君は自分自身のことさえ誰と聞いてきた

彼女が、僕たちのことを知らないと言ってから気付いたことがある。彼女の記憶が突然消えてしまったというわけではない、ということ。小さいことかもしれないけれど、団子を買ってきたときも蜜柑をお土産として持って帰ってきたときも。言っていたじゃないか。勘違いで済んでしまうような小さな記憶障害を起こしていた。気付かなかったのは僕の罪だ。



「おはよう名前ちゃん。僕は沖田総司です」



毎朝彼女は僕を、僕たちを忘れる。教えても次の日にはご主人様、だ。

慌ただしく屯所の中を駆け巡り、仕事を探していたことが多かった名前ちゃんは誰の目にも止まらないような暗くて狭い所でひたすら怯えていることが増えた。僕たちの呼びかけには必ず答えるけれど、その身体が震えていることに僕は気付いている。

名前ちゃんが震えないのは千鶴ちゃんくらいだったのに。千鶴ちゃんにさえ、誰と尋ねていた。千鶴ちゃんは泣きそうな表情をしていたけれど、名前ちゃんの前で泣くのは耐えたらしい。その場はとりあえず雪村千鶴です、よろしくねとだけ答えていたけれど、急ぎ足で部屋に戻って泣いていたことを僕は知っている。僕だって同じだから。



「名前ちゃん、洗濯物取り入れて畳んでくれる?」
『承知いたしました』



こうして誰かが陽の元へ名前ちゃんを行かせないと、御飯をしっかり食べさせないと、睡眠をきちんととらせないと、彼女は自らそれらをしようとしない。してはいけない、と思っているのだ。油断していたら日陰にいる。碌に眠っていない証拠に目の下に隈を作ることは多い。気を張っているのだろう。確か彼女が屯所に来た初めの頃は特に気配に敏感だった。それが常時続いている状態となれば精神的にはつらいはずだ。



「名前ちゃん、おいで。屯所の外に出よう」

『・・・よろしいのですか?』

「うん。僕がいれば問題ないよ。だから離れないようにね」

『分かりました。気を付けます』



三歩後ろを歩きながら、きょろきょろ顔を動かして瞳を輝かせている姿は可愛らしい。一応、状況を説明して男装をさせているのだけれど、名前ちゃんだとわかっているからなのか、どこからどうみても女の子にしか見えない。外を初めて経験した女の子。



「ほら、手出して。金平糖だよ。甘くて美味しい食べ物」



以前、僕たちが屯所で留守番をしているときに買ってきたものと全く同じ金平糖。あの時と同じ反応を彼女はするんだ。



『・・・あ、なくなってしまいました』

「溶けたんだね。金平糖は砂糖でできているから舐めていると溶けてしまうんだよ」



一日で打ち解けるにはこのくらいが限界。だって彼女は僕たちのことをご主人様とみているのだから。そうじゃないよ、と言ってもなかなか治らない。








そんな風に数日が経った。相変わらず日陰ばかりにいる彼女はひたすら怯えている。



「おはよう。僕は沖田総司です。君に害は与えないから怯えないで」



小刻みに動く身体。足を抱え込むようにして座り込んでいるからか、いつもよりもいくらか小さく思える。



『・・・わ、たしは・・・・・・・・・私は誰、ですか』



君はまた大切な記憶をなくしまったのだね。僕の紹介だけじゃ足りない。君の紹介から始めようか。



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