氷帝 短編
そばにいて

寒さに耐えながら布団から出るのも一苦労なこの時期に、この男のとる行動は本当に嫌がらせだとしか思えない。


「おせえ」
「…私が遅いんじゃないよ、景吾が早いんだよ。今何時か分かってる?5時だよ。早朝5時。何が悲しくて部活も引退した冬休みに5時起きとかしなきゃいけないの?約束でもしてたならまだしも、30分前に電話で起こされて出てきた私を褒めてくれないかな」
「俺様をこの寒い中待たせるんじゃねえよ」
「…話くらい聞いてよ。っていうか、それ私が言うべき言葉だよ。寝起きの寒さがどれだけ辛いと思ってんの」


気持ち良い眠りから一変、景吾からの電話に起こされた私はパジャマにカーディガンという格好で家の前に立っている。私がとてつもなく寒い思いをしているのに、呼び出した本人は一切風なんて通さないのであろう高級そうなコートに身を包みながら尚私に寒いなどと言い放った。


「それで?こんな時間に呼び出したからには何か用があるんだよね?」
「ああ。出かけるから車に乗れ」
「は?って、ちょっと…!!」


私が驚いているのなんてお構いなしに、目の前に停まっていた車に押し込まれた。


(なんで今日こんなに滅茶苦茶なわけ?人の話全く聞かないし…)


諦めて溜め息をつく。景吾の突拍子のない行動なんて、今までだって何度も体験してきた。慣れかけている自分が恐ろしいと思う。


「着いたぞ」
「ん…って、え?海?」
「ああ」


車から降りて目の前の光景に驚いていると、私達を乗せていた車はどこかへ行ってしまっていた。


「砂浜、行くか」
「え、あ…うん?」


手を引かれてされるがままに景吾の後をついて砂浜へと降りていく。砂浜に転がった流木にどちらともなく腰を下ろし、私は今の状況が全く理解できずにいた。


「クシュン…ッ、景吾、寒いんだけど」
「あーん?」


いや、あーん?じゃなくてね。ただでさえ寒い恰好していたのに、海なんて潮風が身に染みる。寒くないわけがない。


「…こっちに来ればいいだろ」
「へ?って、うわっ」


ふわりと身体を持ち上げられたかと思うと、次の瞬間には私は景吾の腕と膝の中にいた。景吾の着ている大きめのコートは私まですっぽりと包みこんで抱えた膝の前で閉じられた。


「…あったかい」
「そりゃ俺様が温めてやってるんだからな」
「…コートのおかげだもん」
「ハッ、俺様のコートだろうが」


内容のないくだらない会話をぽつぽつとしても、結局私達がここに来た意味はわからなかった。


「ね、どうしたの?なんで海?」
「…葵が、電話に出なかったからな」


…電話?なんの話だろう。


「24日も25日も、俺は一緒にいれなかったじゃねえか」
「ああ、うん。海外でパーティだったんでしょ?」
「…せめてと思って電話したのに、お前が出なかったからな。…俺に怒っているんだろうと思って、帰国してすぐに会いに来た」
「え、いや、電話に出れなかったのは夜中で寝てたからだよ。時差考えないで電話してきたでしょ?」


なんだか今日の景吾はおかしい。いつもの自信満々な言葉遣いが全く感じられない。この体勢だから顔を見ることができないけど、一体どんな表情をしてるんだろう。


「俺は、また明日から年明けまで海外を回る」
「前に聞いたよ?大変だよねえ」
「…クリスマスも、年末年始も会うことのできない奴が彼氏なんて、葵はどう思う?」


(…これは、もしかしてだけど)


「…ねえ、景吾?」
「あん?」
「私は、景吾が忙しい人だって分かってて付き合ったし、そんなことで一々不満なんて持たないよ」
「……」
「でも、そうだなあ。…不満なんてないけど、それを景吾が寂しいと思ってくれていたんなら、嬉しいと思うかな」


へらっと笑ってそう言うと、私を包んでいた腕に力が込められた。ほんと、今日の景吾はいつもと違いすぎて笑ってしまう。


「わ…、景吾!!すごい、日の出!!」


突然視界に飛び込んできた光に感動して、思わず体勢を気にせずに景吾の方を向いた瞬間、唇に温もりが伝った。

驚いて目を見開いていると、ゆっくりと離れた景吾の顔は真っ赤に染まっていった。


「…正月も何も一緒にしてやれねえから、その変わりにと思ったんだが…」
「だから…海?」
「…ここしばらく、自分らしくなくてな。不覚にも、葵に会えないことが耐えられなかったらしい」


一秒でも早く葵に会いたかった、なんて驚く程素直に発した景吾の言葉に私が赤くなっていくのなんて当然のことで。


「俺様らしくなく、不安まで増えてな。葵が、こんなに会えないことに嫌気が差していたら、なんて考えていた」
「……」
「…葵。俺様に、これからもついてこれるか?」


こんな弱気な景吾なんて、もう二度と見られないかもしれない。


「…景吾。私はね、世間でいう特別な日だけ一緒にいるんじゃなくて、今日みたいになんでもない日を共有できることの方が幸せだなって思うよ?」
「葵…」
「こうやって、何でもない日を大切な思い出にしてくれる景吾が好き。それに、他の人と同じ行動をするなんて跡部様の名が廃るんじゃない?」
「…っふ」
「…これから先もずっと隣にいてほしいのはそういう景吾だよ」


ずっと一緒にいてね、と笑うと、景吾も笑った。

身体に纏うぬくもりが、来年もその先もずっと続きますように。なんでもない日の太陽に祈る願いは、なぜか絶対叶う気がした。