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一目惚れだった。
恋というものを知らなかった俺でもわかる程に心が高鳴る。


「こんにちは!」


隣りに引っ越してきたのか、丁寧な挨拶と菓子折りを持って現れた彼女から優しい香りがした。


「隣りに引っ越してきた永恋羽月と言います」

「…冨岡だ」

「冨岡さん!よろしくお願いします」

「あぁ、こちらこそ」


菓子折りを受け取れば、嬉しそうに微笑んだ彼女に照れて視線を外す。


「それじゃあ、他のお部屋にも回るので私はこれで。貴重なお休みの時間失礼しました」

「あぁ」


そう言って頭を下げた彼女が下がっていくのを見ながら扉を締めた。
居なくなった後、部屋に戻り菓子折りを開ければ高級そうな和菓子が数個入っていてそれを一つつまむと控え目な甘さが口の中に広がる。


「旨い」


優しい味がまるで彼女のようだと思えば勝手に笑みが浮かんだ。

茶を用意して開きっぱなしだったノートパソコンのキーを叩き仕事の続きをしていると充電器にさしたままの携帯が震える。


「錆兎か」

『義勇、もう少しで着くんだが何か買っていこうか?』

「いや、特には」

『了解』


そう言って要件のみの通話を終わらせ掛けてある時計を見れば今日は錆兎が泊まりに来るという約束だった。

互いに忙しい身になりなかなかこうして集まる機会の無かった俺達は月に一度どちらかの部屋で酒を飲む集まりをしている。

既につまみも酒も家に買ってきておいた俺はさっさと仕事を終わらせてしまおうとキーを叩くペースを上げた。


「義勇、邪魔してるぞ」

「……どうして部屋に入ってこれた?」

「何度かチャイムは鳴らしたんだが出てこなかったからドアノブ引いたら開いた」

「すまない」

「不用心だぞ。きちんと鍵は閉めろ」

「あぁ」


彼女を対応した後鍵を閉め忘れていたらしい。
ぼんやりし過ぎたなと思いながら、ベルが鳴るのも気付かず集中して終わらせた仕事を保存してパソコンを閉じる。


「何だ、来客があったのか」

「隣りに引っ越してきたらしい」

「ほう。随分と気前の良い菓子折りだな」

「知っているのか」

「この小さい和菓子一個千円前後する」

「は?」


箱に入った一口サイズの和菓子を見て目を見開く。
大体菓子折りなど千円前後で用意する物なのに一つ千円とはどういう事なのか。

俺の所だけで6000円はしていると言う事だ。


「大企業のサラリーマンでも引っ越してきたか?」

「いや、俺と変わらないくらいの女性だった」

「へぇ。ならいい所のお嬢さんかもしれないな」


錆兎の言葉にそうかもしれないと心の中で納得する。
世間知らずだからこんなに高額な物を用意してしまったのかもしれない。

大人しそうな清楚な女性だったから、仕草も綺麗だった気がする。


「どうした義勇。珍しいな、その女性がそんなに気になるか」

「…笑わないで聞いてくれないか」

「勿論だ」


錆兎ならいいかと、彼女に抱いた気持ちを正直に話した。
ただ一言、一目惚れをしてしまったと。


「……驚いたな」

「俺が一番驚いてる」

「色事に疎いとは思っていたがそうかそうか、やっと義勇もその気になったか!」


今日は祝いだな、と嬉しそうに肩を組んでくれた錆兎に頬が緩んだ。
錆兎はいつも俺が嬉しい事もまるで当事者の如く喜んでくれる。

名前しか知らない彼女を想いながら、少し早めの乾杯をして互いの近況を語り合った。


「ん、酒がもう無くなったか」

「俺が買いに行こう」

「いいや、どうせなら一緒に行こう。一人で残っても暇だしな」

「そうか」


もうすぐ7時を過ぎる頃だ、近くのスーパーに行く為に上着を羽織り財布を手に持ってドアを開けると、ちょうど隣の部屋のドアも開いた。

この部屋は彼女の、そう思って目を向けるとさっき会った時とは違う少し濃い目の化粧をした彼女と目が合う。


「あ、冨岡さん。こんばんは」

「…あぁ」

「君が義勇の隣りに引っ越してきた人か。俺は錆兎だ。仲良くしてやってくれ」

「初めまして、永恋羽月と言います。こちらこそよろしくお願いします」


酒が入った錆兎は彼女に笑顔で手を差し出すと、その手を握って明るい笑みを浮かべる。
化粧一つで女性と言うものは変わるものだとまじまじと見つめた俺は、名前を呼んでもらった錆兎にほんの少し羨ましいと心の中で思った。


「これから仕事か?」

「はい。っていけない。遅刻しちゃうので私はこれで!冨岡さんも錆兎さんもお酒は程々に、ですよ」

「あぁ」

「それじゃあ」


俺達に一礼して高いヒールの音を響かせながら走り去って行った彼女の後ろ姿を眺めながら昼間見た時の姿を重ねる。


「菓子折りが高い理由が何となく分かるな」

「何故だ?」

「いや、ただの俺の予想だ。他人の俺がおいそれと突っ込むことじゃない。さ、酒を買いに行こう義勇」


あの格好の何が菓子折りと結びつくのか俺には全く分からなかった。
錆兎が何を言いたいかも分からなかったが、あぁ言った以上何かを聞いても無駄なのは分かっているからそれきり追求するのもやめておいた。




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