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数日後、コーヒーメーカーから漂う芳ばしい香りを堪能しつつ部屋の隅にある箱へ視線をやる。

あの後女だったものに恐る恐る触れてみれば、先程まで話したり珈琲を一緒に飲んでいたとは思えない程に何もかも人形へと戻っていた。

断じて触りたいからなどという下心はない。


居心地は悪くなかったし、顔も説明書きの通り悪くは無いと言うよりはどちらかと言えば好みだ。

自分の寿命が削られない一時間だけなら暇つぶし程度にはいいかも知れない。
名前を呼んでキスすると言うのはどうも気が乗らないが。


「…羽月」


目を閉じた羽月へキスを送る。
その瞬間、ふと開けることの無かった瞳がゆっくりと瞬かれた。

至近距離で目が合うと1つ2つと瞬きをしてすぐにあの柔らかな笑みの花が咲く。


「伊黒さん…また呼んでくれたんですね」

「暇だったからな」

「嬉しい!」


キスをしてすぐ目を開けたものだから顔が近い。
だと言うのにそれすら気にも止めない羽月は嬉しそうに何度も何度も俺の名を呼びながら手を取られる。

もう会えないかと思ったと、次にもし目が覚めた時は俺の事を覚えていられないかもと興奮した様子で話した。


「ありがとうございます」


嬉しさも隠さぬ様子でまるで鸚鵡の様に繰り返し俺に感謝を述べる。
いいから落ち着けと珈琲にミルクを入れて渡せばこの前と同じ様にその場に正座をして飲み始めた。


「どうしてそこから動かない」

「私なりの誠意です」

「誠意?」

「ここから動かなければ少しは安心してくれるかなと」

「……お前がストーカーでは無い事は嫌でもこの数日でよく分かった。ソファに座れ」


自分の分の珈琲を持ってソファに座って手招けば、大きく瞬きをした羽月がそろそろと近寄ってくる。
小さい声でお隣お邪魔しますと呟き俺の横へ腰を下ろすと僅かにソファが音を立てて人が乗ったことを知らせた。


「………」

「…………」


静かな空間に俺と羽月が珈琲を飲む音だけが響く。
突然静かになった羽月に多少の違和感を抱きながらマグカップをテーブルに置けば視線が向けられた事に気付いた。


「何だ、言いたい事があるなら言え」

「あの、何か…緊張、しちゃって」


頬を軽く染め口元をマグカップで隠しながら視線を反らした。
その表情にぎゅうと心臓が締め付けられるような感覚につい唖然としてしまう。


「あ、あ、そうだ。伊黒さん」

「…何だ」

「私にして欲しいことって何かありますか?時間もまだあるし…ご飯でも、掃除でも何でもしますよ」

「いや、別に俺は」

「時間は有限です。ある程度の事は出来るますから、ね?」


さっきの態度とは打って変わって俺へ身を乗り出すと何かしたいと申し出られ逆に困ってしまう。
昼食だって取ったばかりだし、基本毎日掃除はしているから必要性も無い。

かと言って別に何かあるかと言われれば本当に何も無い。
ただの暇潰しなのだ、要はやることが無いから再び羽月を呼んだと言っても過言では無い。


「なら、話をしててくれ」

「話、ですか?」

「あぁ」


人形なのだから羽月自身の事に質問をしても答えに困るだろう。
なら適当にプログラム、されているのかは分からないがその柔らかな声で紡がれる物語を聞くのは悪く無い。

キョトン、と言う言葉が一番しっくり来るであろう表情を浮かべた羽月はすぐに花が咲いたような笑顔を浮かべて頷いた。


「何でもいいんですか?」

「何でもいい」

「分かりました。じゃあ…」


そう言うと羽月はゆっくりと、謳うように物語を語り始めた。
桃太郎と言う何とも渋いチョイスではあるが、目を閉じながらその声に耳を傾ける。

子どもの頃に親が寝る前に読み聞かせをしてくれた事を思い出す。

内容が気になる筈なのに、程よく抑揚を混ぜた声に睡魔を誘われ大体が聞き終える前に眠ってしまっていた気がする。

30分と経たない間に終わるその物語は俺を眠りの海へと誘った。
意識が落ちそうになった時に聞こえた優しいおやすみの言葉。


目を覚ませば俺を膝枕したまま人形に戻った状態の羽月が居た。
直前まで撫でていてくれたのだろうか、頭の上に置かれて楽しそうな笑みを浮かべ目を閉じている。


「…何がそんなに楽しいのか俺には理解出来ないな」


手を退け身体を起こしながらいつもより良質な睡眠を取った気がして首を回した。
それから毎日一時間だけの短い時を羽月と共に過ごすようになり、徐々にその短時間が物足りなくなってくる。

だが羽月はいつもありがとうと言って眠った。
そしてここ最近ほんの僅かにその美しい瞳に心配げな光を灯してこう言うのだ。


「私はこの時間だけでシアワセだよ」


嘘はついていない様だった。
それなのに、自分が眠りにつく時間になると一瞬だけ憂いを生んだ瞳を俺に向ける。


「…俺は、一時間では足りないよ」


いつの間にか羽月と過ごす時間が楽しくて、俺は喜んだ顔が見たくて堪らなくなっていた。



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