悪児

 荘介の怪我を見て、痛み止めの術式と包帯を巻いておく。ベッドに寝かせた荘介はよく眠っている。矢に毒が塗ってあったらしいが、どうやら麻酔のようなものらしい。私が治せる範囲で助かった。

「信乃は怪我ない?」

 こくりと頷く信乃から上着と私のコートを預かる。着替えがないので冷えないように毛布を巻きつけておく。

「私は小文吾さんと話してくるから、信乃もちゃんと休みなね」

 とは言ったものの、様子からしてずっと起きているだろうなぁ。



「部屋と毛布、ありがとうございました」
「いいってことよ。信乃とあの犬は大丈夫だったか?」
「はい、傷は浅いようですし、信乃も元気です。お兄さんも大丈夫でしたか?」
「ああ、ぐっすりだよ。人の気も知らねーでさ」

 ホラ、と出されたお茶を飲んで一息つく。こっちにきた途端とんでもないことに巻き込まれるなんて。

「改めて、犬塚涼弥です。信乃がお世話になりました」
「俺は犬田小文吾だ。そんな畏まらなくていーよ、敬語もいらねーし。犬塚ってことは、信乃の姉貴か?」
「…ああ」

 嘘は言ってない。双子だから姉でもあるし妹でもある。

「ところでこの家は…」
「親父の実家。もう誰も住んでないけど時々手入れに来てんだ。まさかこんな風に使うとは思ってなかったけどな。兄貴のことは、あー、なんて説明してものか」
「犬飼現八、鬼だよね?」
「…知ってんのか」
「まあ、諸事情で。聞きたいことは本人に聞くとするよ。悪いけどしばらく休んでもいいかな」
「ああ、そっちの部屋使っていいぞ」

 あてがわれた部屋に入り、コートと信乃の上着を掛ける。しばらくすれば乾くだろう。ベッドに倒れ込んで息を吐く。なんだか精神的に疲れた気分だ。熟睡とまではいかないが、朝まで数時間あるし仮眠をしよう。目を閉じればあっという間に睡魔が襲ってきた。





「…朝」

 室内に入る日差しで目が覚めた。鳥の鳴き声がするからまだ遅い時間ではないだろう。居間の方から話声がする。まだ疲れが残る身体に鞭打って起き上がり、居間に向かう。

「おはよう」
「おう起きたか涼弥。朝飯食うか?」
「いいの?いただきます」

 テーブルについて先に起きていた信乃たちにも声をかける。なんで八房がいるんだろ。

「おはよう信乃、荘介。荘介は怪我大丈夫?なんで八房いるの?」
「おはようございます涼弥。はい、手当ありがとうございました。」
「おはよー、昨日俺が村雨に里見に知らせてくれって頼んだんだよ」

 そうだったのか、だから昨日拾った時に村雨の気配が薄すぎたわけだ。運ばれてきた朝ごはんに手をつける。えっ、うま。

「美味しい…」
「な、美味いよな!小文吾は古那屋の息子なんだってよ」
「へー、古那屋っていったら旧市街の有名な宿じゃん」

 通りで見た目によらず繊細な料理を作るものだ。普段食べてるものが質素だと言うつもりはないが、久しぶりに舌鼓を打つ。味噌汁うま。

「おー兄貴、目ぇ覚めたかよ。飯できてんぜ?」

 目線を上げると、犬飼さんが居間を見て固まっていた。気持ちはわかる。起きたら犬神がいる状況なんてそうそうないだろうし。ちらりと全身を眺める。見える範囲に目立った傷はない。回復力は私たちと同じように凄まじいということだろうか。

「「鬼」が喰うと言ったからにはお前も妖の類か?人間の子供とはよく化けたもんだよな」
「もとから人間だ!」
「そんな匂いは全然しないがな。それよりお前、なぜ里見の犬神を連れている?」

 疑問はもっともだ。八房を見たことがあると言うことは、3年前の事件で、意識があるうちに里見の姿を見たということだろうか。

「八房は使いに来ただけだし、俺は里見の探し物を手伝ってるだけだ。何度も言うが俺は人だっての!」
「…そんな匂いをさせておいてよく云うな」
「それでも」

「あんたと同じ、俺はただの「人」でしかない」

 信乃は強い。自分でも異常な身体だとわかっているのに、人であることを諦めていない、疑っていない。私はその強さが羨ましく、そして同時にその強さが身を滅ぼすんじゃないかと不安になる。

「───成程ね。この俺を「ただの人」だというお前。昨日は俺の姿を見なかったのか?」
「見たけど、外見は何の判断材料にもならない。人を人と決めるのは姿形じゃない、惑わされるな」

「人がたった独りになった時、誰も必要としなくなって愛する人間が一人もいなくなった時、誰にも必要とされず愛してくれる人間が一人もいなくなった時、人は人であることを棄てる。アンタはそうか?犬飼現八」




「三年前に北部の村で国境を超えて来た奴らが、村の人間を人質にとって立て篭もった事件があったろう」
「そーなの?」
「信乃は知らないかもしれませんね。何せ新聞も読まないんですから」
「…俺もう、犬が荘介なんだったりしても驚かないな、うん」
「あ、はい。犬川です」

 そういえば小文吾は初めて知ったのか。
 北部の事件。莉芳とも話したが二人はこの事件の生き残りらしい。当時士官学校出たての犬飼さんと一兵卒として小文吾が出兵した。短期での解決の予定だったが、村に人質、よりにもよって皇族の斎姫が療養に来ていた。予想外の状況に軍は大揉め、半年にも及ぶ案件となってしまった。真夏の行軍は冬にかかった。装備不足、物資不足、軍は限界だった。

「そのうち鬼が出ると隊の中で噂になった。人を喰らう鬼が出る、と。最初はこんな環境下での不安がそんな噂を立てさせているんだと思った。けど少しずつ隊の人間が減っていくと、本気でみんな怯え始めた」

「鬼は───本当にいた。俺と現八はあの時確かに「死んだ」んだ」

 犬飼さんはわかっていたが、小文吾もそうだとは思わなかった。ふと庭に目線を向けると、犬飼さんが毛玉に餌付けをしていた。大きな口がぐわりと開く。まさか大きな目の反対側が開くのか…。そりゃ構造上そこしかないか。

「そんで、その後村はどうなったんだ?」
「お前の後ろの犬神」
「え?」
「犬神憑きの里見莉芳が突然現れて、一瞬にして片を付けた」
「あったあった。ちょうど仕事に関わることを許された時期だったから覚えてる。軍は教会に頭なんて下げたくなかったけど、結局皇族が泣きついて、莉芳が出たんだよ。それからかな、ただでさえ軍と仲が悪かったのに寺院とも仲悪くなったの」
「そーそー、今のとこ旧市街が寺院、新市街が教会のナワバリってことで派手な諍いはねぇけど、子供とはいえ教会の人間がぶらついていると危ねぇぞ」

 確かに、旧市街を歩くときは私も気をつけている。少なくとも目立つところに十字架を身につけない。信乃はそこら辺気にしてないから言っておくべきだろうか。いやでも荘介がいるなら大丈夫だろう。

「青蘭という僧をご存知ですか?」
「………バッカお前ら…よりにもよってクソ面倒臭いやつに目をつけられやがって…」
「な…!何だよ!俺らのせいじゃねーもん!」

 青蘭、旧市街で噂を聞いてる時に何度か聞いたな。笙月院のそれなりに高位の坊主の名前だったはず。話を聞く限り、首の長い蟲を使役しているらしい。いくら僧とはいえ妖を使役?どこから手に入れたのか、調べる必要がありそうだ。話を聞くに、犬飼さんに私怨があるらしい。犬飼さんは養子だったらしく、幼等部で一緒だった名門出の青蘭は同じクラスに犬飼さんがいるのが気に食わなかったそうだ。他にもあるそうだが完全に逆恨みもいいとこだ。過ぎた欲を持つ人間はどこにでもいる、それを満たすため妖に手を出す人間もいるが、青蘭もそうだったのだろう。虚しい話だ。



「俺には姉貴がいたんだよ、3つ年上の。現八と同い年で、親同士が仲良くてな。俺ら兄弟みたいに育ったんだ。だから現八とうちの姉貴が恋人同士になるのは自然の流れだった。だけどなぁ、北から引き上げてきたら姉貴は死んでて、現八は半狂乱でな。手がつけられなくて…」
「…恋人が死んだら誰でもそうだろ?」
「…うん、そうだな、そうだ。だけどあの兄貴が…って思うと情けなくて、弟の俺だって辛いのに…って思うとな。犬飼の親父殿が急死して三重に衝撃だったんだと思う。目離した隙にアイツ…自分の首を刃物で掻き切ってた」
「───」
「見つけた時には血がたくさん流れてもう駄目だと…。自分に手加減なんてする男じゃないから、もう絶対無理だと思った」
「だけどな信乃、涼弥。現八は死ななかった。だけど、その後何度も死のうとした。そのうち何かがおかしいと感じ始めた」

 そうだ、おかしいんだよ。そもそもあの時現八と俺は死んだ筈だから。
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