君はついに息の仕方を忘れてしまった

朝が来るのが怖い。君が何も知らない朝が来るのが。君の名前を教えて、僕の名前を教えて、今の状況を簡単に説明して。毎日毎日それの繰り返し。書物にでも書いとけばいいじゃないかなんて考えたけれど、残念ながら名前ちゃんは文字が読めない。教育なんてひとかけらも施されていないのだから。

今日も今日とて僕と君は、初めまして。千鶴ちゃんは自分を忘れられたことがものすごく悲しかったのだろう。彼女が自ら名前ちゃんの部屋を訪ねることはほとんどない。僕か名前ちゃんのどちらかに用事がある時だけだ。



『・・・おはよう、ございます。沖田様』

「え…?」

『間違えましたか?申し訳ございま・・・』
「ううん、もう一度言って」



名前ちゃんの言葉を遮ってもう一度聞く。やはり聞き間違いなんかじゃなかった。どうして君は覚えているの。いつも忘れていたじゃない。



『…わかりません。ただ何となくその言葉が頭をよぎったので』



・・・っ。自分の名前もここがどこなのかなのも、何もかも覚えていないのに。僕の名前だけはちゃんと覚えているなんて。嬉しくて涙が出てきちゃったよ。










その数日後、名前ちゃんの具合は悪化した。一人で立つことも出来ないし、もちろん歩くことなんて出来ない。言葉も忘れてしまったみたい。何一つ一人で満足に出来ない彼女はまるで赤子のよう。

僕は気付いていたのかもしれない。でもいつまでも知らないふりをしていた。使わなくなった名前ちゃんの身体はどんどん弱く細く、脆くなっていって。元々細身の身体に軽く筋肉がついているというだけだったのだけれど、その筋肉はすべてなくなったらしい。手首なんて触ってみると折れてしまいそう。



「名前ちゃん、今日はいい天気だから襖を開けようか。ずっと部屋に閉じこもっていると良い事ないしね」



日光の差し込んだ部屋はいつもより暖かい。せっかくの日光浴なのに前髪が邪魔だろうと軽く梳いてやる。今、この子が弱っていなければ、きっとこうなっていたのは僕だろう。僕の患っていた病気ではそう長くはないから。今の季節ぐらいだったら寝たきりになっていてもおかしくない。



「ごめんね、名前ちゃん。僕は君を守りたかっただけなのに」



池田屋の時も、鬼が屯所にやって来た時も。君は僕を守ろうと、僕に背を向けて僕を守ろうとしてくれていた。だから今度は・・・って。思っていた時にはもう労咳に侵されていて。刀をまともに振るえない自分に苛立って彼女に八つ当たりをしたのだって一回だけなんかじゃないのに名前ちゃんは同情するわけではなく、僕の看病をしてくれた。土方さんに告げ口することなくいてくれた。おかげで僕は新選組から離れずにいられたんだ。なかなか素直になれない僕だけどこれでも感謝してるんだよ。



「・・・名前ちゃん?」



振り返って気が付いた。おかしい。名前ちゃんが一つも動かない。これほど眩しければ腕で顔を覆ったり、仰向けから横向きに変えてもおかしくないのに、ぴくりとも動いていないように見える。・・・まさか。



「名前ちゃん!?名前ちゃん!!名前ちゃん!!!!」



胸が上下していない。呼吸音が聞こえない。揺すっても起きない。名前ちゃんの身体はまだ暖かいのに僕の体が冷えていくのを感じる。襖を開けていたからか僕の声が大きかったからなのかは分からないけれど、幹部の皆が集まってきて。もちろん千鶴ちゃんもその中に入っている。



「沖田さん・・・?どうしました?」



幹部の皆は察したんだろうね。千鶴ちゃんにその能力がなかったみたいだけど。



「名前ちゃんが・・・彼女は息の仕方を忘れてしまった」



僕に抱き上げられている身体とだらんと落ちた腕。首は落ちないように僕が支えている。泣き出した千鶴ちゃんを見て僕は逆に冷静になった。頭は冴えていたし、そこからの行動に何の問題もなかったと思う。

だけど夜になるとどうしても彼女のことを思い出してしまう。普段は仕事があるから考え事をしないで済んでいるだけで、一人になれば隣の部屋にいたはずの感情の乏しい女の子を思い出すんだ。・・・あぁ、僕は彼女のことが好きだったんだ。玩具として気に入っているだけだと思っていたけれどそれは間違いだった。一人の女の子として、だったんだ。君がいなくなってから気付くなんてね。なんて皮肉なのだろう。

見上げた夜空は悔しいくらい綺麗だった。


back





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -