―――約束、守れなくてごめん。ずっと…ずっと大好きだよ、羽月。
そう言った彼の表情は見えないのに、声が震えていて。
抱き締めようとした腕は宙をきり、長く柔らかそうな黒髪を揺らしながら去って行ってしまう。
その背中を見ていると苦しくて、悲しくてどうにかなってしまいそうな程なのに私は声すら出せずに崩れ落ちる。
「―――っ、」
煩い目覚ましの音と共に私は体を起こす。
物心がついた時から寒くなってくると必ず見る夢に暫くぼーっとしながらボサボサした髪をかき上げた。
「……今年もこの季節かぁ」
あの夢を見るのは365日ある内の数日だけど、現在の高校生になるまで毎年見れば流石に内容も鮮明に覚えていて、冷たい床へ足先を下ろしながら彼の事を考える。
実家から遠い学校に通う為に独り暮らしをしている私は当たり前ながらに衣食住全ての事柄を自分で賄っていた。
どうしてここまでしてこの学校にしたかったのかは不明だけど、色んな人が居てとても楽しい毎日を送っているから後悔した事は一度も無い。
コップに入っている歯ブラシを取り白い歯磨き粉を捻り出す。
ぼーっとしたまま歯磨きを済ませて、栄養チャージ出来るゼリーを飲みながら髪の毛を整え時刻を確認するとまぁまぁの時間帯。
「化粧するのも面倒だし今日はすっぴんで行こうかな」
元々寝起きがいい訳じゃない私はビューラーだけをして鞄を手に取る。
そうすると、大体決まって家の鐘がタイミング良く鳴るんだ。
インターホンのカメラをオンにすると、そこにはふわふわした黒髪の男の子がこっちを覗いてる。
「おはよー、無一郎」
『おはよ、迎えに来たよ』
「今行くねー」
彼は時透無一郎。
同じ学年、同じクラス、隣の席に加えてお隣さんと言う何とも奇跡のような縁のお陰で無一郎の部活が無い時には一緒に登校してる。
無一郎のお母さんが私を心配してくれて言ってくれてるらしいけど、彼はモテるから正直周りの視線が痛いんだ。
「お待たせ」
「大丈夫。マフラー持った?夜中雪降ってたから寒いよ」
「わ、ほんとだ」
玄関のドアを開けて辺りを見れば一面の銀世界。
雪なんて久し振りだから少しテンションが上がる。
「ほんとだ、じゃないでしょ。マフラー持ってきなよ」
「クリーニング出してないし大丈夫」
「……そ」
階段を降りてまだあまり踏まれていない雪道へローファーで踏むと想像した通りの感触で思わず笑みが浮かんだ。
「んふふ、楽しい」
「良かったね」
「うん!」
「ほんと、変わらないね」
さく、と雪を踏みしめた音と無一郎の言葉が重なってよく聞こえなかった。
それでも何か言ったことは分かったから顔だけで振り向くと普段しないような優しい表情で息を呑む。
「無一郎?」
「何でもない。そんな事より鼻赤いよ」
「トナカイみたい?」
「トナカイのが可愛いかもね」
「ぐっ…無一郎に言われると言い返せない」
「なんでさ」
小憎たらしい発言も無一郎だから許せる。
彼は同級生には勿論の事、特に年上のお姉様達の人気が凄い。
甘やかしてあげたくなるとか、普段表情の変わらない彼の笑顔を私だけに向けてほしいだとか学校の先輩が話していたような気がする。
「顔が良いって羨ましいよね。私もモテたい」
「何なの今更。それに僕はモテたくはないけど。好きな人が振り向いてくれるならそれでいいし」
「えっ、好きな人居るの?」
「まぁね」
「待って初耳!」
「言ってないもん」
竈門先輩とか以外興味無さそうな無一郎が女の子を好きだなんて。
驚きと共に今の自分の立ち位置を考えて勢い良く彼から距離を取った。
「…羽月が何を考えてるかは分かるけど、一応聞いておくね。何で離れるの」
「好きな子居るなら私と登下校しちゃ駄目だよ!」
「どうして?」
「い、いい?無一郎が幾ら私を女と見ていなくても生物学上では女の子だからさ」
「言われなくても分かるよ」
「こんな事してたら無一郎の好きな子に振り向いてもらえなくなっちゃう」
不服そうな無一郎にきちんと伝わるよう説明すれば直ると思った機嫌は変わらず、寧ろ益々眉間にシワを寄せている。
何となく束縛は嫌いそうだし、無一郎は意外と頑固だから信じてくれないのとか言いそうだもんな。
「無一郎、付き合うならお互いの意思も尊重し合える関係じゃなきゃ駄目だよ」
「彼氏居た事がありますみたいな口振りだけど居た事あるの?」
「うっ、確かに彼氏居た事がないから強く言えるわけじゃないけどさ…」
「ほんとに?」
「えっ、そこ?うん…生まれてこの方出来たことないよ」
「そっか」
突然機嫌が直った無一郎に訳が分からなくなりながらも、私に先を越されるのがそんなに嫌だったのかと考えて少しだけ心が折れそうになった。
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