廊下を歩いていると、戦人は手でぱたぱたと扇いだ。


「暑い?」

「そりゃ4時間も客間に籠もりっぱなしだったからな」

「じゃあ厨房で水貰おっ」


嘉音もいるかもしれないし。

なんていう期待に、亜弥は少しだけ頬が緩む。


「あ、あそこだよ!」


少し先に、灯りが見えた。
そこへ歩いて行くと。

次第に声が聞こえてきた。


「どう…て、紗音が…んな目に…。
どうしてベアトリーチェ様は紗音を……。生贄が欲しかったなら、他にも大勢いただろうに…どうして…!」



悔しそうな、悲しそうな嘉音の声。

思わず亜弥たちは足を止めた。


「…源次様。奥様の部屋の扉に、血のような跡が付いていたと仰っていまいたよね?」

「うむ…君の悪い跡だった…。
まるで血のついた指で、ドアノブを引き抜こうとしたかのような…扉を掻き破ろうとしたかのような…」


その生々しい光景が頭の中に浮かび、亜弥は俯き目を瞑った。


「…どうして…奥様は生贄を免れたんだ…」


ポツリ、と小さな呟き声。
けれど目をつむっていたためか、亜弥にははっきりと聞こえて。


「奥様が選ばれてたら、紗音は死ななくてすんだのに…ッ」


涙が、零れ落ちた。


─コンッ!

戦人は、亜弥の頭を撫でながら壁を軽く叩いた。

厨房にいた全員は、ドア口に顔を向ける。


「ば…戦人様。それに亜弥様も」


嘉音は亜弥へ視線を向ける。
口を堅く閉ざし、ポロポロと涙を零す彼女に、胸が締め付けられた。


「亜弥様…」

「亜弥の母さんが選ばれてたらよかったって?」

「─っ」


亜弥の肩に触れようとした嘉音は、その言葉で手をとめた。
戦人は、冷ややかな視線を向けている。


嘉音はやり場のない手をそっと下ろすと、ギュッと手のひらを握り締めた。


「紗音ちゃんが死んじまって悲しいのは分かる。けどなぁ、だからって夏妃おばさんが選ばれてたらよかったなんて、それだけは口にしちゃいけねぇだろ!」


普段ドライな戦人が、珍しく声を荒げる。

自分の親が、大好きな人に否定される。
それは、すごく悲しくて辛いこと。

今の亜弥の心境を想像するだけで、戦人は切ない気持ちになった。


「もう、いいよ…戦人。嘉音の気持ちも、分かるし」


手で目を軽く擦って、涙を拭う。
そして、嘉音に視線を向けた。

「亜弥様…」

「でも、嘉音の口からそんな言葉…聞きたくなかったな」


悲しげに、微笑む。

そして踵を返し、厨房から出て行こうとする。

嘉音はどうしたらいいのか分からずに、ただただ夢中で。
亜弥を後ろから抱きしめた。


「ちょっ嘉音、離して…」

「嫌だっ!!」


抱き締める腕に力を込めて、拒否をする。


「ごめん、亜弥。本当に…本当にごめん」


今にも泣き出しそうな声が、耳元で聞こえてきて。
亜弥は、そっと嘉音の腕に触れ。


「嘉音だから、許してあげる」


瞳を瞑って、そう優しく返事を返した。


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