氷帝 短編
伝えきれない愛しさを君に

ずっと考えてることがある。


「あ、葵ちゃん!待っててくれたんだー!うれCー!」


ジロー君の口調は、みんなに向けられてるものと同じく明るくて可愛い。だけど、私への言動は同じようで少し違う。違うって言っても、特別だとかそんないいものじゃない。

ちょっと無理して笑ってる顔。引き攣るような口の端。困ったように眉が下がって、向けられる一言一言がちょっと大げさ。誰が見ても気付かない程度の無理矢理作った笑顔だけど、私にはわかる。だって、ずっと見てきたんだもの。ジロー君が好きで、ずっと抱えてきた想いをやっと伝えて、付き合ってくれて。

最初は幸せだったけど、すぐに自分に向けられる表情が違うことに気付いた。ジロー君のいつも通りの笑顔をもらえるみんなが、羨ましいと思った。付き合い始めて3ヶ月も経つのに、何一つ変わらない。
ジロー君はきっと優しいから付き合ってくれてるけど、一緒にいても楽しめないんだから、きっとすぐに別れを告げられる。そんなことまで迷惑かけられないから、私から…って。


「…葵ちゃん?」
「え…?」
「ぼーっとしてたみたいだから!大丈夫?」


ほら、ジロー君はこんなにも優しい。


「…うん、大丈夫」
「…そっか、よかった」


困ったように笑わないで。嫌いなら嫌いって言ってくれていいんだよ。ジロー君は大好きだけど、大好きなあなたのそんな顔、見たくない。


「…ジロー君」
「んー?」
「…私といても、楽しくないよね?」


足を止めて、下を向いて声を出す。2~3歩前を歩いていたジロー君がぴたりと足を止めたのがわかる。どんな表情かなんて見えないけど、視線を向けてくれている。話さなきゃ、言葉にしなきゃ。


「…え…?」
「私から付き合ってって言ったのに、こんなこと言うのおかしいと思うんだけどね。…ジロー君に無理してもらってまで、付き合ってもらうのは辛い…」


テニス部の練習が終わる時間の学校付近なんて、もうほとんど人がいない。それだけが救いだった。…泣きそうな私の顔なんて、誰にも見られたくない。


「…待って、いつ、俺が無理したの…?」
「ずっと、だよ。ジロー君の笑顔とか言葉とか、私に向けてくれるものは全部固くて、普段の明るくて楽しそうなジロー君は、私の隣にいると全部消えちゃうの」


そんなジロー君と一緒にいるの、つらい。

声になったかわからないくらい小さな声を振り絞って、震える瞼をぎゅっと閉じた。
遅い時間、シン…とした空気と冷たい風の中、アスファルトをこするような音が聞こえた。


「…ごめん」


ああ、これで終わるんだ。嫌に冷静になった頭で浮かんだ考えは、次の瞬間あっという間に消えていった。


「…ジロー、君…?」
「ごめん、ごめん…っ」


弱々しくだけど、縋るように手が握られていることを知る。


「そんな風に、傷つけたいわけじゃなかった。傷つけてるなんて気付かなくて、ごめん…っ。俺、自分のことで精一杯だったんだ。葵ちゃんといて楽しくないなんて、あるわけないのに…っ」


ジロー君の紡ぐ言葉の意味がわからないまま首を傾げた。だけど、薄暗くなった灯りの少ない道でも、ジロー君の顔が苦しそうに歪んでいるのがわかる。


(あ、こんなに近くにいるの、初めてかもしれない)


こんな時なのにマイペースに何を思っているんだと自分に言い聞かせるが、初めてこれほどの近い距離で見る愛しい人の姿がこんなに苦しそうなんて、やっぱり嫌だなあなんて思う。


「…どうしよう、俺、すっげえ情けない…」


とうとうしゃがみこんでしまったジロー君に、慌てて目線を合わせるためにしゃがみ込む。


「…俺の話、聞いてくれる?」


大好きな人の真剣な話を聞かないわけがない。そう思いながら頷くと、弱々しく笑うジロー君に胸が締め付けられそうだった。





『ジロー君が、好きです…っ』


あの日、心臓が止まるかと思ったんだ。大好きだった子から告白されて、嬉しくて。でもすぐに情けなくなって。同じ気持ちなのに、女の子に告白させるなんて男としてどうなんだろうって。


『…へへ、俺も、好きだC』


葵ちゃんはどんな俺を好きになってくれたんだろう。他の女の子は、俺のふわふわして可愛いところが好きって言ってくれた。なら、葵ちゃんもそうなのかな?嫌われたくない。笑顔で、明るい俺。大丈夫、いつも通り。


『ジローって、彼女とどこまでいってんの?』
『…どこまでって何ー?』
『しらばっくれんなって!地味に手早そうだよなーお前』


友達との会話。そんなわけないじゃん。
ずっと決めてた。告白ってすっげえ勇気いること、女の子からさせたんだもん。それ以外の勇気は全部俺が出そうって。手繋いだり、キスしたり。そういうことは全部最初は俺がする。これ以上、情けなくなりたくない。

でもだめだった。そういうこと考えながら葵ちゃん見ると、心臓ばくばくして。手を伸ばそうとしても勇気でなくて、でもそういうの悟られたくないし、嫌われたくないから一生懸命笑って。毎日毎日、全部必死だったんだ。

葵ちゃんと一緒にいて、つまんないとか、楽しくないとかありえない。大好きすぎて心臓破裂するんじゃないかって思うくらいドキドキしてるのに、ありえないんだよ。





でも、全部失敗だね。俺、ほんと情けないCー…。

拳を握りしめて俯くジロー君に呆然とする。


「…こんなのさ、思ってても彼女に聞かせることじゃないよね。ほんと、こんな彼氏でごめんね?」
「ジロー君…」
「でも、もう伝えるしか方法わかんない。葵ちゃん、俺、離れたくない。…大好き、不安にさせちゃうくらい、いつも通りの俺でいられなくなるくらい、葵ちゃんが大好き」


そう言ってぎゅっと握られた手から、私の熱が全部伝わればいい。
だって、私だってわかんない。こんなに嬉しいこと言われて、どう反応すればいいのかなんて。


「…情けないんだよ。大好きすぎて、どんどん情けなくなる。…でも、頑張るから。だから…チャンス、ちょうだい?」


さっきより強く握られた手が震える。これは、ジロー君の緊張だ。…こんなに簡単に伝わってくるのに、なんで今まですれ違っていたんだろう。


「…ジロー君は、ずるいね」
「…」
「私だって、大好きだよ。どんなジロー君だって、大好きだもん」
「―っ、」
「…話してくれたことが、すごく嬉しい。たったそれだけで、こんなにジロー君と近づけた気がする」


だってほら、触れられなかった手が繋がってる。こんなに近くにいられる。ジロー君の、本当の表情が見られた。

嬉しくて笑うと、ジロー君の方からも熱が伝わってきて、暗くて見えないお互いの顔の色が真っ赤になってることがなんとなくわかった。


「…俺で、いい?」
「ジロー君が、いい」


ゆっくりと近付いて一瞬だけなくなった距離がどうしようもなく嬉しくて、繋いだままの手をもう一度しっかりと握りしめた。

近い距離でやっと見ることができた大好きなあなたの照れたような本当の笑顔が、暗闇の中でも眩しくて、もっと大好きになる予感がした。