始まり

 視界を炎と煙が埋め尽くす。
 一向に衰えることのない炎は、木々も家屋も、果ては死んだ人間も焼き尽くす。巻き込んだ全ては糧にして。

 浜路の泣き声が聞こえる。そばにいってあげないと、泣かないでと抱きしめてあげたい。だけどじくじくと痛む身体は焼けるように熱く、起き上がる力がない。


 ───嫌だ


 死にたくない。こんなところで死にたくない。こんな終わり方を私は認めたくない。徐々に暖かさを失う身体と真逆に、心は熱く燃え上がる。生きたい、ただその一心で手に力を入れる。それでも、むなしく地面をひっかくだけだった。

『生きたいか』

 目の前に狼がいた。炎を恐れることなく、燃え盛るこの地に存在していた。

『このまま物言わぬ死体となって焼け崩れるか』
『私に手を伸ばし、人ならざる身となっても生きるか』

『選べ娘よ。生きるか死ぬか、決めるのはお前だ』



 ───手を伸ばす

 真偽はどうだってよかった。生きたい。少しでも生きられる可能性があるのなら、手を伸ばす。力の入らない腕に鞭打ち、少しでも前へ。
 そんな私を見て狼はにやりと笑う。

『私は、山神』
『これから一生、お前と共に生きるものだ』

 ぐわりと大きな口を開けて私を喰らう狼の姿を見て、そこでプツンと切れた。







 気がつくと、私の身体は立っていた。
 どこにも痛みは存在せず、負った傷は治っている。私の身体は明確に変わっていた。自分の中にあの狼、山神がいる。身体の中から湧き上がる力が私を奮い立たせる。そうだ、信乃たちのもとへ行かなければ。私の半身、私の家族、助けなければ。

 浜路の声が聞こえた方向へ足を動かす。あれから声が聞こえない、早く行かなければ。
 もつれる脚に力を入れて遅々と歩く。しばらくすると、一人の男が立っているのが見えた。この惨状の中には不釣り合いなほど美しく身綺麗な男だ。炎に照らされて浮かび上がる顔がどこか信乃に似ていた。ああ、忘れるものか、私はこの美しい人を知っている。

「…涼弥か」
「信乃、は」
「選んだ」

 血に塗れた信乃と荘介と四白、気を失った浜路がいる。そして信乃の中にどくどくと息づく強大な力を感じる。ぞくりと背筋に走る怖気が脚を震えさせる。

「お前もすでに選んだか」
「なにを…『里見莉芳』…っ!?」

急に出た声は私の意図したものではなく、あの狼のものだった。

『随分と遅い到着だったようだな』
「急な事件だったのでな、これでも急いだほうだ。しかし、あなたほどの存在が誓約に応じるとは思わなかったが」
『…もはやここまで人が死ぬと私の存在証明も薄れてしまう。ならば力失う前に願いを持つものを庇護したまでのことよ』

 出る言葉は私の口を介してではあるものの、私の意識はただ視覚と聴覚しか働いていなかった。私が疑問に思ったことも声に出すことは許されなかった。ただ、もう自分の身体は普通の人間ではないのだとわかってしまった。

『む、もう同化が始まったか…。おい、涼弥といったな、私はしばらく寝る。あとは好きにしろ』
「ぁ…」
『里見莉芳』
「なんだ」

『          』

「…ああ」

 私には最後の言葉が聞こえなかったが、彼には聞こえたらしい。喉に手をあてて軽く声を出す。身体の中で渦巻いていた山神の力が急速に私と溶け合っていくのを感じる。先程同化が始まると言った通りなのだろうか。とたんに身体の力が抜ける。私自身の身体も限界が近かったようだ。

「お前も休め、再び目覚めたときには全て終わっているだろう」
「ま、って…兄さん…」
「あいつはじきに目が覚める。炎もだいぶ衰えてきた。もう何も考えるな」

 力無く地面に横になった私の身体は、もう言うことを聞いてくれない。瞼も閉じていき、視界が狭まっていく。

「涼弥」

「お前が再び目覚めた後、強くなりたいと、守る力がほしいと思うのであれば私の許に来るといい。そして、今言ったことを忘れてもいい」

 完全に視界が閉じきって、声だけが聞こえる。撫でているつもりなのか、頭に乗せられた手が不器用に動く。

「選ぶのはお前だ」

 待ってと、声を出したかった。だって、ずっと会いたかったの、兄さん。


 そして今度こそ私の意識は完全に虚無に落ちた。
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