第五衝突 【136ページ】
家に帰っても、椿兄さんは動いた形跡一切なく、ソファーに力なく座り込んでおり、私が帰ってきたことに気付いたのか顔を上げた。
「梓は?」
『大丈夫そうです』
「そっか」
また沈黙。椿兄さんと一緒にいて静かになるだなんて珍しい。それほど落ち込んでいるという証拠なのだろう。
『椿兄さん知ってる?一緒に生まれた兄弟って一つの魂を共有してるんだって。身体がいくつにわかれてもさ、魂は一つなんだって』
いつか聞いた話。私も絵麻と通じるところがあるし、結構本気で信じてたりする。
「知ってるよ。それ、俺、本気で感じてたんだ。でもさ、今、何も感じないんだよね。梓を感じない。まるでいなくなったみたいに」
いてぇと胸を押さえる椿兄さん。いつも笑っている彼が悲しそうな苦しそうな顔をしているとこちらまで苦しくなってくる。
「梓は俺が入院させたようなもんじゃん。仕事のことでも名前のことでも」
『梓兄さんはそんなこと思わないと思う』
「分かってるよ、梓は許してくれるって。だから自分が自分自身を許せないんだ」
私も少なからず罪悪感というか自分の行動に後悔というものを感じてはいる。2人から想いを告げられ断ったものの、完全に拒否しているわけではないから。どこかで受け入れてしまっている自分がいるから。彼らに甘えてしまっている部分がある。私に惚れていると言ってくれたから。
『そんなの私だって一緒だよ。椿兄さんだけのせいじゃない』
「そんなこと…っ」
気がついたときには彼の腕の中にいた。椿兄さんの身体は震えていて、私は彼の背中に手を回して強く抱きしめた。
落ち込んだ椿兄さんはみてられない。チャラいのもどうかと思うけどね。ずっと一緒にいた二人だから拗れたら面倒だってことは自分たちのことでよく分かった。気を持ち直してくれれば一番なんだけど。その方法が分からずじまいでどうしようもないまま梓兄さんのお見舞いに絵麻と二人で行っていた。
「梓さん、大丈夫ですか?」
『大丈夫ー?梓兄さん。あれ、来てたんだ棗兄さん』
「大丈夫だよ。じゃあね棗」
「あぁ。梓のこと頼むぞ」
棗兄さんがお見舞いの時にかってきたのか、梓兄さんのベッドの近くには花が飾られてあった。
『どうぞ。これ、右京さんから着替えなど必要そうなものなんだけど』
「特に食べ物の制限はないみたいなのでケーキも買ってきました」
「ありがとう。わざわざごめんね」
梓兄さんは起き上がれるほどには回復していた。けれども退院まではまだ時間がかかるようだ。雅兄さんの説明だと、梓兄さんは髄膜炎っていう病気らしい。脳を包んでる膜が炎症を起こしてる状態だって言っていた。
「タイミングが悪かったかな。仕事の上では」
『梓兄さん…』
彼が一生懸命仕事をしていることは分かっていた。このアニメだけはと力の入れようが違ったもの。それに2人とも人気がさらに上がったのか、家にいることが少なくなったように感じていたから。
「でも焦っても仕方ないよね。今の僕にできることは早く直すことだけだから」
自分だけが何もできない歯がゆさ。周りにおいていかれてしまうような孤独感。それが少し滲み出ているようにも感じ取れた。
「とろこでどう?家のほうは」
「いつも通りです」
『椿兄さんがいつもにもまして忙しそうにしてるくらいかな』
多分、梓兄さんが欠けた分の埋め合わせをしているのだと思う。声優の仕事に詳しいわけじゃないから断言はできないけれど。明らかに梓兄さんが入院してから椿兄さんの仕事量が増えたのは事実だから。それに、梓兄さんは一番椿兄さんの情報が欲しいのだろうとと思った。伝えることによって責任感を感じさせることとなってしまっても。
私達は病院の屋上へと移動していた。梓兄さんがそこまで動けるということに驚いた。そこまで回復していたとは。それから私は病室の臭いが苦手なので助かった。消毒液の臭いっていうのかな。どうも嫌いな臭いなんだよね。他の人に聞こえるような話をするつもりでもなかったし。誰もいない屋上というのは絶好の場所だったのかもしれない。
「…どうしたの?椿のことを言いたいんでしょう?」
私と絵麻は顔を見合わせる。ここまで言ってしまっていいのか、と。けれど何も言わないわけにもいかずに絵麻が口を開いた。
「椿さんとても気にしてるみたいなんです。こうなってしまったのは自分の責任だって。梓さんが悩む原因を自分で作ってしまったと」
私はつい俯いてしまう。絵麻は知らないとはいえ、その原因に私も含まれているのだから。
「そっか。別に椿のせいじゃないんだけどな。もちろん名前や君でもないから、ね?」
一応絵麻がいるから気を遣ってくれたのだろう。そう言われてしまえば顔を上げる他なくなる。
『…ありがとう梓兄さん。じゃあそろろそろ帰るね』
「うん。ありがとう」
「梓さん、お大事に」
部屋まで一緒に戻り、家へと帰る。外はまだ少し明るくて夏が近づいてきているのだなと思うような空だった。
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