君が故 (159ページ)
『さようなら』
「え・・・?」
三歩ほど離れた位置にいる名前ちゃん。くるりと蹄を返してどんどんと歩いていく。
「待って!」
僕は急いで追いかける。どれだけ歩いても、どれだけ走っても彼女には追いつけない。僕が待って、と言っても待ってくれない。手を伸ばしても絶対に届かない。
「名前ちゃん!!」
・・・夢、か。目覚めた僕は手を伸ばしていて、叫んでいた。背中は汗が出ていて湿っている。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・」
悪い夢。ただの幻想なはずなのに。なぜだか嫌な予感が止まらない。
「・・・良かった」
名前ちゃんの部屋まで駆け込んで彼女の様子を見に行った。彼女はすやすやと眠っていた。ずるずると襖に体を預けて力なく座り込む。このままいなくなっていたらどうしようかと思った。不安で仕方なかった。安心した僕はそのまま眠り込んでしまった。
『ん・・・』
目が覚めて体を起こすが頭が痛い。くらくら、ふわふわする感じ。これが二日酔いというものかと思いながら布団をたたもうとしていると部屋の隅で座り込んで眠っている沖田が目に付いた。
『風邪引きますよ』
そっと気付かれないように布団をかけて。昨日の片づけをするために広間へと向かった。
皆が目覚めたのは昼を過ぎたあたりであった。
「で、わざわざどうして訪ねてきたの?」
昨日はすぐに飲んでしまって話にならなかった。何か大切なことを伝えに来ているということは分かっていたのだが。
「えーっとだな」
ぽつりぽつり二人は話し始めた。近藤とはもう馬が合わないということ。新選組を抜けるということ。
「世話になったな」
『本当に行ってしまうのですか?』
「あぁ」
見送るために門の前まで来た。夕暮れを浴びながら別れの言葉を言う。
「ま、俺は侍になりてぇって思ったわけじゃねぇしな」
「あの時ああしてりゃあ良かったなって思うのだけは絶対に嫌なんだ」
二人の出は元々武士だ。農民出身の近藤とは違う。幕府に傾倒する近藤とは意思が違ってしまった。
「お前らのこと、中途半端で悪いな」
『原田さん・・・』
原田は名前の髪をわしゃわしゃと撫でて優しく微笑んだ。
「笑えよ、大丈夫だ。お前のことは総司が守ってくれるだろ」
笑えと言われて名前ちゃんが笑えるはずがない。だけど何とか彼女は苦笑いを浮かべていた。
「当たり前でしょ」
「それに忘れるなよ。俺達は一緒に戦ってるんだからな」
「おう、薩長の連中と戦い続けるのはかわらねぇ。これが最後の別れじゃねぇんだからよ」
総司には悪いけどな、と一言左之さんは付け足した。だけど僕には悪いなんて言われる権利なんてない。だって現に僕は近藤さんより名前ちゃんを選んでいるんだから。
『二人ともお元気で』
「名前と総司もな」
小さくなる背中をいつまでも眺めていた。