君が故  (155ページ)

その翌日から名前は千鶴の後を追いかけることばかりを考えていた。意識を集中して。咳がなくなればいい。少しでも動けるようになれば。名前は一瞬で鬼化した。そして力を入れて労咳を治そうと試みた。



『っ―――、ごほごほごほっ』



結局、完璧には治すことなど不可能である。体調の悪化により、立つことが困難になった体を眺めながら名前は乾いた笑いを浮かべた。



『なさけない、な。俺・・・』



その時、なぜだか変若水が頭の中に浮かんだ。あの薬なら。あれを飲めば労咳は治るのかもしれない。羅刹になればまだ千鶴を守り、戦うことができるのかもしれない。そう考えるととても甘美なものに思えたが名前は首を横に振り、そのような考えを消し去る。

少しずつ暖かい日が続くようになってきた慶応四年三月。療養所に尋ねて来た人がいた。・・・いや、人ではなく鬼である。



『どうして貴方がここにいるのですか?南雲薫』



名前は部屋の前に立つ男に問いかける。生憎沖田は町へでかけているところだったのだ。俺が相手をしなくてはならない。刀に手を伸ばすが・・・カタン…



『ぁ・・・』



手が震えて、力が上手く入らない。まさかここまで自分が衰えていただなんて信じられなかった。立っていることさえままならなくなり、膝をついてしまう。薫はそんな姿の名前を高笑い、嘲笑う。まるで自分より弱い立場の者を見つけたと。それが悔しくて悲しくて。だけど俺には薫を睨みながら下唇を噛むことぐらいしかできない。



「あはははは、いい様だな。そのまま跪いていなよ」



ぐりぐりと足で押さえ込まれ畳に頭を擦り付ける。



「全く、沖田も役に立たないな。助けにも来ないなんて」



愉快そうに笑いながら、薫は刀を抜く。そしてもう片方の手で懐を弄り・・・コトンと畳の上に置かれた赤く怪しく光る水―――変若水を取り出した。



「さて、どっちがいい?」



今すぐ選択しろと。薫に今すぐ斬り殺されるか変若水を飲んで羅刹と化すか。チキ…と首元に今にも当たりそうな薫の刀。きっと俺を簡単に殺すことができるだろう。俺はまだ、死ぬわけにはいかない。やるべきことが残っている。ご主人様のこと。千鶴のこと。そして・・・名前ちゃん、俺の名を呼ぶ優しい声。名前は躊躇しながらも変若水へと手を伸ばす。力がほしい。敵を倒すための力が。



「名前ちゃん!!」



あと少し、もう少しで手が届くという寸前で沖田が戻ってきた。薫は舌打ちした後、不意に刀の鞘で名前の腹を殴る。そして名前を気絶させ、後ろへ投げ捨てた。



「薫っ!!よくも・・・!!」



怒りを露にする沖田は最早人ではない。羅刹。唯の化け物だ。そんな沖田に対抗するかのように薫も本来の鬼としての姿を見せる。沖田は畳を強く蹴り、薫との距離を一気に詰めかけ斬りかかった。



「ハァハァハァ・・・」

「いい加減、諦めたら?君と僕じゃ実力差は目に見えてるよ」



少し経つと実力差が顕著に現れ始めた。羅刹と化した沖田には薫の鬼としての力などたいしたことなかったのだ。



「どうして君がこんなところに来たのかな」



その質問をしている時に沖田は名前が目覚めたのに気付いた。だからか一瞬、薫を目の前で殺すことに躊躇った。それが仇となった。薫はその隙をつき、名前の口元へと変若水をやった。



『・・・ごくん』



喉が動いたのを確認し、名前から薫は離れる。そんな薫に沖田は真剣に殺す気で斬りかかる。



「お前が悪いんだよ沖田。名前の目の前だからと躊躇っただろう」



沖田は薫へとさらなる狂気で襲いかかろうとするが、名前に起こる変化の方が重大だった。



『・・・ぅぐ、あ』



寝込んでいた布団を力いっぱい掴んで、ものすごい皺ができている。吐き出すように仕草するが、完全に飲み込んでしまったようだ。そして―――髪が白く染まりあがった。しかし鬼化とは違い、角は生えておらず、瞳の色も真っ赤だ。羅刹。ただの血を求めるだけの化け物になってしまった。

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