兄弟

「おはようございまーす」
「おう涼弥、これから近くの農家に行ってくるけど、朝飯食うよな?」
「私もついて行っていい?昨日はバタバタしてたから全然動いてないし」
「よし、じゃあ行くか」

 色々あった昨日はどこにも動けなかったから、朝の散歩みたいなものだ。先に起きていた荘介に一言言ってから出る。外に出て家の外観を改めて見ると、広さに驚く。小文吾のお父さんの実家って言ってたっけか。離れもあるし庭も広いしすごいな。
 農家さんには歩いて10分くらいでついた。農家さんとの会話は小文吾に任せて、頭の中で家の位置を旧市街の地図と照らし合わせる。それなりに奥まったとこにはあるものの、周りに家もそこそこあるし、旧市街に降りるにはそれなりの位置だ。立地が良い。

「ん、待たせたな」
「大丈夫、そっちの紙袋持つよ」
「そうか?じゃあ頼むわ」

 受け取った紙袋を覗き込むと色艶の良いリンゴが詰まっていた。美味しそうだ。来た道を戻ると、家の前に見慣れない車と…あの後ろ姿は。

「浜路!?」
「あら涼弥、やっぱりあなたもいたのね。信乃と荘介を迎えに来たの。一昨日からここにお世話になっているようだから」
「───ふぅん?悪いけどこっちも事情があって何も話せねぇんだわ。その狐連れてとっとと家に帰んな」
「あっバカ小文吾、その言い草は…」
「信乃!荘介!見つけたわよ!無断外泊なんていい度胸ね、さっさと出て来なさい!」

 浜路の大声が家に向かって放たれる。浜路は下手に隠し事をされるのが嫌いだ。小文吾の言い分に腹が立ったのだろう。走る足音が家から向かってくる。さっきの声で信乃も荘介も慌てているようだ。

「涼弥も、本当はちゃんと外に出るなら言って欲しいわ。だけど里見様からのお仕事があるのは分かってるからしょうがないって思う。でも言える時はちゃんと言って」
「うん、ごめんね、心配かけた」
「でも信乃と荘介は別よ。私に言わないなんてただじゃおかないわ」

 しばらくは屋敷を開ける頻度があると改めて浜路に伝え、家の中に入る。すれ違ってバタバタと駆けていく信乃たちは、この後浜路に怒られると思うと申し訳なく思う。

「涼弥はいいのか」
「うん、ちゃんと事情話したし、朝ごはん食べてないし」
「そっちが目あてだろ…」

 居間に入り、椅子に座って一息つく。朝からどっと疲れた気分だ。

「お前たち、大塚村の生き残りだそうだな」
「ああ、はい。荘介から聞きました?」
「大塚村ってあれだろ、流行病で全滅したっていう」
「教会が村ごと焼いて、その後四人で引き取れらました。私はその後里見のところに行きましたけど」
「…本当に運よく生き残ったのか?」
「よせよ兄貴」
「お前からは信乃とも荘介とも違う匂いがする。そうだな…それは里見の犬神に近い匂いだ」
「…さぁ、どうだと思います?」



 鬼の嗅覚を厄介に思いながら朝ごはんを美味しくいただき、お腹が満足したところで、仕事に関わる話だ。

「犬飼さんに聞きたいんですけど」
「現八でいい、敬語もいらん」
「…現八、青蘭がいつから蟲を使い始めたとか、知らない?」
「…いや、わからんな。俺が捕まった時にはもう使いこなしてる様子だったから、少なくとも半年以上は経ってるだろ」
「そうか…辿れそうにないな」

 せめて一月以内なら、何とかなりそうだったが少なく見積もって半年となると無理だ。それなら青蘭からの足取りは諦めるしかない。他に妖と関わった人を探した方が賢明だ。とりあえず旧市街に降りて、笙月院の様子など見てこようか。信乃が狙われてるなら早急に何とかしたいし。

「今日は旧市街を見てくるよ、笙月院の様子も探りたいし」
「大丈夫か?」
「私は顔割れてないし、誰かが見に行かなきゃでしょ。じっとしてて青蘭が諦めてくれるわけじゃないし。ただ、刀は置いていくよ」
「これ…なかなかの業物だな。いいのか持っておかなくて」
「軍に見つかる方が厄介だし、明日また来るから預かっておいて」

 コートを羽織って前を閉じる。うん、見た目は普通の通行人だ。これなら大丈夫だろう。

「それじゃあ行ってくる」
「気をつけろよ」

「…ん?」

 外に出ると、微かに妖の気配がした。本当に微かすぎて分からない。村雨の残滓だろうか。


 すでに旧市街では鬼の話も落ち着いていた。一昨日のことなのに、すっかり酒の話の種だ。鬼の逃走、子供が攫われた、街に影響が無さそうだと民衆が思えばそんなものか。笙月院のほうは、どうやら鬼狩りの騒動が上の目に留まり、キツく叱られたらしく、大人しくしている。しかし、青蘭がそれで止まる程度の器だろうか。しばらくは旧市街に寄るのをやめたほうがいいだろう。
 蟲を気にしながら見琅館に行く。屋敷に戻るより、見琅館のほうが小文吾たちのいる家に近いからだ。ついでに見琅館のほうで女将から情報をもらいたい。





「こんにちわー」
「よお涼弥、信乃たち来てるぞ」
「えっ来てるの、昨日の今日だから来れないと思ってた」

 昼過ぎ、小文吾たちの家に戻ると、すでに信乃たちがいるという。上がらせてもらうと、居間にいた。

「あっ涼弥!今晩はしゃぶしゃぶだってよ!しかも黒豚!特選!」
「黒豚特選!?すごいな…楽しみだ」
「厨房からかっぱらってきたやつだからな、いい肉だぜ」
「…今時の若い子供が喜ぶもんとは思えんが、なんだあの喜びよう」
「…すいません」

 信乃たちの話を聞くところによると、浜路は学校の下見に行っているらしい、その隙に来たというわけだ。バレたら困りそう。しかし、浜路が通う学校というと、帝都でも有数の女学校だろうか。たしか教会の人間も通えるとなると限られる。
 でん、と置かれた黒豚に目を惹かれつつ、預けておいた薄氷を受け取る。

「そういえば旧市街はどうだった」
「鬼の噂は完全に下火だった。笙月院も勝手な鬼狩りが怒られたらしいから、しばらくは表立って行動しないんじゃないかな。それでも旧市街に寄らないほうがいいのは変わらないけど」
「ちっ面倒だな」


 それから情報交換や雑談をしていると、あっという間に日没だ。待望のしゃぶしゃぶに胸躍らせていると

「…!」

 薄氷を抜いて警戒する。すでに囲まれている。信乃も気づいたようで、村雨を刀に戻した。どうやら火をつけられたらしい。早く外に逃げないと。

「すでに囲まれているぞ!」
「荘介、信乃や涼弥が持ってる刀よりはだいぶ劣るが、ないよりマシだ。使え」
「───こんなものを振り回したと知ったら、浜路が怒りますかね?」
「大丈夫、俺黙っててやるから!」
「そうですか、では」

 荘介は刀を受け取ると、侵入して近づいてきた坊主を一太刀で斬り伏せた。

「さ、火が回らないうちに逃げますよ」
「…迷わず一撃、しかも相手坊主だぞ」
「あんな顔して人殺せるなんて大したモンだ」
「ま、荘介ならやるでしょ。信乃のためなら何だって出来る男だよ」

 私も割とやれる方だとは思うけど、この5年で荘介の過保護や依存度はだいぶ上がったようだ。信乃を守るためなら人殺しさえ厭わない。
 侵入してきた坊主を倒しつつ、外に出るために廊下を移動していると、奥に一人、立ち塞がった。

「やはり生きておるとはな、ただでは死なぬと思っていたが、相変わらず命根性が汚い奴よ」
「青蘭…!」
「三年前に貴様らは北部で死んだと聞いたが、仲間を犠牲にしてお前らだけ生き残った気分はどうだ?」
「テメ…っ」
「さぞかし家族も辱めを受けたことだろう。現八、特にお前は生きていたと知った沼藺殿は生きた心地がしなかったろうよ。誰か判らぬ子供を身籠っていたあの身体ではな」

 流石にそれは、初耳だった。小文吾から聞かされた話では、ただ死んでいたということだけ。現八もそれは初めて聞いた話のようだ。

「───ほう、知らなんだか?犬田の親父殿もさすがにお前には云えなかったと見える。沼藺は───あの女は」
「やめろ青蘭!やめろ!!」
「お前が戻ってくることを知ったその日、罪の意識からか自ら川に飛び込んだぞ」

 自死。生き残りたいと、戻りたいと、もう一度会いたいと願った想いの果てがこれか?自分の願いが他者を死に追い込んだ。それはあまりにも、酷すぎる。そしてそれを隠そうとした優しすぎる彼らの嘘も、この場で暴かれていいものじゃない。ああ、私は今ひどく掻き乱されている。願いの果て、嘘の終わり、どこか歯車が違えば、私にもありえた結末だ。

「貴様…っ青蘭!ぶっ殺す!」
「姉思い、兄思いなことよの小文吾。皆で沼藺は病死したとでも言い繕ったか?お前が生きて戻ってこなければ、沼藺は死ぬこともなかった。恋人を失った女に同情し、周囲も沼藺を責めることはなかったはずだ」」

 ああ、やっぱりこの男、嫌いだな。スッと冷える頭が、今にも燃え上がりそうな怒りを抑えている。どうする、今すぐにでも斬り殺すか?

「さぞ沼藺は恐ろしかったろう。不義を働いた自分の許に、死んだはずの自分の男が生きて戻ってくるのが判ったから」

 急激に二人の霊力が上昇する。怒りが膨れ上がり、二人が鬼に変化すると爆風が周囲を巻き込んだ。とっさに薄氷でガードするが、勢いを殺しきれずに外に吹き飛ばされてしまった。

「ぐ…っ」

 すぐさま起き上がり周囲を見渡すと、家は燃え上がり、美しかった庭は見る影もない。二匹の鬼に坊主たちはひどく動揺して逃げ惑っている。本当は助ける義理なんて全くないが、彼らが直接私たちに危害を与えたわけではない。ああ、くそ、私の気まぐれな慈悲だ。

「引け!鬼に食い殺されるか私に斬り殺されるか!死ぬ覚悟のないものは引け!」

 蜘蛛の子を散らしてように逃げていく坊主たちを横目に、残された蟲たちを斬っていく。青蘭が今どこにいるかは知らないが、ずいぶん邪魔な蟲だ。本人にぶつけることのできない怒りを蟲たちにぶつける。
 そうしてしばらくすると、土砂降りが降ってきた。どうやら信乃が村雨を使って雨雲を呼び寄せたらしい。勢いよく降る雨は、あちこちに上がっていた火を消火していく。この調子なら家の火も消し止められるだろう。
 少しづつ勢いが弱まる雨の中、二人を探すと、崩れた家屋の中にいた。人の身体に戻っているし、意識もしっかりあるようだ。安心した。

「二人とも、スッキリした?」
「涼弥…」
「…生きたいと願うことは、誰にとっても罪ではないよ。死にたくないって、生きて戻りたいって願うことは誰もが持つ願望だ。現八の場合は、少し歯車が掛け違っただけだった。…ごめん、慰めにはならないね」
「いや…」
「だけど、最初の願いを否定しないで。自分だけは、自分の願いを否定しては駄目だよ」

 死の運命すら覆す出会いをもたらした願いは、他の何よりも強い願いだ。そしてその願いを否定するということは、あの日の自分と、それからの自分を否定するということに等しい。二人にそんなことはしてほしくない。なかなかうまく言えないことに、少し顔を俯かせると、現八が頬に触れ、顔を上げさせた。

「…よく見りゃ顔も好みだし、死ななそうだし」
「…は?」
「今好きな奴、または男はいるか?」
「いや、いない、けど…話が見えないぞ」
「おい待て兄貴」
「よし涼弥、俺なんてどうだ。金ならあるぞ」
「待てっつてんだろ!!!!!」

 バコンと小文吾が現八の後頭部を叩いてようやく中断された。「おーい、生きてるかぁ!」と信乃の声が遠くから聞こえる。信乃も荘介もずぶ濡れだけど怪我はなさそうだ。

「小文吾、さっきの現八は何なの」
「いや…今度は現八と正反対の、気が強くて絶対死ななそうな女を選びなと」
「えぇ…早くない?しかも私?」
「俺もこんな早くに見つけるとは思わなかったんだよ…」

 ようやく終わりを迎えた鬼騒動だったが、また新たな悩みの種が生まれた気がする。
back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -