”鬼” (39ページ)
「あっつぃ…」
あまりの暑さに井戸の側で水と戯れていた沖田は、唐突に斎藤に声をかけられた。
「総司、今、手は空いていないか?」
「何で?」
「少しばかり手伝ってもらいたいことがあるのだ」
「嫌だよ、絶対めんどくさいもん。それに僕、今から稽古してくるから」
後半部はまっぴら嘘である。だが斎藤は、そうか、と呟いたきりさっさと行ってしまった。・・・稽古っていうのが効いたのだろう。一君が去って行った方向から左之さんと新八さんが歩いてきた。
「よぉ、総司。今、斎藤に声をかけられなかったか?」
「うん。すぐに断ったけど」
「だよな」
そうして話しているうちに、僕は見たくないものを見てしまった。
「名前」
ちょうど自室から出てきた名前を斎藤がが呼び止める。
『何でしょうか?斎藤さん』
「少しばかり手伝ってもらいたい仕事があるのだが。今、手は空いているか?」
『はい。問題ありません。・・・他の皆さんの手は空いておられないのですか?』
「全員が”今から稽古だから”とぬかして逃げた」
『・・・そうですか。俺にできる仕事なら喜んでやりますよ』
うわ、一君の申し出断るんじゃなかったな。今更後悔しても意味ないんだけど、それにしても・・・
「・・・・・・」
思わず無言で笑みを浮かべる沖田を見、
「・・・えーっと、あの、総司・・・?」
沖田から発せられるただならぬ気配を感じ取った新八は遠慮がちに呼びかけた。そんな新八に笑みを深くして口を開く。
「そーいえばさ。新八さんたち、ちょっと稽古に付き合ってよ」
さっきまでは稽古なんてする気がなかったけれど、急にやる気が出てきちゃったな。ぎくりとした表情で新八が逃げようとする。
「え、何だよ、総司・・・まさか俺を殺すつもりか!?」
「嫌だなぁ、そんなことするわけないじゃない。ただ普通に稽古するだけだよ?もちろん逃げようとしている左之さんもね?」
新八と総司が会話している間に、と思っていた原田はぎくりとしながら振り返った。
「いや、総司の稽古は稽古じゃないだろ!?っていうかこれは完全に八つ当たりだろうが!!」
「当たり前でしょ?だって一君本人を相手にしたらそれこそ稽古じゃなくなるよ」
「だからって俺たちに八つ当たりすんなよ!?なぁ、新八!・・・って総司!顔が笑ってても目が笑ってねぇ!!」
二人は必死に逃げ場を探すが、沖田が逃がすはずもなく・・・
「稽古、相手してくれるんだよね?うん、ありがと」
「っておい!俺たちまだ何も言ってねぇぞ!!」
部屋や広間のほうから他の隊士達が何事かと覗いてくるが、ずるずると沖田に引きずられる原田と新八を見て、自らも被害を浴びないように引っ込む。
そして道場に着いた沖田は満面の笑みで二人に訊ねた。
「さて、と。二人は木刀と真剣、どっちがいい?」
「「木刀に決まってんだろうが!!」」
ある夏の暑い日の出来事。
その数刻後、悲鳴が響いたのは言うまでもない。