 眉間にしわを深々と寄せているのが残念でならない。 下げていた顔を上げて黙ったままじっと見つめていると、それが気にくわなかったのか少年はさらに不機嫌そうに表情を歪ませた。
「お前も、魔女なんだろ?」
──魔女。 その言葉に無意識にも反応してしまった。 そうだ、私は魔女。 よく考えてみればそんな私の姿を認識した人間は、目の前にいる少年が初めてだ。
「…お前もって、この島には他にも魔女がいるの?」
私が口を開くと、少年は一瞬驚いたように少しだけ目を見開いた。 もしかして口が利けないと思っていたのだろうか。
「『黄金の魔女、ベアトリーチェ』…」
最後に複雑そうに「…様」を加えた。
ベアトリーチェの名前をまさかこんなところで耳にするとは思ってもみなかった。 彼女とは、仲がいい方…だと思う。 無限の魔法を先代のベアトリーチェ卿のように人々の幸せのために使わず、真逆の力を使って自分の退屈を紛らわせる。 そんな彼女のやり方が嫌いで、あまりよく思っていなかった。 けれど何故かベアトリーチェは私のことを気に入っているようで、何度も何度もお茶会に誘ってきた。 そして話をしているうちに、彼女の持つ独特な雰囲気と魅力に惹かれていったのだ。 ベルンに彼女の話をすると、あまりいい顔はしてくれなかったが。
久しぶりに彼女に会える、そんな喜びが表情に出ていたのか、少年は再び眉間にしわを寄せた。
「…あいつを知っているんだな。まさかお前も紗音をいじめにきたのか!?」
少年はいきなり声を荒げだした。 突然のことで驚くも…紗音? 一体誰のことだろうか。
「違うよ…私はただ、探し物を…」
「探し物だと?」
疑いの眼差しでこちらを見据えてくる。 激しく波打つ心臓を落ち着かせるために、一度深呼吸をして。
「ネックレスをなくしてしまったの…すごく大事なもので……」
だからその…、ああ、続きが見つからない。 だって本当にこの島にあるのかどうかわからないんだもの。 そう考えると、なんだか心がどんどん暗い靄に包まれていく。 それに気づいたのか、少年は表情を緩めて。
「…僕も探すのを手伝うよ」
雰囲気がほんの少し優しくなって。 彼から放たれていた警戒心が感じられなくなった。
「でも…」
「名前は?」
「……アヤ」
反射的に答えてしまっていたことに気づいたのは、彼が「アヤ…か」と呟いたときで。 人間を嫌いになったはずなのに、彼に名前を呼ばれたことが苦じゃなくて。 変なの、でも…そう感じている自分が嫌じゃない。 あの鳥籠の中で、世界を、人を、そして自分をも否定し続けていたのに。 無力な自分が、誰かがいなくちゃ何もできない自分が嫌いだったはずなのに。 全てがゆっくりと消えていくような、そんな気がした。
「…あなたの名前は?」
「僕は、嘉音」
目の前まで来て、座り込んでいる私にそっと手を差し伸べてきた。 掴め、ということだろう。 けれど何かが私を引き止めている気がして、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。 頼っては駄目、そんな思いが頭の中をぐるぐると回る。 どうしよう、どうしよう。 ぎゅっと手の平を握りしめる私に、優しく声が頭上から注がれた。
「アヤ、大丈夫だから」
無表情でまるで機械やお人形のようだった最初の頃とは打って変わって、今はとても穏やかで。 気づいたときには、私は彼の手に自分のを重ねていた。 優しく握りしめてくれた手から伝わる温かな体温が心地いい。
「ありがとう、嘉音」
私を、見つけてくれて。
この森を一人さまよい歩いていたとき、まるで私の心みたいって思ったの。 座り込んでしまってからは、もう何もかもがどうでもよくなっていって。 魔女は退屈だと死んでしまうという話が浮かんできて。 鳥籠で一生を過ごすのとどちらがいいのだろう。 そんなことをただただ考えていた。
そして、私は今答えを見つけた。 これはきっとほんの気まぐれ。 少しだけ、もう一度外の世界に出てみよう、なんて。 きっとあなたと出会わなければ思わなかった。
引き寄せられるように手を引かれて立ち上がったとき、初めて膝の痛みが消えていることに気がついた。
to be continue..
アヤと嘉音の出会い、です。 この出会いが無ければ、亜弥と嘉音の出会いもまた存在しなかったんです。 2人の物語の始まりはここから──
20091008
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