その後私は伊黒先輩に鬱陶しい前髪を切ってもらった。
広くなった視界に、満足そうな伊黒先輩の顔が見えて何だか嬉しい。
「どう、でしょうか」
「可愛い」
「!」
ストレートな感想に思わず口を結んでしまうと、横に垂れた髪を耳にかけてそっと頬を撫でてくれる。
嬉しいけどなんだか照れ臭い。
「…でも、他の男にこんな羽月を見せるのは少し勿体無いとも思うよ」
「そ、そんな」
「何か揃いの物でも付ければ虫除けにはなるだろうか」
ぶつぶつと突然一人の世界に入ってしまった伊黒先輩に、ぼんやりとオニキスの目を持つ蛇のピアスを眺める。
お揃い。
「あ、あの!失礼を承知で私からお願いがあるのですが!」
「何だ、急に大きな声を出して」
「私もその、伊黒先輩と同じピアスがしたいです」
「ピアス?」
聞き返す伊黒先輩に無言で頷いて俯く。
キメツ学園は比較的校則の緩い方だ。
だからピアス一つでは文句は言われない。
その様子を黙って見ていた伊黒先輩は考え込むように指を唇に当て、顕になった耳を凝視している。
「女性の体に穴を開けるという行為は気が引ける」
「う…そう、ですよね」
「だが、そうだな。悪くない」
そう言うと、伊黒先輩が持っていたバックを探り出すのを後ろから見つめる。
何をしているのだろうと眺めていると、薬局の袋を取り出した伊黒先輩が私を手招く。
「?」
「ピアッサーをちょうど買った所だったんだ。開けてやる」
「わぁ…」
「氷はあるか?」
「はい。ちょっと待ってて下さい」
「少しでいい、袋に入れて持ってきてくれ」
伊黒先輩に頷き言われた通り3つ程氷を入れた小さな袋を持って帰ると、消毒液をティッシュに滴らしていた。
「伊黒先輩?」
「本当にいいんだな」
「あっ、はい!」
ピアスを開けるという事は少し憧れていたけれど、やはり少し緊張はする。
手慣れた様子で準備を進める伊黒先輩に頷くと、手に持っていた氷の入っている袋を受取り右の耳に当てた。
凄く冷たくて目を閉じれば小さく噴き出す声が聞こえる。
「辞めるなら今の内だぞ」
「大丈夫、です」
「分かった。なら俺も責任を持とう」
責任?と思った瞬間、感覚の無くなってきた耳朶に伊黒先輩のピアッサーを持った手が触れガチャンという音と共に痛みを感じた。
思わず唇を噛んでその痛みを耐えていると、嬉しそうに目を細めた伊黒先輩がピアスを貫通した耳を眺めているのが見える。
「これで、お揃いだな」
「は、はい」
「出血はないようだが気分はどうだ」
「いえ、大丈夫です」
気持ち悪いだとか、頭が痛いだとかの不調は今の所ないと伝えればそうかと頷いて頭を撫でてくれた。
優しく撫でてくれる伊黒先輩の手が気持ちいい。
「羽月」
「はい」
「好きだよ」
開けたばかりでジンジンと熱を持つ耳に顔を寄せて囁かれる。
未だに不安は拭えないけれど、こうして気持ちを伝えてくれる伊黒先輩に心がポカポカした。
その後伊黒先輩は着ていた服が乾くと消毒するよう私に言い聞かせて帰って行った。
テーブルの上に置きっぱなしだった伊黒先輩の番号を登録してありがとうございましたとショートメールを送ってみる。
こうして家族以外の人に連絡するのも初めてで、いつ返ってくるだろうかとそわそわしてしまう。
するとすぐに返事が返ってきた。
【これからよろしく頼む】
簡潔だけれど私はその言葉がどうしようもなく嬉しくてケータイを胸に当てニヤけてしまう顔を晒す。
すると、またメールが届いた音がして画面をタップすれば伊黒先輩からで。
【また近々会いたい】
そう書いてあった。
何となしに行ったスーパーと雨に感謝しながら、もちろんですと返信をして鏡を見る。
そこには顔がよく見えるようになった私と、耳には伊黒先輩とお揃いの黒いオニキスが輝いていた。
「伊黒先輩」
そっと触れればまだ痛むけれど、すぐ側に伊黒先輩が居るようで安心する。
再来週には登校日もあるから少し怖いけれど、このピアスがあれば大丈夫な気がした。
「おい、あれ誰だ?」
「可愛くね?」
制服を身に纏い、学園へ登校すれば私を罵っていた男子生徒が前とは違う視線を浴びた。
何だか居心地の悪さを感じて顔が隠れるほど長くなくなった前髪を弄った瞬間、肩に誰かの手が乗る。
「おはよう、羽月」
「伊黒先輩…!」
「随分と注目を浴びているようだな」
私を見ていた男子生徒を睨み付けた伊黒先輩に困った様に眉を下げて笑えば、そっと右耳に触れられた。
「今日学校が終わったら買い物に行かないか」
「い、行きたいです!」
「よし、決まりだ」
右耳を見せるように髪を掛けた伊黒先輩がそっと手を繋いでくれる。
何度か私の家に来たことはあるけれど、こうしてデートするのは楽しみだ。
「羽月」
「何ですか?」
「キズ物にした責任はきちんと取るからな」
「?」
伊黒先輩のこの言葉の意味を理解するのはまだ先の事。
おわり。
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